海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
ラディスラスと珠生の不在をアズハルに伝えると、アズハルも同じように空を見上げた後におかしいですねと呟いた。
「いくら自由に歩き回っているとはいえ、定期的な連絡をしてこないというのは彼らしくありません」
「・・・・・何か、あったのだろうか」
ミシュアに心配を掛けてはならないと、2人は1階の食堂で話をしていた。
ここはラディスラスが貸切にしているし、今は宿主もいないので込み入った話も出来る。
「ですが、誰からも連絡は無いのでしょう?」
「・・・・・」
「もしも2人に何かあったとしたら、今町中に散らばっている者達の誰かの耳に入ってもおかしくはないはず。だとすれば、誰にも
見られないほどに突発的なことがあったのか、もしくは・・・・・ただ単に、タマとイチャついているのか」
「こんな時にか?」
「ラディには常識が通用しないでしょう?」
苦笑するアズハルに、ラシェルも少し笑みを浮かべたが、それでも妙な胸騒ぎがしてしまうのだ。
ラディスラス1人ではなく、そこに珠生がいるからこそ、余計に心配になってしまうのだが・・・・・それは自分だけではなくアズハルも同
じらしい。
「イザークに連絡を取ることは出来ませんか?彼ならば何か知っているかもしれません」
「イザーク、か・・・・・」
この国を出て数年経つものの、捜せば親しかった者はまだ残っているはずだ。
その者に、イザークでなくても、レイモンかダリルと連絡を取ってもらえれば、少しは事情が分かるかもしれない。
「アズハル、王子を頼む」
「気をつけて。焦ってはいけませんよ」
「ああ」
ここまできて、自分が皆の足を引っ張るわけには行かない。
一瞬、ミシュアに一言声を掛けてから出た方がいいかとも思ったが、少し考えたラシェルはアズハルにもう一度ミシュアのことを頼む
と、足早に宿を出て行った。
(この人が、ミシュアの弟?)
確か一歳違いだと聞いたが、外見だけを見ればこの弟の方が年上に見えてしまう。
人形のような可憐な容姿のミシュアとは違い、線が太く、男らしい容貌の男。けして不細工ではないのだが、ミシュアと比べると王
子というよりは武人といった雰囲気だった。
「名前は?」
「・・・・・」
「私に教える必要などないということか」
口元を歪める男は、何だか卑屈そうだ。
(なんか、居心地悪い・・・・・)
珠生は手を伸ばして自分の顎を掴んでいる男の手を離そうとしたものの、妙に強い力はビクともしない。
(あ、顎に痣が出来るじゃんっ!)
痛みに、我慢出来なくなった珠生が声を上げようとした時だ。
「おい」
横にいたラディスラスが、剣を突きつけられた格好のまま男に話し掛けてくる。
「そいつは言葉が分からない。聞きたいことがあれば俺に言ってくれ」
「・・・・・」
男の眼差しが、珠生からラディスラスに向けられた。自分を見ている目も冷たいと思っていたが、ラディスラスに向けられるそれはま
さしく殺気だ。
大丈夫なのかと声を掛けようとする珠生を眼差し一つで黙らせたラディスラスは、そのままゆっくりと目を細めて見せ付けるように
笑った。
ラシェルやイザークから聞いた話で想像していた王、ジルベール・ライネ。
片親とはいえ、血の繋がった兄を追い落とし、自身が王座に就いた男は、どれ程傲慢で、冷徹な男だろうと思っていたが、その
予想は悪いことに当たったようだ。
何よりも、向けてくる眼差しがあまりにも冷たい。人を人と思わず、自分自身しか信じないとでもいうような視線に、ラディスラス
は自分も腹を据えて話しかけた。
「俺達は旅行するためにこの国に来た。こんなふうに拘束されるいわれはないな」
「・・・・・そのような挑発的な目をしてか?」
ジルベールがクッと笑う。
「とても、無能な旅行者には見えないが」
「・・・・・」
(おいおい、自国に来た旅行者を無能というか?)
「どう思われても結構、それが事実だ」
「・・・・・では、イザークとの関係は」
許可証を貰い受ける時についていくほどに親しいのではないかという意味だろうが、ラディスラスはチラッとイザークに視線を向けて
から首を横に振る。
「あいにく、友好的な関係じゃない」
「・・・・・」
「想像が付いているらしいから言うが、俺は少々脛に傷を持つ男だ。だが、愛するそいつを楽しませたいと各国を旅行するのが
好きでな。海で出会ったそいつに少々金を握らせて、簡単に入国出来るように取り計らってもらった」
「な・・・・・っ」
実直なイザークはその理由に思わず反論しようとしたようだが、イザークはわざと大きな声でそうだろうと念を押した。
「ご立派な海兵大将殿も、金には飢えているらしい」
「・・・・・それは、まことか、イザーク」
ラディスラスの言葉を全て信用してはいないだろうが、あまりにもはっきりと言い切るので確認のために声を掛けたのだろう。
素直に考えれば、真面目なイザークが金を貰って口利きをするなど考えられないのだが、ジルベールはそれほど臣下を信用はし
ていないように見えた。
「・・・・・っ、申し訳ありません」
是非を言わず、イザークはそう言って頭を下げた。
それは、臣下として王を裏切る行為をしていることに対する謝罪なのだろうが、不審者の言葉を認めてしまったイザークに、ジルベ
ールは暗い笑みを向ける。
「お前も、腐ったか」
「・・・・・っ」
興味を失ったのか、ジルベールは珠生の顔から手を離して立ち上がった。
国内に不審者がいるということよりも、生真面目な臣下が自分の立つところにまで堕ちたことが楽しい・・・・・そんな表情だった。
「レオン、もうこの者達に用はない」
「王!」
しかし、興味をなくしたジルベールとは裏腹に、レオンは恐れながらと立ち去ろうとした彼を呼び止める。
「この男は真実を言っていないと思います。それに、この者の瞳は・・・・・っ」
「口を慎め、レオン」
「・・・・・っ」
「兄はもうここにはいない。拘束していた離宮も逃げ出したと聞いた・・・・・きっと、あの不審な男を思いながら命を終えた違いな
いのだ」
そう言い捨てたジルベールは背中を向けて歩いていく。
多くの取り巻きが扉の向こうで待ち構えていたが、ジルベールの顔は少しも笑っていなかった。
絶対に逃がしてはならない。
レオンの野生の勘がそう教えてくれるのだが、ジルベールがそう言うのならば何時までも無関係な者を王宮に止めおくことは出来
ない。
それでも、この男は危険な匂いがして、何もせずに解放するのはとても・・・・・。
「・・・・・名前は、まだ言えないのか」
生まれはおろか、名前までも言わずにいるのかともう一度視線を向けると、男は少し考えて・・・・・ラディスラスと答える。
「ラディスラス?」
「ラディスラス・アーディンだ」
「・・・・・本名か?」
「わざわざ偽名を名乗る意味も無い」
(・・・・・どうやら、嘘ではないようだな)
どこかで聞いたような名前だが、直ぐに脳裏には浮かんでこなかった。
何かが引っ掛かるような思いを抱いたまま、レオンの目は再び珠生へと向かう。
「この者は」
「・・・・・」
「・・・・・」
辛抱強く待つと、根負けしたように男、ラディスラスは口を開いた。
「・・・・・タマ」
「タ、マ?」
「可愛い名前だろう」
人の名前にどうこう思うこともないが、聞いたことのない珍しい名前だ。
(たしか、あの男・・・・・エーキの名前も珍しいものだった。本当にこの2人には何の繋がりもないというのか?)
黒い瞳を持つ者はこの世界には存在しないといわれているほどで、偶然に何の関係もない2人がその珍しい黒い瞳というのだ
ろうか?
ただ、それを追求するには、ジルベールの地雷を踏むことになってしまう。今でも国民の間では元皇太子だったミシュアの人気
は高く、彼が王だったらと口にする者も公然といるのだ(その者は当然罰を与えられたが)。
「・・・・・」
「・・・・・」
レオンはタマの顔を見つめる。記憶の中にあるエーキの黒い瞳より、もっと闇に近い黒い瞳。じっと見ていると吸い込まれてしまう
錯覚に陥りそうだったが、そんなレオンの意識を引き戻したのはイザークだった。
「この者達を解放してもいいな?」
「・・・・・」
「レオン」
「・・・・・私は、納得したわけではない」
監視をつけ、何か怪しい動きをしたならば、問答無用で拘束する。
その時にこそ、この黒い瞳の正体を聞き出してやると、レオンは剣を納めて背中を向けた。
(・・・・・激しい人だな)
珠生は剣を突きつけられたわけではなく、ジルベールの方が印象が悪かったので、レオンに関してはただそんな感想を抱いた。
しかし、何度も何度も名前を問われた時は、思わず口が開きそうになってしまった。
(俺って、顔が良い奴に弱い・・・・・?)
「タマ、大丈夫か?」
じっと考え込んでいると、イザークが怖がっていると思ったのかそう声を掛けてくれ、ポンポンと背中を叩いてくれる。
辺りに誰もいないことを確認してから(さすがにそれくらいは考える)、珠生は大丈夫だからと心配してくれたことを感謝した。
「ラディ、イザークが来てくれなかったらどうする気だったんだよっ」
「何とかするつもりだったぞ」
「ホント?」
「ああ」
簡単に答えるからこそ疑いたくなってしまうが、結果的に助かったのだからこれ以上ここにいても危険が去らない気がする。
「じゃあ、早く出よう」
そう言って、珠生はラディスラスの拘束を解いてやろうとするのだが、どんな結び方をしているのか、縄はますます強く締め付けた。
見かねたイザークが、剣で縄を切ってくれる。ラディスラスはようやく自由になった腕を摩りながら、気難しい顔をしているイザークに
言った。
「イザーク、あの王様・・・・・危ないな」
「ラディ?」
早速ここから出ることしか考えていなかった珠生の耳に、ラディスラスの珍しく硬い口調の言葉が届く。
(あぶない?)
あの王様がどんな風に危険なのだろうか、珠生もラディスラスの顔を見上げた。
「ラディ、それは・・・・・」
「王として、この国を守ろうという気持ちが全く見えない。いや・・・・・、自らの手で破壊しようとしていないか?」
「・・・・・っ」
イザークの顔が真っ青になる。
「もしかしたら・・・・・この国を売り渡すことを考えていたりしてな」
それは王として絶対にやってはいけない行為だということを、珠生はまだ理解出来ないでいた。
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