海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「王子?」
 軽く扉を叩いて部屋の中に入ったラシェルは、寝台に横になっていると思っていたミシュアが起き上がって窓の外を見ている姿を
見付けた。
 「お休みにならなくてよろしいのですか?」
 「ええ。もう、ゆっくりと休ませていただいたし。それに、私は船を下りてからここに歩いてきただけで、疲れるようなことは何もしてい
ないのですよ」
 苦笑しながらそう言うが、ラシェルはミシュアが精神的に疲れている様子が見て直ぐに分かる。
小さな窓から映る祖国の風景を、ミシュアはどんな思いで見つめているのかと思うとラシェルの胸も苦しくなるが、ここで下手な慰
めの言葉を言ってもミシュアの気持ちは変わらないだろう。
(こういう時にラディがいればな)
 人の気分を向上させるのが得意なラディスラスがここにいれば、少しはミシュアの気持ちも浮上すると思うのだが、当のラディスラ
スは偵察という名目でここ数日、珠生と町に出掛けている。
 今の状況で、ただ遊んでいるとは思わないが、なかなか話が前に進まないだけに、ラシェルも内心焦っていた。
 「ラシェル」
 「はい」
その時、急に声を掛けられたラシェルは慌てて視線をミシュアに戻す。
 「帰ってきませんね」
 「は?」
 「何時も、昼には一度戻ってくるのに・・・・・」
 「・・・・・そう言えば」
 時刻は既に昼時を大きく超えているはずだ。
 「遅いですね」
何時も腹が減ったと大きな声で帰ってくる珠生。屋台よりも宿の飯が美味いからと、三食は欠かさずに宿でとっていたというのに、
今日は朝出掛けてからまだ一度も姿を見せない。
 「・・・・・大丈夫でしょうか?」
 振り向いたミシュアの眼差しは不安げで、ラシェルは自分の胸の内もざわめくのを自覚した。それでも、今ミシュアに対して心配
だと言うことは出来ない。
 「ラディのことです、心配は無いでしょう」
 「・・・・・それならばいいのですが・・・・・」
 ラシェルもミシュアの隣に並び、同じように宿の前の道を見下ろす。
(何も無ければいいが・・・・・)
ここは敵地の真っただ中だ、無茶をしていなければいいとラシェルは祈った。




 王宮内が騒がしい。
イザークは協力者を求めて歩く足を止めた。
(何かあったのか?)
 ここ数日、ずっと同志を集めて回っていた時とは違う、何か慌ただしい気配。そろそろ自分の行動が王に知られる頃かと、イザー
クは腰の剣に無意識に手をやった。
ここで仲間を斬りたくは無いが、自分が拘束されてしまってはミシュアの即位が遠のいてしまう。どうすればいいのか、悩み続ける
イザークの耳に、召使達の興奮したような会話が聞こえてきた。
 「えっ?黒い瞳の男がっ?」
 「それって、ミシュア王子を誑かした奴かっ?」
 「それが、まだ子供のような外見らしいぞ」
 「・・・・・っ!」
(タマかっ?)
 瑛生以外で、今このジアーラに黒い瞳をもつ人間と言えば1人しかいない。
イザークはラディスラスに指示されたことを忠実に守り、今彼らの泊っているはずの宿にも顔を見せてはいなかったが、あの男のこ
とだ、きっと上手く話は運んでいると信じていた。
 しかし、そのラディスラスと一緒にいるはずの珠生が捕らわれてここに連行されたとしたら?召使達の話は伝聞で、自身の目で
確認した様子ではないが、珠生ではないとしても、誰かが捕らえられたというのは事実のようだ。
 「・・・・・っ」
 海が領分のイザークが、陸の、それも王宮内の話に首を突っ込むことは難しいものの、それでも現状を確認しなければと、
 「おい、待てっ」
今目の前を通った召使の後を急ぎ足で追い掛けた。




 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(見、見られてる・・・・・気まずい)
 珠生は自分を見下ろす、あの長髪黒髪の男からギクシャクと顔を逸らした。
質問でもあればいいのだが(それでも答えることは出来ないが)、ただじっと見られているというのも苦痛で仕方がない。それでも、
手を後ろ手に拘束されているラディスラスよりはましな扱いかもしれなかった。

 「おい、そんな見るからに弱そうな子供にまで縄を掛けるのか?」

 挑発めいた言葉にラディスラスは一発殴られてしまったが、そのおかげか珠生は手を縛られることもなく、ただあの厳しい眼差し
の男にピッタリと横に付いてしまわれ、ここまで連れて来られた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 言葉が分からないという設定なので話し掛けることも出来ず、珠生はただ踏み固まってしまったらしい硬い砂の上に座っている
しか出来なかった。
 「・・・・・」
(でも、いったい何時までこの体勢?)
 時計が無いので時間は分からないが、もう何度も足が痺れて、治ってと繰り返されている。
30分はこの体勢でいるのではないだろうかと思っていると、男が近くの部下らしい男に向かって言った。
 「王は?お知らせしたのか?」
 「は、はいっ、レオン様が戻られまして直ぐにっ!」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(それで、まだ現れないって?なんだ、それ)
 王様としての危機管理が全く無いと内心憤っていた珠生をちらりと見た男は、その隣にいるラディスラスの前に立った。
 「私はレオン・ストラー、この国で陸士大将を拝命しているものだ」
 「・・・・・」
(りくし?何、それ?)
聞いたことの無い単語に、珠生は首を傾げた。




(へえ、こいつが)
 海を任されているイザークと相対する、陸上を任されている男。この男、レオンもかなり若いなとラディスラスは感心したような眼
差しを向けた。
単に人材がいないのか、それとも実力主義なのか。後者とすればなかなか人を見る目があるのではないかと思える。それほど、
ラディスラスから見てもレオンという男は油断ならない人物に思えた。
 「お前は?」
 自分が名乗ったのだから、お前もということなのか。騎士ならばその交換条件も当てはまるかもしれないが、あいにく自分は性
質の悪い海賊だった。
 「名乗るほどのものじゃないが」
 「・・・・・名が無いというのか?」
 「あんたが聞きたいのはそんなことじゃないだろう?」
 単なる旅行者であるはずの自分達が、こんな風に無理矢理王宮に連れてこられた理由。
 「こいつの目の色が気になった?」
ラディスラスが珠生に視線を向けて言えば、レオンの視線も自然に珠生へと向けられた。
思った以上に効果的にこの王宮内に自分達のことが知られていたのだなと、ラディスラスは少し笑いたくなったが今は我慢をしな
ければならない。
 「この者の国は?」
 「さあ?」
 「親はどこにいる?」
 「分からんな」

 シュッ

風を切る音がして、一瞬のうちに首筋に剣の刃が付きつけられていた。
案外短気なのかと呑気に考えている間もなく、チクッとした痛みを喉元に感じる。気を抜けば、直ぐにでも首と胴体が切り離され
てしまうのだろうが、ラディスラスは目の中に怯えを浮かべなかった。
 剣など、恐れることは無い。何より、珠生を1人ここに残して先に死ぬわけがない。
 「分からないものは答えられない。それとも、あんたには黒い瞳をもつ者に心当たりがあるのか?」
 「・・・・・」
グッと、さらに強く切っ先が押し付けられた。
 「ラ・・・・・ッ」
 焦ったらしい珠生が今にも自分の名前を言おうと口を開き掛けた時だ。
 「そこで何をしているんだ、レオン」
厳しい口調でそう言いながら姿を現したのはイザークだった。
(おいおい、登場が少し早いって)




 召使から、怪しい者を連れてきた人物の名前を聞いて、イザークは直ぐにこの兵士の鍛錬場を思い浮かべた。
周りは高い石塀で囲まれ、足元は砂地であるため、血で汚れても構わない場所。陸士大将レオンの縄張りであるその場所に、
怪しい人物・・・・・ラディスラスと珠生は連れ込まれたのだろう。
 急いで駆け付ければ、目の前ではラディスラスが首筋に剣を付きつけられている。イザークは止めるしかなかった。
 「・・・・・イザーク」
 「何だ?」
 「この者達の滞在許可を出す時、あなたが同行したと聞いたが」
 「・・・・・」
 「係わり合いを話してもらいましょうか?」
 「・・・・・お前に話すようなことは無い」
2歳年下のこの男は、ジルベール自らが召し上げて今の位に就いた。だからか、ジルベールに対する忠誠心はとても深く、それは
利益を介さないだけに厄介なものだ。
(今はこの2人を、早くこの場から逃がさなければ)
 ラディスラスはともかく、不安げな珠生はとても可哀想で、イザークはさらに言葉を継ごうとしたが。
 「・・・・・っ」
(遅かったか・・・・・っ)
突然、鍛錬場の門が大きく開かれ、幾人もの衛兵達が続々と入ってきた。
男達はほぼ中央にいた自分達の直ぐ傍まで来ると、綺麗に二列に割って向かい合う。その空いた道を、ゆっくりと歩いてくる逞し
い身体の持ち主。
 「レオン、それが黒い瞳の持ち主か」
 「はい」
 「・・・・・あの男ではないな」
 「い・・・・・っ」
 珠生の直ぐ傍までやってきた男は、無遠慮に細い顎を掴み、上を向かせた。
その動きに苦痛を感じた珠生の顔が少し歪んだが、男は一向にその手を離さないまま、じっと珠生の顔を見つめる。
 「・・・・・だが、似ている」
 「王」
 「名は聞いたか」
 「それが・・・・・」
 「話さないのなら、話したくなるようにすればいい」
ミシュアよりも濃い色の髪と、青みがかった碧の目を持ち、鍛錬している兵士と見紛うばかりの身体つきをしている男。
暗い眼差しはどこか陰鬱で、それでいて強い光を持っているこの男が、今のイザークの主、ジアーラ国の現王、ジルベール・ライ
ネだった。