BLIND LOVE




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『』の中は日本語です。




 ヴェネツィアからシチリアに戻るとアレッシオは相変わらず忙しく、友春と顔を合わせるのも寝室でということが多くなっていた。
 『・・・・・』
友春は溜め息をついた。
アレッシオの屋敷の中で一番落ち着く書庫の椅子に座り、目の前にはあれ程心を動かされた写真集が広げられていたが、視線
はなかなかそこに定まらないままだ。
 カルネヴァーレの夜、自分からもアレッシオを求めて抱き合った。最初に腕を取られた時、確かに怖いと、嫌だと感じた感情は、
激しい彼の熱情にたちまち蕩けてしまい、気を失うまで抱き合ったことは覚えている。
 『・・・・・っ』
 数日前の夜のことを思い出し、友春はカッと頬を熱くする。誰も見ていないと分かってはいるものの、まるでアレッシオとのセックス
を回想している自分は裸でその場にいるようで、何だか居たたまれなくなってしまった。
(こ、こんなこと考えている時間はないのに・・・・・)
 明日の午後、友春は日本へと帰国することになっている。もう半月近くこの国にいるというのに、それまで、友春の中でホームシッ
クという感情はなかった。
それでも帰ろうと思うのは・・・・・これ以上アレッシオの傍にいると、自分がどんな言葉を言うか、行動を取るのか、全く予想がつか
なくなってきているからだ。

 『こ、これ、全然深い意味じゃなくて・・・・・っ』

 バレンタインデーに、思い切ってチョコレートを渡した。
目的など言っていなかったのに、突然店にアレッシオが現れた時はとても驚いたが、どうやって渡そうかと悩んでいたので道端で勢い
で手渡した。
 日本では、告白の時に渡すという意味合いが強いということはもちろん知っていた。男である自分が、男であるアレッシオにチョコ
レートを渡すこと自体可笑しいと思ったが、今回の滞在でも自分のことを一番に考えてくれた彼に対し、どんな風に気持ちを表し
ていいのか、その態度も言葉も思いつかなかったので、このイベントに思い切って便乗したのだが。

 「ありがとう、トモ。とても嬉しい」

 アレッシオはそう言い、友春の身体を抱きしめてきた。
頬にされた口付け以上のことをアレッシオはしなかったが、それがかえって友春の胸をつき・・・・・こうして、毎日彼のことばかり考えて
しまっている。
 急に忙しくなって会えない時間が多くなってしまったからかそれは顕著で、友春は毎日書庫に閉じこもったまま、自分とアレッシオ
の関係をじっと考えていた。




 「トモは?」
 「既にお休みになられています」
 「・・・・・そうか」
 コートを脱がせようと手を伸ばしてきた香田の言葉にアレッシオは一瞬2階を見上げたが、直ぐにリビングへと足を向けた。今は深
夜一時、さすがに今から友春を起こすのは可哀想だ。
(余計な仕事が回ってきたせいだが)
 わざわざヴェネツィアまで来てアレッシオの不興を買ったモニカ。
その一家も含めて経済的に追い込むことは秘書のマウロに任せたものの、女に自分のスケジュールを漏らしたバウジーニの息子、
エンリコに対する処罰は自ら手を下さねばならなかった。
 いくら要職に就いていないとはいえ、ファミリーの一員だ。惚れた女のためにファミリーの首領に関する情報を漏らしたとあっては簡
単に許すことは出来なかった。
 ただ、父親であるバウジーニはファミリーの中でも多少使える男ではあったので、その辺りの兼ね合いのせいでここ数日は表の仕
事の後にファミリーの話し合いが続いた。
 「友春様、寂しがられておいででした」
 「・・・・・」
 「今日くらいは、早くお帰りになられるかと」
 「・・・・・」
 もちろん、アレッシオもそう思っていたが、ファミリーの結束を固めるのは大切なことで、この問題を後回しになどしたらそれこそ首領
と呼ばれる自分の立場がぐらつきかねなかった。
(明日・・・・・か)
 本当は、このまま友春をシチリアに止めおきたい。この腕の中から二度と離さないように、自分の故郷で友春の心と身体を支配
したい。
 しかし・・・・・現状ではそれが無理だということは分かっていた。出来ないわけではなく・・・・・したくない。せっかく自分の方へ視線
を向けてくれている友春の顔を、強引に振り向かせることはしたくない。
それほどに友春を愛してしまっているのだと、アレッシオは自嘲した。
 「明日はどうされますか?」
 「仕事だ」
 「・・・・・そうですか」
 「何か言いたそうだな」
 自らテーブルに用意されたワインを注ぎながら視線を向けると、香田は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。
 「いいえ、私があなたに意見することは何もありません、アレッシオ様」
 「・・・・・」
 「ただ、あなたにとって最良のことを考えるだけです。それが執事の役割ですから」
くえない執事のパーフェクトな答えに、アレッシオも苦笑を浮かべるしかなかった。




 友春が目覚めた時、既にアレッシオは屋敷から出ていた。
 「今日も、仕事?」
 「はい。友春様が出発される時刻に戻られるかどうかは分からないとのことです」
 「・・・・・分かりました」
大学生の自分とは違い、アレッシオが多忙だということは十分分かっているつもりなので、友春はそこで寂しいと言うことなど出来な
かった。
(結局・・・・・何も言えないまま、か)
 もしかしたら、バレンタインにチョコレートを渡した意味を聞かれるかもしれない・・・・・自分からはとても言い出すことなど出来なく
て、本当はアレッシオの方から強引に聞いて欲しいと思っていたのだが、それもないまま、もう今日の昼過ぎにはこの屋敷を出て行
かなければならない。
 あんなにイタリアに来るのが怖くて、来たら直ぐに帰りたいと思うだろうと思っていた自分の予想とは違い、イタリアは、いや、この屋
敷の中は友春にとって心地の良い空間になっていた。それは周りの自分に対する態度の変化もあるだろうが、それ以上に自分の
気持ちが変化した・・・・・それは、認めなくてはならないだろう。
 「友春様?」
 「荷物、出来てます。時間、最後まで、あそこにいて、いい?」
 「書庫ですか?」
 「・・・・・」
 友春が頷くと、香田は少しだけ楽しそうに笑みを漏らす。
 「随分と気に入ってくださったんですね。友春様が来られてから、本達も久し振りに日の目を見ることが出来て喜んでいますよ」
 「ひ・・・・・?」
 「来てくださって嬉しいと、言ったんです」
まだ難しい単語を聞き取れない友春に、香田はそう説明してくれた。
そして、時間一杯好きなことをしてもいいですよと言ってくれ、友春は一番安らぐ空間の書庫へと足を向けた。




 読みたい本があったわけではない。いや、まだ全てを見ることはとても出来なかったが、部屋にいても落ち着かないからという理由
だけでここにいるのだ。
 『ちゃんと顔を見て、お礼を言いたかったのに・・・・・』
 居心地の良い空間を作ってくれたこと、祭りに連れて行ってくれたこと。傍にいる時間は少なかったものの、アレッシオはそこにいな
くても友春に尽くしてくれた。
 『・・・・・』
 このまま、顔も見ずに帰国してもいいのだろうかと、友春はじっと考える。考えて、考えて、そして・・・・・友春は上着のポケットに
入れたままの携帯電話を取り出した。
 『・・・・・』
もしかしたら、会議中かもしれない。いや、商談の最中かもしれない。
時差はないのでその点を心配することはないが、忙しい彼の時間を電話とはいえ割いていいものかと思ったが、今言わなければと
考え直し、友春は思い切ってアレッシオの携帯の番号を呼び出した。

 【トモ、どうした?】
 アレッシオは2回目のコールで出てくれた。
 「仕事、いい?」
 【構わない】
 「あの、あの、私・・・・・お礼、言う」
 【礼?】
電話の向こうは静かで周りには人がいないようだ。
(今のうちに、早く・・・・・っ)
 「ケイ、ありがとう」
 【トモ?】
 「いっぱい、楽しかった。ケイのおかげ、ありがとう」
 一度口に出すと、感謝の言葉は次々と出てくる。自分の中にある彼への拭いきれない恐怖は、顔が見えないこの場ではほとん
ど意味がないものになっていた。
 「それと、あの・・・・・」
 【・・・・・】
 「あの・・・・・」
(なんて言ったら・・・・・)
 慣れないイタリア語では、どう言ったら気持ちを伝えることが出来るのか分からない。
顔が見えない今が、正直に自分の気持ちを伝える最良の機会だと思った友春は、自然に使い慣れた日本語を口にした。
 『僕、ケイの気持ち・・・・・嬉しいと、思っています』
 誰かに好かれるのは嬉しい。ただ、それがこちらが戸惑うほどの情熱的なものならば怖いという気持ちの方が先に立ってしまうが、
それが何年も続けば相手の本気も伝わってくる。
 何度も何度も愛してると言われ、身体を重ねて、それでも嫌いでい続けるのは難しかった。男としてのプライドとか、理不尽な始
まりを考えても、友春は自分の心がアレッシオに傾いていることを認めるしかない。
 【それは、お前も同じ気持ちだということか?】
 『・・・・・』
 【私を、愛しているのか?】
 愛・・・・・言葉も、意味も分かっている。
そして、アレッシオに対して、どれ程大きな言葉なのか・・・・・友春はコクッと息をのんで、それでも、自分に正直に答えた。
 『・・・・・優しいケイは、好き、です』
 友春にとっては、何よりも重い言葉だったが、アレッシオは直ぐに答えてくれなかった。もしかしたら、答えを出すのが遅過ぎたのだ
ろうかと、その沈黙に友春の不安が大きくなってしまった時、
 【そんな嬉しい言葉は直接言ってもらおうか】
 『え?』
どういうことかと訊ねる前に、書庫の重い扉が開き、廊下の明かりが中へと差し込んできた。




 【・・・・・優しいケイは、好き、です】
 「・・・・・」
 アレッシオは携帯を持つ手に力を込めた。
どんな愛の囁きよりも重たいその言葉を友春が口にするのに、どれほどの勇気が必要だったか分からないはずがない。
待って、待って、待って。その愛を得るまでどれ程長い時間が掛かってもいいと思っていたアレッシオは、小さなその囁きを胸に深く
刻み込んだ。
 「・・・・・」
 その時、屋敷の扉が開かれた。
予め戻るということを伝えておいた香田は、アレッシオが電話中だと見て取ると黙って頭を下げた。

 本当は、今日は戻る気はなかった。友春から約束の言葉をもらえぬまま、また日本に戻すことは居たたまれなくて、酷い言葉や
態度を取ってしまうかもしれないという不安があったからだ。
 それでも、仕事をしていても少しも集中が出来ず、一刻一刻と帰国の時間が近付いてくるたびに気持ちは揺れてしまい、とうと
う屋敷に戻ることにしたのだ。

 車が敷地内に入った時に、思い掛けなく掛かってきた友春からの電話。
そして、電話越しに伝えられた、最上の愛の囁き。
 アレッシオの足はそのまま書庫へと真っ直ぐに向かい、
 【そんな嬉しい言葉は直接言ってもらおうか】
 『え?』
驚く友春の言葉を聞きながら、その扉を開けた。

 『ケイ・・・・・』
 まさか現れるとは思っていなかったのだろう、友春は呆然とこちらに視線を向けている。大きな目がますます丸くなるのを見て笑っ
たアレッシオは、友春の目を真っ直ぐに見つめながら、携帯に向かって言った。
 『もう一度、さっき言ってくれた言葉を聞かせてくれ』
 『・・・・・っ』
 友春の手から携帯がすべり落ちる。
 『トモ』
ようやく目の前まで来ると、友春は羞恥のために目元を真っ赤に染め、少し潤んだ瞳で上目遣いに睨んできた。
 『トモ』
 『・・・・・意地悪なケイは、嫌いです』
 以前は胸に痛かった嫌いという言葉も、今ならば甘やかな駆け引きに聞こえる。気分次第でその意味は正反対になるのだなと、
アレッシオは自分の携帯を小さなテーブルの上に置くと、そのまま友春の身体を抱きしめた。
 『愛してる、トモ』
戻ってくる言葉が何であっても、先ほどの言葉は絶対に忘れない。
 『トモ、愛してる』
 だからどうか、しばらく離れていても耐えられるほどの言葉が欲しい。
 『トモ』
柔らかな髪に頬を寄せたアレッシオは、乞うように囁き続けた。
 『トモ』
 何度、その名を呼び、愛していると言っただろうか、それさえも数えられなくなった頃・・・・・。
 「・・・・・好き、ケイ」
小さな小さな囁きが耳に届いた。








 愛していると言われるたびに、心の中に嬉しさが降り積もる。最初は柔らかかったそれはやがて硬くなり、今ではしっかりと友春の
中で固まっていた。
だから、自分も、何時までも彼を待たせたくは無かった。
 「・・・・・好き、ケイ」
 「・・・・・!」
 その瞬間、アレッシオの動きが止まったのが分かる。
 「好き、ケイ」
彼の国の言葉で伝えた自分の思いを、分かってくれているだろうか?
少しだけ緩んだ腕の中から顔を上げれば、珍しく呆然とした表情のアレッシオが見えた。何時も自分の方が振り回されているが、
どうやら今の言葉はアレッシオを十分に驚かせたようだ。
 友春は笑おうとして・・・・・自分も、こみ上げてくるものに泣きそうになってしまった。
 「・・・・・す、き」
 「・・・・・っ」
アレッシオの腕が強く自分を抱きしめる。今までの感情を全て込めたような、息苦しいほどの抱擁に、友春は苦しいと眉を顰めな
がらも可笑しくて、泣きながら笑ってしまう。
今ようやく、友春はアレッシオと向き合うことが出来た気がした。




                                                                      end




                                             




                                                         −after−






アレッシオ&友春、これで最終話。
一応、くっ付いた形ですが、この先まだまだありそうな2人。
毎回毎回、歩みのゆっくりな2人ですね(笑)。