海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
こうして話していると、珠生と瑛生は全く違うとレイモンは感じた。
もちろん姿形は似ているし、穏やかそうな見た目は共通しているが、こうして話すと年が若いからかもしれないが珠生はかなり活
発なようだ。
「お前はずっとこの海賊船に乗っているのか?」
「ずっとって・・・・・こっちにきて、ラディに助けてもらってから?」
「こっちにとは、エーキを捜しに国から出てきたのか?」
不意にジアーラ国に現れ、一国の皇太子をただの恋する青年に変えてしまった男は、何時の間にかその姿を消してしまった。
当初は王族を籠絡した罪で厳罰を恐れて姿を消したのだろうと思っていたが、今の2人を見ているととても瑛生がミシュアを置い
て逃げ出すというのは考えられなかった。
「さがしにっていうか、とーさんと会えたのはホントにぐうぜんなんだけど、でも、たぶん俺は呼ばれたんだろうなって思ってる」
「・・・・・」
たどたどしい口調ながら、珠生は難しい言葉を言った。それがどういう意味なのか、レイモンはもっと珠生と話したいと思い、じっ
と自分を見上げてくる黒い瞳に笑みを向ける。
「お前は、強いな」
不意に、口から零れたのはそんな言葉だった。
レイモン自身は珠生のことをよく知っているわけではないが、こんな短い会話の中だけでも、珠生の見掛けによらない強く、前向
きな言葉は、レイモンの心の中に不思議な活力となって身体に沁み渡った。
「それに、面白い」
「おもしろい?俺?」
首を傾げる子供っぽいその仕草に笑いながら、
「タマ、私は・・・・・」
「レイモン」
「・・・・・っ」
その先の言葉を言おうとしたレイモンは、背後から聞こえてきた声にピクッと肩を揺らす。
「ライド大将」
「あ、イザーク」
「・・・・・どうした、航路のことでラシェルと話していると思っていたが」
ゆっくりと近付いてくるイザークの口調は相変わらず固く、その表情は厳しい。
張りつめた緊張感の中、自分の欲だけで動く暇は無いのだと言われたような気がして、レイモンはパッと背筋を伸ばしてから一礼
した。
「申し訳ありませんっ」
「・・・・・急げ」
「はい。タマ、また話そう」
「うん」
珠生は素直にそう頷いて、ひらひらと手を振ってくれる。
それにレイモンも軽く手を上げて応え、もう一度イザークに頭を下げてから操舵室へと急いだ。
少し手前から見えていた珠生とレイモンの姿。
初対面のこともあり、レイモンがまだ珠生に対して思う所があり、難癖をつけているのかと眉を顰めてしまったが、近付くにつれて
向かい合っている2人の顔が柔らかく笑んでいるのが分かった。
(・・・・・何時の間に?)
その光景を見ていたイザークの胸の中が僅かにざわめいた。大切な部下が珠生のことを理解してくれるのは嬉しいはずなのに、
あっという間に珠生を笑顔にさせるまで打ち解けたことには素直に喜べない。
「イザーク?」
「・・・・・」
「イザークってば!」
「あ、ああ」
イザークは珠生の頭を軽く撫でた。
「何?」
「いや・・・・・なんとなく、だ」
こうして珠生に触れることが、レイモンよりもより自分の方が珠生に近いのだという証のように思える。
(こんなことを考えている場合ではないというのに・・・・・)
この先、祖国で巻き起こるであろう大きな嵐を無事乗り越え、ミシュアを王座に就かせるためにしなければならないことは多い。
そして、それには自分だけではなく、レイモンを含めた部下の力と共に、ラディスラスの協力も必要だ。そんな中、あの男の一番
大切なものに手を出すことは許されない。
(今は・・・・・絶対に)
船は順調に進んでいた。
前もってイザークが手を回してくれていたせいか、エイバル号を見咎める警備船は無く、天候もこちらに味方して、予定通り翌
日の深夜にはジアーラ国の王都、エルウィンの港町、レティシアに到着した。
しかし、既に深夜で入港手続きも取れないということで、上陸は翌日に引き延ばすことになったのだが。
「ミュウをこのまま連れ出すのは危険だな」
ラディスラスは腕を組んで言った。
ジアーラ国国民特有の髪と目の色をしているものの、ミシュアはあまりにも国民に愛された王子だ。
ミシュアが去って4年たったとしてもその面影を国民が簡単に忘れることは無いと思う。
「染料があったな。アズハル、明日の朝ミュウの髪を染めてやってくれ」
「え?そんなこと出来るの?」
染めるという言葉に反応したらしい珠生が口を挟んできた。
そう言えば珠生の髪は黒だ。目の色はどうにも出来ないが、髪の色くらいは変えてやった方が目立つことも無いはずなのだが。
(・・・・・いや、それは面白くないな)
たとえ変装のためだとはいえ、珠生の外見が今と変わってしまうのは面白くない。たとえ目立ってしまったとしても、自分が傍に
いて守ってやればいいだけの話だ。
「お前はダメ」
「えーっ、ずるい!」
「お前には・・・・・そうだな、返って目立ってもらわなくちゃ困る」
「・・・・・なに、それ」
「今回、裏である程度の根回しをイザークがしてくれるはずだ。王の目を内部の動きから逸らすためにも、明らかに怪しい外国
人としてタマは頑張ってもらわないとな」
黒髪の人間というのは自分も含めてかなり少ない。
それと同時に黒い瞳をした珠生の姿はきっと目立って、人の噂にもなるだろう。そんな風に出来るだけこちらに目を向けさせてい
れば、イザークの動きは目立たなくなるはずだ。
「タマに危険は無いんですか?」
ミシュアが気遣わしげに表情を曇らせる。ミシュア自身も自分が目立たない方が良いと思っているのだろうが、それと珠生を危
険に晒すというのは別の話だと思っているのかもしれない。
そんな、珠生を思うミシュアの言葉に、ラディスラスは笑い掛けた。
「安心しろ、俺がいるから」
「オトリかあ」
「嫌か?」
一連の会話を聞いた珠生は、ラディスラスの問いにまさかと首を振る。
「じゅーよーな役だもんな、がんばる!」
「・・・・・ほどほどにな」
珠生が張りきれば張りきるほど他の問題が浮上してくることが容易に想像出来てしまい、ラディスラスは苦笑しながらもしっかり
念押しをした。
「うわっ、別人!」
「そうですか?」
「うんっ、すっごい!」
珠生は目の前に立つ青年を驚きの眼差しで見つめた。
(染めるって、どうせ鬘みたいになっちゃうって思ってたけど・・・・・)
「アズハルのぎじゅちゅってすごいなあ」
「ありがとうございます、褒めてもらって」
翌日の昼過ぎ、既にラディスラスはイザークと共に港の管理所に行って入港の手続きを済ませてきていた。やはり自国の海兵大
将のお墨付きというのは効果大で、何の疑いも無く簡単に30日間の観光の滞在許可証明を貰ったらしい。
その間、船に残っていた珠生は、変装のために髪を染めたミシュアの姿に驚いていた。
綺麗な金髪は、濃いブラウンになり、肩より少し長くなっていた髪も切られていた。
染料のせいか、緩やかに波打っていた髪はストレートにも見えて、旅装束に身を包んだ姿はとても弱々しかったミシュアと同一人
物だとは思えない。
「あと、行動はもう少し大雑把に。ミュウはどこか気品があるから、とても一旅行者には見えないんだ」
「あー、それいえるかも」
「大雑把、ですか」
「ああ。タマくらい忙しない方がいい」
「それ、どーいう意味っ?」
既に一仕事をしてきたラディスラスは少し肩の荷が下りたのか、先程から珠生の髪をクシャクシャにしたり、背中を小突いたりと、
まるで小学生のような悪戯を仕掛けてきていたが、今の言葉は珠生とってさらに駄目押しのように思えた。
(まるで、何時も俺が子供みたいに騒いでるみたいじゃんっ)
「では、タマのように明るく、ですね」
そんな珠生の心境を考えてくれたのか、騒ぎを鎮めるようにそう言ってくれるミシュアは、見掛けの幼さとは裏腹に随分大人な
のだと思い知る。
「・・・・・べつに、おーじはそのままでもいいけど」
「タマ」
「・・・・・なに」
譲歩したつもりなのに、まだ何か言うのかと珠生はラディスラスを睨んだ。
「それ、止めないとな」
「それ?」
「王子っていうこと」
「あ・・・・・」
(た、確かに、まずい・・・・・)
せっかくこれだけ外見を変えたというのに、珠生がそう呼べば小さな疑問が生まれてしまうかもしれない。それは避けなければな
らないと、さすがに珠生も分かってしまった。
珠生がなかなかミシュアの名前を呼ばないのは、心のどこかでわだかまりがあるからだというのは分かっていた。
それでも避けることは出来ないのだと、今珠生にははっきりと伝えていた方が良い。
「タマ・・・・・」
ミシュアも珠生が今までなかなか名前を呼んでくれなかったことを気にしていたのか、期待に満ちた表情でその顔を見つめてい
る。
(逃げられないぞ、タマ)
「・・・・・で、でもさっ、名前で呼んだらおーじってバレちゃうだろっ?」
良い逃げ口上を思い付いた珠生はそう言うが、
「ミュウというのは王宮内のごく一部の者しか知らない呼び名です。民は直ぐには分からないと思いますから・・・・・」
ミシュアはそう言って、じっと珠生の答えを持った。
「・・・・・」
「タマ」
「・・・・・み、みう、危ないことはするなよな」
「はい」
少し、変形してしまった呼び方だが、それでも十分ミシュアは嬉しかったらしく、さらに、にこにこと笑って珠生を見つめる。
珠生は視線を合わせることはしなかったが、少しだけ耳元が赤くなっていたのは言わないでいてやろうとラディスラスは思った。
「よし、じゃあ、準備はいいな?」
小舟に乗り移り、町へと上陸する。
そこでまた幾つか分かれて手分けして動くことになるが、一歩陸地に足を踏み入れた瞬間から用心の上にも用心を重ねなけれ
ばならない。
「タマ、俺から離れるなよ?」
「ラディこそ、ぼーそーしないよーにな」
いったい誰に向かってそう言っているんだろうと思わず苦笑が漏れてしまうが、自分がしっかりとしなければならないと思ってい
るだけいいかと、ラディスラスは鷹揚に頷いた。
「分かった。お前がしっかりと見張っていてくれ」
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