海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
翌朝、朝日が顔を出す頃には、一同はエイバル号へと移動をした。
日が昇りきって暑くなってしまうと緩慢な動きになり、気も散ってしまうからと、ラディスラスは夕べの内からこの予定を皆には話し
ていた。
「我々も何かさせて欲しい」
「え、あ、えーっと・・・・・お頭ぁ!」
自分達よりも遥かに物腰が丁寧な相手。しかも、服装は漁師のそれであるが、正体が国の兵士だということが分かっている乗
組員達は、どういった対処をすればいいのか分からないようで焦っている。
「ははは、せっかくだから手伝ってもらえ!エイバル号の中ではお前達の方が上の立場だろう」
「そんな〜っ」
来た時よりも、エイバル号に乗り込む人間は増えている。ヴィルヘルム島にいた兵士達のさらに半分が乗り込んできたからだ。
それには、イザークやラシェルの助言があった。
簡単だが、腹持ちのする夕食を終えると、疲れているだろうミシュアは先に休ませた。
そして、ラディスラスは幾つかの輪に分かれている一同のほぼ真ん中に立ち、腰に手を当てて胸を張る。身長も高く、しなやかな
筋肉を持つ自分の姿は、そうするとさらに一回り大きく見えることを知っているからだ。
ミシュアの意思を尊重し、海賊である自分達に協力すると申し出たイザークとその部下達には、この機会に様々聞かなければ
ならない。
「イザーク、国情を詳しく話せとは言わない。だが、今の兵力は言える範囲で教えてくれ。これだけの人数で俺達に勝機はある
か?」
エイバル号の拠点は、カノイ帝国とエルナン国の海域が主だ。カノイ帝国は武器輸出が盛んで外貨があるし、エルナン国は商
業が盛んであるからだ。
観光が主なジアーラ国は、確かにやってくる旅人を襲えばそれなりの物が手に入るのだろうが、女子供が多いのでラディスラス
は意識的に避けているといったところだった。
あまりこの海域に来ないために、ジアーラ国の情報はほとんど手元にない。元々の国民だったラシェルも昔話をする性質ではな
いし、現状はその国に暮らす者に聞いた方が早いと思った。
「・・・・・機能はしているが、国王直轄になっているために、私でも他の軍のことは分からない」
「国王が自ら指揮をとっているのか?」
「そうだ。反乱を防ぐためだと思う」
「なるほど」
自らも義兄であるミシュアを追い落として王座に就いた現王は、自分のもっとも近しい者に一番の警戒を向けているのだろう。
哀れだが、それが自分がしてきたことの報いだ。
「じゃあ、兵士の数とか、警備の体制とかは分からないな」
「・・・・・聞いたことがあります」
1人の兵士が、少し躊躇いながらも口を開いた。
「幼友達が王宮の衛兵なので・・・・・・」
「私も」
「私も、山岳を守る兵士に話を聞いています」
「・・・・・」
ポロポロと、情報は少しずつだが外に漏れているようだ。いくら王が全てを把握するようにしているとしても、人の口というものを完
全に塞ぐことは出来ない。
(みんな、不満を募らせているんだな)
情報は完全ではなくても、全く無いというわけではなさそうだ。
「貴重な話だ、みんな、ちゃんと聞いておけよ」
ラディスラスはそう言うと、一番最初に口を開いた兵士を促した。
兵力は十分あるらしい。
ただ、それを指揮しているのが現王1人なので、突ける隙というのは必ずあるはずだ。
そのためにも、更なる情報を得るために、今ヴィルヘルム島にいる兵士の多くを同行するように頼んだ。自分達のような外国の
者よりも、彼らの方が情報を集めやすい。
「お頭、乗船が終了しました」
「よし!」
浜辺には、原石を守る兵士達が数人残っていた。きっと、自分達も同行したいだろうに、イザークに指名され、ミシュアに頼まれ
て、彼らは快く残ることを承諾した。
「出航用意!」
ラディスラスが叫ぶと、碇が上がる音がする。帆を張り、風を呼んで、進路を確かめる。
「出航用意完了!」
「出航!!」
「おお!!」
向かう先に待つのは、一体何なのか。頭の中で考えているように、無事にミシュアを王座に就けることが出来るのか、今の段階で
は多分と言うしか出来ないが、それでも信じていれば・・・・・必ず叶う。
「王様を討つなんて、上等じゃないか」
これまでの何よりも大きな相手に、ラディスラスは背中がゾクゾクとするような楽しみを感じていた。
「・・・・・」
(ますます・・・・・ない)
船は狭い島々の間を上手にすり抜けて進む。
ジアーラ国の首都までは丸1日ほど掛かるらしいが、様々な準備をするには時間が足りないとラディスラスは笑っていた。
しかし、珠生は1人、一体どこが忙しいのだと思いながら歩いている。イザークの部下達が乗り込んで、人数も増えたが人手も
増えて、今度こそ本当にすることが見付からないのだ。
(食事の支度にも手伝いが増えてたし、甲板掃除も・・・・・)
「あれ、タマ、どこに行くんだ?」
「・・・・・決めてない」
「ははは、呑気だなあ」
通り掛かった乗組員は珠生の頭をひと撫でしてから、忙しく船尾の方へ向かって行った。
「・・・・・ノンキじゃないのに・・・・・」
忙しいのならば手伝ってくれと言ってくれたらいいのに、皆珠生には何もしなくていいぞと言うだけだ。楽でいいと思ったのは最初
のうちだけで、することが無いと時間が経つのも遅く感じて返って疲れてしまう。
「う〜・・・・・」
魚釣りでもしようかと、海を覗いた時だった。
「タ、タマ」
なぜか、どもりながら名前を呼ばれてしまい、一体何だと珠生は振り返る。
「あ」
そこにいたのは一番最初にイザークが連れていた部下の1人。黒い短髪に、薄茶の瞳をしたこの男は確か、美味しそうな名前
だった気がする。
「え、えっと・・・・・」
「・・・・・」
男は自分の顔を見て眉間に皺を寄せて考え込む珠生の姿に、緊張したように頬を強張らせている。だが、名前を思いだそうと
必死で考えている珠生はその様子に気付かず、やがて、
「あ!レモン・ベリー!」
ようやく出てきた名前に、思わず満面の笑みを浮かべてしまった。
「あ!レモン・ベリー!」
自分を指さして大声で言う少年に、レイモンは複雑な表情になるのを隠すことが出来なかった。
初対面で襲うような真似をしてしまい、それをもう一度改めて謝罪しようと、その姿を見付けたので慌てて追い掛けてきたのだが、
どうやらあれほどの暴力を振るった自分の名前を、この少年・・・・・珠生は覚えていないようだ。
なんだか少し寂しい気がしてしまい、レイモンは小さな声で違うと言った。
「レイモン・ベイリーだ」
「・・・・・レモン」
「レイモン・ベイリー」
今度はゆっくりと一言一言区切って言うと、口の中で何度か繰り返していたが、
「れいもん・べいり?」
と、たどたどしくではあったが、ちゃんとその名前を呼んでくれた。嬉しくなって思わず笑って頷くと、珠生はごめんなさいと焦ったよ
うに頭を下げながら謝罪してくる。
「名前、まちがえちゃった!」
「いや、いい」
「よくないよ!ごめんなさい!」
「・・・・・私こそ、すまなかった」
「え?」
珠生に謝られるのは心苦しくて、レイモンは何とか自分も頭を下げて謝罪するが、目の前の珠生は不思議そうな声を出して訊
ね返してきた。自分のことを思いやってそう言ってくれているのかもしれないが、そんな温情は返って心苦しい。
(エーキのことを心から受け入れることはまだ無理かもしれないが、その息子だとはいえこの少年には何の罪もない。抵抗出来な
い相手に対して、私は・・・・・っ)
「お前の首を絞めたこと・・・・・今は後悔している」
「・・・・・あ、そうだった」
「・・・・・」
どうやら、あれほどの行為を珠生は完全に忘れてしまっていたらしい。
(どういう、子供だ?)
いや、もう子供とも言えない歳なのだろうがと、レイモンは自分よりも遥かに小柄で愛らしい顔をした少年を思わずまじまじと見つ
めてしまった。
レイモンに首を絞められたこと自体は忘れてはいなかったものの、その理由が理由だけに珠生も怒ることも出来ず、そのまま脳
裏の端っこに追いやってしまっていたらしい(それを、忘れたというのかもしれないが)。
珠生は、改めて自分に謝罪をする男を見上げた。
(何回も謝ってくれなくてもいいのに)
前回、ラディスラスやイザークのいる前でちゃんと謝ってくれたので、珠生はそれで終わったと思っていたのだが、真面目なイザー
クの部下はやっぱり真面目なようだ。
「俺も、とーさんのこと、ごめんなさい」
「・・・・・」
「でも、おーじといっしょにいるの、許して欲しいんだ。とーさん、ホントにおーじのこと大事に思ってるんだよ」
「・・・・・それは、分かっている」
レイモンは静かに応えてくれた。
「お2人の想いは、傍で見ていた者には痛いほどに感じたから」
「・・・・・そっか」
自分が改めて言うまでも無く、その当時の2人を知っているレイモンにはちゃんと分かっていたようだ。ただ、その後のミシュアの運
命が運命だけに、認めたくないという思いが強かったのかもしれない。
珠生は、眉間に皺を寄せているレイモンに問い掛けた。
「レイモン、何してる?」
「何、とは?」
「仕事。俺、何もすること無くてヒマなんだ。レイモン何かしてるなら手伝わせて?」
「手伝うと言っても・・・・・」
「俺だって海の男!ほら、力もあるし!」
力こぶを見せようとしたが、あまり日に焼けていない生白い肌と薄い腕にそれは表れてくれず、懸命に力を込めようと顔を真っ赤
にする珠生を見て、レイモンはぷっとふき出した。
(わ、笑われた・・・・・)
何だか、微妙にショックだと思った。
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