海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
日が暮れ始めた頃、寝台に腰掛けたミシュアの顔を、瑛生が炭で黒く汚していた。
闇夜に紛れて行動する時、ミシュアの輝く金の髪や白い肌はあまりにも目立つので、髪は黒い布で包み込むようにし、肌は黒く
汚すことになった。
その役目は当初ラシェルがするはずだったが、ミシュアが瑛生に頼みたいと言い、瑛生も承諾して・・・・・今、部屋の中には2人
しかいない。
「・・・・・私は、今でも時折信じられません。あなたが傍にいてくださることはもちろん、こんなふうに仲間と思える人達と笑って過
ごせるなんて・・・・・」
瑛生が目の前からいなくなり、故郷も追われてしまった時、ミシュアはその運命を恨むよりも受け入れてしまった。こうなることが
決められていたのだと、瑛生に出会えた幸せだけを胸に抱いて異国へと向かった。
その地で患い、何時命の炎が消えるかも知れないという時に、再び瑛生と出会えたのは奇跡だと思ったし、それから瑛生の息
子、珠生と会い、ラディスラス達に出会って、健康な身体を取り戻すことが出来た。
「今の私は、私1人の身体ではありません」
「・・・・・」
「この国のために、私はこうして生き長らえたのだと・・・・・今ならば思えます」
「ミュウ」
この先、どんな苦境が目の前に表れるか分からない。
今は周りに味方ばかりがいるが、長い間国をあけていた王子を迎える祖国の民達は、きっと優しいばかりの目を向ける者だけで
はないだろう。
それでも、構わないとミシュアは思っている。それが、恋のために故郷を捨てた自分への罰だ。
「ここまで、共に来て下さって、本当に感謝しています」
「・・・・・私は、私が一緒にいたいから来ただけだよ」
「エーキ・・・・・」
「君がどんな選択をしようとも、私だけは君の味方だ。何も考えず、やりたいことをやりなさい」
細く、それでいて自分よりも大きな手がそっと頬を撫でる。
「罪人は君ではなく、私だ」
「そんな・・・・・っ」
「君のことは神がきっと見守ってくださっているだろう。ミュウ、自信を持ちなさい。君は選ばれた人間だ」
「・・・・・」
(選ばれたくなんか・・・・・ないのです・・・・・)
ただ、愛する者と2人、静かに暮らしたいという小さな願いさえ叶えることが出来るのなら、本当はミシュアはどんな地位も財力も
要らなかった。
しかし、今ここでジアーラを救わなければ、きっと自分は後悔してしまう。
(私は、本当にずるい人間なのです)
今という時が少しでも長くあればいい。そんな風に思ってしまう、愚かな人間でしかなかった。
「これ、後でとれる?」
「大丈夫だ」
ラディスラスの言葉に顔を顰めた珠生だが、
「大丈夫ですよ、タマ。自然の炭なので肌にも影響はありません」
「そう?」
続くアズハルの言葉にころっと安心したような表情になって、手を洗うように炭で汚し、そのまま顔にこすり付ける珠生の行動には
一言言いたい。
「お前、どうして俺よりアズハルの言葉を信じるんだ?」
「え?だって、アズハルの方がしんよーできるし」
「おい」
「日頃の行いがものを言うんですよ、ラディ」
さすがに可哀想だと思ったのか、アズハルが苦笑して肩を叩いてくるが、ラディスラスとしてはどうしてそこまで信用がないのだとい
うことの方が不思議だった。
(全部が終わったら、絶対にお仕置きだ)
「ラシェル、みんな散ったか?」
「ああ、後は俺達だけだ」
イザークとは王宮で合流することになっている。
陸を守る兵士達の長である陸士大将のレオンが王側の人間なので、なかなか仲間に引き入れる工作も出来なかったらしいが、
それでもレオンが王宮内全てのことに目を通すことは物理的に不可能で、その隙をついてラディスラスは中に侵入するつもりだ。
国を変えるのならば、周りから落とすのももちろん、上の人間を即座に変えなければならない。ラディスラスは早々にジルベール
に降参を求める方法を取った。
「ああ、タマッ」
「なに?」
「お前の作った例の奴も持っていくからな。使い方、改めて教えてくれ」
「ラディに?」
「俺とラシェルとイザークにだ。頼りにしてるぞ、先生」
「分かった」
顔を炭で真っ黒にした珠生が、真剣な表情で頷く。本人が真面目なのは分かっているものの、その顔は妙におかしくて、
「・・・・・プッ」
思わずふき出してしまったラディスラスは、その後、脛に珠生の蹴りを受けることになった。
「・・・・・」
レオンは立ち止まり、辺りを見回した。
(・・・・・おかしい)
目立った何かがあったわけではないのだが、王宮の中が妙にざわめいているのだ。
(何時からだ?・・・・・あの2人を捕らえてきた時か?)
観光目的でこの国にやってきた男達。
一筋縄でいきそうにない男と、不思議な黒い瞳を持った少年をここに連行し、そのつもりはなかったがジルベールにも面通しをさ
せた。
何かを企んでいそうな気配はしたのだが、口の上手い男はなんだかんだといって逃げ、そこにこの国の海兵大将であるイザーク
も登場し、結局そのまま帰すことになってしまった。
あんな目に遭ったくせに、2人は国を出ることはなく、未だ留まったままで、ウロウロと町を歩いているという報告を受けている。
仲間の数も相当数で、単なる観光客でないことは簡単に見当が付いたが、再び拘束する決定的な疑惑が現れたということも
ない。
考えれば、海を守るイザークがこんなにも長い間陸にいること自体が不思議だった。レオンが陸士大将に就いてから、彼はほと
んど海に出ていたはずだ。
(それに、あの真面目なイザークが、金のために不正をしていたなどと・・・・・)
あの時はジルベールが納得して引いてしまったが、どう考えてもおかしい。
「・・・・・どうする」
呟いた声が、意外に大きく響く。
命令に忠実な部下はいるものの、信頼して相談出来る友は無く、意見を仰ぐことが出来るはずのジルベールも、何か心に持っ
ているようで・・・・・。
(早く考えなければ・・・・・っ)
己で考えなければ道は開けない。
レオンは唇を噛み締めると、再び足を進めた。
「しばらく戻らないが、このまま宿は借りおくから。戻ってきたら美味い飯を食わせてくれ、親父」
「ああ、気をつけてな」
世話をしなくても、その間の宿代を払うというラディスラスの言葉に宿主は上機嫌で見送ってくれた。
よく考えれば、日が暮れたこの時間にどこに行くのだと疑問もわくはずなのだが、どうやら貰った金額のおかげで目を瞑ってくれるよ
うだ。
「行くぞ」
ここから王宮までとても歩いていける距離ではなく、ラディスラスは馬を借りた。
珠生を当然のように自分の前に乗せ、ミシュアはラシェルと、瑛生はアズハルと相乗りをして続く。
「ラディ」
「ん?」
まだ町中なので馬は走らせず歩いているので、声も張り上げなくても十分聞こえた。
「このまま、お城に行くんだよな?」
「ああ」
「それで、おーさまをつかまえるのか?」
「簡単に捕まってくれたら楽なんだが・・・・・」
(あの男がそんな真似をさせてくれないだろうしな)
ラディスラスの頭の中に浮かんでいるのはレオンだ。先日も、全く消すこともない殺意をぶつけてきた相手。あの男が本気になった
ら、いや、冗談など通じる相手ではないだろう。
(今度向き合えば、必ず剣を振り下ろしてくる。たとえ・・・・・タマがそこにいようともな)
珠生の目のことを気にしていたようだが、それと、その存在は別に切り離して考えているように感じる。
出来ればミシュアに会わせ、その上で協力をしてくれるのならばいいのだが、あの様子ではミシュアを会わせること自体しない方が
賢明だろう。
「あの王のどこがいいんだろうなあ」
「うん。ちょっと・・・・・こわかった」
「なんだ、お前も怖いなんて思うのか?」
「だって、何を見てるか分かんなかったし!」
ただ子供のように怖がっているのではないのだと言いたいのだろうが、ラディスラスももちろんそれは分かっていた。
(あっと、これは言っておかないとな)
「いいか、タマ。王宮に入ってからは絶対に勝手な行動はするな?俺の傍に・・・・・最悪、俺がいなかった場合は、ラシェルや
アズハルの傍を離れるんじゃない。約束出来るな?」
「なんだか、子供みたい」
「出来るな?」
「・・・・・分かった」
心配されることが嫌なわけではないだろうが、子供扱いされていることが多少面白くないのだろう。それでも頷いた珠生にもう一
度念を押した頃、馬はようやく港町から出るところだった。
イザークは裏門から王宮を出た。
こちらの兵士は既に仲間になることを誓ってくれ、ここから中にラディスラス達を引き入れる手筈になっていた。
(上手く・・・・・いくだろうか)
ミシュアの思いの強さを信じ、ラディスラスの言葉に縋ってここまでやってきたが、それでも心のどこかで本当に大丈夫なのだろう
かと疑ってしまう。
ガサッ
「!」
不意に、草が揺れる音がした。
風も無い夜ではそんな音でも大きく響き、イザークはとっさに剣を握る。
「私です」
しかし、現れたのは敵ではなく、部下であるレイモンだった。
「・・・・・どうした」
ホッと安堵の息をついて訊ねると、レイモンは中の首尾は整いましたと報告をしてくる。
「このすぐ裏にはダリルが控えています。彼らは、まだ?」
「ああ、そろそろだと思うが・・・・・」
篝火を焚いている辺りからは当然姿を現さず、闇に乗じて近付いてくるとは思うが、そのあたりのことはラディスラスは何も言わ
なかった。
どうやら、もしものことを考えて、王宮内部にいる者には自分達の行動の詳細は言わないつもりらしい。
それがイザーク達を信頼していないというわけではなく、ミシュアの身を守る為に細心の注意をはらってくれていることが分かるか
らこそ、イザークもそれを受け入れたが、分からないということは同時に焦りも生んでしまう。
(大丈夫なのか、ラディ・・・・・ッ)
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