海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
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※ここでの『』の言葉は日本語です
そして、翌日。
今日こそは体力も全快したと自他共に認められた珠生は、朝食の後ラディスラスに散歩に誘われた。
この港に着いて、まだ全く観光(意味は違うかもしれない)をしていなかった珠生は直ぐに頷いたが、宿を出てラディスラスと並んで
歩き始めると、どうしてだか笑みが零れてしまった。
「くふふ」
「どうした?」
「だって、さんぽって、ラディおじーちゃんみたい」
「じ・・・・・」
普段の彼からはそんなゆったりとした雰囲気はとても想像出来ないのでポロッと言ってしまったのだが、言われたラディスラスは複雑
そうに眉を顰めていた。
「じいさんはないだろう。お前の体力が完全に戻ってるかどうか、先ずは肩慣らしでこうして散歩に出ているんだぞ」
「だって・・・・・」
「それとも」
何を思い付いたのか、ラディスラスは急に珠生の腕を掴むと、身を屈めて耳元に口を寄せてくる。
「俺達2人だけで出来る楽しい運動でもするか?」
「・・・・・スケベジジイ」
何を言うのだろうと呆れた思いで答えるものの、珠生はラディスラスの吐息が掛かった頬が熱くなったように感じた。普段は口煩い
父親や兄のような雰囲気なのに、こうして不意打ちに男の顔を覗かせるのだから性質が悪いと思う。
(絶対、俺が慌ててるのを楽しんでるんだ!)
珠生は手を振り払い、ズンズンと先に前を歩き始めた。
初々しい珠生の反応に、その華奢な後ろ姿を見つめながらラディスラスは密やかに笑った。
自分といて安心してくれるのはもちろん嬉しいが、ラディスラスは珠生の父親や兄になるつもりは無い。だからこそ、こうして時折肉
欲を感じさせることを言って、自分のことを改めて意識してもらうのは大人のずるい考えだ。
そして、こちらの思惑以上に珠生が反応しているので、ラディスラスは楽しくて仕方が無かった。
「・・・・・タ〜マ、ちゃんと前を向いて歩けよ!」
「わかってる!」
「・・・・・?」
その反応に笑っていたラディスラスは、ふと、少し町の雰囲気が変わったことに気付いた。
(・・・・・何だ?)
昨日まで、確かに閑散とした港町だった。王都にあるとはとても思えないほどのその様子に、この国の人間だったラシェルほどでは
ないが当惑を感じたほどだ。
しかし、今日は出店も何時もより多く、行き交う人々の表情にも明るさがある。
一夜でこの変化だ、何があったのかと思う前に、ラディスラスは足早に珠生に追いつくとその腕を掴んで少し待てと言った。
「さ、さわるな!」
「いいから」
先程までの会話のせいで、珠生は必死になってラディスラスの手を振り解こうとしたが、今度はそう簡単にそれを許さないまま、ラ
ディスラスは素早く周りを見回すと、丁度通り掛った若い女に声を掛けた。
「なあ、少しいいか?」
「え?」
見知らぬ人間に急に声を掛けられた女は怪訝そうな眼差しを向けたが、ラディスラスの顔を確認した途端に顔を赤らめた。
自分の容姿が異性にどう見られているのかを知っているラディスラスは、どうやら、悪くない印象を持ったらしい女に向かい、笑みを
浮かべながら訊ねる。
「今日は何時もよりも港が賑わってるみたいだが、何かあるのか?」
「え、ええ、船が戻ってくるからよ」
「船?」
「ライド様が戻られるの」
「ライド・・・・・」
嫌な予感がした。
「それって、討伐軍の?」
「そうよ。我がジアーラの誇りである、イザーク・ライド海兵大将よ。もう随分長い間任務のために国を空けられていたけれど、今
回は急に帰港されることが決まって!出迎える王宮の人間や兵士の家族が集まっているから賑やかなの。中には、ライド様のお
顔を見たいという者も居るけれど」
弾んだような声で言うこの女も、多分イザークの容貌に惹かれた者の1人なのだろう。
「ねえ、あなた旅の人?何時からこの町にいるの?」
しかし、どうやら一筋に想いを寄せているわけではなさそうで、ラディスラスに向かっても誘うような眼差しを向けてきた。
豊満な肉体を持つ、悪くない容姿の女だが、以前ならばともかく、今はこの手に珠生を掴んでいるのだ。不誠実な真似をこの初
心な子供は許してはくれないだろう。
(幾ら男の性と言ってもな)
「悪いな、相手をしたいのは山々だが、ほら、あんたのお待ちかねの船の姿が見えてきたぞ」
「え?」
ラディスラスの声に思わず湾の方を見た女に、早口でじゃあなと言い放ったラディスラスは、そのまま出店の方へと珠生の腕を掴
んだまま歩き出す。
「ラディッ」
普段ならば女相手の些細なやり取りにも可愛らしい妬きもちをやいてしまう珠生だが、ラディスラスの厳しい横顔に反対に心配
そうに聞いてきた。
「何があったんだよっ?」
どうやら、珠生は女の早口な言葉を聞き取れなかったらしかった。
「イザークが戻った」
「え?」
「あのまま簡単に引き下がるとは思わなかったが、まさか帰ってくるとはな」
(どこに引っ掛かった?)
女は急にと言っていた。それは、あの生真面目なイザークが当初の予定を変更してまで国に戻ったということだ。
そんな変更を促すようなことは、あの時エイバル号に立ち寄ったからだということは疑いようの無い事実で、イザークは自分達の何
かに引っ掛かってそんな行動をしたのだろう。
(参ったな、予定を変更するか・・・・・あ)
「ラシェルに連絡を取らなきゃな」
王宮の兵士と連絡を取ろうとしているラシェルの行動を気取られてはならないと、ラディスラスは珠生の腕を引っ張るように急い
で宿へと向かった。
「ライド大将、無事入港完了です!」
報告に来た部下の言葉に頷いたイザークは、既に港に出迎えに来ている者達の顔を1人1人鋭い眼差しで確認するように見
ながら続けた。
「分かった。板橋を渡して順次陸地へ。船番の者も、甲板に出ることは構わないと言え、出迎えの者の顔くらい早く見たいだろ
う」
「ありがとうございます!」
心なしか弾んだ部下の声を背中に聞きながら、イザークは歓声で自分達を出迎えてくれる国民を見つめた。
(また・・・・・寂れたか)
各国の代表として海賊の討伐に出港してから、母国には数えるほどしか帰ってきてはいない。
以前はいったい何時だったかと考えるほどの長い間航海を続けていたが、前回出港する時よりもあきらかに少なくなっている港の
出店の数や、停泊している船の数に、予期していた以上の衰退の早さにイザークは眉を顰めた。
自分がいない間、国は良くなるどころか悪化しているというのが目で見て取れるのが悲しく、こんな国の姿はミシュアには見せら
れないと思う。
「・・・・・」
しかし、今は嘆いている時ではなかった。
湾に入ってから直ぐに見つけた海賊船エイバル号。既にラディスラス達は港に下り立っているだろう。
自分達の追跡を知られないために大幅に海路を変えたが、差があったとしても2、3日だ。船がここにあるということは、まだ目的
地らしいヴィルヘルム島には行っていないはずだ。
(宿は・・・・・多分、ラシェルの顔馴染みの所だろうな)
ラシェルが国を出て数年。今だ彼を慕う兵士も、民も国には多く残ってる。その中の人間を探っていけば、彼らの目的の一端を
掴めるのではないか・・・・・そう思いながら、イザークも操舵室の外に出た。
イザークが帰国したらしい。
宿に戻り、アズハルに説明するラディスラスの言葉を聞きながら、珠生の頭の中にはどうしてだろうという疑問が浮かんでいた。
海上で出会った時、あの時は取り調べる側とされる側という立場で、気安く口は聞けなかった。それでもミシュアの近況だけは説
明出来て、珠生としてはホッとしていたのだが。
(あの時、確かにこの国に行くって言ったけど・・・・・)
イザークは一瞬、考えるような顔をしたが、後は何時もと変わらず無表情というか、ぶっきらぼうな感じだったと思う。もしかしたら
あの時から、彼も国に戻る気だったのだろうか?
(それとも・・・・・もしかして、俺の話を聞い、て?)
「タマ」
「あ、うん、何?」
アズハルとの話を中断したラディスラスは、じっと珠生を見つめて言った。
「もう数日ここにいるつもりだったが、今夜中に出港することにした」
「え、夜?大丈夫?」
「それは心配ない。ただ、ラシェルと連絡が何時取れるか・・・・・あいつが戻り次第出発ということになるな」
既に宿にいた乗組員にはその旨を伝え、出港準備をさせると言うラディスラスに、珠生はねえと彼の服を引っ張った。
「どうした?」
直ぐに振り返って自分を見つめた目の中には、珠生が危惧していた怒りの色は見えない。それでも、珠生は言わなければと口を
開いた。
「・・・・・ごめん」
「ん?」
「俺の言葉、ダメだったよね?」
「タマ」
「タマ・・・・・」
「ごめんね」
あの時は自分の言葉がこういう事態になるとは全く考えもしなかったが、改めて思えば、海賊であるラディスラス達の予定を、取
り締まる側のイザークに言うというのはありえない話だ。
(何考えてるんだよ、俺〜)
頭を抱えんばかりにして悔やむ自分を、ラディスラスとアズハルは少し驚いたように見つめている。
今更ながら大きな後悔に居たたまれない思いの珠生だが、そんな自分の頭をクシャッと撫でてくれたラディスラスはバ〜カと笑いな
がら言った。
「お前の言葉一つで運命が変わるなんて面白いじゃないか」
「ラディ・・・・・」
「それにな、あの時イザークは俺達がこの国に来ることは分かっていた。それだけでも、あいつは何かを感じたかもしれない。誰の
せいかなんて気にするなんてタマらしくないぞ」
「・・・・・」
彼らしい慰めの言葉が、ずしんと胸に届く。ラディスラスの言っていることは確かに間違いではないだろうが、より怪しむ原因を作っ
たのは間違いなく自分だ。
(怒ってくれたらいいのに・・・・・)
優しいから、余計に罪悪感は深くなる。
(・・・・・よし、俺、絶対宝を見つけてラディに渡そう!)
大学に行っている自分なら、少しくらいの謎解きは分かるはずだ。一生懸命考えて、絶対にあの宝の地図(珠生の中ではもう
宝と決められていた)を解読してやろうと心に誓う。
「任せてっ、ラディ!」
「おい?」
「ぜーったい、見つけてやるぞ!」
思わず拳を握り締めて叫んだ珠生に、ラディスラスは苦笑を零しながら言った。
「テキトーでいいからな」
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