海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 じきにというラディスラスの言葉や、別れた時のイザーク自身の言葉、

 「出来るだけ早く、王子の下に伺う」

と、言うのに、珠生のイメージではせいぜい2、3日だと思っていたが、それからイザークが来るまで、実に10日ほど時間が経って
いた。

 「おっそーい!!」
 毎日、家の外に何度も出て、何時来るのか分からないイザークの来訪を待ちわびていた珠生は、遠くにそれらしい姿が見えた
瞬間、思わずそう叫んでいた。
 「・・・・・タマ」
 「遅いよっ、イザーク!俺、ずっと待ってたぞ!」
 正確には、待っていたのは自分だけではない。いや、肝心な話をしてもらっていないミシュアや父の方がその来訪を待っていたと
言ってもいいかもしれないが、珠生も何時ペラッと言いそうになるか分からない自分の口を塞ぐのに大変だったのだ。
 「申し訳ない」
 イザークは生真面目に頭を下げて謝罪してきた。言い訳をせずにそんな風に素直に出られては文句を言う方が非難を受けか
ねないかもとさすがに思った珠生は、それでも眉間の皺を消さないままいいけどと続けた。
 「俺はいーけど、おーじは待ってたんだぞ?ほらっ、早く!」
 珠生はイザークの腕を掴んで引っ張る。
心なしか重いと感じたのは、イザークの足取りが常に無く重いものだったからかもしれない。




 「ラディッ!イザーク、来た!!」
 古臭い木の扉を悲鳴が上がるほどに激しく開け放ちながら入ってきた珠生の声に、ラシェルと話していたラディスラスは顔を上げ
てよおと声を掛けた。
そろそろ来る頃かと話していたのだが、丁度その通りだったなと思わず笑みが零れる。
 珠生はもっと早く来ると思っていたようだが、ヴィルヘルム島で見つけた宝石の原石の管理や島の見張りなど、全てを整えてか
らやってくるだろうと予想をつけていたラディスラス達にとっては、10日でもかなり早いなと思った。
 「ご苦労さん、首尾はどうだ?」
 「・・・・・全て、私の部下達で手配している。当面、王にあの島のことは知られないだろう」
 「上等」
 今回のイザークは軍服ではなかった。ごく普通の旅の騎士といった服装だ。
ジアーラ国の軍人がこの辺りをうろついていることを知られてしまったら、ミシュアの存在が公になってしまう可能性も全く無いこと
は無い。
ジアーラ国だけでなく、静養先(軟禁先)のカノイ帝国からも追われているミシュアの身を、こんな所で拘束でもされたらこれからの
計画は全く意味の無いものになってしまうからだ。
 「王子は?」
 「先ほど昼食をとられて、今から庭に陽にあたりに出られる頃合だが・・・・・今、声をお掛けしてくる」
 ラシェルが椅子から立ち上がって2階に上がっていく様子を見ていたイザークは、再びラディスラスへと眼差しを向けた。
 「事情は」
 「まだ話していない。今回のことは俺達からじゃなく、ラシェルやお前が切り出すのが本当だろう?」
 「・・・・・そうだな」
 「どうした、迷ってるのか?」
 「私の気持ちに迷いは無い。ただ・・・・・そのせいで、王子に要らぬ荷物を背負わせてしまうことになるかと思えば・・・・・」
まずはミシュアのことを最優先に考えているらしいイザークの言葉に、ラディスラスは苦笑を漏らした。
 「今更だろ」
 今、ミシュアのためを思って今回の話を無かったこととしてしまうのは簡単だが、この先事あるごとにイザークは今の自分の判断
を悔やむことになるだろう。
本来は王になるはずのミシュアが、名も無い一個人として、平和だが貧しい一生を過ごすことも。
見つけた宝石で一時期国が潤ったとしても、今のままでは確実に崩壊の道を辿ることになるだろう国の姿を思っても。
 どちらを選んでも、生真面目なイザークが己を責めることは確実だ。ならば、少しでも良い方向に進むかもしれない道を選ぶの
が妥当ではないか。
 「イザーク、お前が何を憂いているのか分からないでもないが、自分の主君を侮らない方がいいぞ」
 「何?」
 「ミュウは全て受け入れる気だ」
 「・・・・・っ」
 イザークの目が見開かれた。
 「・・・・・話は、していないんじゃ・・・・・」
 「話してはいない。だが、あいつは全てを聞くと言った。それだけで俺は、あいつが全部を背負う気だなと確信したよ。お前は?
今の話を聞いてどう思った?」
 「・・・・・」
 ラディスラスの問いに、イザークはしばらくその視線を見返していたが、やがてそれをゆっくりと上へと向ける。
多分、イザークも分かったはずだと、ラディスラスはそれ以上何も言わなかった。




 「王子」
 「イザーク」
 「お顔の色も良いようですね・・・・・良かった」
 イザークはミシュアが起き上がっている寝台の側に歩み寄ると、その場に膝を付き、手に口付けを落とした。
(うわ・・・・・ゲームみたい)
イザークは見掛けも性格も厳格な騎士そのものといったイメージで、今目の前で行われている光景も物語の一コマのように見え
た。しかし、これは今の珠生にとっては現実なのだ。
 「待ちかねていたのですよ」
 「王子」
 「イザーク、どうか、全てを話してください」
 イザークは少しの間俯いていた。何を話そうか、どう話そうかと、悩んでいたのかもしれない。
ミシュアはその間励ますようにイザークの手を握り締めたままでいたが、やがて顔を上げたイザークは迷いを取り除いたはっきりとし
た声でジアーラの現状を話し始めた。



       


 【異国人であるエーキと、同性同士の不埒な恋に落ち、国政を蔑ろにした】
理不尽な訴えに、エーキを失ったミシュアは反論することなく、皇太子という地位を剥奪され、そのままカノイ帝国の国境近くの
離宮に、静養と称した明らかな追放という処分を受けた。

 その後、皇太子となったのはミシュアの1歳だけ年下の異母弟、ジルベール・ライネだ。
生母はジアーラの商家の娘だったが、ジルベールを宿したことで城に上がり、妾妃という地位についた。その頃まだミシュアの母も
健在で、王は王妃とミシュアを心から愛していた。

 しかし、数年後ミシュアの母が亡くなり、妾妃が事実上の正妃という立場になった時、それまでどんな時もミシュアの後という立
場だったジルベールの中に、自分が前に立ちたいという欲が出てきた。
 ミシュアは母に似て少女のように可憐な容姿だったが、ジルベールは父に似て頑健で男らしい容姿を持っていた。
どちらがこの国の最上位に立つのが相応しいか、誰が見ても明らかだとジルベールは自信を持っていた。

 しかし、召使い達は・・・・・いや、国民は、皆ミシュアを愛し、彼が国王になることを望んだ。どれほど己の方が優秀でも、たっ
た1歳差、正妃が産んだ子と妾妃が産んだ子では、明らかにその立場が違うのだと思い知った。

 そんな時に生まれたミシュアの醜聞。
異国の、それも男と恋に落ちたミシュアをここぞとばかりに糾弾し、庇う父王を説得して、一時期ミシュアを他国に静養に行かせ
るということに決まった。

 それから半年をかけ、ジルベールは父王をその座から引き摺り下ろした。
皇太子ミシュアの醜聞で、めっきり気が弱ったからと理由をつけたが、毎食の食事に少量の毒を仕込んだせいだと噂が立ったも
のの真実は闇の中で、ジルベールは反抗的な側近を全て排除し、ようやく望んでいたジアーラ国の頂点に立ったのだ。




 その後の、ジアーラ国は-------------------。
自らの地位を保つために、ジルベールは崇める側近だけを側に置き、国民の税で贅沢三昧の日々を過ごした。
 数年前にあった旱魃(かんばつ)の時も何の手も打たず、年々国民が飢え、国自体が衰退していく様にも目を閉じて・・・・・緑
豊かな素晴らしい国だったジアーラは、今や世界でもっとも貧しいと蔑まれるような国になっていた。



       


 淡々と話すイザークの話を、ミシュアは真っ白い顔色のまま聞いていた。
ミシュアがいなくなって早々に国を出たラシェルも初めて聞くことが多かったのか、眉間の皺を深くして口を引き結んでいる。
 「ラディ、今の言葉」
 珠生にとってはまだ理解出来ない言葉が多かったらしく、ラディスラスは聞かれるたびに噛み砕いて説明してやったが、ミシュア
の側に寄り添うように立っている瑛生は全て理解出来ているようだった。
 「・・・・・」
(どんな思いだろうな)
 自分と出会ったせいで、一国の王子の運命が、いや、国の運命がガラリと変わってしまったのだ。瑛生にとっては耳の痛い言葉
ばかりだろうが、彼はその場から立ち去ることも無く聞いていた。
 「今のジアーラは、全く昔の面影を残していません。緑が多いというのは、荒れ果てた草花が好き勝手に生えているだけで、手
入れをされたそれとはほど遠いものです」
 「・・・・・」
 「旱魃の時、適切な処理をしていなかったせいで作物は育たなくなり、国民は僅かな食料を手に入れるのでさえ必死になって
います」
 「・・・・・」
 確か、旱魃は三年ほど前だったか。
あれは世界各国に大きな被害をもたらしたが、その後他の国は立ち直ったはずだ・・・・・ジアーラ国を除いては。
 「今、国民の間では王に対して反旗を翻そうとしている者が多数おります。今は辛うじて抑えていますが、抑え切れないほどの
大きなうねりが、もうすぐそこまで来ているのです」

 ひっ迫しているジアーラ国の現状を、ミシュアはどう思ったのだろう。
イザークの話が終わり、部屋の中が静まり返ってしばらくは、誰も言葉を発することが出来なかった。それほどに、今のジアーラは
悲惨だった。
 「・・・・・」
(ミシュアが戻ったとして、国を立て直すことが出来るのか・・・・・)
 そもそも、現王が潔くその座を譲るのか。
元々ミシュアに対して思うところがあるらしい現王は、意地になってその地位にしがみつくだろう。
 「・・・・・」
 「お金、無いんだ」
 そんな中、珠生の声が響いた。
 「タマ、あのな」
そのことが問題ではないのだと言おうとしたラディスラスに、だってと珠生は言い返してくる。
 「この間のべ、べ・・・・・」
 「ヴィルヘルム島か?」
 「そうっ、その島から見付けた石、あの石をもっと見つけたらいいんじゃないっ?」
 「あー、いや、まあ、そうなんだが・・・・・」
 確かに、あの時見つけたような宝石の原石が数多く見付かれば状況は変わるかもしれないが、そんなに簡単に見付かるとは思
えない。
ただ、
 「やってみなくちゃ分かんないだろ」
 「タマ」
 「今度は、金が出ちゃったりして!そーなったら、少しはじょーきょーも変わるだろ?」
そう言う珠生の言葉に、何だかそうなのかと思えてくるのが不思議だった。