海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(ラシェルの部下だった人かあ)
途切れ途切れに聞こえてくる言葉に、珠生はただ感心したように頷いた。
確か、ラシェルがジアーラ国を出たのは4年ほど前だったと聞いた。それも、今の王様の腕を振り払う形で出てきたはずだが、彼ら
がそんなラシェルを今でも上司だと感じているのはその口調からも感じる。
真面目なラシェルの部下はやはり真面目なんだなと、ラディスラスの隣で暢気に考えていた珠生は、チラッとこちらを向いた2人
の眼差しが大きく見開かれたのに気付いた。
(え・・・・・?)
「黒い瞳・・・・・?」
「くろ?」
(・・・・・あ、目?)
今では全く周りも問題にせず、普通に対してくれているのですっかり忘れていたが、この世界では黒い瞳というのは珍しい存在
だったということを思い出した。
今目の前にいる男達も自分の瞳を見て驚いているんだなと思った珠生は、丁度自己紹介するいい機会かなと思い、笑いなが
ら軽く手を振ってみせる。
「こんにちは。俺・・・・・」
「お前・・・・・っ?」
「え・・・・・ぐっ」
それまで、ラシェルに向かって畏まった様子で話していた薄茶の瞳をした男が、いきなり手を伸ばして珠生の服の襟元を掴んで
きた。突然の暴力に珠生は逃げる間もなく、一気に首を締め付けられてしまう。
「うくっ」
(く、苦し・・・・・っ)
「おいっ!」
「やめろっ、レイモン!」
「こふぉっ、ごふぉっ」
(へ、変な声出ちゃうじゃんか〜っ!)
一体、なぜ男がいきなり襲いかかってきたのか分からない珠生だったが、それでも声を出して文句を言いにくくて、ただ激しく咳き
込みながら前のめりになった。
「大丈夫かっ?」
そんな珠生の身体を支えてくれたのはラシェルだ。
どうしてラディスラスではないのかと思っていた珠生の視線の中に、たった今まで自分の襟首を締め上げていた男の手を拘束し、
珠生が見たことも無いような冷たい眼差しで見据えているラディスラスの姿が見付かった。
「人の船に上がって早々、暴れられるのは面白くないんだがなあ」
口調は何時もと変わらない。
それでも、その暢気な口調を、ラディスラスの眼差しが裏切っている。
(こ、怖いって、ラディ)
そんなラディスラスの雰囲気を直ぐに元に戻したくて、珠生はラシェルの腕の中から腕を伸ばし、男を拘束しているラディスラスの
腕を掴んだ。
ラシェルの部下。
ミシュアの元親衛隊の人間が、彼を皇太子の座から引きずり落とした要因である瑛生に並々ならぬ敵意を抱いているというのは
想像出来た。それは、ラシェルが当初珠生にとっていた態度からも分かっていた。
面影の似ている親子・・・・・同じ、黒い瞳。珠生と瑛生をそこで繋げてしまう可能性も十分考えられた。
それでも、まさか自分の目の前で珠生に手を出されるとは思ってもみなくて、ラディスラスはレイモンの腕を掴む手にギリギリと力を
こめてしまった。
「人の船に上がって早々、暴れられるのは面白くないんだがなあ」
人手は必要だ。それが、現王に近い立場の者であればあるほど好都合だと思っている。
だが、最愛の珠生に敵意を抱く者など、このまま海の中に突き落としても絶対に後悔はしない。
「・・・・・」
その時、不意に腕を掴まれた。
とても海の男とは思えない、小さく頼りない力。
「・・・・・タマ」
「ラ、ラディ」
「・・・・・」
(タマの方が・・・・・)
男の拘束よりも珠生の怪我の方が大事だということにようやく考えが追いつき、ラディスラスはレイモンを突き放すように手を離す
と、そのまま腰を屈めて珠生の首筋に視線を凝らした。
服で締め付けられたせいでうっすらと赤い線のような痕がついている。
「痛むか?」
「だ、だいじょぶ」
「・・・・・」
「ほ、ホントだって!」
珠生の焦ったような声に、ラディスラスは反対に安堵してしまった。これだけ元気な声を出せるのならば、喉に負担は掛からなかっ
たようだ。とっさに止めさせた自分の行動があれ以上遅くなくてよかったと深い安堵の息をついたラディスラスは、そのまま珠生の身
体を抱きしめる。
「・・・・・良かった」
「ラディ」
何時もは人前でベタベタするなと怒るのに、今日は素直に抱かれている。それだけ珠生にとっても今の出来事は動揺するもの
だったのだと、ラディスラスは珠生を怖がらせたレイモンに視線を向けた。
「幾らラシェルが可愛がっていた奴でも、こいつに手を出すのは許さない」
「・・・・・その目は、あいつと同じ・・・・・」
「タマはエーキの息子だ」
「!」
レイモンの表情が真っ青になる。衝撃を受けるのも、瑛生に対する憎しみを抱いているのも勝手だが、そこに珠生を巻き込むこ
とだけは許せなかった。
珠生は自分自身の複雑な感情を抱いていても、ミシュアのためにこうして動こうとしている。いや、そもそも、ミシュアのために医師
のノエルを捜し出したのも珠生だ。
感謝されこそすれ恨まれるのは筋違いだと思うが、ラディスラスの頭の中では、これまでの経緯を知らないレイモンに何を言って
も仕方が無いかもしれないとも理屈では分かっていた。
「すまない、ラディスラス」
自分の殺気に、2人の上司であるイザークが頭を下げる。
「タマのことを話していなかった私の落ち度だ」
「・・・・・」
「タマも・・・・・すまない」
「い、いいって、イザーク。俺、びっくりしただけ」
「・・・・・」
(このくらい、話しておけっていうのが無理だったのか・・・・・)
今回は国の骨格を揺るがす大事だ。イザークが珠生や瑛生のことを言い漏らしていたとしても仕方が無いかもしれない。そこまで
イザークに完璧を求めるのは酷だったかと、ラディスラスはこみ上げていた感情を抑えるために何度か息をついて・・・・・口元を歪め
ながら言った。
「とりあえず、食堂に行こう。俺達は協力し合う前に、まず理解し合わなければいけないようだしな」
当初は友好的に見えた海賊船エイバルの男達。
しかし、エーキの息子だという少年に手を掛けた瞬間から、向けられる眼差しの中には殺気が見え隠れし始めた。
それ程この少年が男達にとって大切な存在だったのかと思い知る反面、その父親のせいで自分達がどれ程の苦悩を抱いて
いるのか分かって欲しいと思ったが、場所を船内の食堂に移し、かつての上司だったラシェルが淡々と話すここまで来る過程に、
レイモンはただ、全てを理解することだけで精一杯だった。
自身の言葉を、青褪めた表情で聞いているレイモンとダリル。
(納得・・・・・出来るだろうか)
自分でさえ、今まで珠生の傍にいてその性格や考えを知り、ようやく見つけ出したミシュアや瑛生の話も聞いて、今のこの心境に
なったのだ。突然イザークに連れられて海賊船にやってきた2人に、直ぐに納得しろと言うのは可哀想かもしれない。
「・・・・・」
それでもと、ラシェルはチラッと視線を横に移す。
少し離れた場所で珠生を膝に乗せて椅子に座っているラディスラスのあの怒りは、ラシェル自身も感じたものだった。どんな相手
でも珠生を傷付けるものは許さない。それは、かつて仲間だと思っていた者相手でも同じことだ。
「・・・・・王子は、今回のことは全てご自身の罪だと言われている」
「・・・・・」
「もちろん、エーキにも罪はあるだろう。だが、俺は・・・・・ジアーラ国が現状のようなってしまったのは、現王を抑えられなかった周
りの者や、俺のように・・・・・国を捨ててしまった者達の責任でもあると考えている」
レイモンの拳が強く握り締められた。
「それに、今は過去のことを振り返っていても仕方が無い。今はジアーラをどうするのか、共に未来のことを考えなければ。王子
もそう思われて、こうして再び祖国に足を踏み入れようとなさっているんだ」
「ラシェル様・・・・・」
思わず漏れたようなレイモンの声に、ラシェルは苦笑を零した。
「様はよせ。今はお前達の方が立場が上だ」
「そんなことはありません。私は・・・・・いえ、イザーク殿も、他の者も、ラシェル様を今でも慕っています」
「・・・・・ありがとう」
以前は苦痛に思っていたかもしれないが、今では素直にその気持ちが嬉しいと感じる。自分がこんな風に前向きな思いになっ
たのも、きっと珠生の影響が強い。
「レイモン、タマに言うことはないか」
「・・・・・」
「レイモン」
幾度か促すと、椅子から立ち上がったレイモンはそのままラディスラスと共にいる珠生の前に立ち、
「・・・・・申し訳なかった」
そう言いながら、深く頭を下げた。
「・・・・・申し訳なかった」
目の前に直立不動に立ち、深く頭を下げてくる男の姿に珠生は戸惑った。
確かに、いきなり首を絞められたのは驚いたし、怖かったし、苦しかったが・・・・・彼がそんな思いを抱く要因がこちら側にあることも
今は分かっているつもりだ。
ミシュアの病気が良くなり、周りも自分や父を受け入れてくれていたから、珠生はそのことを忘れそうになっていた。
(ちゃんと、覚えていなきゃダメなのに)
首の痛みなど直ぐに消える。珠生は男に向かってブンブンと首を振った。
「だいじょーぶ、へーキ!」
「・・・・・」
「お、俺も、ごめん。俺のとーさん、みんなにめーわくかけたけど・・・・・でも、おーじの側にいるの、許してほしいんだ」
「・・・・・」
「お願いしますっ」
ラディスラスの膝の上に抱っこをされている形で言っても格好がつかないが、腰に回っているラディスラスの手の力が強いのでどう
にもならない。
子供みたいで恥ずかしいと思いながらも頭を下げて言った珠生に、男はしばらくして分かったと小さく答えてくれた。
「レイモン」
ラシェルが名前を呼んで、男・・・・・レイモンは、先ほど座っていた椅子に戻る。
その後ろ姿をつられるように見送っていた珠生は、
「いたっ」
いきなり、耳たぶをカプッと噛まれ、思わず背後のラディスラスに文句を言った。
「な、なにするんだ!」
「・・・・・面白くない」
「え?」
「お前を傷付けた奴なんかに、頭を下げる必要なんて無かったんだ」
「いーじゃん、俺がそうしたかったんだから・・・・・って、いいかげん、手、はなして!」
「・・・・・却下」
「なにそれ〜っ」
いったいどういうつもりでそう言うのか、ラディスラスの今の気持ちはさっぱりと分からない珠生は、床に着くことが出来ない足の短さ
が悔しくて、ブンブン揺らして偶然のようにラディスラスの足を蹴ってやった。
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