海上の絶対君主




第五章 忘却の地の宝探し


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「痛ぁ!」
 実は両手が塞がっていて、額でドアを叩いていた珠生は、いきなり中から開けられたドアで顔をぶつけてしまった。
 「タマ?」
額と鼻をぶつけられた珠生はとっさにその場にしゃがみ込んでしまったが、ラディスラスが直ぐに籠を持ってくれたので顔を抑えたまま
その痛みに耐えた。
 「おい、大丈夫か?」
 「・・・・・ぶ、じゃ、ない」
(痛いに決まってるだろ!)
 窓ガラスのないドアでは、その向こう側の人間がどんな風にノックをしているのかは見えないだろうし、まさか額で叩いているとも想
像していなかっただろう。理屈では分かるものの、それでもこの痛みと恥ずかしさを何かにぶつけてしまいたくて、珠生は両手で顔を
隠しながら(赤くなっているのを見られたくない)文句を言った。
 「ラディッ、開ける時、開けるって言ってくれないと!」
 「ああ、確かに」
 「言ってくれたら、俺ぶつけられなかったのに!」
 「悪かったな」
 言いがかりのような自分の文句にも直ぐに謝ってくれるラディスラスに、取りあえずは大丈夫だと言い返すものの、どうして鼻だけ
でなく額まで当たったのかと思うと・・・・・自分の鼻の高さが気になって仕方なかった。
なまじ、ラディスラスも、ここにいるイザークも整った容貌をしているし、ルドーも男らしい精悍な顔だ。
(・・・・・ホント、コンプレックス感じさせるよな)
 「タマ?」
 「・・・・・ごはん」
 「夜食を持ってきてくれたんだな、ありがとう」
 「・・・・・」
 自分の複雑な思いなど全く気付かないラディスラスは、そう言いながら珠生の頭を撫でてくる。子供をあやすようなその仕草に、
もしかしたら自分の不機嫌を悟ったのかとも思ったが、さすがにそれを口に出すほど子供でもないつもりだ。
 「・・・・・いちおー、ラディのも持ってきた」
 「おっ」
 途端に嬉しそうに目を細めるラディスラス。自分のものは無いと思っていたのかもしれないが、珠生だってちゃんとラディスラスのこ
とは考えている。
 「開けていいのか?」
 「うん」
 しかし、籠に掛かっていた布を取った次の瞬間、ラディスラスの眉間に皺が寄るのが見えた。
(何?)
持ってきたものに自信を持っていた珠生は、その予想外の反応に首を傾げてしまった。




 籠の中に入っていたのは、パンに肉を挟んだ軽食だった。
腰を据えて食事をする暇など無いのでちょうど良かったし、港を出たばかりなので焼きたてのパンが用意出来たのだろう。
さすがに売り物のそれは綺麗な丸い形で、それを半分に切った間に野菜と肉が挟まっているのだが・・・・・。
(それだけで、どうしてこんなに不気味な姿になるんだ?)
 食堂を覗きに行った時、肉を焼いていたのは分かったが、あれだけ真剣な顔をして視線も逸らしている様子は無かったのに、肉
は見えている部分は焦げているし、紅いコッチェという野菜は潰れて中の実がはみ出している。
それに混ざって見えるタレは、茶色の怪しいドロッとしたもので・・・・・。
 「これ、何のタレだ?」
 「これ、ゴマ」
 「ゴマ?」
 「そ。それと、とーがらしと、すと、あぶらと、タマゴをグチャグチャに混ぜて、なんちゃってマヨネーズ作ってみた」
その時点で、ラディスラスにはほとんど意味が分からなかった。
多分、珠生の世界の食べ物だとは思うものの、見た目も味も美味いと感じた瑛生の料理とは違い、どうして珠生の料理の見た
目はなかなか独特で、最初の一口に勇気がいるものばかりなのだろうか。
 「ま・・・・・ねす?」
 「俺はあじみはしてないけど、ジェイが一口食べてゼッピンッて言ったんだ。へへ、匂いはまさにマヨネーズ!ハンバーガーみたいで
美味しそうだろ?」
 少し焦げちゃったけどと言いながらも珠生はその出来に満足そうで、早く食べてと眼差しで急かしてくる。
(本当に・・・・・ジェイは食ったのか?)
食べ物に関しては探究心のあるジェイの勇気に感心していると、突然横から手が伸びてきた。
 「あっ」
 ラディスラスよりも先にそれを手にしたイザークに、珠生が声を上げる。
 「・・・・・食べたらいけないのか?」
 「う、ううんっ、食べて!」
 「・・・・・」
手をタレで汚しながら、イザークはそれを口に持っていった。一瞬だけ、その手前で動きが止まったのをラディスラスは見逃さなかっ
たが、それでもイザークは大きな一口でそれを食べる。
 その瞬間、イザークの表情が変わった。
 「・・・・・どう?」
 期待を込めた珠生の眼差しに、イザークは何時もと変わらない無表情で・・・・・いや、どこか何時もより柔らかい表情でしっかり
と頷いてみせる。
 「美味い」
 「ホントッ?」
 「初めて食べる味だが、肉と野菜に合っている」
 「でしょうっ?」
褒め言葉に笑う珠生の眼差しがイザークにだけに向けられるのは面白くなかった。
別に、ラディスラスは食べたくないと思っていたわけではなく、少しだけこの変わった食べ物を観察し、珠生をからかっていたかったの
だ。
(全く、生真面目な奴はこれだから)
 イザークには遅れてしまったが、ラディスラスはそのまま珠生の言う《ハンガー》というものを口にした。
(お・・・・・本当に美味い)
見た目はあまりいいとは言えないが、酸味が効いて風味が良く、この食べ物には良く合っている。
 「凄いじゃないか、タマ。お前、天才だ」
 「ラディ、遅いよ」
 イザークが食べた後に口にするのはずるいということらしいが、褒めてもらったのは嬉しかったらしく、早速ルドーにも食べてと勧め
ていた。




 自分の腕を信用していないとは思わないが、イザークよりも行動が遅かったラディスラスには今度塩辛を椀一杯食べさせてやろ
うという罰を思い浮かべながら、珠生は操舵室から外を見た。
 今夜は幸運にも天気はよく、月明かりがかなり助けてくれているらしいが、それでも周りの風景は珠生にとってはおぼろげな輪郭
しか分からない。
 「よく分かるなあ」
 「ん?」
 何時の間にか、ラディスラスが直ぐ隣に立っている。
そのまま何気ない風に肩を抱き寄せたのに口を尖らせたが、
 「うわあっ!」
 「おっ」
 再び大きく方向を変えた船の動きに揺らしてしまった自分の身体を、嫌味なほど軽々と支えてくれたことに一応感謝して、その
まま手は振り解かなかった。
 「ラディは見える?島」
 「まあな。これでも一応海の男だから」
 「ふ〜ん」
 「それに、今ここには優秀な人材がいるしな」
 「・・・・・あ、そっか」
(イザークはこの国の人間だもんな)
 それでも、この国の海域に来た時に見た島影はかなりの数が合って、昼間ならばともかく、こんな夜にもぶつからないで大きな船
を動かせるなんて相当腕が良いのだろう。
 そう褒めたとしても、イザークはきっと無表情で当たり前だと言いそうだし、ラディスラスが妬きもちをやいて余計な行動を取っても
困ってしまう。
(・・・・・妬きもち、だよな)
 好きだと言われ、キスをされて、身体だって繋いだ仲なのだ。
珠生はまだまだラディスラスのことを恋人と認めたわけではないが、それでも彼の気持ちを考えたりすると・・・・・。
(う・・・・・何考えてるんだ、俺)
 今はそんなことよりも宝探しが先決だと、珠生は意識を切り替える。
 「早く着くといいな、島」
 「夕方までには着くと思うぞ」
 「そうしたら、直ぐに宝探しする?」
 「タマ」
 「あ!」
 「・・・・・宝探し?」
全く、気にしていなかった。
ラディスラスが止めるのよりも一瞬早く、今回の目的を口にしてしまった珠生の言葉を、イザークはしっかりと聞き取っていたらしく、
舵を握る手は離さないままにその視線を向けてきた。
(ま、まず〜っ)




 「そうしたら、直ぐに宝探しする?」

 楽しそうな珠生の言葉を聞きとがめたイザークは、じっと珠生の顔を見つめた。
素直な青年は嘘がつけずに、自分から目を逸らすので精一杯のようだ。もちろん、イザークは珠生を責めるつもりは無く、問い詰
める眼差しはラディスラスに向けた。
 「どういうことだ?」
 「・・・・・そういうこと」
 誤魔化すのを諦めたのか、ラディスラスは肩を竦めながらそう返してくる。ふざけた口調にますます眉間に皺が寄るが、ラディスラ
スの飄々とした表情は変わらなかった。
 「今回のヴィルヘルム島行きの、本当の目的」
 「そんな話は聞いたことが無い」
 「そうでも、俺達は手に入れたんだよ、宝の地図を」
 「何?」
 「まあ、そう思っているのは俺達だけかもしれないが」
 「そんなことないって!絶対何かあるはずだよ!」
 「・・・・・」
 珠生とラディスラスの言葉に、イザークの困惑と疑念は深くなった。
生まれ育ったこのジアーラ。早いうちから王宮に仕えるようになったが、その自分でも、今までそんな宝があるという話は聞いたこと
が無かった。
 ヴィルヘルム島は今でこそ無人島だが、何年か前までは数は少ないが人は住んでいた。そんな彼らからも、宝が眠っているとい
う報告は聞いていない。
(・・・・・嘘をついていることは・・・・・ない、か?)
 ラディスラスはともかく、珠生が自分に嘘を言う必要は無いだろう。何より、彼らが海賊という行為をせずに、わざわざこのジアー
ラにまで来たということが、話の裏付けにもなるのではないか。
(宝・・・・・いったい、誰の?)
 もしも、ヴィルヘルム島にそんな宝が眠っていたとしたら、当然それは国、しいては王の物となるだろう。
 「・・・・・」
その事実に、イザークは唇を噛み締めた。
 「・・・・・っ」
(それは、駄目だ)
そうでなくとも、国は衰退していく一方だというのに、王はそんな現実を見ようともせず、未だ過去の栄光を忘れないまま、贅沢な
生活をしているのだ。
(王の耳に入るようなことになったら・・・・・拙いことになる)