あやかし奇談




第一章 
物の怪の花嫁御寮














(本当に、人間というのは愚かで・・・・・可愛らしい)
 いや、これが巴だからそんな風に思うのかもしれないが、多少強引でも言質を取ったことで益荒雄の機嫌は上々だった。
後は、少々力ずくになったとしても、目の前の諍いを止めれば楽しい時間が待っている。
 「さてと」
 感じる気の強さは互角・・・・・いや、僅かに相手方が慧を上回っている感じがする。しかも、相手が本気を出しているかどうか
までは、今の状態では分からなかった。
(雷(いかずち)を落としてやろうか?それとも・・・・・)
 どんな手段が有効なのだろうかと考えていた時、自分の横を黒い影がさっと通り抜ける。
 「あっ、おいっ、八玖叉!」
 「・・・・・」
 「何するんだ?これは私が巴に・・・・・」
 「我も、巴に頼まれた」
 「え?」
 「お前だけでは頼りないそうだ」
 「・・・・・」
(嘘、だな)
あの巴が自分のことをそんな風に言うとは思えない。その言葉が八玖叉の嘘だったとしても、彼がこの諍いの中に飛び込もうと
する切っ掛けは、確かに巴にあるだろうと分かるのが・・・・・面白くない。
(普段は、ムッツリスケベなくせに)
 巴を自分だけのものにすることは出来ず、慧と八玖叉とも分け合わなければならないと分かってはいるものの、あの存在を独
り占め出来ないのはやはり・・・・・。
 「力しかない慧と、堅物な八玖叉と、全ての調和が取れた私と・・・・・誰がいいのか、考えなくても分かると思うけどね」
 そうは思うものの、現状は今のまま変えることは出来ない。それならば、他の者達に一歩先んじるためには、少しでも巴の喜
ぶことをしなければならない。
 「・・・・・」
益荒雄は溜め息をつきながら、先に行ってしまった八玖叉に遅れないようにと更に気を高めた。



 「とっとと、正体見せろ!狐めっ!」
 「たかが天狗のお前に言われたくは無いねっ」
 「浮術(ふじゅつ)を使う人間がいるかっ!」
 気をぶつけ合っているうちに何時の間にか力を解放して空に浮いたのか、社は遥か足元にある。
雲を呼び、強風を呼び寄せているので、下にいる巴の様子は見えないものの、実際に自分と目の前の男(もう、人間ではない
と確信している)が空に浮いていく姿は巴も見たはずだ。
 「何も知らない巴を誑かしやがってっ、あいつをどうする気だったっ?」
 「・・・・・ただの鍵なんかにするには勿体無い」
 「何っ?」
 「あいつは、甘い。舌が蕩けそうな甘い魂の持ち主だ。どんなあやかしでも、甘いものが好きなのはおかしくは無いだろう?」
 「・・・・・っ」
(こいつ、まさか巴をっ?)
 まだ子供である巴の心が熟すまではと、その身を手にするのを待っていた自分達の鼻先から、この男は巴を攫い、その身体を
先に味わったのだろうか?
 「許せねえ!!」
 カッと、赤い瞳を輝かせ、赤い髪を逆立てて、全身で自分が支配する烈風を呼んだ。
凄まじい風は刃となって、目の前の肉を切り裂くはずだ。
(原形を止めないほどに切り裂いてやる!)
 男が目を庇うように両腕を顔にやったのを見て、思わず凄みを増した笑みを口元に浮かべた慧だったが、
 「・・・・・っ!?」
急に、口を塞いだ。
(な・・・・・んだ?)
苦く、異様な匂い・・・・・直ぐに口を塞いだと思うのに、もう身体中に毒素が回ったような気がする。
 「・・・・・っ」
 目の前の光景が歪み、息苦しさも強くなった時、
 「慧!」
何者かの腕が自分の腰を抱き寄せたのまでは分かったが、慧はそのまま気を失ってしまった。



 薄暗い雲間から漏れた匂い。
瞬時に着物で鼻と口を覆った八玖叉は、目に沁みるそれに何が起こったのかを悟った。
(殺生石を持っているのかっ?)
 遥か昔、九尾の狐の亡骸が石に変化し、有毒物質を噴出して、近づく人や動物などを殺したことから、生き物を殺す石と
呼ばれるようになった殺生石。ある場所の特定の石の名と思われていることが多いが、生きている九尾の狐はそれを身に着け
ているのだ。確か、あの男は・・・・・。
(耳に、石をつけていた・・・・・っ)
 小さな小さな、それ。人間の女がつけているようなものではなかったが、その威力は大きさなど関係なく、操る者の力の大き
さで変わるのだろう。
 「慧!」
 烈風を操っていた慧は、その風のせいで気付くのが遅れてしまったようで、揺れるその身体を抱きとめ、八玖叉は目の前にい
る男を見た。
 「その力こそ、妖狐の証となりうるがっ」
 「・・・・・」
 「これでもまだ、自分が人間であると言い切るのか?」
 「そこの直情馬鹿のせいで、巴にバレちゃったじゃないか。腹立つなあ・・・・・殺しちゃおうか」
 「・・・・・っ」
 簡単にそう言う男は、更なる妖術を使おうとしている。意識の無い慧を腕に抱いたままどう抵抗しようかと考えている八玖叉の
肩を後ろからポンポンと叩くのは・・・・・。
 「私にも、少しはいい所を残してくれない?」
 「益荒雄っ」
何を軽口を言っているのだと思ったが、そう言いながら自分達の前に立った益荒雄の全身からは、凄まじい気が溢れており、普
段余裕たっぷりな益荒雄が本気を出していることが分かった。







 「な・・・・・に?」
 頭上で繰り広げられている信じられない光景。
幾ら妖怪だといっていても、見た目は少し変わった容姿(かなり、変わっているところもあるが)の人間に見えていたので、巴の心
のどこかでは自分の身に起こっていることを誤魔化そうとしていたのかもしれない。
 しかし、こうして空に浮かんでいる彼らの姿を見てしまえば、本当に彼らが人間ではないのだと思い知ってしまった。
 「須・・・・・磨」
そして、親友だと思っていた須磨まで、本当に彼らの仲間、いや、どうやら仲間ではないが、彼らと同じ人間ではない妖怪だと
思うしかなかった。
 「・・・・・」
 巴は、その場に尻餅を付いてしまう。それでも、その視線は空で何事か争っているらしい影から逸らすことが出来なかった。
(あ、あの3人は、俺を花嫁にするって言ってた、けど・・・・・須磨、は?須磨は、いったい、俺を・・・・・)
本当に人間ではないのなら、須磨がどういう目的で自分に近付いてきたのか全く分からなくて、巴の不安や恐れはますます大き
くなっていくだけだった。







(殺生石か・・・・・厄介だな)
 人間ではない自分達が簡単に死ぬことは無いものの、それでも一時身体の機能が低下し、意識を失う場合がある。
全く身構えていなかった慧がそれで、今八玖叉の腕の中にいるが、きっと後で目が覚めた時には滅茶苦茶に荒れてしまうだろう
姿が予想出来た。
それは、目の前の男に対してという以上に、こんなにもあっさりと倒れてしまった自分自身に腹を立てて、だ。
 「おい、これで収めるというわけには・・・・・いかない?」
 「仕掛けてきたのはそっちだろう?」
 目を細めて笑う姿は、まるで今の状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
 「・・・・・本当に、直情馬鹿」
 「本人に言ってやれ」
 「言っても聞かないよ。元々、こいつの気性は荒いし、それが巴のことに関してなら・・・・・私も同じだよ。九尾の狐が相手じゃ
簡単に勝てるとは思わないけれど、巴に手を出されそうになって黙っていては、夫としての立場が無い」
 「夫・・・・・ね」
 「そう。これは巴が生まれる前から定められた運命。あの子は私達の大切な花嫁だ」
待って、待って、待って。ようやく手を伸ばせるほどに成長した巴。ここまで見守ってきた大切な花嫁を、面白半分で手を出そう
としている狐などに渡すことは出来ない。
 確かに、物の怪の中でも九尾の狐は別格で、鬼である自分が簡単に勝てる存在ではないが、ここで引いては、夫としての資
格さえ失ってしまうような気がした。
 「さて、どうする?」
 「・・・・・」
 「殺生石を使うのかな?」
 挑発するように笑って見せると、しばしそんな益荒雄の顔を見ていた男は、
 「止めた」
急に、そう言った。
 「や、止めた?」
 いきなりそう言った男に、益荒雄は内心戸惑ってしまったが、その眼差しが自分達の足元・・・・・地上にいる巴に向けられて
いることに気付く。
(・・・・・巴の、ため?)
 殺生石の影響が巴に悪影響を及ぼさないためにそう言うのだろうか?それほどに巴のことを気遣っているのか・・・・・そう益荒
雄が頭の中で考えている間に、男はさっさと地上に向かって下りていっていた。



 「巴」
 名前を呼ぶと、眼差しが向けられる。しかし、その目の中にはつい先程まであった親しみの色は消え、怯えと、恐れと、大きな
疑念の色がある。
(・・・・・本当に、あの天狗のせいで)
 もっと、ゆっくり巴に近付くはずだったのに、思い掛けない場面で正体を知られてしまった。親友という居心地のいい立場から
追い出されてしまったのは参るが、もちろん、このまま引き下がるつもりは無い。
やっと見つけた、共に生きることが出来る相手だ。その上、甘い、甘い匂いがする。
(天狗に、鬼に、夜叉。そんなものに俺が負けるわけが無い)
 「驚いた?」
 そう、何時もの口調で聞くと、巴の顔がクシャッと歪んだ。その表情には胸が痛むが、それにはわざと気付かないように笑って見
せた。
 「・・・・・須磨、じゃ、ないの?」
 「須磨だよ」
 「・・・・・本当の、名前」
 「・・・・・」
 真実の名前を言えば、一つの弱みを曝け出すことになってしまう。
ここには巴以外にも、自分の敵という立場の者達もいるが・・・・・じっと自分を見つめる眼差しから逃れることは出来なかった。
他の者を笑う権利など自分には無い。自分もとっくに、巴に囚われていたのだ。
 「・・・・・ 弥炬(やこ)」
 「弥、炬?」
 「そう」
 苦笑しながら頷くと、巴が口の中で何度か自分の名前を呟く。
真実の名前を知られることに躊躇いを感じていたのは本当だったが、こうして巴の口から名前を呼んでもらうことはなぜか嬉しく、
須磨・・・・・いや、弥炬は久し振りに人間の変化を解いた。