海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
イザークの説明は、かなりの部分ラディスラスに補足してもらわなければ分からないものだった。
それでも、今のジアーラの貧しさの間接的な原因が父にあるということはおぼろげながら分かり、珠生は複雑な思いを抱いたまま
考えた。
もちろん、今の王が悪いのは確かだと思う。ミシュアを追い出してまで王座に就いたというのに、私欲に走って国民の側を見ない
ということがまずおかしい。
自然災害も重なって、それはさらに悪い方向へと進んでしまったらしいが、どうしてもっと早くイザークや王の周りの人間は彼を諌
めようとしなかったのだろうかというのも不思議だった。
「今、国民の間では王に対して反旗を翻そうとしている者が多数おります。今は辛うじて抑えていますが、抑え切れないほどの
大きなうねりが、もうすぐそこまで来ているのです」
「ハーキ?」
「王を追い落とそうとしているってことだ。それ程、今のジアーラは飢えているらしい」
淡々と説明してくれたイザークに、珠生は思わず口を滑らしてしまった。
「お金、無いんだ」
「タマ、あのな」
思った以上に響いてしまった自分の声にラディスラスが呆れたように声を掛けてくる。
一瞬、失敗したかと思ったものの、それでも今の言葉は自分の正直な気持ちだった。王が悪いから国が貧しく、国が貧しいから
国民が飢えて、王を追い落とそうとしているのならば。
「この間のべ、べ・・・・・」
「ヴィルヘルム島か?」
「そうっ、その島から見付けた石、あの石をもっと見つけたらいいんじゃないっ?」
「あー、いや、まあ、そうなんだが・・・・・」
「やってみなくちゃ分かんないだろ」
「タマ」
「今度は、金が出ちゃったりして!そーなったら、少しはじょーきょーも変わるだろ?」
口に出して言えば、それが一番良い方法のような気がした。
元々あの島はジアーラ国にあり、堂々と自分達の権利として見つけたものを国のために使えるはずだ。他国が文句を言うわけで
なく、自分達の中で解決出来るならばそれこそ何の問題も無い。
「タマ、石というのは?」
その時、ミシュアが訊ねてきた。そう言えばまだヴィルヘルム島で何が見付かったのかは話していなかったと(父には説明してい
たが)、珠生はポケットに入れていた石を手に取り、ベッドに近付いてミシュアの膝の上に置いた。
「これは・・・・・」
「見付けたんだ、なっ?」
珠生はラディスラスを振り返る。細かな説明をしてくれるよなと笑顔に込めて訴えれば、大げさに肩を竦めながらもラディスラスは
自分に代わって島で何があったのかを話し始めた。
ヴィルヘルム島で宝石の原石を見付けたという話に、ミシュアも驚いて目の前の石を見下ろしていた。
「あの島に、こんなものが・・・・・」
「俺達が見たのは一つの洞窟だけだし、探せばもっとあるかもしれない。ただ、あの場所限定ということもあるし、確定的ではな
いな」
可能性は否定出来ないが、それでも一国の財政に係わることに断言は出来なかった。そんな自分に珠生は不満そうな表情に
なっているが、仕方が無いだろうと思う。
「元々、ジアーラには島が多いよな。こんな石があると噂でも聞いたことが無かったか?」
「私はなにも・・・・・。元々ジアーラは観光で収入を得ている国でしたので」
「前王は知っているのかな」
「父上・・・・・さあ、どうでしょうか」
自分の父の話題になって、ミシュアの顔色はますます冴えない。我が子に毒を盛られて王の座を辞したという噂のある父が今
どうなっているのか、想像するのも怖くなってしまったのかもしれない。
「イザーク、前王は生きてるのか?」
第三者の自分が聞くべきことではないかもしれないが、切り出すのは自分しかいないように思えた。
「・・・・・臥せっておられる」
「イザーク、それはっ」
「申し訳ございません、ミシュア様。再会した折、直ぐにお伝えしなければならないことでしたが、王子ご自身の体調も思わしく
なかったことから切り出すことが出来ず・・・・・」
「・・・・・」
(まあ、そうだろうな)
イザークがミシュアと再会した時、ミシュア自身が生命の危機に陥っていた。いや、医師が見付からなかったら、多分ミシュアの
命も短いものになっただろうと思う。
そんな時に父親である前王の不遇を聞いてしまえば、さらに容態が悪く、命を縮めてしまうことにもなりかねなくて、イザークが口を
噤んでしまうのも仕方が無かった。
「父上は、生きておられるのですね?」
「先日、私のこの目で拝顔致しました」
「ご容態は?」
「・・・・・思わしくございません」
「・・・・・そう」
それは明らかに異母弟である現王のせいだが、ミシュアの苦痛の表情は自身を責めているからだろうとラディスラスは分かった。
次期国王としての教育も受けてきたであろうミシュアの責任感は強いはずだ。今のイザークの説明を聞いた上でどう答えを出すの
か、ラディスラスはしばらく口を噤んで俯き加減の白い横顔を見つめた。
瑛生を愛したことに後悔はしていない。
そのために皇太子の地位を奪われ、国を追い出されてしまったことも、全てが運命だと思って受け入れることが出来た。
自身の身体が弱り、生命の危機を招いたことも、そんな自分への罰だと覚悟を決めていたが、今自分は命を永らえることが出
来、愛する人の側にいる。
このまま、静かに生活をしていきたいという思いは強い。強いが・・・・・。
「・・・・・イザーク」
自分の出す決断にミシュアは後悔しないし、瑛生もきっと、受け入れてくれると思った。
「イザーク」
俯いていたミシュアが顔を上げ、イザークを真っ直ぐに見つめている。
(なんか、変わった?)
一瞬の間に、ミシュアの表情がガラリと変わったような気がして珠生は戸惑った。先ほどまでは弱々しく、こちらが守ってやらなけれ
ばと思ってしまうほどに儚げな表情をしていたのに、今のミシュアは毅然とした、どこか近寄り難いほどの威厳に満ちていた。
「私はジアーラに戻ります」
「王子!」
「私は皇太子の地位を奪われても、国を追われても仕方が無いと思っていました。それでジルベールが立派に国を治めてくれて
さえいれば、誰も私の帰国など望まなかったでしょう」
「・・・・・」
「しかし、あれ程王座を望み、その思いのままジアーラの王となったジルベールが国を衰退させたとあっては、私はこのまま黙って
見ているわけにはいきません。どれ程非難されようと、罵倒されようとも、私は祖国に戻らなければならない」
「お、おーじ」
珠生は思わずミシュアの手を掴んでしまった。今目の前にいるミシュアが、自分には全く手の届かない存在になってしまったよう
に見えたからだ。
「とーさんは?」
(父さんとは、どうするつもり?)
2人の仲を複雑な思いで見ていたが、それでも離れてしまえばいいなんて思ってはいない。
「タマ」
そんな珠生に、ミシュアはもう片方の自分の手を重ねて言った。
「エーキは私の大切な人です。エーキと出会えて、私は人を愛するということを知りました」
「じゃ、じゃあっ」
「しかし、私はジアーラの王族です。たとえ今はその身分が無いとしても、本質に変わりはありません。タマ、私はあなた方のおか
げで、この命を永らえることが出来ました。今度は私が祖国のために、この命を懸けなければなりません」
「・・・・・っ」
(それじゃ、父さんはっ?ここに置いて行くって言うのかっ?)
ミシュアが王子として自分の国を大切に思うことはよく分かる。しかし、その国を捨てたのは父のためで、その父は今ミシュアの側
にいるではないか。
(どうして一緒にって言わないんだよ!)
それを言うのさえ我が儘だとでも思っているのか、ミシュアは珠生が焦れていてもその後父の名前を口にすることは無かった。
『父さん!』
ミシュアがイザークと帰国について話し合うことになり、他の者達は階下に戻ることになった。
珠生は前を歩く父の名を思わず日本語で呼んでしまい、じれったい気持ちをどう伝えていいのか分からないまま、腕を掴んで激
しく揺すりながら言った。
『どうして一緒に行くって言わなかったんだよ!』
『珠生』
『王子1人で国に帰すつもりっ?』
『落ち着きなさい、珠生』
苦笑して言う父は、ミシュアの言葉に少しも動揺した様子は見せなかった。
まるでミシュアがああ言うのが分かっていたかのように諦めた表情で、そんな表情をする父を見ていられない珠生はどうしてとさらに
問い詰める。
『一緒にいたいんじゃないのっ?だからっ、俺を置いてこっちの世界に来たんだろっ?』
『・・・・・っ』
『俺よりミシュアを選んだくせに、今になって別れるって言うのかよ!』
自分を見下ろす父の表情が青褪めたのが分かったが、珠生は口から出てしまった言葉を今更撤回することが出来なかった。
いや、今の言葉は心の中のどこかにずっとくすぶっていた思いなのだ。
(こんなことっ、言いたくなかったのに!)
父に愛されていなかったとは思わない。母が死んでからもその前も、ずっと自分を愛し、守ってくれていた。
一度目にこの世界に来てしまったことは避けようの無い運命だったかもしれない。それでも、一度もとの世界に戻ってきて、その後
再びこの世界に来たのは父の意志だ。
『珠生・・・・・』
『・・・・・っ』
父が謝罪しようとする気配が分かり、珠生は思わず手を離して逃げ出した。父に謝られたら、こちらが謝ることが出来ない。
それが嫌で、珠生は外に飛び出した。
家の側の大きな木の下で、珠生は足を抱えたまま俯いていた。
父に酷いことを言い、謝らずに逃げ出してしまった自分が情けなくて・・・・・それでも、今戻って謝ることはおろか、顔を見るのも怖
いと思ってしまう。
「凄い親子喧嘩だな」
「・・・・・っ」
唐突に声がしたかと思うと、隣に誰かが腰を下ろす気配がした。こんなに側に来るまで全く気づかなかった気配の主は、何時も
のようにからかう口調で言葉を続ける。
「まあ、お前が一方的に文句を言っていたようだがな」
「だって・・・・・」
「ん?」
「だって・・・・・っ」
「何でも言え。どんな事情があっても、俺は全面的にお前の味方だ」
「・・・・・俺の方が悪いの!」
思わずそう叫ぶと、大きな手がポンッと頭を叩いた。
「じゃあ、謝ればいいだろ」
「・・・・・すごく、ひどいこと・・・・・言った」
思い返すだけで自分も泣きたくなってしまうが、言われた父はもっと辛くて・・・・・泣きたいと思っているはずだ。
(父さんが俺を捨てたなんて、そんなこと思ってないのに・・・・・っ)
結果的に、父は再びこの世界に来てミシュアと再会したが、恋人同士という関係にはなっていなかった。それは元の世界に置い
てきた自分への償いからだと珠生は感じている。
身体が弱っていき、ただ死を待つだけだったミシュアの側にいて、その責任の重さを背負っていた父の時間を考えれば、向こうの
世界で周りに大切にされてきた自分が不幸だったとは思わない。
「・・・・・どうしよ・・・・・」
どう父に謝罪すればいいのか分からなくて、珠生の言葉はとても弱々しい響きになった。
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