海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
20
※ここでの『』の言葉は日本語です
「王子がお戻りになられたのですかっ?」
「王子はどこにっ?」
「御無事なのですかっ?」
口々に訴えてくる兵士達に、イザークはシッと人差し指を唇に当てた。
ここは王宮内で、何時どこに王の間者がいるとも限らないのだ。
(こんな場所で味方を捜す私も私なのかもしれないがな)
現王、ジルベール・ライネに対して思うものがあり、前皇太子だったミシュアを新王にするという強い思いがあるものの、陰でこそ
こそと反旗を上げる者を捜すのは性に合わなかった。
もしかしたら、こうして話している会話も、ジルベールの耳には届いているかもしれない。
それでも、そのことを切っ掛けに、少しでも自身の所業を改めようと考えてくれたら・・・・・そう思ってしまうのは、今まで仕えてきた
情けが残っているせいなのか。
「王子は今身を隠されている。お身体の様子はかなり良い」
「そうか」
「良かった」
元々、ミシュアが国を出たのは静養のためという理由があったので、皆はまずミシュアの無事を喜んでくれた。
そして、次に話したこと・・・・・ミシュアを新王にしたいという話には、お互いの顔を見合わせて直ぐには返答が戻ってこなかったが、
イザークはこの国を救うためにも今動かなければならないと諭した。
「今ここで返事をしろとは言わない。だが、もう時間が無いのは確かだ」
「・・・・・」
「どうか、私のこの言葉を聞き、一緒に行動しようと思う者は声を上げてくれ」
頭を下げてそう言ったイザークは、今度は兵舎の方へと向かう。
(時間は、本当に無い)
少しでも早く味方を集め、決起しなければならないと思う反面、数年間仕えたジルベールに対しても複雑な思いが消えないイザ
ークだった。
役人が教えてくれた宿は、外見は周りとそれほど違わないごく普通の宿だったが、一歩その中に入ると物資的にかなり豊かだ
というのが見て取れた。
垣間見える厨房に山積みにされた食材とか、テーブルを飾る花だとか。椅子やテーブルも職人がきちんと仕事をしたものらしく、
ラディスラスは即座にここに決めたと言い放った。
「親父、今この宿に泊っているのは何人いる?」
「今はいないよ。うちは少々高いからね」
「そりゃ、都合がいい。しばらくここを貸し切りたい、これくらいで足りるか?」
袋から取り出してテーブルの上に置いた札束に、宿主の目が輝いた。
いくら他よりは裕福とはいえ、今のこの国で金を稼ぐのはかなり難しいはずだ。食事を外で済ませる素泊まりの客を数人泊めるよ
りも、こうしてまとめて金を払ってくれる団体客の方が嬉しいだろう。
「いいよ、何時までだ?」
「一応、滞在許可は30日だ。それ以上になるようだったら追加を渡すし、その前に旅立つにしても返金はいらない」
「ごゆっくり、どうぞ」
笑いながら言う宿主の現金さに笑い、ラディスラスは隣にいたラシェルに向かって頷いて見せた。
「部屋に案内してくれ、休ませたい病人がいる」
「こっちだ」
ミシュアを支えるように、アズハルと瑛生が付いて行く。その後ろ姿を見送ったラディスラスは、同じように一行に視線を向ける珠
生の肩を叩いた。
「俺達は出掛けるぞ」
「え?」
今から悪いことをするというのに、泊る宿は結構良いものらしい。
(なんか、こう・・・・・)
この国の王様を倒そうとしている自分達がこんなに堂々としていてもいいのかと思う。大体、この宿を紹介してくれたのは役人で、
そうなると自分達の居所は彼らに筒抜けということではないか。
(ラディは何か考えているのかもしれないけど、落ち着かないよなあ)
自分達だけでは無く、ラシェルや他の乗組員達も幾つかの班に分かれて町の中に散ったが、珠生は未だ何をするのかとラディ
スラスには聞かされていないままだった。
「ラディ」
自分が考えても何も浮かばないので、珠生はツンツンとラディスラスの服を引く。
「ん?」
「俺達、何するんだ?」
こうして2人で肩を並べて歩いて、いったいどんな影響があるのか?
「散歩」
珠生は他の者に聞こえないように小声で訊ねたが、それに対するラディスラスの返答はあまりに呆気ないものだった。
「サンポ?」
「そう。今日はお前の顔を色んな所で見せておく。黒い瞳の外国人がウロウロしているって思わせるんだ」
「・・・・・それで?」
「それだけじゃ寂しいんなら、ほら」
そう言って、ラディスラスは珠生の手を掴むとしっかりと握り締めてくる。
恥ずかしくて直ぐに振りほどこうとしたが、ラディスラスの手の力はあまりに強く、終いには珠生は諦めることにしてしまった。
やはり、ラディスラスの行動は謎だ。
周りが皆ミシュアや父のために動いているというのに、自分だけがラディスラスとこうして遊んでいてもいいのかと思うものの、珠
生はどうしても誘惑に勝つことが出来なかった。
「ふぁ、あふ、お、おいひぃ」
「慌てて食べるなよ」
甘いタレの匂いにつられて見れば、屋台で串焼きが売っていた。
他の町で見たものよりも肉が少し小さい気がするものの、その匂いは十分食欲を刺激してくれ、グゥと鳴った腹の虫にラディスラ
スに盛大に笑われた後、しっかりとその串焼きを2本買わせた。
肉が小さくても、焼きたてのそれは美味しい。少しピリ辛なのがまた良くて、珠生はご飯が食べたいと思わず声に出していた。
「そんなに美味いのか?」
「うん、ほら」
食べ掛けの串を差し出せば、ラディスラスは一瞬珠生の顔を見てからそれに齧りついた。自分よりも大きな口は、想像以上に肉
を持って行ってしまい、珠生は恨めしいという思いそのままの目で睨む。
「ラディ」
「美味いな、タマの言う通りだ」
「俺の肉・・・・・」
「宿に帰ったらきっと飯が用意されているぞ?とりあえず小腹が落ち着くほどの量で充分だろ」
言いたいことは、分かる。分かるが、認めたくなくて、珠生は残りの肉は死守しようと自分の胸の前にしっかりと引き寄せた。
頬を膨らませながら、珠生は肉を頬張っている。
子供っぽいその仕草に笑いながら、ラディスラスは素早く周りに視線を向け、その反応に・・・・・うっすらと頬に人の悪い笑みを浮
かべた。
(思った以上の反応だな)
多くは無い人波の中だ、珠生の目の色は予想外に目立つ。
闇のように綺麗な黒い瞳に、あまり見ない白い肌。珠生のどこか異質な感じのする容姿にぎょっとした男が慌てて振り返る様子
に、ラディスラスはくくっと笑い続けた。
数日、こんな風に目立って歩けば、やがて自分達のことが現王の耳に、いや、そこまで届かなくても、ある程度城の上の人間
には知られるだろう。
そして、必ず接触をしてくるはずだ。
「お前達は、エーキの関係者か」
そう言われて、珠生は動揺するだろうか。
(昔王子を誑かした黒髪に黒い瞳の男。その男と同じ目の色の人間が自国に現れたら、必ず王は動揺するはずだ)
後は、珠生が勝手に暴走しないように見張っていればいい。向こうの出方次第で、こちらもその先の作戦を変更しなければなら
ない。
そして・・・・・。
「タマ、バクダンの材料も探してくれ」
「ふぁ?」
「一応、こちら側の武器も用意しておきたい」
「・・・・・危ないことはない?」
もちろん、ラディスラスも余計な殺生はしたくは無いが、ある程度の境で決断もしなければならないと考えている。
(・・・・・タマには言えないがな)
「ラディ」
「大丈夫だ」
「・・・・・ホントだな?」
「俺がお前に嘘を言ったことがあるか?」
正直に言えばあるのだが、素直な珠生はそれほど言うのならと早速バクダンの材料を探してくれた。
何だか騙しているようで心苦しいが、ラディスラスは出来るならばそれが自分の取り越し苦労であればいいなと思うのも本当の
気持ちだった。
それから毎日、珠生とラディスラスはレティシアの町中を目立つように歩いた。
時折、珠生はラディスラスの注文で日本語で話し(独り言を言っているようで恥ずかしい思いもしたが)、宿に戻れば手先が器用
なアズハルに手伝ってもらって爆弾を作った。
今回は町中なので火薬の量は減らしたものの、どうかこれを使うことが無いように・・・・・そんなことを思ってしまう。
「なあ、ラディ」
「ん?」
「イザークの方はどうなんだ?」
「さあ、どうだろう」
答えてくれないラディスラスに文句を言おうとした時、それまでのんびりと歩いていたラディスラスの足が止まり、不意に珠生の腕
を掴んで自分の背にその姿を隠した。
「な、何・・・・・」
「黙っていろ」
動くなよと言うラディスラスの気配が途端に厳しいものになる。
珠生がその急激な変化に戸惑う間もなく、四方から現れた幾人もの兵士達の姿に思わず息をのんだ。その兵士達の手には剣
が握られており、それは明らかに自分達に向けられているのだ。
「物騒だな。この国は観光客にいきなり刃を向けるのか?」
こんな状況にラディスラスは慣れているのかもしれないが、珠生はやはり命の危機というものには弱く、どうしても足が震えてし
まう。ただ、この場で倒れてしまうのはさすがにみっともないと思うので、縋るようにラディスラスの服を掴んだ。
「聞きたいことがある」
兵士の中から、1人の男が歩み出た。
ラシェルやイザークと同じ黒髪は緩やかに波打って背中まで伸び、眼差しは深い碧の瞳。顔のパーツが一つ一つ大きくて男らし
い容貌だが、その眼差しは厳しくてとても友好的だとは思えない。
(睨んでるよ・・・・・)
「このまま宮殿に来てもらおう」
「嫌だと言ったら?」
「息をしていなくても良いという命を受けた」
「う、うわっ」
その物言いに思わず声を上げてしまった珠生に、男はようやく視線を向ける。
「・・・・・黒い、瞳か」
「・・・・・っ」
(だ、だから、その声が怖いんだって〜)
冷たく、暗い目。ラシェルともイザークとも違う男の様子に、珠生は不安を消し去ることが出来なかった。
![]()
![]()