海上の絶対君主




第五章 忘却の地の宝探し






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 垂直棒に上るために付けられている横棒は、左右交互に20センチほどの間隔で取り付けられていた。
しっかり取り付けられているので、途中折れることは無いのだろうが・・・・・始めの数メートルは楽勝だと思いながら上っていた珠生
は、半分を過ぎた頃から目に見えて速度が遅くなった。
 ・・・・・いや、今はもう止まってしまっているといってもいいかもしれない。
 「どうした?」
直ぐ後ろを上ってきているラディスラスの口調は楽しそうで、きっとこうなることが予想ついていたのではないかとも思ってしまう。そん
な男に、やっぱりここで止めると言うのは悔しくて言えなかった。
(下から見ていたら、そんなに高そうでもなかったのに〜)
 実際に上ると、半分でも三階建てのビルくらいの高さか。命綱も無いこの状況で、もしも落ちてしまったらそのまま・・・・・。
(・・・・・駄目だって、そんなことばっか考えるのっ)
 考えれば考えるほど、手も足も強張って動かない。
どうしたらいいのか、軽いパニックになりそうだった珠生の耳に聞こえたのは、意地悪なラディスラスの言葉だった。
 「タマ、怖いんだろ」
 「・・・・・っ」
 「いいんだぜ、怖いって思っても。こんなに長く海で生活している俺でも、怖いことは幾らでもあるしな」
 「・・・・・え?」
 てっきり自分をからかうのだろうと思っていた珠生は、意外なラディスラスの言葉に思わず振り向いてしまった。しかし、その拍子に
視界が下にいってしまい、小さくなった皆の姿に、慌てて横棒にしがみ付いてしまう。
 「へ、変なこと言うなよっ、下見ちゃった!」
 「はは、絶景だろ」
 「そんなよゆーっ、ない!」
 「だから、いいんだって、それで。怖いものがあった方が、自分の命を無駄に捨てたりしなくなる。まあ、あまり怖がり過ぎるのも海
賊らしくは無いがな」
 「・・・・・」
(そりゃ・・・・・怖いって思ったら、まず逃げ出すとは思うけど・・・・・)
 元々住んでいた生活環境が平和だった珠生は、些細なことでも怖がってしまうというのは自覚しているが、自分にそんなことを
言うラディスラスも怖いものがあるのだろうか。
(・・・・・まさか、人食い鮫とか言わないよな)
ある外国映画を頭の中で思い浮かべてしまった珠生は眉を顰め、視線は上を向けたまま、ラディスラスの怖いものはなんだと聞い
てみた。自分が用意出来るものだったら、何時かラディスラスを脅かしてやろう・・・・・ただ単に、いつもからかわれている仕返しがし
たいと思って聞いたのだが、
 「分からないか?」
 何だか、意味深に聞き返してこられ、珠生は首を傾げた。
 「・・・・・分かんない」
 「じゃあ、秘密」
 「えー!ずるい!」
 「お前がちゃんと上まで上れたら教えてやるよ」
 「・・・・・ホントだな?」
こういうことでラディスラスが嘘を言わないことは分かっていたが、珠生は念を押して聞いてみる。それに頷いたラディスラスに、珠生
はようやく強張った手足を動かした。
(絶対、弱みを聞いてやるからっ)




 何とか動き出した珠生に、下から見ていたラディスラスはホッと安堵した。
このまま上に上るにしても、下に下りるにしても、手足が動かなければどうにもならない。そして、どうせならばこのまま上まで上らせ
て、一度、素晴らしい眺めを珠生に見せたいと思った。
 意地っ張りな珠生は、出来ないだろうと始めから無理だということを言うと、反発心で思い掛けない力を発揮する場合が多い。
今回もなんとか上手くいったようで、かなりゆっくりではあるものの、着実に見張り台に向かって進んでいた。
 「頑張れよ、タマ」
 「・・・・・だ、黙っててよっ」
 「分かった」
自分の目の上で揺れている小さな尻。触ってからかってやりたいが、さすがに今は止めておいた方がいいだろうと思い直した。

 「ほら、そこの止め金具を外して・・・・・そう、そこからゆっくりと中に入れ」
 さすがに見張り台までの高さになれば、それほど波が激しくなくてもかなり揺れを感じるだろう。
柱から見張り台に乗る時が一番慎重にと思ったラディスラスは、一々珠生に指図をし、緊張していた珠生も素直にその言葉通
り動いて、何とか2人とも見張り台に乗り移ることが出来た。
 「・・・・・はあ〜」
 無意識のうちに大きな溜め息をついた珠生は、そのままドカッと見張り台で座りこんでしまう。その姿に思わす笑って、ラディスラ
スは連絡管に口をつけた。
 「無事到着!お前達も仕事に戻れよ!」
 オーッというような声が下から聞こえた。
 「タマ、おい、腰が抜けたか?」
 「・・・・・安心しただけ」
ここまできても意地っ張りなことを言う珠生が微笑ましく、ラディスラスは担いできた袋の中から、銅の筒を取り出した。
ベニート共和国、コンラッドの港町で見つけたこれは水入れだ。今までは陶器や、木、竹の筒に入れて持ち運んでいたが、今回
のこれは少し重たいながら何時までも冷たい水が飲める。
 珠生用に試しに買ってみたのだが、こうして手にしていても壊れにくそうで便利かもしれないと思った。
 「ほら、水」
 「あ、ありがと」
珠生はそれを受け取り、栓を抜いてコクコクと飲む。しかし、直ぐに口から離すと、その筒を今度はラディスラスへと差し出した。
 「ラディも」
 「俺?」
 「・・・・・」
 「ありがとな」
 その気遣いに、珠生の頭をクシャッと撫でてから一口水を飲んだラディスラスは、
 「ほら、タマ、見ろ。甲板から見る景色とは全く違うぞ」
そう言って、まだ見張り台の囲いから顔を出していない珠生の身体を強引に起こした。




 「うわあああ!」
 見張り台の中にいるとはいえ、この下に地面(床)が無いと分かりきっていた中、いきなり腰を掴まれて立たされた珠生は思わず
声を上げてしまい、そのまま反射的に目を閉じた。
 「おい、目を開けないと景色が分からないぞ?」
 「そ、そんなの、慣れてからゆっくり・・・・・っ」
 「・・・・・じゃあ、その間俺が何をしてもいいんだな?」
 「え?」
(何をしてもって・・・・・)
 こんな不安定な場所ですることなど限られているとは思うものの、相手がラディスラスなので分からない。
頭の中で色々と考えてしまった珠生は、見えないままで何かされるよりもラディスラスを睨みつけていた方がましと思い、なんとかは
り付いていた目蓋を強引に開けた。

 「う・・・・・わぁ・・・・・」
 先程と変わらない声が出る。しかし、その響きは雲泥の差だ。
 「どうだ?」
 「すごい、全部海・・・・・綺麗・・・・・」
今出てきた港は背中にあるので、珠生の目の前に広がっているのは様々な色合いの青い海だけだった。陽の光のせいで波がキ
ラキラと光り、波音も遠くから聞こえているようで・・・・・。
(空と海の境が無いっていうか・・・・・これ、水平線っていうんだっけ・・・・・)
 「どうだ?」
 直ぐ耳元でラディスラスの声がする。後ろから抱きしめられたが、珠生は嫌だとむずかることも忘れて、呆然と聞かれたことに答え
ていた。
 「すごい・・・・・綺麗で、なん、か、すごい・・・・・」
 「今見ている景色が全部自分のものだって思ったらどうだ?」
 「・・・・・信じられないけど・・・・・もったいない、よ。これ、みんなのものだよ」
そうか・・・・・吐息のような笑い混じりの言葉がしたかと思うと、珠生はそっと顎を取られ、そのまま引き寄せられて・・・・・ラディスラ
スのキスを受け入れてしまった。




 初めて見る大海原に魂を奪われているような珠生は、自分の口付けに素直に身を委ねていた。
その口の中に舌を入れても、思う様舌を、唾液を吸っても、珠生は逃げることもなく、自分からもラディスラスにしがみ付いてくる。
 もちろん、ここが船の上の見張り台で、大人2人が辛うじて座れるくらいの広さしかなく、これ以上のことなど出来るはずも無いと
分かっていたが、こんなにも素直な珠生をこのまま手放すことは惜しいような気がして・・・・・。
 「ん・・・・・ぁ」
 シャツの隙間から手を入れ、滑らかな胸元をそっと撫でると、ピクッと腕の中の小さな身体が震えた。
自分と同じように陽の光の下にいるはずなのに、何時まで経っても白い首筋に口付けを解いた唇を押し当て、もう一つの空いた
手で下半身をやんわりと撫でた時だった。
 「・・・・っ、あぁ!」
 その刺激に、返って我に返ったらしい珠生が、思い切り肘鉄を食らわしてきた。愛撫することに意識が向いていたラディスラスは
不覚にもそれを綺麗に受け止めてしまい、
 「・・・・・っつ」
 低く呻いて、悪戯していた手を離す。
 「な、何、何考えてるんだよ!こんな場所で!落ちたら死んじゃうんだぞ!」
 「・・・・・」
(・・・・・場所さえ考えれば、いいってことか?)
そう言えば、多分もっと珠生が怒るだろうと思い、ラディスラスはかなりの衝撃を受けた腹を撫でた。
 「そんなに怒るな、タマ」
 「怒らすの、ラディ!」
 「うん、まあ、そうなんだが・・・・・ああ、そうだ、お前腹空いてないか?」
 不機嫌な珠生を宥めるのには食べ物に限る・・・・・そう思って言ったわけではなかったが、せっかくのジェイの作りたての好物を早
く食べさせてやろうと思った。あんな悪戯をする前の方がもっと良かっただろうと思うのは、考えないようにしようと思う。
 「ほら」
 「・・・・・あ」
 絶対に許さないぞというようにムッと口を尖らせていた珠生だったが、ラディスラスが袋の中から取り出した竹籠の中を見て直ぐに
声を上げた。
 『コロッケ!』
 「コッケ?」
 「こおっけ!イモと肉混ぜて、丸くして、あげたやつ!うわっ、これ、ジェイ作ったのかっ?」
 「コオッケか。エーキが教えてくれたそうだぞ。揚げたてだ、ほら」
 「父さんが・・・・・そっか」
 父親の名前を出せば、珠生は本当に嬉しそうな顔をする。たった今まで怒っていたことを全て忘れたかのように、大きな揚げ物
に齧りつく姿は、本人に言えば怒るとは思うが・・・・・まるで子供だ。
(さっきの口付けの時は、色っぽい顔をしてたんだがなあ)
色気よりも食い気が勝ったのは、この場所のせいだと思いたい。
 「ラフィほはへふ?」
 熱さで、ちゃんと舌が回らない珠生に苦笑して、ラディスラスはありがたくコオッケを1つ貰う。先に自分が味見をしてしまったことは
内緒にしておいた方がいいだろうなと思いながら、ラディスラスは珠生と並び、綺麗な海を見つめながら同じものを頬張った。
 「美味しい?」
まるで自分が作ったもののように期待を込めた瞳を向けてくる珠生に対し、ラディスラスはああと笑いながら頷く。
 「美味い。今度はタマに作ってもらうかな」
 「任せてよ!」
張り切って頷く珠生に、大丈夫かなという思いがチラッと過ぎってしまったのは・・・・・これも、言わないでおいた方がいいだろうと、ラ
ディスラスは曖昧な笑みを浮かべた。