海上の絶対君主
第五章 忘却の地の宝探し
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※ここでの『』の言葉は日本語です
イザーク達の船とかなりの距離を取ってから、ラディスラスはようやく深い溜め息をついた。
いくら大丈夫だと確信しているとはいえ、それは絶対であるということとは違う。海賊という行為ならばまだしも、今回は宝探しが目
的なので、上手く嘘をつけているのか少しばかり自信が無かった。
しかし、そんな自分よりも明らかに失敗した人物が・・・・・。
「タ〜マ」
出来るだけ顰め面をして名前を呼んだつもりだが、当の珠生は少しも恐れた風も無く首を傾げている。
「何?」
「何って、お前、ヴィルヘルム島に行くってバラしてどうするんだ?」
「え?でも、俺、宝探し行く、言ってないし」
「・・・・・は?」
「うまく内緒してたろ?」
自信たっぷりに言う珠生に、ラディスラスは一瞬言葉に詰まってしまった。
今の言葉や態度から、珠生は自分が、今回の航行の意味の重大な手掛かりを言ってしまったという自覚が無いようだ。いや、む
しろちゃんと出来ただろうと胸を張っているようにさえ見える。
(宝探しって言葉だけが禁句だって思ってたのか・・・・・)
溜め息が漏れた。
自分の説明をちゃんと納得してくれたと思ったのだが・・・・・どうやら珠生の頭の中では禁句は一つだけだったらしい。
「でも、けっこードキドキした。バレなくて良かったよな?」
「・・・・・ああ」
(本当にバレていなかったらな)
エイバル号の中では、早速乗組員達がそれぞれの持ち場に散っていった。
イカ釣りという、一番大きな目的は済んでしまった珠生は次は何をしようかと考えていたが、ふと視界を横切った姿に思わず声を
掛けてしまった。
「ラシェル!」
「・・・・・」
ラシェルは足を止めて振り返った。
ラディスラスの次に責任のある地位にいるラシェルは色々忙しく、珠生も仕事中はあまり声を掛けることが出来なかったが、今はど
うしても声を掛けたかった。
「どうした、タマ」
ラディスラスとほぼ同じ背丈のラシェルとは30センチ近く身長が違う。
ラディスラスは何時も珠生の視線に目を合わせるようにして腰を屈めて声を掛けてくれるが、ラシェルは元軍人らしく背筋を伸ばし
ているので、かなり苦労して見上げなければならなかった。
「良かったねっ?」
「ん?」
直ぐにはその意味が分からなかったのか、ラシェルが聞き返して来る。珠生は駄目だなあというようにバシッとその腕を叩いて続け
た。
「王子のこと!イザークに、王子の身体のこと伝えられただろ?イザークもきっと、安心したと思うよ?」
「・・・・・ああ、お前のおかげだ。ありがとう、タマ」
そう言って、ラシェルは笑みを浮かべた。最近は珠生にも気を許して優しい表情を頻繁に見せてくれるようになったが、この笑顔は
今までの中でも一番・・・・・。
「お、俺、何もしてないよっ」
(ラ、ラシェルって、けっこーカッコイイ・・・・・)
ラシェル=顰め面。
そんな方程式が頭の中にあった珠生には、ラシェルの容貌の美醜はあまり興味のないものだったが、こうして敵意ではない思いを
向けられると、自然に容姿も目に入ってくる。
それが思い掛けなく好印象で、珠生はへへっと照れくさくなって笑ってしまった。
「し、仕事、頑張ってね!」
手を振りながら慌てたように甲板を走っていく珠生。その後ろ姿を見送りながら、ラシェルは滑ってケガをしないだろうかと心配に
なった。
ラディスラスやアズハルが過剰に珠生を甘やかし、心配する姿を見て、幾ら幼く見えても男なのにと常々思っていたが、最近そん
な彼らの気持ちが自分にも分かるような気がしてきた。珠生は、危ういのだ。
(幼い容姿だけでなく、あの言動も・・・・・)
それが、ラディスラスにとっては愛しいという感情になり、アズハルにとっては保護欲という感情になっているのだろう。
それでは、自分の感情はそのどちらに、いや、もっと違う何かに変わるというのだろうか?知りたいような、このまま知らぬふりをして
いたいような・・・・・不思議な気持ちだ。
そんなことを考えながら操舵室に入ったラシェルは、
「おい」
と、直ぐに声を掛けられた。
顔を上げなくても、相手が誰かは声で分かる。
「なんだ?」
「・・・・・顔がにやけている」
「え?」
ラディスラスの指摘に、ラシェルは無意識のうちに自分の頬に手を触れた。
(にやけている?)
初めて言われた言葉に戸惑ってしまうが、その理由は・・・・・考えなくても分かる。
「どうした?何か楽しいことでもあったのか?」
「・・・・・いや」
なぜか、先程の珠生との会話をラディスラスには言えず(別に、後ろめたい話をしたわけではないが)に、ラシェルは曖昧に言葉を
濁してしまった。
ブラブラと船内を歩いているのも申し訳ないなと思った珠生は、そろそろ夕食の下ごしらえをするはずのジェイを手伝おうと食堂に
向かった。もちろん、食堂には料理長のジェイ以外、手伝いの乗組員達も数人いて、本来は珠生の手伝う仕事もないのだが、
食堂にいればつまみ食いも出来るので(他の者には言えない)、珠生のお気に入りの場所でもあった。
「ジェイ!」
「ああ、来たか」
「来た」
「じゃあ、この豆でも剥いてもらうか」
珠生が来ることを予期していたのか、それともたまたま手が足りなかったのか、ジェイは直ぐに大きな籠に山盛りになっている豆の
皮剥きを珠生に頼んでくる。
単純な作業だが、失敗などありえない作業でもあるので、珠生は調理場が見える食台の前に陣取り、忙しく手を動かすジェイに
話し掛けた。
「今日は何作る?」
「前の港で豆を大量に仕入れたからな。豆のスープに、魚のすり身と合わせての揚げ物はチヤをたっぷり掛けるぞ」
チヤというのは、こちらの世界のチーズのことだ。珠生の知っているチーズよりは少し甘い感じがするが、それでも、きちんとトロミも
あるし、十分代用として考えられる。
「美味しそう・・・・・でも、トーフとか煮物も食べたかったなあ」
「トーフ?」
「今度、父さんに作り方教えてもらおうかな」
まだまだ脂っぽいものや甘いものが好きな珠生だが、時々日本食が恋しくなる。父と再会してから、その手料理を食べることも
出来たので(多少材料の都合でアレンジされているが)、自分にも作れるかも知れないという思いは強かった。
「あ、デザートは?何かある?」
「ああ。焼き菓子だ。潰して、練り込んでみた。柔らかくて甘いぞ」
「・・・・・ヨダレ出そう・・・・・」
献立を聞くだけでうっとりと頬を緩めた珠生に、ジェイはだから頑張れと声を掛けてくる。
「お前がどれだけ皮を剥けるかで量が決まるからな」
「よし!ガンバルぞ!」
張り切って答えた珠生は、ジェイの言葉が自分からシオカラ作りのことを忘れさせるためだとは全く気づかず、これから自分が食
べたいものなど、料理の話を嬉々として続けていた。
カンカンカン
大きな鐘の音が船内に響く。それに付け加え、
「ゴハンだぞー!!」
そう叫ぶ大きな声。
誰の声か、組員達はみんな分かっていて、先ずは半数の者達がゾロゾロと食堂に集まってきた。
船旅では食事も大切な仕事の一つだが、今では誰もがそれを義務だとは思わず、船上生活での貴重な楽しみの一つだと思う
ようになっている。それは、入口で皆を迎える笑顔の影響がかなり大きかった。
「今日は、豆だよ!」
「お、美味そうだな」
「うん、美味しかった!」
「なんだ、タマはもう先に味見済みかあ?」
「へへ、手伝ったからね」
その笑顔自体が皆の癒しになっていることを、珠生本人は気付いていなかった。
「はい、ラディ」
「悪いな」
珠生にわざわざ食事を運んでもらったラディスラスは、上機嫌でその髪をクシャッと撫でる。
他の乗組員達は皆自分で食事を取りに行き、終わったら下げるという決まりなのだが、どうやらジェイが船長は特別なんだと気を
利かせて言ってくれたらしく、珠生がいる時は、大抵こうして準備をしてくれた。
「どれが美味かった?」
「どれも、美味しーよ」
既に珠生が味見しているという前提で聞けば、素直にそう返事が戻ってくる。それを微笑ましく見たラディスラスは、ふと、珠生の
表情が変わったのに気付いた。
(なんだ?)
その視線を追うように自分も振り返ると、ちょうど入口にラシェルの姿があった。多分、今上ではルドーが責任者としているのだろ
う。
「ラ、ラシェル、こっち空いてるよ!」
「・・・・・」
ラシェルが自分達のいる食台に向かってくる間に、珠生が食事を取ってきてやっている。アズハルに対してはその光景を見たことは
あるものの、ラシェルに対して珠生がそれほど気を遣う姿は今まで見たことが無かった。
(・・・・・)
ラディスラスは珠生を見つめた後、ラシェルの方へと眼差しを向ける。
何時もと変わらない表情に見えるが・・・・・。
「ラディ?」
「あ、いや」
視線を向けるラディスラスにラシェルが声を掛けてきたのに、ラディスラスは何でもないと首を横に振る。自分が今感じた僅かな違
和感は、きっと気のせいだろうと思った。
(多分、な)
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