海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
19
※ここでの『』の言葉は日本語です
エイバル号から、小舟に乗って続々と陸に上がって行く一行。
そこには役人が待っていて、入国の人数を数えていた。
(こんなとこで呑気だな)
この役人がもう少し機転が利く者だったとしたら、少し離れた場所に停泊しているあの船が海賊船の仕様であることに気付いた
かもしれない。入国する人数よりも、その生業の方を気にした方が良いと思うが、もちろんそんな助言をするつもりはなかった。
「はい、次」
流れ作業のように人数を数えていく男の前に、ミシュアが立った。
「・・・・・男です」
一瞬、その場が緊張感に包まれる。前後にいるラシェルと瑛生も、何時でもミシュアを庇えるような体勢になっていたが、
「男1人。はい、次」
ちらりと、確かにミシュアの顔を見た役人は、何も気付かずに数を数え始めた。
大丈夫だとは思ったが、やはり安心してラディスラスはラシェルに笑い掛け、頷いた。
(次は俺達だな)
「タマ」
「ん?」
「何を話しかけられても分からないふりをしろ」
「え?」
珠生はラディスラスの言葉に首を傾げている。いったい何を言い出すのだろうと思ったのかもしれないが、これも作戦の一環だ。
「その方が面白いから」
「何、それ?」
眉を顰めたものの、珠生はそのまま役人の前に立ち、口を開かない。
何も言わない珠生に、書類に目を落としていた役人が面倒臭そうに顔を上げ、次の瞬間ハッと目を見張った。
「何を話しかけられても分からないふりをしろ」
(どういうつもりなんだ、ラディは)
ラディスラスの考えていることは分からない。
それでも、そうすることが何らかの作戦なのだということは、にやついたその顔を見てしまえばさすがに何となくだが感じた。
心配だったミシュアも無事に検査を通り抜けたことだし、少し自分で遊ぶつもりなのだろうか。
珠生はラディスラスが言った通り口を開かないまま、役人の前に立った。
「・・・・・」
それまで、入国するこちら側が性別を言っていたが、珠生が何も言わないので役人が顔を上げた。
「!そ、その目はっ?」
「・・・・・」
(目の色に驚いてるのか?)
それならば、先に検査を受けた父も自分よりは少し茶色がかっているものの黒い瞳だったはずなのに、やはりこの役人は適当に
仕事をしていたようだ。
こんなことで、もし国の中に危ない人間が入り込んだらどうするのだとさすがに珠生でも心配だが、それ以上に複雑な思いがある
のか、ミシュアは役人の対応に細い眉を顰めていた。
「ど、どこの国のものだっ?」
「・・・・・」
「おいっ」
ラディスラスが言った通り黙っていると、太い指先が肩を掴もうと伸ばされてくる。
しかし、その一瞬手前でその手は別の手で遮られた。
「悪いが、汚い手で俺の大切な奴に触らないで貰おうか」
「なっ?」
「それと、こいつは少々変わっていてな、共通語を話すことが出来ない。タマ、試しにお前の国の言葉で話してみろ」
ラディスラスが顔を覗き込みながらそう言ってきた。お前の国とは、日本語のことだろうか。
『ラディは説明をはしょり過ぎ!何か作戦があるなら前もってちゃんと言ってくれれば良いだろう?それと、あんまりニヤけている
と顔が元に戻らなくなっても知らないからな!』
この場で珠生の言葉の意味が分かるのは父だけだ。案の定苦笑をしているが、きっと父だって同じようなことを思っているのに違
いなかった。
珠生の言葉はやはり全く分からない。
それでも、じっと自分の顔を見つめ、流れるように出てくる言葉は耳触りの良い音楽と同じだった。
「・・・・・」
ラディスラスは、呆然と珠生を見つめている役人に向かい、ニヤッと笑みを向けた。
「な?分からないだろう?」
「・・・・・おいっ」
役人は別の船を担当していた仲間を呼び寄せる。どうやら、ようやく目が覚めたようだなと、ラディスラスは知らない間に立派に役
にたった珠生の頭をポンと叩いた。
それから少し時間は掛かってしまった。
言葉が通じない(そう思わせた)珠生の代わりに、ラディスラスが次々と質問攻めにあったものの、そのどれもをすんなりとかわして
港を出る。
先にイザークと共に入港の手続きを済ませ、観光の滞在許可証明を貰っていたことが大きかった。
「ラディ」
何とか全員無事に港町までやってきた時、イザークが厳しい表情で話し掛けてきた。
「お前は・・・・・少しやり方を考えろ」
「ん?」
「気付いているだろう?」
イザークが視線だけを動かし、ラディスラスもチラッとそちらを向いたが直ぐに視線を逸らした。
港からずっと付いて来ている2人の男。多分珠生の行方を探ろうとしているのだろうが、いくらミシュアから目をそらすためだとはい
え、そのやり方が少々大胆なことにイザークは文句を言いたいのかもしれない。
しかし、ラディスラスは違う。
どうせやるのならば思い切り派手に。それが、海賊と軍人の考え方の違いなのかもしれなかった。
「大丈夫だって、もうしばらくしたら撒く」
「・・・・・そうしたら、余計に目をつけられてしまうぞ」
「それこそ好都合。それよりも、お前はお前の仕事があるだろう?あまり俺達とくっ付いていると変に注目を浴びてしまうぞ」
「・・・・・っ」
まだ文句を言い足りない様子のイザークだったが、ラディスラスの言う言葉ももっともだったせいか文句を言わず、そのまま一行
からさりげなく離れていく。
イザークの部下達も、少人数に分かれて、人波に消えていった。彼らにも成すべきことがあるのだ。
今からイザークは王宮に戻り、こちら側に手を貸す者をもっと捜すのと同時に、現王を追い詰める決定的な証拠を探さなけれ
ばならない。
いくらミシュアが戻ったとしても、元々追放されたという事実があるだけに、簡単には受け入れない者も多いだろう。そういった者
達を説得する材料は、王宮に自由に出入りできるイザークしか手に入らないのだ。
(こっちはこっちで派手にやらしてもらうからな)
「・・・・・」
(あんまり、品数も無いなあ)
腹が空いているわけではないが、こういう所に来れば何か食べたくなるというのが人情だ。
しかし、見たところ少ない出店の食べ物の種類はもっと少なく、活気が無いせいかどうにも美味しそうにも見えない。
「何か食うか?タマ」
そんな珠生の考えが分かっているらしいラディスラスがそう言ってくれたが、珠生はううんと首を横に振った。今目にしているも
のを食べるくらいならば、ジェイが作ってくれるデザートの方がよほど美味しそうだ。
「・・・・・本当に、変わってしまったのですね」
そんな珠生の耳に、ミシュアの寂しそうな声が聞こえた。
「以前は観光客を迎える出店は港に溢れていましたし、管理する役人も自分の仕事に誇りを持っていました。あのように仕事
を蔑ろにしていたら、何時他国に攻め入れられてしまうか・・・・・」
「・・・・・っ」
「あっ」
貧血を起こしたのか、ミシュアの足がふらついた。その身体をとっさに支えたのは後ろにいたラシェルだ。
「大丈夫ですかっ?」
「え・・・・・え、ごめんなさい」
「ラディ、先に宿を決めましょう。彼を少し休ませてやった方が良い」
アズハルがそう言い、ラディスラスは辺りをぐるりと見まわした、
「ラ、ラディッ?」
そして、なぜか突然、後ろへ向かって歩き始めた。
(どこに行くんだっ?)
肉体的な疲れよりも、まず精神的に参ってしまったのだろう。
ラディスラス達は以前のジアーラ国の様子を知らないが、ずっと眉を顰めているラシェルの様子やミシュアの苦痛の表情を見れば、
随分と(悪い方へ)変わったのだというのは想像出来た。
「ラディ、先に宿を決めましょう。彼を少し休ませてやった方が良い」
「・・・・・」
(宿、か)
アズハルの言葉ももっともなので、ラディスラスは考えるようにぐるりと辺りを見回す。港町であるここには幾つもの宿の看板が
出ていたが、初見ではどの宿が良いのか全く分からなかった。
今のこの国のことをよく知っているイザーク達がいたら良かったのだが、彼らはもう遠く離れているだろう。わざわざ呼び戻して聞
くのもと・・・・・。
(こういう時は・・・・・)
「ラ、ラディッ?」
驚いたような珠生の声を背中に聞きながら、ラディスラスは真っ直ぐに歩いた。
「おい」
「!」
後をつけていたらしい役人は、突然に話し掛けたラディスラスにどう反応していいのかと固まっている。
そんな相手の心境までは考えず、ラディスラスは訊ねたいことを口にした。
「このあたりで一番良い宿を教えてくれ。ちょっと具合が悪い連れがいるんでな」
「い、一番?」
「そう」
ラディスラスはニヤッと笑うと、服の内側に入れていた手を取り出し、無言のまま役人の手の中に握った金を押しやった。
「・・・・・っ」
役人の顔が暗い喜びに歪んだのが分かる。こんな僅かな金で、上司に見張れと言われた一行に協力するなど、疲弊している
のは民だけではなく、役人も同じなのだ。
「あの果物屋の横道を入って少し奥に、庭に多くの花を植えている宿がある。あそこは身内に外国暮らしの者がいるから食事
も豊かで美味いはずだ。少々高いが」
「分かった」
聞きたいことを聞いたラディスラスが戻ってくると、直ぐに珠生が腕を掴んでくる。
その表情は怒っているというよりも心配しているといった様子で、ラディスラスは笑みを向けるとそのままラシェルに言った。
「宿は決まった、行くぞ」
「・・・・・」
ラディスラスがどういう手段でそれを聞いたのか分かるラシェルは複雑な思いだろうが、そのままミシュアを支えるようにし、
「どうか、しばらく我慢されて下さい」
そう言いながら、てラディスラスの後ろをついてくる。
(そうだぞ、ラシェル、全ては綺麗ごとじゃない)
どんな手段を講じようが、ミシュアを王座に就かすことが最終目的で、それを達成するには少々の汚いことにも目を瞑ってもらわ
なくては困る。
「飯が美味いらしいぞ」
「え?」
「一休みしてから、また動くぞ、タマ」
「わ、分かった」
何も分からないまま、それでも自分の言葉に頷いてくれる珠生をしっかりと抱き寄せると、ラディスラスはもう後ろから感じない
気配に苦い笑みを浮かべた。
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