BLIND LOVE
8
『』の中は日本語です。
『し、下着も脱ぐんですかっ?』
『下着の線が出たら無粋でしょう?』
『でもっ、外を歩くんですよねっ?恥ずかしいですっ』
『アレッシオ様のご希望ですから』
『・・・・・ケイ、の・・・・・』
友春にとっては真面目で真剣な話し合いが終わってからまだそれ程時間は経っていないのに、香田は手際も鮮やかに振袖の
着付けを進めていた。
最後まで抵抗したものの、やはり下着は付けることを許されず、肌着、長襦袢、そして振袖を着せられる。
(どうしてこんな格好・・・・・)
着物を着るのならば男物もある。それならば辛うじて受け入れることが出来たが、こんな振袖では好奇の目を引いてしまうのでは
ないだろうか。
いや、それだけではない。
化粧というほどのものではないかもしれないが、友春の肌には薄くファンデーションが塗られ、赤い口紅までつけられている。
本来、仮面を付けるのならば化粧などする必要もないと思うのだが、顔全体を覆うものとは別に、目元だけを隠す仮面もあるのだ
そうだ。
どうせなら顔全体を隠したい思うのに、香田はせっかくだからと強引に着飾っていく。ここまできてしまえば、もう、なすがままの状態
だった。
アレッシオは友春と他の人間が接触するのを嫌うくせに、こういう祭りで悪目立ちをすることは構わないと思っているのだろうか。
『せっかくのカルネヴァーレです。何も考えずに楽しまれてください』
『・・・・・すみません。着付けのためだけにここまで来てもらって・・・・・』
『いいえ、私もこの時期にここを訪れるのは随分久し振りですから。以前よりも更に賑やかになったようですが、町並みはそれほど
変わっていませんから・・・・・懐かしいです』
『旅行でですか?』
『まあ、そんなものですね』
穏やかに答えた香田は、再び黙って手を動かし始めた。
どんなに抵抗しても、アレッシオの翻意は期待出来ない。諦め、振袖を着るという羞恥と困惑が少しだけ治まった友春は、そうい
えばと自分の胸元を直してくれている香田へと視線を向ける。
男でこれほどきちんとした着付けが出来るということは、それなりの勉強をしたか、着物を扱う仕事についていたという可能性が高
い。
『香田さん、着付け上手ですね』
『ご実家が呉服店を営んでいる方の言葉は光栄ですね』
目に映るのは、赤に金糸の鮮やかな模様がある着物。友春も実家の店で目にした。
『いいものだろう?赤は赤でも、深みが違う』
京都で、父が一目惚れして仕入れたと聞いた。まさかそれに、自分が腕を通すとは思わなかったが・・・・・。
(ケイの気持ちは・・・・・分からない)
友春はリビングで、自分の着替えを済ましているだろうアレッシオのことを考えた。
着付けの途中でも上手いと思っていたが、終えると全く帯もきつくなく、動きも滑らかなことに友春は感心した。
『いかがでしょう?苦しくはありませんか?』
『はい、凄く楽です』
『アレッシオ様も準備がお済でしょう、さあ』
『・・・・・』
一瞬、友春は縋るように香田を見たが、香田は穏やかに笑いながら友春の背中を押す。出来ればやっぱりこのまま行きたくないと
思ったが、香田は柔らかな物腰ながらそれを許してくれないようだ。
仕方ないと、友春は香田に続いてリビングへと向かった。
「アレッシオ様、友春様のご用意が出来ましたが」
「そうか」
ソファに座っていたアレッシオの姿は、友春がいる場所からは見えなかった。
しかし、その言葉と共に立ち上がったアレッシオの姿に、友春は思わず口を開けて魅入ってしまう。
(・・・・・ケイ?)
アレッシオも、友春のシルエットを確認するようにこちらに顔を向けていたが、やがて満足したのか鷹揚に香田に頷いて見せた。
「・・・・・さすがナツ、いい出来だ」
「ありがとうございます」
「日も暮れた。そろそろ出るとしよう」
「アレッシオ様、お邪魔でしょうが、途中までご一緒してもよろしいですか?久し振りなのでヴァポレットで空港まで行きますので、
その乗り場まで」
「お前もカルネヴァーレを楽しんで帰ったらどうだ?」
「1人身では寂しいですよ」
2人が交わす会話を聞きながら、友春は胸を押さえ、ようやくほうっと息をついた。
(何時もと違うから・・・・・少し、びっくりした)
友春が見慣れているのは、イタリアブランドのスーツを上品に着こなしたアレッシオだが、今目の前にいる彼は全く雰囲気が違う。
黒のタキシードの胸元を着崩し、ポケットには一輪の赤い薔薇を挿し、マントを羽織って・・・・・顔には鼻から上を覆う仮面をつけ
ていた。
どこか、強烈に異国の男という気配を纏っている彼を、真っ直ぐに見ることが出来ないのはどうしてだろうか。
「トモ、私の仮装はどうだ?」
「ケ、ケイは、あの、それ・・・・・」
「私か?私は、ファントム。オペラ座の怪人のファントムのつもりだが・・・・・似合わないか?」
オペラ座の怪人がどういった話なのか一瞬頭の中に出てこなくて、それでも魅惑的な男の姿を見せるアレッシオにどう答えようかと、
友春はただオロオロと視線を彷徨わせるしかなかった。
多分、スタンダードな仮装だろう。
しかし、あえてアレッシオはそれを選んだ。自分の立場上あまり奇抜な仮装はしない方が賢明だった。
醜い姿を見せたくなくて、影から愛しい相手を見守る。
自分とは正反対の性格の男を、こんな男もいるのかと思うが、もしかしたら友春はそんな男の方が好きかもしれないとも思った。
「オペラ座の怪人のファントムのつもりだが・・・・・似合わないか?」
「・・・・・」
「トモ?」
「・・・・・似合って、ます」
「そうか」
容姿を褒められることは聞き慣れているが、それが友春だと思えば嬉しくてたまらない。
仮面をつけておいて良かった。今頃自分は、きっとにやけて締まりのない顔をしているだろうが、それを友春に見られなくてもすむ。
アレッシオは香田を見た。頷いた香田は、リビングのテーブルの上に置かれていた仮面をアレッシオに渡す。
「これを付けたら、お前はトモではない」
「え?」
「別の人格となって、このカルネヴァーレを楽しもう。行くぞ、トモ」
(す、凄い・・・・・)
昼間、観光した時も人が多いと思ったが、日が暮れたこの時間は更に増えたようだ。
「トモ、私の手を離すなよ」
恥ずかしいと思っていた手を繋ぐという行為も、ここでアレッシオとはぐれたらどうしていいのか分からなくなってしまうので、とにかく必
死に力を入れて掴む。
「それでは、良い夜を」
「あ、ありがとう!」
香田はホテルの近くからヴァポレットに乗るということで、友春に手を振って姿を消した。せめて、姿が見えなくなるまで見送ろうと
思ったが、あまりの人混みに細い背中が消えるのはあっという間だった。
「さあ、トモ」
「ま、待って、ケイ!」
振袖姿の友春の歩きは限られているし、人波をかき分けていくのは容易ではない。
その上、振袖姿という友春の姿は奇抜な衣装を着ている者達の中でも酷く目立ち、動くごとに写真をとられたり、身体に触れら
れたりしてしまった。
「チャーミングだな!」
1人の男が友春の肩を掴み、そのまま強引に唇を重ねてこようとする。しかし、直ぐにアレッシオがその間に割り込み、何も言わ
ずに睨みつけて撃退した。
「全く・・・・・誰も彼も、トモに目を付ける」
「・・・・・っ」
アレッシオは面白くなさそうに吐き捨てるが、そもそもこんな格好をさせたのはアレッシオで、友春は嫌だと断った。
その上で着せられ、外に出れば目立ち過ぎると言われ、自分はどうしたらいいのだろうと思うしかない。
「ケ、ケイ、帰るっ?」
もう、ホテルに戻ったらどうかと言ったが、アレッシオは首を横に振った。
「せっかく仮装までしてきたんだ。もう少し楽しもう」
「・・・・・」
(ケイが、楽しんでいないみたいなんだけど・・・・・)
友春に声を掛けてくる者を警戒し、撃退することに神経を集中させて、アレッシオ自身がこの祭りを楽しんでる様子は見えない。
こんなのでいいのだろうかと思っていた友春は、少し離れた場所に立つ人物に視線が止まった。
女性は中世貴族のドレスを身にまとっている者が多いようだったが、その人物もそんな衣装で・・・・・妙に胸元を開けた、色っぽ
い仮装をしていた。
「トモ?」
どうしてその人に目が止まったのか一瞬分からなかったが、直ぐに相手がこちらを見ているからだということに気付く。ここに友春の
知り合いがいるわけがないので、アレッシオの知り合いかもしれない。
「ケイ、あの人・・・・・」
友春の言葉と視線で、アレッシオも同じ方角を見る。
すると、相手は人を押し退けるようにして自分達の方へと近付いてきた。
「ケイ、あの人・・・・・」
友春の言葉に、アレッシオは視線を向けた。
無数の人間がいる祭りの中で、アレッシオは友春が何を指したのか直ぐに分かった。
(・・・・・誰だ?)
仮面をつけているので顔は分からないが、どうやら若い女らしい。その女は、アレッシオの眼差しが向けられたのを切っ掛けにこち
らへと近付いてきた。
「・・・・・」
自分達の周りには、同じように仮装した護衛達がかなりの数いる。いざとなれば自分の身体を盾にアレッシオと友春を守ることを
使命としている男達だ。女の暗殺者がいないとは言わないが、マスクの向こう側の目の中にあるのは殺意ではないように見える。
アレッシオは友春を自分の背に隠し、
「待機しろ」
短く、周りの者に命令をした。これほどの人混みで大きな騒ぎを起こしてしまえば、ここぞとばかりに当局に目を付けられてしまいか
ねない。
それに、せっかくのカルネヴァーレ。友春に怖い思いをさせて、このカルネヴァーレが悪い思い出になって欲しくないと、アレッシオは
近付いてくる女を睨むように見つめた。
「これは運命でしょうっ?」
「・・・・・」
いきなり、女はアレッシオの首に腕を回すと、
「・・・・・」
「!」
アレッシオの唇にキスをしてきた。
周りで歓声が上がり、口笛が吹かれる。カルネヴァーレでこういった光景は珍しくなく、アレッシオも女にキスをされたこと自体は何
とも思わない。女は必死でアレッシオの唇を割ろうとしているが、アレッシオは片手で女の手を自分から引き剥がし、そのまま女を
見下ろした。
「誰だ」
「ドン・カッサーノ、私ですっ、モニカですわ!」
「・・・・・モニカ・ナンニか」
アレッシオが自分の名前を覚えていたことを良い方にとったのか、その目が歓喜に濡れている。アレッシオはようやく、女の目にあった
のが情欲だということが分かった。
いきなり現れた女が、アレッシオにキスをした。突然のことで友春は驚いたが、アレッシオは表情を変えずに・・・・・それが仮面のせ
いかもしれないが、じっと女を見つめている。
(ど、どうして・・・・・)
挨拶のキスだと思おうとしたが、それにしては仮面の向こうの女の目は必死でアレッシオを見つめていて、友春はここに自分がいて
はいけないのではないか・・・・・そんな気がしてしまった。
「・・・・・ケイ」
どうしたらいいのか分からない友春に出来たことは、ただアレッシオの名前を呼ぶことだけだ。
周りのざわめきで、とても聞こえないはずの小さな声に、アレッシオは直ぐに振り向いてくれた。しかし、自分を見つめるアレッシオの
唇は、たった今目の前で行われたキスのせいで赤い口紅が付いていて・・・・・。
「・・・・・っ」
思わず顔を逸らしてしまった友春のことをどう思ったのか、アレッシオは女を突き放すように手を離し、自分のマントで乱暴に唇を
拭うと、
「トモ」
「や、やっ!」
「逃げるな」
アレッシオは大きく顔を背けようとする友春の顎をしっかりと押さえると、そのまま唇を重ねてきた。
「んんっ」
友春の頭の中に、先ほどのアレッシオと女のキスシーンが蘇って消えない。本来は、あの光景が当たり前のはずなのに、胸が苦しく
なるのはなぜなのだろう。
「ふ・・・・んっ」
アレッシオの舌は強引に友春の唇を割って入り、濃厚な愛撫を仕掛けてくる。
先ほど以上の歓声が周りから聞こえてくるが、友春はもう羞恥を感じる余裕はなく、ただアレッシオの激情に流されないようにしっか
りとマントを掴んでいた。
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