BLIND LOVE









                                                                                         
『』の中は日本語です。




 自家用ジェットがヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港に到着し、そこからサンマルコ広場に程近い、今回の宿となる高級ホテルに到
着したのは、まだ日付が変わる前だった。
 「ここからなら、ゆっくりと歩いてカルネヴァーレを楽しめる」
 もう深夜に近い時間だというのに、ホテルまで水上タクシーで向かう途中、広場もその街も明かりが煌々と灯り、大勢の人々が
趣向を凝らした扮装をして踊り、騒いでいるのが見えた。
 話に聞いてはいたが、皆本当に仮面をつけているんだなと感心した友春は、ふと自分がいる部屋に視線を戻す。
 「・・・・・」
(こんなにいい場所・・・・・)
 場所的にも、ランクでも、これほど良いホテルがカルネヴァーレの期間に空いていることが不思議だ。
きっと、アレッシオの名前で取ることが出来たのだろうと思うと、友春は何だか他にいたはずの客に申し訳ない気がした。
自分達が割り込むことで、確実にここに泊まれない人がいたのだ、何ともいえない複雑な思いだが、アレッシオにとっては考えるま
でもない話らしい。
 「初めてトモが参加するんだ、良いホテルが空いていて良かった」
 「・・・・・」
 「トモ?」
 「・・・・・ケイ、僕・・・・・」
 ホテルのことで気に病んでいる場合ではないと、友春はアレッシオに自分が祭りに参加することは無理だと伝えようと思った。そう
でなくても人一倍羞恥心がある自分は、仮面をつけたとしてもおおっぴらに騒げるはずがないと思う。
 しかし、イタリア語ではどう言えばいいのか分からなくて、友春は日本語でアレッシオに自分の気持ちを伝えた。
 『ケイ、僕、カーニバルを見るのは楽しみだけど、自分が参加をするのはちょっと・・・・・』
 『嫌なのか?』
 『・・・・・』
少し考えたが、やはり頷いた友春に、アレッシオはなぜと訊ねてくる。
 『ここでは誰もお前のことを知らない。そのうえ、仮面も被るんだ、何を困る必要がある?』
 『だ、だって、仮装なんてしたことないし・・・・・』
 『どんなことでも、初めてというものはある』
 『・・・・・恥ずかしいし』
 『私が一緒だ』
 『・・・・・』
(・・・・・伝わらないんだ・・・・・)
 日本語や、その文化にも精通しているアレッシオも、心情まではくみ取ることは難しいようだ。
友春が何を言ってもアレッシオが決めたことが覆るわけもなく、どうやら本当にカルネヴァーレに参加しなければならないようだと重い
気持ちになってしまった。




 友春が嫌がっていることはもちろん分かっているが、アレッシオはその願いを聞くつもりは無かった。追い詰めているつもりではない
が、このカルネヴァーレを友春と参加することに意味があると思っているのだ。
 物静かで、大人しく、自分の意見を言わない友春。
それでも一度決めたことを頑として譲らない、意志の強さも持ち合わせている。
アレッシオとのことをなかなか認めないというのも、多分この頑固さから来ているのだろうが、何とかしてそれを打ち壊し、友春の心を
一気に引き寄せたい・・・・・カルネヴァーレは、よい切っ掛けのように思った。
 『ナツが衣装を用意してくれている』
 アレッシオは友春を抱き寄せ、その後ろ髪を持て遊ぶように指を絡ませながら先を続けた。
 『どんな衣装か、聞きたいか?』
 『・・・・・な、何ですか?』
 『・・・・・』
 『ケイ』
 『秘密にしよう。どうせ明日になれば分かる』
 『す、凄い服なんですか?』
友春の顔が歪んだのは、今しがた見掛けた仮装を思い浮かべているからだろう。
中世の貴族のような格好に、ピエロ。中には海賊や魔法使いのような扮装をしている者もいた。もちろん、ほとんどの者がバウッタ
といわれる白い仮面を付けているので容貌は分からない。
 近年はイタリア人よりも外国からの観光客が参加することも多く、あの仮面の下には様々な肌の色が隠されているのだろう。
 『普通のものだ』
 『は、本当に?』
 『トモが目立ち過ぎて、他の男共に攫われるようなことがあっても困る』
 『それは・・・・・しなくてもいい心配だと、思うけど・・・・・』
友春はアレッシオの危惧に苦笑を零しているが、今の時代、相手が男であっても構わないという者は意外に多い。それも、今回
のような祭りの最中であっては、さらに箍が外れる者は必ずいる。
(友春の体格では逃げ切れないかもしれない)
 「・・・・・」
 アレッシオは眉を顰めた。
友春の危険を想像するだけで、それが本当になってしまう危険性が増した気がする。
 『明日は絶対に私から離れないように』
 『え?』
 『ずっと手を握っていよう』
出来れば、お互いの手を鎖で繋いでおいた方が安心だと、アレッシオは友春が聞けば青褪めてしまいそうなことをつらつらと考えて
いた。




 翌日。
どうやら祭りはもう始まっているらしく、窓の外を覗くと広場にはもう人が集まっていた。
 『凄い・・・・・』
どこの国でもお祭りというのは楽しいものなんだと思うと同時に、自分達が何時あの場に行くのだろうかと落ち着かなくなって、友春
は急いで服を着替えるとリビングへと続くベッドルームから出た。
 「ケイ」
 既にベッドルームにいなかったアレッシオは、ソファに腰を掛けてゆったりと新聞を読んでいた。
友春の声に顔を上げて柔らかく目を細めたが、その眼差しを下に向けると、トモと眉間に皺を寄せて言う。
 「足」
 「え?」
 「裸足だ」
 「あ」
 実家が畳で、裸足の生活が身についている友春は、つい室内履きを忘れてしまうのだ。
夜、寝室に向かう時に履いていたなと思い、直ぐに引き返そうとしたが、
 「トモ」
なぜかアレッシオが立ち上がって近付いてくると、そのまま友春の身体を抱き上げた。
 「なっ、何っ?」
 「大人しくしろ、落ちる」
 その言葉に思わず身体を強張らせた友春は、そのままアレッシオに抱き上げられて寝室に連れて行かれ、ベッドへと静かに下ろさ
れる。ベッドの脇には室内履きが揃えてあったが、アレッシオは直ぐにそれを履かせてはくれず、友春の足の裏を自らの手で綺麗に
払ってくれた。
 「ケ、ケイ、そんなこと・・・・・っ」
 アレッシオほどの男が、自分よりも遥かに年少の、それもただの学生に対し跪き、なおかつその足を自らの手で綺麗にしてくれて
いることが、見ているだけでも居たたまれなかった。
 「・・・・・」
友春はそのまま視線を向けることが出来ずに顔を横に逸らし、重厚でセンスの良い家具へと眼差しを向けて意識を別の方向へと
向けようとしたものの、どうしても触れられているその箇所が気になって仕方がない。
 「どんなに整備されている場所でも、素足でいると足を痛める場合もある。忘れないように」
 「・・・・・はい」
恭しく室内履きを履かせてくれながら言うアレッシオに、友春は小さな声で答えた。




 カルネヴァーレは日中からも行われているが、あの熱気に長時間当てられては友春が疲れるだろう。参加するのは日が暮れる頃
からでも十分だと、アレッシオは友春をヴェネツィア観光に連れ出した。
 「・・・・・なんだか、ぜいたく」
 「ゆっくり出来るだろう」
 夕べアレッシオが言った、ずっと手を握っているという言葉を、友春は冗談だと思っていたらしいが、ホテルから出てずっと、その手を
アレッシオが離さないことに戸惑っている様子がおかしかった。
 カルネヴァーレのせいで観光客を含めて人間が多く、特別な地位にいるアレッシオの安全のためにも車で回ることができればいい
のだが、あいにくヴェネツィアは狭い街で、車の乗り入れは禁止されており、さすがのアレッシオの権力をもってしても法律を変えるこ
とは出来ない。
そのために、ホテルから出てしばらく歩いた後は、借り切っていたヴァポレットと呼ばれる水上バスに乗り込んだ。
 けして乗り心地が良いわけではなく、利便性からいえば水上タクシーの方がいいのだろうが、こちらの方がゆっくりと街を見物する
にはいいだろうということと、警備の人間をある程度同乗させることが出来る(自分達の邪魔にならない距離で)都合の良い乗り
物だが、友春には大きな船に自分達と数人の護衛だけという状況が居たたまれないらしい。
 ただ、それでも観光自体は、どうやら友春には楽しかったようだ。
 「さっきのピザ、美味しかった」
 「観光客はほとんど知らない店だ」
イタリア人の口にというよりは、友春の味覚に合いそうな店を用意させたが、どうやらそれはとても満足のいくものだったらしく、先ほ
どから何度も美味しかったと繰り返し言ってくれる。
 「特別?」
 「イタリア人だけの特別な店だな。パスタでも良いかと思ったが、焼きたてのピザには敵わないか」
アレッシオはそう言いながら、もう何隻も行き交うゴンドラへと視線を向けた。
 「ゴンドラにも乗せてやりたかったが、この多さでは煩いだけだな」
 良い観光のアイテムでもあるゴンドラは、先ほどから何度も見掛けたし、そのゴンドラを見物する観光客もカルネヴァーレのせいで
さらに多い。
周りを遮るものが何もない船の上で、無数の目に見られるという羞恥に友春が耐えられるはずがないだろう。
そのせいで、今夜のカルネヴァーレにも出たくないと言われたら困るので、アレッシオは早々に乗ることを諦めていた。
 「楽しそう、けど」
 「・・・・・」
 「今度、楽しみします」
 「・・・・・ああ、今度」
 再びイタリアにやってくる。友春の言葉はそう言っているのも同然で、アレッシオは口元に浮かぶ笑みを消すことはしなかった。
自分が強引に連れてきたり、言葉で脅して呼び寄せたりするのとは全く違う、友春が望むイタリアへの再度の来訪。少しは、この
イタリアを、自分の傍を好きになってくれたのだろうか。
(言葉では伝えてくれないが・・・・・)
 一言、愛していると、好きだと、友春の口から伝えてくれたら、どれほどの幸福を自分は感じるだろう。
早く、そんな時が来て欲しいと思いながら、アレッシオは隣に座る友春の手に指を絡める。
 「・・・・・っ、ケ、ケイ」
 「ホテルに戻ったら着替えよう」
 「あ・・・・・覚えてた」
 「忘れてはいないぞ、お前にとっては残念かもしれないが」
 「・・・・・私、何着る?」
 「何を着てもトモは可愛い。心配することはない」
 絡めた手を持ち上げて、その手の甲に唇を寄せると、羞恥を感じたのか友春がパッと手を引こうとした。もちろんそれを許すことな
く、アレッシオはホテルに着くまで指を離すことは無かった。




 ホテルに戻った時、既に空は赤く染まっていた。
すぐ側のサンマルコ広場には昼間以上の人々が集まり、それぞれの扮装をしたその光景はとても華やかだ。
 「・・・・・」
 つい今しがた呼び鈴が鳴ってアレッシオは入口へと向かったが、その間、友春はアレッシオが差し出してくれた荷物を前に、本当
に自分もこれを着ないといけないのかと悩んでいた。まだどんな服なのか中を見ていないが、出来れば・・・・・。
(ダメ、だよな)
 恥ずかしいから、目立ちたくないからという理由で断るには、ここまで連れて来てくれたアレッシオの気持ちは重い。
ここは旅の恥はかき捨てと開き直ってしまうのが一番だ。
 『・・・・・よしっ』
 友春は何とか気持ちを奮い立たせ、荷物を開いた。
 『・・・・・え?これって・・・・・』
 「トモ」
思わず驚きの声を上げた友春の声に重なるように、アレッシオがベッドルームへと姿を現した。

 「ケ、ケイ、これ?」
 「ああ、とても鮮やかで綺麗だろう?お前の体形に合わせて仕立ててもらった。トモの父親は腕が良いテーラーだな」
 「で、でも、これ、キモノ」
 「そう、振袖だ。マダムバタフライ、トモにもきっとよく似合う」
 「マ、マダム?」
(マダムバタフライって・・・・・え?)
 いったい、アレッシオは何を考えているのだろうか、友春は頭が混乱して分からなかった。それでも、目の前の赤い振袖を自分が
着れるはずもなく、とっさに友春の口から出た言葉は日本語だった。
 『ぼ、僕っ、振袖なんて着たことないし!着付けなんて絶対・・・・・っ』
 『それは心配いらない、手は用意した』
 『え?』
 『楽しい時間をお過ごしですか、友春様』
 『こ、香田さん?』
 アレッシオの後ろから顔を覗かせたのは、シチリアの屋敷にいるはずの香田だ。
昨日の夜に別れたばかりの彼がなぜここにと思った友春に、アレッシオは何でもないことのように説明してくる。
 『トモは自分でもキモノを着ることが出来ると思っていたが、これはまた別かもしれないと思い直して、直ぐにナツを呼び寄せた。着
付けをしたら戻らせるが』
 『な・・・・・そ、それだけのことで?わざわざ香田さんを呼んだんですか?』
 『そうだ。トモ、せっかくここまで足を運んだナツに、何もさせないまま帰すことが出来るのか?』
 卑怯だと思う。
たかが着物の着付けをさせるためにわざわざシチリアから呼び寄せ、それが終わったら直ぐに帰らせるというアレッシオの考えが全く
分からない。にこやかな微笑を浮かべたまま立っている香田はそれが当然だと思っているのかもしれないが、常識的に考えてとても
無茶なことを要求されているはずだ。
 これで、友春が着物を着ることを拒めば、それこそ香田は無駄足で・・・・・。
 『・・・・・』
(もしかして・・・・・それを考えて?)
自分の性格を知っているはずのアレッシオが、どういう手段を取れば嫌だと言わないのか分からないはずがない。
 「トモ」
 「・・・・・お願いします」
香田のことを思えば、友春はそう答えるしか出来なかった。