海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
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※ここでの『』の言葉は日本語です
久し振りの本格的な航海に、乗組員達は皆張り切って作業をしている。
1人、これという決まった作業が無い珠生は、部屋でじっとしているのも退屈で、かといって甲板をウロウロしているのも1人だけ遊
んでいるみたいで申し訳なく、結局は乗組員の中で最年少のテッドの後ろについて甲板の掃除をしていた。
「タマ、本当にやらなくてもいいんだよ?」
まだ港に近いのでそれほど波は荒立っていないが、もう直ぐ大海に出ると少しは船が揺れてくる。
船に慣れているとは到底言い難い珠生が船酔いするのは目に見えているらしく、テッドは動き回ることはせずに大人しくしていろと
言っているのだろう。
しかし、自分よりも遥かに年下のテッドが、乗組員の1人として立派に働いているのに、自分だけがのんびりとしているわけには
いかなかった。
「大丈夫だって!」
「でも・・・・・」
「どうした?」
2人が向かい合って話していると、甲板の責任者であるラシェルが声を掛けてきた。
「あの、タマが・・・・・」
「タマが?」
「ラシェル、俺も仕事する」
「・・・・・」
「俺だって、ちゃんと働くよっ」
手を握り締めて強く訴えれば、ラシェルは珍しく迷ったように溜め息をつく。
「・・・・・お前の気持ちは分からないでもないが・・・・・」
「が?」
「・・・・・」
(俺が頼りないって思ってるわけ?)
なかなか頷かないラシェルに、珠生はますます顔を顰めてしまった。
珠生の気持ちは分かるし、その心意気は十分伝わってくるが、ラシェルとしても珠生に何をさせていいのか直ぐには考え付かな
かった。
ラディスラスは、
「何でもさせてやれ。ああ、海で泳ぐのだけは反対しろよ?人食い魚がいるかもしれないと脅してな」
そう言って、笑っていた。
珠生にだけは十二分に甘いラディスラスの言葉は半分にして聞くとしても、ラシェルも珠生は何もしなくてもいいと思っている。
自分達とはあまりに違う体付き。最年少のテッドにさえも負けている細い珠生の腕では、下手をすれば大怪我をしてしまうかもし
れない。
船医のアズハルが同行しているとはいえ、船の上で大怪我を処置するのは大変なことだ。
(・・・・・始めから、タマが失敗すると考えるのも悪いが・・・・・)
ラシェルは自分よりも低い位置にある珠生を見下ろした。
「タマ、お前は何がしたいんだ?」
「え?」
「したいことがあるなら言ってみろ」
「・・・・・したい、こと・・・・・」
改めて聞かれると、珠生は何をしたいのかまでは考えていなかったようで、いきなり勢いが無くなって考え込んでいる。
眉を上げたり、下げたり。
鼻の上に皺を寄せたり、目を忙しく動かしたり。
自分の思いをブツブツと呟いている小さな唇が尖ったり、引き結ばれたり。
「・・・・・」
じっと見つめていたラシェルの頬には自然に笑みが浮かんできた。
表情の豊かな珠生は見ているだけでも楽しい。ラディスラスが珠生をからかって遊ぶのも、多分こんな楽しい気分を味わいたいか
らだろう。
(俺は、なかなかタマとの距離が縮まらなかったからな)
ミシュアと瑛生のことで、その子供である(最初は似ているからということだが)珠生と距離を置いてしまったが、今から考えればそ
の時間が勿体無かったように思えた。
(もっと早く気持ちを切り替えていれば・・・・・今の状況は少し変わっていたかもしれない・・・・・)
改めて考えると、自分の出来ることというのは限られている気がした。
食事作りも、洗濯も、掃除も、出来ないことは無いのだが、最後にどうしてもミスをしてしまう。もちろん、したくてしたわけではない
が、気持ちが空回ってしまうのは仕方ない・・・・・と、思いたい。
(せっかく船に乗ってるんだし・・・・・今しか出来ないこと、何か・・・・・あ)
「あった!」
「ん?」
珠生はラシェルの服を掴むと、もう一方の手で上を指した。
「見張り台!あそこ、行ってみたい!」
「おい、それは・・・・・」
「だいじょーぶ!俺、高いとこもへーきだから!」
船の上から海に飛び込むのはさすがに怖いが、上に上がるのは(多分)大丈夫だ。
見張りは、帆船の甲板に帆を張るために立てられた垂直棒の先にある、人が2人座れるくらいの箱のような場所で海上の異変
を監視する大切な役割で、乗組員の中でも身軽で、小柄な人物がなっている。
上り下りに少し時間は掛かりそうたが、ちゃんと足を掛ける横棒は付いてあるし、海をじっと見て、異変を知らせることくらい自分
でも出来そうだ。
「いいよねっ?」
「ちょっと待て、今ラディに・・・・・」
「俺、こーたいしてもらう!」
ラディスラスに言えば、また危ないだの、出来るはずが無いだの、なんだかんだで反対されるに決まっている。その前にさっさと上っ
てしまった方が勝ちだと、珠生は急いで走り出した。
「ん?これ、美味いな」
「だろう?エーキに教わったんだ、タマの好きな食べ物だって」
料理長のジェイが自慢そうに言うのに、ラディスラスは口を動かしながら頷いた。
芋の中に味付けをした細切れの肉を入れて混ぜ、乾燥させたパンを削った粉で包んで揚げた物。手間は掛かるが、腹持ちの
しそうな料理は、肉体労働の乗組員達には丁度いいのかもしれなかった。
皆よりも一足先に味見をしたラディスラスは、さっそく珠生に食べさせてやろうかと思い、椅子から立ち上がりかけたが、
「お頭!」
いきなり、食堂に飛び込んできたテッドの勢いに、思わず動きを止めてしまった。
「どうした?」
「あ、あのっ、タマが!」
「タマ?」
テッドの様子から余り良くないことがあったのだと想像出来たラディスラスは、眉を顰めながらどうしたんだと先を促す。すると、テッ
ドは早く来てくださいと叫んだ。
「タマが、見張り台に上るって言って!」
「見張り台?」
いったいどこからそんな話になったのか、ラディスラスは思わずジェイと顔を見合わせてしまった。
「下りてー!!」
20メートルはありそうな高い見張り台にいる者と交信するのは、一抱えもありそうな柱にそって伸ばされた銅で作られた管を使
う。少し声が割れて聞こえるが、それでも短い単語の交換には十分のようだ。
「まだ交代の時間じゃないけど」
見張りは一昼夜、4人交代だ。1日おきというのは、それだけ神経を使う仕事なので、交代の時間も正確だった。
「俺がこーたいするから!」
「・・・・・タマ?」
乗組員達も、珠生の声は分かる。
少し驚いたようだが、珠生が勝手な行動を取るとは思わないらしく、きっとラディスラスの許可を取ったと思ったのだろう、了解という
短い言葉と共に、真上で何かが動く様子が見えた。
「あ、飲み物と食べ物用意しとかないと!」
食堂に向かおうと踵を返そうとした珠生だったが、
「あ・・・・・」
向こうからやってきたラディスラスとラシェルの姿に思わず足を止めてしまった。
「・・・・・」
「・・・・・」
「直ぐに向かってこないということは、何か後ろめたいことがあるのか?」
ラディスラスは腰に手をあてながらそう聞いてくる。側にいるラシェルが報告したはずだろうが、それを珠生自身に言わせようとして
いるところがなかなか意地悪だ。
珠生はじっとラディスラスを見上げながら、少し小さな声で言った。
「・・・・・見張り、手伝おうと思った」
「お前が見張り台に上れるのか?」
「の、上れる!」
反射的にそう答えたものの、改めてラディスラスに聞かれると、本当に大丈夫なのだろうかと思わず自分に問い掛けてしまう。
もちろん、やる気は十分あるのだが、本当に大丈夫かと問われ、大丈夫だと胸を張ることは・・・・・。
「う・・・・・・」
「あれ?お頭もみんなも・・・・・何かあった?」
珠生が答えを出す前に、見張り台にいた乗組員は下りてきた。慣れているだけに相当な速さで、そんな彼を見ているとますます
珠生は自信が遠退いてしまうような気がした。
それでも、一度口に出したことを引っ込めることはしたくない。堂々とラシェルにも言い切ったしと、珠生はラディスラスの隣にいるラ
シェルをちらっと見て、もう一度出来ると口にした。
「・・・・・分かった」
「ラディッ?」
「お頭」
ラシェルだけでなく、この騒ぎを聞きつけて集まってきていた乗組員達の中からは反対だという空気が色濃く出ていたが、ラディス
ラスは珠生の視線にまで身を屈めて言う。
「とりあえず、やってみろ」
「・・・・・いーの?」
「俺が後ろから一緒に上ってやる」
「え・・・・・」
「落ちてきても、俺が受け止めてやるから」
安心しろというラディスラスの言葉に、珠生は胸が・・・・・つまった。
「ラディ・・・・・」
「おい、水と食い物を用意してやってくれ。ああ、丁度ジェイがお前の好物を作ってくれたところだ。それを持って空での逢瀬を楽
しむか、タマ」
「・・・・・それが、よけー」
せっかく、いいことを言ってくれて、自分も、ラディスラスにぐっと気持ちが向いたというのに、最後にこんなオチを付けられてしまって
は、やはり自分もこう言葉を返すしかなかった。
「上でヘンなことするなよっ」
「はいはい」
珠生の物言いに慣れているラディスラスは、その勢いに返って笑って頷いている。
(あんな狭い場所で何かあったら逃げられないし・・・・・)
何か撃退する秘密兵器を持って行った方がいいかもしれないと、珠生は本気で考えてしまった。
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