海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
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※ここでの『』の言葉は日本語です
それから数日間、エイバル号は平穏だった。それは、ひとえに騒ぎの元凶となる人物が大人しいからという事実につきる。
「なんだ、タマはまだ飽きてないのか?」
「半分意地になってるんだろう」
苦笑交じりのラシェルの言葉に、ラディスラスも溜め息をつくしかなかった。
ここしばらく、甲板にある姿・・・・・大きな籠を棒で支えた下に出来た日陰の中に、背中を丸めたまま座り込み、じっと海に垂ら
した糸の先を見ている珠生。
オマケのように、頭の上から布も被っている姿は始めに見た時は驚いたものの、今では目に慣れた光景になっていた。
どうやら、目的のものを釣るまで諦めないという意志はかなり強いらしく、時々船酔いのために青白い顔をして横になるものの、
その他の時間はほとんど同じ姿勢のままだ。
(いったい、何を釣ろうとしているんだ?)
「・・・・・あれじゃあ、自分の方が罠に嵌った小動物に見えないか?」
「確かに。でも、タマの肌は弱いし、あれぐらいはしておかないと肌が焼けてしまうだろう」
「大人しいのは、いいんだがなあ」
一箇所にじっと大人しくいることは安心な一方、あまりにも静かだと返って心配になってしまう。
ラディスラスは操舵室からも見えるその姿に、どうしたらいいものかと眉を顰めてしまった。
(どうしてイカが釣れないんだ?)
ピクリとも動かない糸を見つめながら、珠生はもう何度目かも分からない溜め息をついた。
最初は、ラディスラスの苦手な塩辛を山盛りに作って、食べなければ自分への悪戯を禁止すると高らかに宣言するつもりでいた。
魚釣りには自信があったし、当日は無理でも、2、3日で大丈夫だと思っていた。
しかし・・・・・小魚は釣れるものの、どうしても目的のイカが釣れない。一度タコが釣れたのだが、イカの塩辛というものが頭の中
にあった珠生は、そのタコを刺身にして自棄食いしてしまった(乗組員達は驚いていた)。
「う〜」
「タマ」
「・・・・・」
甲板にいるので、通り掛る乗組員達は頻繁に声を掛けてくる。それは釣果を聞くというよりも、珠生の身体の変調を気にしての
ことらしいが、最初は一々答えていた珠生も、ここ1、2日は返事をすることも面倒に思っていた。
「少し休みませんか?」
「・・・・・」
「いくら日除けをしていても、身体は目に見えていないところで疲れていますよ?」
「・・・・・アズハル」
珠生はようやく視線を糸から外し、籠の向こうの人影に向けた。
「釣れない」
「丁度、潮が悪いんです」
「もう、ずっとだよ?」
「偶然でしょう?」
「・・・・・ぐーぜん、続く?」
最初は、たまたま魚の群れがいない辺りだったとしても、ここ数日で船はかなり動いているはずで・・・・・いい加減、イカの1匹や
2匹釣れたっておかしくは無いはずだ。
(なんだか、この船の下に誰かいて、掛かった魚全部、針から外しているんじゃないか?)
ありえないとは思うものの、そうとしか思えない。
「は〜」
(俺・・・・・なんで、釣りしてるんだろ・・・・・)
くったりとした様子から見ても、珠生が随分と疲れていることが見て取れる。いくら日除けをし、水分を取っているとしても、慣れ
ない場所では無理も無いと思う。
珠生がどうして釣りに執着しているのかアズハルには分からないが、一度ゆっくり身体を休めさせる(夜の睡眠とは別に)必要が
あるだろう。
「タマ」
「・・・・・立ちたく、ない」
「手を貸しましょうか?」
「・・・・・うん」
どうやら珠生の気持ちも折れかけているようだ。
この機会を逃さない方がいいだろうと、アズハルは日除け用の籠を取り、頭から布を被った珠生を、そのまま抱き上げようと腰を下
ろしたが・・・・・。
「・・・・・あっ」
「え?」
いきなり声を上げた珠生に、アズハルもつられたように顔を上げる。
「引いてる!」
その叫び声に視線を向ければ、珠生がまだ手に持っていた竿の糸が強く引かれている様子が見えた。
とにかく、これを釣ってしまって、一度ゆっくり休もうと思った。
今まで比較的波は荒くは無かったが(ラディスラスがそう航路を調整したことは知らない)、何だかずっと胸のモヤモヤが消えないま
までいる。それが船酔いという状態かどうかは分からなかったが、今の自分の状態ではラディスラスへの悪戯を遂行する気力は無
かった。
(イカは、今度の港ででも買ったらいいし)
食料や飲料の補給、そして船の点検のために、今回の目的地であるジアーラ国のヴィルヘルム島に行くまで、最低2回は港に
寄港すると言っていた。材料はそこで手に入れれば(ラディスラスの金で、だが)いいし、この1匹で終わろうと、珠生は気力を振り
絞って竿を引き、
「ああ!」
「あっ」
まるで、鯨でも掛かっているような重たい感覚の後、アズハルも手伝ってくれて甲板の上に釣り上げたのは、珠生が片手で持て
るほどの大きさの・・・・・イカだった。
「イカ!」
どんなに小さくても、目的のものを釣り上げた珠生の声は歓喜に弾み、アズハルも良かったですねと珠生の頭を撫でてくれる。
(良かった・・・・・これで終われる)
ようやく長い釣りの時間が終わると、珠生はほうっと大きな溜め息をついた・・・・・その時だった。
カン カン カン!!!
「・・・・・っ?」
突然、けたたましい鐘の音が響き渡る。
珠生も、アズハルも、そして甲板にいた乗組員だけではなく、船内にいた者も慌てたように外に出てくる。そこには当然、ラディスラ
スやラシェルの姿もあった。
「ア、アズハル、今の・・・・・」
「緊急事態を知らせる鐘です。見張りが何か見つけたんでしょう」
「何か?」
みんなが見上げている見張り台を、珠生もたった今釣り上げたばかりのイカを手に持ったまま見上げる。自分が見た時はどこま
でも続く青い空と、海しか見えなかったが、今、あの高い場所からはそれ以外の何かが見えているのだろう。
(いったい、何が見えたんだ?)
響いた鐘の音に、操舵室で航路の打ち合わせをしていたラディスラスとラシェルは、一瞬だけ顔を見合わせてから、反射的に外
に出た。
ラディスラスがその視線を真っ先に向けたのは、先程まで珠生いた場所だ。
(アズハルと一緒か)
珠生が1人だけではないということに安堵したラディスラスは、そのまま見張り台のある垂直棒の真下に行き、連絡管から見張り
台にいる乗組員に叫んだ。
「何があった!」
「討伐軍の船です!」
「討伐軍っ?」
(ベニートの海域から出た直後にこれか)
予め用心し、慎重に航路を選んだつもりだったが、どうやら運悪くどこかの討伐軍と出くわしたようだ。
「・・・・・」
こちらが気付いたとすれば、当然向こうもこの船を認知したはずだ。その上で逃げ出せばこちら側が後ろ暗いところがあると思われ
るので、向こうが近付いてくるか、そのまま立ち去るか、どちらにせよ、自分達は受身にならざるをえなかった。
(2日後には、ジアーラ国の海域に入れるんだが・・・・・)
「どこの国の旗が立っているっ?」
それ次第では、話で決着するか、金を渡すか。色々と解決方法が変わってくる。
「・・・・・あっ、ジアーラです!ジアーラ国の国旗が見えます!)
見張り台の声に、ラディスラスは反射的にラシェルを振り返った。
「おい」
今の声は、当然ラシェルの耳にも届いているはずだ。
「・・・・・イザークだな?」
「・・・・・多分」
ジアーラ国がどれ程の船を討伐軍に出しているのかは分からないが、今見えている船がジアーラ国海兵大将、イザーク・ライド が
指揮をしている可能性が高い。
「・・・・・」
「・・・・・」
(かえって、厄介な相手だな)
これが、全く知らない相手ならば話がしやすいが、なまじお互いを知っているだけに行動し難い。何しろ、相手は自分達が海賊
だと知っていることが大きかった。
彼と、ラシェルの元の主人であるミシュアに関して、これまで何回か顔を会わすこともあったが、イザークにしてみればそれは個人
的な話だと割り切り、討伐軍としての任務は別だと考えそうだ。
「どうする?」
始めに聞いたのは、ラシェルだった。
「待つしかないだろうな」
「・・・・・エイバルの旗も確認しただろうし」
「内心、驚いてるんじゃないのか?」
自分達がまた、海賊として動き出したのではないかと訝る様子が目に見えるが、どうにかしようにも海の真ん中だ。じたばたしてい
ても仕方ないだろう。
「おい、お前らっ、慌てたって仕方ない!落ち着いてあらためを受けるんだ!」
見られて不都合なものも、人間も、今この船の中にはいない。イザークも、何もなければそのまま自分達を解放するしかないだ
ろう。
(いくら、天下に名の知れたエイバル号が目の前にあったとしてもな)
以前も同じような場面があったが、あの時とはまた事情が違うのだ。後は向こうの出方を見るしかないと、ラディスラスは返って腹
が据わった。
「・・・・・あ」
(タマは・・・・・どうするかな)
ただ、唯一気に掛かるといえば珠生のことだ。
イザークの顔を見た途端、親しく声を掛けてしまうという可能性もある。
「・・・・・」
ラディスラスの視線の先には、何やら釣り上げたものを手にして、不安そうな表情で見張り台を見上げている珠生がいた。
珠生に上手い芝居をさせることが出来るか、それともどこかに隠した方がいいのか、ラディスラスは今一番に考えなければならない
懸案事項はそれだと、ますます頭が痛くなってしまった。
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