海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
12
※ここでの『』の言葉は日本語です
「ヴィルヘルム島?・・・・・聞いたことないわねえ」
中年の土産物店の女が首を傾げた。
「ヴィルヘルム島・・・・・ああ、それなら知ってるよ、以前近くにいい漁場があったんだが、今は潮が変わってしまって、行く船もい
ないんじゃないか?」
小さな漁船で作業をしていた初老の男が答える。
「ヴィルヘルム島・・・・・って、ジアーラの島?」
学生らしい若い男は、反対に聞き返してきた。
「あの島って、どこかの国に買われたって聞いたけど、違うの?」
若い女は、不思議そうに答え、怪訝そうに眉を顰めた中年の男が言った。
「さあ?そんな島のことなんか聞いて、いったい何があるんだ?」
翌日から早速、ヴィルヘルム島についての情報を聞いて回ったが、そうでなくてもあまりいない町の人間の誰に聞いても、その実
態はよく分からないようだった。
確かに島の多いジアーラ国にあって、名前も知られていない島、いや、名前さえ付いていない小さな島もあるのは分かるが、そ
れでもこれほどに反応が薄いと、あの地図に本当に意味があるのだろうかと考えてしまう。
しかし、一方ではあまりの反応の無さに、もしかしたら・・・・・。
「どう思う?」
「国中にかん口令が布かれているってことか?」
いったん、バラバラに町に散っていたラディスラスとラシェルは、夕食前に宿に戻ってきた。
そこに、次々と報告に戻ってくる乗組員達の言葉を聞けば、自分達の聞いた言葉と変わりないものばかりで首を捻ったが、その
時ふと、ラディスラスは考えてしまったのだ。
「いくら島が多くったって、誰か1人くらい現状を知ってる奴がいるだろ」
「漁師もみな同じ反応らしいし」
「それなら、国ごと何かを隠しているって考えるのも」
「確かに、おかしくない」
ラシェルも眉を顰めている。
ラシェルの記憶に残っている限りでも、ヴィルヘルム島は特に景観が良いわけでなく、特産物も無い島の一つだったらしいが、それ
でも定期船は通っていたらしい。
(無人島、か)
それは、始めから人の住む場所ではないのか、住んでいた人間が出て行ったのか、それとも・・・・・何らかの力で出て行かざるを
えなかったのか。
「・・・・・はは、俺達も毒されてるかもな、タマに」
「え?」
「もう、あの地図を宝の在り処だと思ってる」
始めは、そうであったら面白いかもしれないという程度の思いだったが、実際にジアーラ国までやってきた今となっては、あの地図
に何らかの意味があるのだという風に考えが変わってきた。
珠生の高揚感がうつったのかもしれないが、それはそれで面白いと思える。
「だが、こうも何も情報が入らないとなあ。このまま島に行ってもいいかどうか、判断に迷う」
「・・・・・ラディ、あと1日・・・・・いや、2日、時間をくれ」
「ん?」
「昔の知り合いに会ってみる」
それは、ラディスラスが切り出したくても言えなかったことだった。
一般の民に聞くよりは、国に仕える兵士などに聞いた方が情報が確かだというのは考えなくても分かることだし、それにはつてのあ
るラシェルに動いてもらうのが一番いい方法なのだが、ラシェルがこの国を出て行った経緯を考えれば、元の同僚や部下に会ってく
れとはとても言えなかったのだ。
「・・・・・いいのか?」
「使えるものはどんなものでも利用しなければな」
口元に笑みを浮かべるラシェルの顔は、無理矢理に笑っているわけではないようだ。
「俺も知りたいんだ、ヴィルヘルム島の秘密を。もしもそれがこの国にとって良いことなら、ぜひ王子にもお知らせしたい」
「ああ、そうか」
(ミュウのことを考えているのか)
ラシェルの言葉に、ラディスラスの中の僅かな違和感は直ぐに解消された。彼にとっては今だミシュアは一番尊い存在で、彼のため
に動くことに何の躊躇いもないのだろう。
それが、たとえ昔の同僚が相手で、今の自分との立場の違いを見せ付けられたとしても、それによってミシュアが幸せになるのなら
ば屈辱すらも飲み込めるのかもしれない。
「じゃあ、頼むぞ」
「ああ」
余計な言葉は要らないだろうと、ラディスラスはラシェルの肩を叩き、頷いたラシェルは直ぐに立ち上がった。
あまり長居をしていては、これだけ人影の少ない港町なので自分達の存在は目立ってしまう。ここ数日が勝負だと考えている自
分と同じ意見なのか、ラシェルは早速今から動くようだった。
「た〜い〜く〜つ〜」
寝台にうつ伏せに寝そべったままそう唸った珠生は、チラッと目線だけを窓際の椅子に座っているアズハルに移した。
陸に上がったばかりの昨日は、何とか少しだけ食事(スープのみ)はしたものの、そのまままた眠りに落ちてしまった。病気などでは
なく、単に身体が疲れて眠りを欲しているだけだと笑いながら言うアズハルの言葉を聞いたのは今日の昼前。
それからずっと部屋でゴロゴロとしていたが、珠生自身はもうすっかり体調が戻っていると思っていた。
「ね〜、アズハル」
「駄目です」
「・・・・・まだ何も言ってないのに」
「今日1日、じっとしていなさい。タマ、あなたはもう体調が回復していると思っているのかもしれませんが、身体の中というものは
目で見えないんですよ。せめて今日だけはゆっくりすること、これはラディの命令でもあります」
「う〜」
(ラディめ〜、俺に直接じゃなくってアズハルに言わせるなんてっ)
きっと、口では敵わないと思っているのだろうが、自分が弱いアズハルに言わせなくてもと思ってしまう。
「・・・・・みんな、何してる?」
「島の情報を集めるために動いています」
「ふ〜ん」
「心配しなくても、タマに内緒で美味しいものなんか食べていませんから」
「思ってないよ、そんなこと」
アズハルがどこまで自分を子供に思っているのか分からないが、大学生である自分はもう十分大人で(体格的には不十分のよう
だが)、理由を話してもらえば納得だって出来る・・・・・はずだ。
「・・・・・でもさ」
「え?」
「ここって、なんか寂しい。ラシェルや、王子の国だって思っても、なんか・・・・・いここち、悪いっていうか・・・・・」
人が少ないせいか、どこか寒々として生気がない感じで・・・・・ラシェルにはとても悪くて言えないが、あまり長居をしたいとは思え
なかった。
「・・・・・確かに、寂しい国ですね」
アズハルも同じ意見だったのか、ポツリと言って窓の外を見ている。
ここが父とミシュアの出会った場所なのかという感慨に浸ることが出来ないまま、珠生はもう一度目を閉じた。
(そんなに眠れるわけ無いじゃん)
トントン
扉を叩く小さな音に直ぐに立ち上がったアズハルは、誰ですと声を落として聞いた。
「俺だ」
その返答に直ぐに扉を開けると、そこに立っていたラディスラスは部屋の中を覗き込むようにして聞いてくる。
「タマは?」
「寝ていますよ。退屈だって叫んでいましたが、やはり疲れていたんでしょう」
「そうか」
目を細めて笑ったラディスラスは、そのまま部屋の中に足を踏み入れてきた。
窓辺の寝台の上では珠生が静かに眠っている。時折聞こえる小さな寝息と、上下する胸元を見ると生きていると分かるが、そう
でなければ本当に人形のような寝姿だった。
「寝ていれば静かだな」
「でも、起きている方が楽しくていいんでしょう?」
「まあな」
珠生の顔を覗き込んだラディスラスは、そっとその頬を指先で突いた。
うにゃ・・・・・などと、小さな声をあげた珠生は煩そうに僅かに首を振ったが、起きる気配は無く、そのまままた静かに眠り続ける。
「起こさないで下さいよ、起きたらまた文句を言われますから」
私が、と言えば、はいはいとラディスラスは手を引っ込めた。しかし、その眼差しは珠生の顔から離れず、やれやれと思いながらア
ズハルは今の現状を訊ねる。
「どうですか?多少は何か分かりましたか?」
「いや、町じゃ噂さえ無い」
「それは・・・・・」
「で、ラシェルが動いてくれることになった。まだこの国ではあいつの力は通じるようだ」
「・・・・・」
その言葉に、アズハルは眉を顰めた。
アズハルもラシェルの過去を詳細に知っているわけではないが、それでも昔皇太子専属の親衛隊長を務めていたほどの彼が頭を
下げて昔の部下に話を聞いて回る姿を想像すると、少し、切ない。
ただ、ラディスラスからそれを頼むことは考えられず、きっとラシェルが全ての感情を押し殺して言い出したのだろうということも分か
る気がして、アズハルは自分が何を言う立場でもないと思った。
アズハルが黙り込んだ様子に彼が何を考えているのか分かり、ラディスラスはその気持ちを宥めるようにポンッと肩を叩いた。
「多分、何らかの話は聞けるだろう。それから動くつもりだ」
普通に会話を始めると、アズハルも直ぐにそれに合わせてくる。
「では、出発は2、3日後くらい?」
「ああ。タマは大丈夫か?」
「明日にはもう動き回れると思います。今回は酔い止めの薬をちゃんと持って行きますよ」
複雑な感情はあっても、先が見えるということはそれだけで気持ちが前向きになるのだろう。
ラディスラスは頷くアズハルの表情も何時もの彼に戻ったのを見て取って、もう一度1人暢気に(珠生が聞けば怒り出しそうだが)
眠っている珠生の顔を見下ろした。
(早く何時ものお前に戻れよ)
こちらがハラハラするほどに、元気な珠生の姿が早く見たい。
「・・・・・じゃあ、頼むな」
「はい」
ラディスラスが思いを振り切るように背中を向けた時だった。
クウ〜
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・何だ、今の音は」
「・・・・・腹の音、ですか」
生真面目に答えたアズハルの答えを聞いた瞬間、ラディスラスはプッとふき出した後笑い始め、つられたようにアズハルもくっと笑
みを零す。眠っていても笑わせてくれる人間など、珠生の他には絶対いないだろう。
「最高だな、お前は」
暗くなりがちだった気持ちが一瞬で浮上して、ラディスラスは笑いを堪えながらその髪をそっと撫でた。
![]()
![]()