海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「タマ!!」
「ひゃあっ?」
ドアを開くなりいきなり名前を呼ばれ、珠生は思わず両手で耳を塞いでしまった。
(な、何なんだ?)
特に怒られることはしていないはずと考えていると、直ぐに抱きしめられる。
「ア、アズハル?」
「・・・・・良かった、無事で」
「ぶ、ぶじ?」
いったい、何がどうなっているのかと混乱している珠生とは別に、後ろから宿の中に入ってきたラディスラスはラシェルに襟首を締
められてしまった。自分とは全く待遇が違うが、とりあえずあれが自分でなくて本当に良かったと思う。
(でも、ラシェルがあんなに怒るなんて・・・・・)
ミシュアのことに関しては人が違ったように熱くなるラシェルだが、ラディスラスに対しては常に冷静であったように思う。
自分が知らない間に、これほどラシェルを怒らせるようなことをしたんだろうかと、珠生はアズハルの腕の中から何とか頭だけを動か
して言った。
「ラディ、ラシェルにあやまったら?」
「何を?」
「何かは分からないけど、ラシェル、怒ってるよ」
「・・・・・お前、何も分からないくせに頭を下げろというのか?」
呆れたような、いや、何だか疲れた感じのラディスラスにおやと思うものの、ラディスラスとラシェルのどちらが正しいかと言われたら
ラシェルと即座に答えられる。
それほど、日頃の行いが悪い男なのだ。
「ラディ、俺もいっしょにあやまってやるから」
珠生の言葉に、ラディスラスは笑うしかなかった。
ラシェルがこれほど怒っているのは自分達がこの時間まで・・・・・日が暮れるまで一度も連絡をしなかったからだろうし、その間きっ
と何かあったのだと見当をつけているからだろう。
自分のやり方が無茶だとは分かっているし、それに珠生もつき合わせてしまったことは確かに少し反省しなければならないかもし
れないが、どうしても珠生を離したくないのだから仕方が無い。
「ラシェル」
「・・・・・何があった?」
「少し、いいか」
話をするといった雰囲気を見せると、ラシェルはようやく手を離した。
「ラディッ」
「お前は先に飯食っていろ。さっきからグーグー煩かったぞ」
「う、嘘だ!」
喚く珠生に本当だと言いながら、ラディスラスはラシェルを促して2階へと上がった。
ラディスラスの話を、ラシェルは黙って聞いていた。いや、何か言おうと思ったのかもしれないが、真っ青な顔色になってしまった今
言葉を発することも出来ないのかもしれない。
(まあ、無理もないか)
ラシェルが話してくれた数年前のジルベールと、今自分が話した彼の落差があまりにも大きいのだろう。
「本当、なのか?本当にこの国を・・・・・」
「いや、それは単に俺が感じたことだが、どちらにせよ、国を再興させようという気力は全く感じなかった」
主観だが、冷静な目で見る者があの場にいたら、多分自分の言葉に同意してくれると思う。
そして、その場にいなかったはずのラシェルは・・・・・その言葉を真実だと思って受け止めている。
(昔から、その気はあったってことなのか・・・・・)
「・・・・・」
「面影もあまり似ていなかった」
誰にとは言わないまでも分かったのだろう、ラシェルは拳を握り締めたまま呻くように言葉を押し出す。
「あの方、は、王に似ておられるんだ。王子は、王妃様にそっくりで・・・・・」
「それ、無意識なのか?」
「え?」
「お前がミュウを王子と呼び、王を敬称で呼ばないこと」
「・・・・・分からない。意識したことはないが、俺にとっては王子というのはミシュア様のことだったし・・・・・」
ミシュアの親衛隊だったという理由はあるにしても、あの王宮の中で王妃が生んだ王子であるミシュアは特別な存在で、妾服
のジルベールは少し立場が違ったのだろう。
母親の位で子の立場が変わっても仕方がないが、今回の場合は国を動かす大事になってしまった。
珠生は頭を下げた。
「ごめん!心配かけた!」
「頭を上げてください、タマ。私達が少し過剰だったのです」
「でも・・・・・」
(こんな時だからこそ心配してくれるのも仕方ないのに)
珠生は恐る恐る頭を上げ、ベッドに腰掛けているミシュアの傍に立っている父の顔をちらっと見た。
その表情は怒っているようには見えないが、呆れたような表情ではある。きっと、珠生とラディスラスの暴走を聞いて、なんとも言い
ようが無いと思っているのかもしれない。
「・・・・・それで、タマは会ったのですね?義弟に」
「う、うん」
「どんな様子でしたか?元気そうでしたか?」
「・・・・・」
「タマ」
再度促され、珠生は何とか答える。
「げ、元気は、元気?みたいな」
どう言っていいのか分からずに、珠生は自信無げに答えた。あの顔色や言動から見て、体調がどうこう言っている場合ではないよ
うに思えた。
(だいたい、俺の顎を痣が出来そうなくらい掴む乱暴者だし)
「2人、似てないね」
誰が見ても穏やかで優しいミシュアと、暗い影を背負っているジルベール。片親だけとはいえ血が繋がっているとはとても考えら
れなくて言ってしまったのだが。
その瞬間、ミシュアが辛そうに唇を噛み締めたのを見て、自分の今の言葉が失敗だったと分かる。いくら似ていなくても2人は兄妹
で、その弟のことを悪く言われるのはやはり辛いはずだ。
(俺って、もしかしてデリカシー無い?)
ラディスラスのことは言えないかもしれない。
少々の危機はあったものの、直接ジルベールに会ったことは良かった。
ただ聞くだけと、実際に自分で見るのとはまるで情報量が違うし、あの時会ったレオン・ストラーという陸士大将の存在も興味を
引いた。
あの場で受けた印象だが、レオンはジルベールを敬愛している。どこにその思いを向ける良いところがあるのかは分からないが、
あの王の為ならば何でもしようという気概は見えた。
(それに、案外利口そうだしな)
遅い夕食を食べながら、ラディスラスは目の前に座っているラシェルに聞いた。
「レオン・ストラーってしってるか?」
「レオン・・・・・」
「波打つ黒髪に、深い碧の瞳。表情は・・・・・無表情に近かったな」
「・・・・・知っている」
ラシェルは傍に置いた酒の杯を手にする。
「あの方付きの護衛をしていた兵士だ」
「ただの?」
「ああ」
「じゃあ、陸士大将になったっていうのは凄い出世だな」
「あいつが、陸士大将?」
聞いたことがなかったのか、ラシェルは驚いていた。確かに、ただの兵士が数年で大将になるのはかなりの出世だろう。それだけ、
ジルベールが信頼しているという話に戻るが。
(あいつは、初めからあの男側の人間だったのか)
私欲のためにジルベールに擦り寄ったのでなければ、余計に話は難しい。あの時の殺気を考えても、レオンをこちら側に引き入
れることはほぼ不可能だ。
「・・・・・ラディ」
「ん?」
「・・・・・」
「どうした、ラシェル」
ラシェルは目を伏せる。
何か言い難いことを言おうとしている様子は直ぐに分かったが、ラディスラスはわざとラシェルから切り出すのを待った。
ラディスラスが追求しないので、ラシェルはかなり迷っているようだ。それでも結局は誰かに聞いと欲しいと思ったらしい。
「・・・・・王子は、ミシュア様は本当に、戻ってきてもよか・・・・・」
「ラシェル」
「・・・・・っ」
「お前がそれを言うな。全てを覚悟して、あいつは今ここにいる。その気持ちを否定してやるなよ」
自分でも言ってしまったことを後悔しているのだろう。ラシェルは何時に無く沈痛な表情になり、静かに椅子から立ち上がって外
へと出ていく。
「あまり苛めないでください」
どこから聞いていたのか、そう言いながらアズハルが今までラシェルが座っていた席に付いた。
「彼もまだ迷うことがあるんですよ。あなたもそれは分かっているでしょう?」
「でもな、今ラシェルが迷っていては俺も動きが取れない。どうせしなけりゃならない覚悟だ、今から思い知ってくれていた方がい
いんだよ」
「・・・・・皆、あなたのように強くは無いんですよ」
溜め息混じりのアズハルの言葉に、顔を上げたラディスラスは笑った。
「俺だって、十分弱いって」
翌日、ラディスラスは入れ替わり立ち替わり宿にやってくる乗組員達に指示を出した。
どうせ、夕べのうちに自分達がここに宿泊していることはレオンにはバレているだろうし、もしかしたらラディスラスが海賊ということも
調べがついたかもしれない。
どちらかというと、その方が相手の目を眩ますにはちょうどいいのだが・・・・・そう都合よくいかないというのは昨日のことでも分かっ
ているので、ラディスラスは少し作戦を速めることにしたのだ。
「昨日、イザークに会った時に、こちら側への協力者がかなり集まっていることは聞いた。思っている以上に、現体制への不満は
溜まっているようだな」
朝食を済ませたラディスラスは、ラシェル以下、主だったものを食堂に集めた。
もちろんそこにはミシュアもいるし、珠生もいる。
「中から反旗を上げることは可能だと?」
「ああ。王にすり寄っているのは貴族や商人が多いらしい。奴らは自分の利益が最優先だからな、王が追い落とされてしまえば
簡単にこちらに来るだろう」
「では・・・・・」
「厄介なのはレオンという陸士大将だ。こいつはかなり王寄りの人間で、兵士達の中でも影響力が大きいようだ」
歳はまだ若いが、これほど危機的状況になっている国を辛うじて支えている大きな要因の1人。
昨日会った雰囲気からも、あの男がジルベールを裏切るということはとても考えられない。
「それに、イザークの話だと、いまだにカノイ帝国と繋がりがあるらしい。戦争屋という異名を持つ国だ、どんな武器を持って乗り
込んでくるのか分からない」
「確かに。その前に動かなければ」
ラシェルもラディスラスの言葉に同意し、傍のミシュアを振り向く。
「王子、いよいよです」
「ラシェル」
「御身は、必ず我らが守りますから・・・・・どうか」
「ラシェル、私のことを案じる前に、民のことを考えなさい。私がこの国に戻ってきても、民が支えてくれなければ、この国を救うこと
は出来ないのですから」
しっかりと言い切ったミシュアを、ラディスラスは珠生にするようにクシャッと髪を撫でる。これだけの思いを抱いているのならば、きっ
とミシュアは立派な王になると思った。
「良く言った、ミュウ。よし、明日の夜、作戦通りに王宮に忍び込むぞ」
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