海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
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※ここでの『』の言葉は日本語です
何時戻ってくるのか、珠生が半ばイライラした思いで待っていたラシェルは、そろそろ日が暮れかかるかという頃にようやく宿に戻っ
てきた。
「お帰り!」
入口の扉を開けるなり珠生が叫ぶように言ったので、ラシェルは一瞬驚いたように目を見張る。そんな表情は普段見ないので
面白いと言えば面白いのだが、さすがに今は暢気に笑っている時ではないと珠生も分かっていた。
「ラシェルッ、出発!」
「出発?ここをか?」
なぜか、言った珠生ではなく、その後ろで椅子に座っているラディスラスに話し掛けることが面白くないが、自分では上手く説明
出来ないだろうということも分かっていたので、珠生は不本意ながらラディスラスを振り返った。
「ラディ、せつめー!」
珠生の可愛い顔に皺が寄っている。
何を考えているのか想像するのも楽しい作業だが、今はとりあえずラシェルに状況を説明しなければならない。
幸いに、今のところイザークがここの宿に来ることはなかったが、ラシェルのことをよく知っている人物の1人でもあるイザークがここ
を見つけ出すのは時間の問題だろう。
「ラシェル、イザークが帰国した」
「・・・・・」
「多分、俺達の行動を不審に思ったんだろうな。まあ、ヴィルヘルム島に行くことはバレているが、1日でも長く自由に動ける時
間があった方がいいだろうし、今夜出港することにしたが・・・・・いいな?」
「ああ」
「・・・・・ラシェル」
もっと動揺するかと思っていたラシェルは、ラディスラスの予想外に冷静だ。それがなぜなのだろうと思わず名前を呼ぶと、その響
きの意味を十分分かったらしいラシェルが口元を緩めた。
「あいつの気性は分かっているから」
「・・・・・ああ、そういうことか」
「少しでも何かに引っ掛かると、その理由が分かるまでとことん突き詰める。融通の利かない頑固なところがあいつの持ち味だか
ら」
意味だけ聞けばあまり良いようには思えないが、ラシェルの言葉の響きには親しい者に向けられる温かさが感じられる。性格も似
ているこの2人は、きっと気が合っていたのではないかと思えた。
(確かに、それなら俺よりも奴の行動は予想出来るか)
「イザークが俺の関係者を探ってここを見付けるのも時間の問題だと思う。今夜出港するのは賛成だな」
「よし。準備は整っている。直ぐ出るか?」
「ああ」
「タマもいいな?」
「うん」
神妙な面持ちで頷く珠生に、ラディスラスはよしと勢いをつけて立ち上がった。
日が暮れての出港を決めたが、大小の島々がある複雑な海域を行くのはかなり気を遣う。実際に舵を取るのは他の者だが、全
ての責任は船長である自分にあるのだ。
1人も怪我をさせることなく目的地に向かうためにも、ラディスラスは気を引き締めなければと思っていた。
朝に討伐軍の船が戻ってきてから、ラディスラスは乗組員達を順次船に戻していたので、今宿に残っているのはラディスラスと珠
生、ラシェルの3人だった。
「世話になったな」
ラシェルが宿の主人グレゴに言うと、グレゴはいいやと言って口を噤んだ。その表情に感極まったものを感じて、ラシェルも胸が熱く
なる思いがする。
(本当ならば、兵士の中でも上官になれたほどの男なのに・・・・・)
陽気で、多少大雑把な性格だったグレゴは、イザークとはそりが合わなかったが、ラシェルは張り詰めた勤務の中ではグレゴのよ
うな人材はとても貴重だと思っていた。
大雑把だといえど、任務はきっちりとこなし、大柄な身体を使った体術も素晴らしく、下級兵士にも慕われていたので、皇太子
ミシュアの追放により親衛隊の任を解かれた時、そのまま残って欲しいと懇願もされたらしい。
しかし、グレゴはラシェルが退役することを知って、自分もさっさと親のやっていた宿を継いだ。その選択に後悔はしていないだろう
が、それでも自分と会ったことでこみ上げるものがあったのかもしれない。
「グレゴ」
「・・・・・ラシェル、王子を頼むぞ」
「・・・・・」
「どうか、再びこの地にお迎え出来るように・・・・・っ」
ミシュアの病気のことや今現在の状況は話した。グレゴは命の危険さえあったということに絶句していたが、今の彼が瑛生と共に
いることにホッとしたようだ。
ミシュアの親衛隊にいた者は、彼と瑛生の関係の深さを良く知っている。
それは身体の関係ではなく、精神が結びついた真摯な関係であることは、あの時の親衛隊の者ならばよく知っていることで、結局
はミシュアの想いが叶った形で2人がいることを喜んでくれた。
付け加えれば、瑛生の息子が珠生だということにもかなり驚いていた。いくら幼く見えるとはいえ、瑛生にこれほど大きな子供が
いるとは想像がつかなかったらしい。
「タマ」
「グレコ、ごはん、ありがと」
「これを持って行け」
「え?」
グレコは珠生の手に大きな籠を載せた。
何気なく受け取った珠生は、予想外に重かったのか思わずふらつき、その背をラディスラスが慌てたように支えている。
「な、何?」
「船の中で食ってくれ。今回はジアーラをゆっくりと観光してもらえなかっただろうから、名物を入れておいた。腹持ちするから船乗
りにはいいと思うぞ」
「あ、ありがと」
綺麗に袋に包まれているので中身は全く見えないだろうが、名物と聞いた珠生は途端に嬉しそうに顔を綻ばせている。
食べ物1つでこんなに喜ぶなど、まだまだ子供だと思う反面、ラシェルはそんな珠生の顔を見て心が温かくなる自分も確かにいて、
自分もグレゴの気遣いに感謝して、またなと言った。
「必ず、来い」
グレゴも、力強く言って、ラシェルの手を握ってくる。
「俺は、何時までもあんたの部下だ」
「・・・・・ああ」
海賊になってしまったことを、後悔はしていないが後ろめたくは思っていたラシェル。しかし、こんな風に言ってくれる旧知の友がいる
のならば、この祖国を捨てることは無いかもしれない。
(・・・・・タマに感謝をしなければな)
気になって気になって、それでもなかなか足を運ぶことが出来なかったこの地に、こうやって再び戻ってくることが出来たのは珠生の
おかげだ。
面と向かって言うのは恥ずかしくて、ラシェルは胸の中で珠生に礼を言った。
「なんか、いいよね〜」
グレゴから貰った重い籠はラディスラスに任せて、珠生は足取りも軽く閑散とした道を歩いていた。
港には迎えの小船が用意されているらしく、本当はもっと急がなければならないとも思うのだが、またしばらく離れる陸地を少しで
も長く味わっていたいという思いもあって、珠生の足取りは少しだけゆっくりだった。
「何がだ?」
「分かんない?男のゆうじょーってヤツ!」
「男の友情ねえ」
「・・・・・なんだよ」
ラディスラスの返事が笑みを含んでいたのを聞き逃さず、珠生は少し睨むような眼差しを向ける。自分にとっては、あんなにも重
かった籠を軽々と肩に担いだラディスラスは、これと視線をそれに向けた。
「手土産を貰ったから、いい男だって思ってるんじゃないか?」
「あのねえ」
「浮気は厳禁だぞ、タマ」
「・・・・・バカ!」
(少しは俺の言葉をちゃんと聞けってーの!)
まあ・・・・・確かにラディスラスの言った通り、こんなにもたくさんの土産をくれたグレコを悪い風には思えないという気持ちはあるも
のの、それと今自分が言った言葉は全く別問題だ。
何を言っても自分をからかうつもりだろうラディスラスの隣から離れた珠生は、今度はラシェルの隣にくっ付いた。
「ラシェルは分かるよな〜、俺のいうこと」
「まあな」
「ほらっ!ラディとはおーちがい!」
ベーッと舌を出して言うと、ラディスラスはこっちに来いと手招きをしてくる。それが本当に猫でも呼んでいるような感じがして、珠
生はがしっとラシェルの腕にしがみ付いた。
珠生に腕を取られたラシェルは、困ったような眼差しを自分に向けてくるが、ラディスラスとしても無理矢理にその腕を引っ張って
2人を引き離そうとは思わなかった。
ただ、口では来いと誘いを掛ける。
「タ〜マ、俺だけに重たい物を持たせる気か?」
「だって、ラディが一番力が強いだろ!」
「・・・・・ラシェルだって負けてないぞ」
だからと言葉を続けるが、頑固な珠生は首を横に振った。
「ラシェルは、今俺と手、つないでるからムリ!」
「・・・・・」
(子供扱いは禁句だったか・・・・・)
これ以上はどんなに言葉を継いでも無駄だと思ったラディスラスは、自分の半歩先をラシェルの腕を引っ張って歩く珠生の後ろ
姿を見た。
(確かに体力は回復しているように見えるな)
アズハルの用意した薬は、どうやら珠生には合ったようだ。今回はしっかりとそれも船に持ち込んでいるので、先のような酷い船
酔いはしないだろう。
それに、もうジアーラの海域に入っているので、目的のヴィルヘルム島はそれほど遠くないはずだ。
「なあ、ラシェル、島はここから・・・・・」
どのくらいの距離にあるのかと聞こうとしたラディスラスは、ふと、日が落ちた港に気配を感じた。
視線の先にあるのは、船泥棒などを見張るために港の端に建てられている小さな小屋。中には明かりは無く、普通ならば人はい
ないと思うのだが・・・・・。
「・・・・・ラシェル」
「ああ」
ラシェルもそれに気付いたらしく、自分の横にいた珠生を背に隠す。
(それは俺の役目なんだがなあ)
珠生を守るのは自分だという自負があるが、今はそうも言っていられない。
「・・・・・」
自分達以外人影の無い港。待機している小船はもう少し先にあり、怪しい気配のする見張り小屋の前を必ず通らなければ
ならない。
ラディスラスは籠を片手で持ちながら、ラシェルは珠生を庇いながら、それぞれが腰に携えた剣に手を掛ける。
「な、何だ?」
1人、わけが分からないような珠生は、急に雰囲気の変わってしまった自分達に怯えたような声を出した。心配するな、そう言っ
てやろうと思ったラディスラスの前に、
「日が落ちてからの出港というのは、まるで逃げるようだな」
響いた声に、ラディスラスは思わず肩の力を抜いた。けして好意的ではないその声の主を知っているので、差し迫った危険はない
と思ったのだ。
「そっちこそ、変なところで待ち伏せだな。俺が女だったら大声を出しているところだ、イザーク」
挑発するように言うと、気配が揺れた。
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