BLIND LOVE
3
『』の中は日本語です。
『お、おかしくないでしょうか?』
『大変お似合いです。アレッシオ様は友春様を引き立てる色や形をよく見ていらっしゃる』
『・・・・・』
(香田さん、お世辞上手だし・・・・・)
その言葉の通り、自分の姿は本当におかしくないだろうかと、友春は全身が映る鏡の向こうにいる自分を不安に揺れる目でじっ
と見つめながら、落ち着き無く襟元を直した。
アレッシオが連れて行ってくれるという婚約披露のパーティーは、どこかを借り切るといったものではない、新郎になる側の自宅で
行われるらしい。
しかし、日本の住宅事情とは違い、こちらの家はかなり広いものも多く、特にアレッシオの身内ならば豪邸といってもいいものだろ
うと想像出来た。そこに集まる人数は、ごく身内だけで50人ほど。立食スタイルでカジュアルな服装でも良いとアレッシオは言って
いたが、
『一応、どこに行かれても失礼のない程度にはしておきましょう』
と、香田が言い、何も分からない友春は全て任せることにした。
そして、今鏡に映っているのは、普段の大人しく目立たない自分とは少し違う。
派手ではないものの、色白の友春の肌に映えるワインレッドのドレスシャツに、クリーム色のスーツを合わせ、ベルトも、靴も、時計
も、全て香田が見立ててくれた。
アレッシオ自身、身に着けているのは最高級品なのだろうが、自分に用意してくれたものもきっと高いのだろうとそのブランド名を
見ただけで分かる。借り物というにはサイズは自分にピッタリで、考えるのも怖いが、これはきっとアレッシオが自分のために用意して
くれていたものではないか・・・・・友春にはそう思えた。
(そうだとしたら・・・・・もったいないよ)
友春がイタリアに来るという確実なことは分からないのに、屋敷にこれを用意していたアレッシオの気持ちが胸に痛い。たまたまこ
れは腕を通すことが出来たが、これ以外の服は着ないまま時間を過ごすはずだ。
『どうしました?友春様』
じっと鏡を見つめている友春に、香田が穏やかに声を掛けてきた。
『これ・・・・・』
『アレッシオ様のお気持ちです。何も考えず、ただの服だと思っていればいいですよ』
『で、でも・・・・・』
『アレッシオ様のお気持ちを考えていたら、友春様、あなたはきっと動けなくなる』
『・・・・・っ』
友春は思わず鏡に映っている香田を見た。
彼は何時もと変わらない笑みを浮かべているものの、その目は怖いほどに真剣だ。
『友春様、全てを受け入れる覚悟が出来ていないのならば、相手の思いを考えることは止めた方がよろしいですよ』
それは、どういう意味なのだろうか。
香田に問い掛けたいが口を開くのは怖くて、友春は目を伏せ、唇を噛み締めてしまった。
『・・・・・友春様、料理長が間食にカンノーロを作ると言っていました。美味しいカプチーノを入れますので食べませんか?』
『カン、ノーロ?』
『焼き菓子です。イタリアではポピュラーなものですよ』
そう言った香田は、今度は目元も緩めて言う。
『少しずつ、友春様にはこの国のことを知っていただきたいと思っています。これは、あくまで私の希望ですが・・・・・私はこの国が
とても好きなので』
『香田さん・・・・・』
今の友春はイタリアのことをほとんど知らない。
先ずはアレッシオのことを知らなければと思っていたことも確かだが、彼に繋がるこの国のことを意識して避けていたというのも事実
だった。
(この国のことを知ったら・・・・・ケイへの気持ちも変わるんだろうか・・・・・?)
特別な誰かが住んでいる国を好きか嫌いか、多分それでも気持ちは大きく変わるような気がした。
アレッシオが屋敷に着いたのは、昨日言い置いていた時間の午後5時きっかりだった。
本来はこの車でそのまま目的地に向かうので下りなくてもいいのだが、アレッシオは友春の手を取るためだけに車を下り、雪が降り
始めた玄関先に立った。
「・・・・・」
ギイィ
手入れが行き届いているものの、古い扉は僅かな軋みの音をたてて開かれる。
そこには香田と数人の召使いと共に、外出の仕度をした友春が立っていた。
「・・・・・」
「いかがでしょうか、アレッシオ様」
「・・・・・綺麗だ」
香田の言葉にアレッシオが答えたのは、そんな短い言葉だった。
アレッシオの好みを熟知し、友春の容姿の良さも把握している香田は、アレッシオの想像以上に友春を華麗に変身させていた。
どう見ても、男だが、どこか艶っぽさも感じさせる配色。それでいて全てが上品なので嫌味ではない。
黒髪と黒い瞳を存分に生かしているその姿にしばらく見惚れたアレッシオは、自分の反応を緊張して待っている友春に香田が手
にしていたコートを着せ、そのまま腰を抱き寄せた。
「ケ、ケイ?」
「キモノを着せようと思ったんだが、この方が良かったな」
「え?」
キモノという言葉に、友春が目を見張るのが分かった。
彼の実家で自分が黒と赤の振袖を買ったことは当然友春も知っていたが、まさかそれを自分に着せようと思っていたとは考えても
いなかったらしい。
(あれ程の品を、ただ眺めるだけのコレクションになどしないがな)
あの鮮やかな着物は、時間を作って自分の目の前でだけ着てもらうことにしよう。
今目の前にいる友春の装いに満足したアレッシオは、そのまま玄関先に立っている香田に言った。
「9時までには戻る」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
頭を下げる香田達に軽く頷くと、アレッシオは友春を車の中へと誘った。
「少し北にあるから時間が掛かるな」
アレッシオはそう言ったが、友春はそんなに退屈することは無かった。車の中からだが、こうして町並みを見るのは楽しい。
(本当に、日本じゃないんだ)
建物も、そして行き交う人々も、当然ながら日本のそれとは違っていて、友春は改めて自分が今どこにいるのかを実感していた。
「行きたい所はないのか?」
「行きたい、ばしょ?」
「食べたいものでもいい」
「食べたい・・・・・」
友春はアレッシオの言葉を繰り返しながら窓の外を見る。別に遠慮をしているわけではないのだが、特に行きたい場所も食べた
いものも考え付かなかった。
アレッシオの屋敷はお城みたいに重厚で、たくさんある部屋を覗くだけでも冒険をしているみたいだし、書庫は秘密の隠れ家の
ようだ。
食事も、アレッシオが言ってくれているのか友春の口に合うものばかりで、時々出てくるイタリア特有の料理も美味しかった。
(特にって・・・・・あんまりないな)
観光客が行くような場所に行きたいとも思わず、自分は面白みのない人間なのかと落ち込みそうになった友春は、ふと三時のお
やつに出してもらった菓子のことを思い出した。
「今日、カンノーロ、食べた」
「カンノーロ?ああ、そういう時期だからな」
「じ、き?」
「カンノーロはカルネヴァーレを祝って作られる季節菓子だ。時期的にも今頃食べるのが本当だしな」
「カ、ルネバ?」
聞き取れない単語に、友春は聞き返す。すると、アレッシオは日本語で答えてくれた。
『カーニバルと言った方が分かるか?仮装したり、菓子を投げたり。私は参加したことはないが』
『カーニバル・・・・・なんだか、面白そう』
カーニバルと聞いて直ぐに頭の中に浮かぶのはブラジルの派手なものだが、仮装と聞くとぼんやりとテレビか何かで見た記憶が思い
起こされる。
(確か、仮面とか被るんだっけ)
そう考えると、こちらの空港に着いた時、旅行客の姿が多かったような気がする。
『シチリアよりはヴェネツィアの方が派手で賑やかなはずだが・・・・・行くか?』
『え?』
頭の中で想像するために黙っていたのをどう取ったのか、アレッシオは突然そう言った。
カルネヴァーレがあったかと、アレッシオは今更ながら思い出した。
自分自身が興味が無かったので今までは特に考えもせず、ただ外国からの観光客が多くて煩いとだけしか思わなかったが、あれを
友春に見せれば喜ぶような気がする。
世界的にもヴェネツィアのカルネヴァーレは有名であるし、友春がその気ならば参加することも・・・・・。
『そうだな、それがいい』
『ケ、ケイ、あのっ』
『きっとトモも楽しめるだろう』
『でもっ、あ、ケイは仕事があるし、わざわざヴェネツィアに行くのは大変だしっ』
遠慮深い友春は自分のことを考えてそう言ってくれている。気遣われて嬉しく、アレッシオは笑みを浮かべた。
『同じイタリア国内だ、遠いということはない』
思いついたのならば直ぐに行動した方がいいだろうと、アレッシオは早速携帯を取り出して香田に電話を掛けた。
「急いでホテルを用意しろ」
友春と共にヴェネツィアのカルネヴァーレを見に行くといえば、香田はそれは楽しそうですねと答えた。無理ですとも、調べてみますと
も言わず、ただ分かりましたと言う。
この男をアレッシオが重用するのは、こういった自信に満ちた言動からだ。けして表立ったものではないが、主人の言葉には必ず応
える。物静かな男の行動力に、アレッシオは満足していた。
「では、決まり次第連絡を」
電話を切ると、横顔に友春の視線を感じた。
「どうした?」
「ケイ・・・・・いい、ですか?」
「もちろん。私はお前が喜ぶことをしたい」
《カッサーノ家の首領は、日本人の男に骨抜きになっている大馬鹿者》
そんな陰口を叩かれてることは十分承知しているが、本当のことなので何とも思わない。それよりも、身内の中に自分を夢中にさ
せる者を出せなかったことを後悔すればいい。
(トモと、カルネヴァーレにか)
普通の恋人同士のように楽しむことが出来るのだろうか。アレッシオは友春の肩を抱き寄せながら、自分にとっても初めての経験
に少し気分が高揚してくるのを感じていた。
車は一時間ほどで目的地に付いた。
何時の間にか雪は雨に変わり、友春はアレッシオと共に差し出された傘に入って直ぐに玄関先に立った。
既に玄関の扉は大きく開かれており、使用人らしき男女だけではなく、今日のパーティーの出席者らしい華やかな装いをした男女
が並び立っている。
(この人達、みんなケイを待っているんだ)
カッサーノ一族の頂点に立つアレッシオを迎えるためだけに彼らはこうして雨の中を出迎えているのだと分かり、友春は緊張してコ
クンと唾を飲み込んだ。
一同が見ているのがアレッシオだと分かっているものの、その隣に立っている自分にも刺すような眼差しが向けられている。
特に美しいドレスを身に纏った女達はアレッシオと友春の関係も知っているのだろう、嫉妬に満ちた表情で自分を睨んでいるのが
分かった。
(こ、怖い・・・・・)
身長も、そして体格も、女に負けそうなほどに細い自分。どんなにいい物を着ても貧相でしかない自分が、自分達のボスの隣に
立つことが許せないのだろう。
「ようこそ、ドン・カッサーノ」
「・・・・・」
アレッシオは鷹揚に頷く。
目の前にいる男は明らかにアレッシオの父親ほどの年齢だが、その風格も迫力も、アレッシオの方が勝っているように思えるほどだ。
「バウジーニ、エンリコの婚約、祝わせてもらおう」
「わざわざ足を運んでいただいてありがとうございます。エンリコ」
「ドン・カッサーノ、本日は私のためにお越しいただいてありがとうございます。私の婚約者、モニカです」
最初に挨拶した男の後ろから現れた若い男女。どちらも二十代半ばだろうか、自分達の一族の長であるアレッシオを前に、エン
リコと呼ばれた青年は緊張して青褪めている。
しかし、婚約者と言われた女の方は、なぜか輝く眼差しと華やかな笑みをアレッシオに向け、胸の開いたドレスを強調するように礼
をとった。
「初めまして、ドン・カッサーノ。お会い出来て光栄です」
「・・・・・」
「今度、一族に加えていただく、モニカ・ナンニです、お見知りおき下さい」
何かを期待するようにじっとアレッシオを見つめる女に、アレッシオは一瞥を向けただけで何も言わず、反対に少し離れて立つよう
にしていた友春の肩を抱き寄せた。
「トモハルだ、私のパートナーとして対応するように」
「ケ、ケイ」
「・・・・・っ!」
友春はアレッシオを止めるために声を掛けたのだが、その呼び方を聞いた回りの方が、いっせいにざわつき、息をのむような様子を
見せる。
(な、何か変だった?)
わけが分からないまま、助けを求める為にアレッシオを仰ぎ見た友春は、そこに上機嫌に笑っているアレッシオの顔を見た。
(え・・・・・?)
「さあ、中へ入ろうか、トモ」
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