海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
王宮が見えてきた時、ラシェルがミシュアに話し掛ける声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「・・・・・ええ」
かつて己が暮らしていた場所。
次期王となる皇太子の位に付き、誰もが跪き、忠誠を誓ったであろう場所を目の前にしてのミシュアの気持ちを心配したのだろ
うが、ミシュアはそんなラシェルの言葉にしっかりと返事をしていた。
見掛けのたよやかさとは違い、一度決めたら信念を貫き通す意志の強さは半端無いようで、少し前方を歩いていたラディスラ
スは2人の会話に思わず苦笑を零していた。
(いよいよだな)
以前も、ベニート共和国の王宮内へと忍び込んだことがあったが、今回はその時の緊張感とは比べ物にならないほど雰囲気
が張りつめているのを感じる。
今回は王位継承を巡る兄弟喧嘩などではなく、現王をその座から引きずり落とさなければならないのだ。
失敗は、そのまま死に繋がるという覚悟を持ち、もちろん失敗などするつもりはないラディスラスは、傍にいる珠生を見下ろして
少し頬を緩めた。
(子供・・・・・)
月明かりの下、何時もなら白く浮かび上がる珠生の顔は、今日に限りあまり目立つことは無い。それはミシュアと同じく顔に炭
を塗ったせいなのだが、珠生がそうすると変装というよりも遊びで汚れた子供という印象だった。
もちろん、そう言えば珠生が怒り出すことは分かっているので、ラディスラスはその感想を自分の胸だけにしまいこむ。
「もう直ぐだぞ」
「うん」
「もう少し行ったら馬から下りる。とにかく、目立たないように忍び込まないとな」
「ドロボーみたい」
珠生は何時ものように不思議な言葉を呟いて頷き、ラディスラスと同じように前方に見える王宮を見つめていた。
馬を置いて、そこからゾロゾロと歩いた。
小高い丘の上に立っている王宮に着くまで、本当なら何人もの見張りがいるんではないかとビクビクしていたが、どうやらその辺り
はイザークが上手く手筈を整えているようだ。
「・・・・・っ」
(イザークだ!)
もう、王宮の壁が2、30メートルに迫ったくらいの距離で、イザークが姿を現した。
思わず声を上げかけた珠生だったが、ここで目立っては拙いと慌てて口を押さえる。
「遅かったな」
「そうか?」
「・・・・・王子」
「イザーク」
ラディスラスには眉を顰めて声を掛けたイザークも、ミシュアを前にすると言葉に詰まったようだ。
しばらく2人は無言のまま視線を交わしていたが、その空気を破ったのはやはりラディスラスだった。
「はい、そこまで。色々と思うことをぶつけ合うのはすべてが終わってからでいいだろう?」
「あ、ああ、そうだな」
イザークも、何時までもここにいても拙いと思ったのか、直ぐに後を付いて来いと言い、背中を向けて歩き出す。
珠生はイザークの背中越しに王宮を見上げた。
(いよいよ、か)
一行は裏門から王宮内に忍び込んだ。王宮側はイザークとレイモンとダリルが。珠生達は、ラディスラス他、ラシェル、アズハル、
ミシュア、瑛生、そして数人の乗組員が続く。
(ベニートの王宮よりは華やかな感じ?)
自分達が案内されているのは王であるジルベールの居住区内ではなく、主に召使い達が暮らす王宮の北側ということだ。
「どうした?」
珠生がキョロキョロと周りを見回しているのに気付いたらしいラディスラスが声を掛けてきた。
「ん?けっこーキレイだなって思って」
「ああ、そうだな。国の困窮具合から考えたら立派だ」
「ここは、私が暮らしていた時とあまり変わりません」
珠生の疑問には、後ろを歩くミシュアが答えてくれた。
「・・・・・こちらは、以前ジルベールの母上が住まわれていたので・・・・・」
「おーさまの?」
「私がこの国を出て間もなく、亡くなられたと聞きましたが・・・・・」
会話は小さな声で交わされていた。
周りに人の気配は無く、イザークもここには今誰もいないと言っていたが、用心のために自然に皆声を落としていた。
そんな中、ミシュアからもたらされた新たな情報。本当なのだろうかとイザークを見ると、直ぐには答えなかった彼は、やがて大き
な溜め息をつきながら口を開いた。
「確かに、亡くなられている。・・・・・自害されたんだ」
「ジガイ?」
「自ら命を絶ったってことだ」
珠生の疑問に答えてくれたラディスラスの言葉に、さすがに珠生も沈黙をしてしまった。
(母親が・・・・・自殺)
そのことが、ジルベールの性格を歪めてしまったのだろうか。
(で、でもっ、そんなの理由にならないよ)
何の地位も無い、一般の民ならばまだしも、ジルベールは王様なのだ。そんな責任のある立場で私情で動くことなどもっての他
だろうとは思うものの、それでも知ってしまった事実に珠生の気持ちは暗くなってしまった。
「ここだ」
突き当たりの大きな部屋を空けた途端、
「・・・・・」
(なるほど)
ラディスラスはその光景に思わず目を細める。
小さな広間のような場所には、数十人もの兵士の姿があった。普通ならばこちらの方がたじろぐ人数だが、ラディスラスは彼らが
何の目的でここにいるのか、イザークの表情を見ただけで分かる。
そして。
「王子っ」
「ミシュア様っ」
「お帰りをお待ちしておりました・・・・・っ」
彼らは次々に跪き、頭を下げる。彼らの見ているのは炭で顔を汚していても気品を隠せないミシュアだった。
「みな・・・・・」
まだ、ミシュアがこの国を去って4年。その当時護衛していた者も、世話をした者もかなり残っているはずだ。
彼らにとってミシュアがいた時代は本当に平和で、幸せな時間だったに違いない。涙を流しながら口々に帰還を喜ぶ者を見つめ
ているミシュアの目にも、今にも零れそうな涙が浮かんでいた。
「ミュウ」
「あ・・・・・」
そんなミシュアの背中を、瑛生がそっと押した。
「ちゃんと挨拶をしておいで」
瑛生とのことが理由で、この国を去ることになったミシュア。その瑛生と共に再びこの地に戻り、こんなにも自分は歓迎された。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・はい」
瑛生にとっても複雑な思いだろうが、それでも先ずミシュアの立場を思う彼はとても大人だなと思いながら、ラディスラスは少し離
れた場所で感慨深げにその様子を見つめているイザークの傍に歩み寄った。
「王側の人間はどうしている?」
「ここは、あの方が亡き母のためと封鎖している居住区なんだ。召し使いの一部は暮らしているが、それ以外の者が足を踏み
入れることは滅多に無い」
レオンも、ジルベールの気持ちを思い遣ってこちら側には来ないらしい。
「自害って、理由は何だ?」
「・・・・・私も、真実は知らない」
「イザーク」
「耳に入ってくるのは噂ばかりだ。それが真実かどうか分からないまま、お前に話すことは出来ない」
「なるほど」
生真面目な男らしい返答に、これ以上は聞き出せないと諦めたラディスラスだが、それでも、今の言葉だけでその理由の一端が
垣間見えた気がした。
(たとえ噂だとしても、口に出したくないこと・・・・・多分、ジルベール絡みだろうな)
母と息子。
現王と、先王の妾妃。
たかが呼び名でもそれほど立場が変われば何事かあっても当たり前かもしれないと、ラディスラスはあの暗い目をしたジルベール
の表情を思い浮かべた。
(本当に、ミシュアとは正反対だな)
王宮の外周を見回っていたレオンは、裏門の兵士の数が少ないことに眉を顰めた。
今城下では正体不明な男達がうろついていて、王が住まうこの宮殿を守ることは兵士としての急務だし、その命令を下していた
はずだが。
「おい」
「はっ」
兵士の1人はレオンの姿にパッと姿勢を正した。
「今夜の見張りはこれだけか?」
「はいっ、後の者は城壁の外を見回っております!」
「・・・・・」
(それでも、たった3人・・・・・)
篝火も少ない裏門にこそ、本来は多くの人材を割かねばならないのだが、様々な理由で兵士の数は全盛期の半数近くにまで
減っているのも事実で、必要最小限の戦力しかないと割り切らなければならないのも仕方が無い。
「・・・・・」
(海兵隊を陸に上げてもらうように進言するか)
各国が海賊退治の手として兵を出し合っている中、ジアーラもイザークを長とする軍を派遣している。
彼らは他国と比例しても遜色の無い有能な兵士で、その半数でも国に戻ってくれればと考えた。
「レオン様?」
「・・・・・町には不審な輩も多い。警戒は厳重に」
「分かりました!」
レオンは今度は城壁外へと出る。
(あの男・・・・・ラディスラスは、ここに現れるだろうか?)
不思議な黒い瞳の少年は、国が変わる前兆ではないか。そんな思いを振り払うように何度か頭を振ると、レオンは足りない兵
力を補うように精力的に動き始めた。
本当ならばこのまま動いた方がいい。
あちら側の人間は、既に自分達の身の内に敵が入り込んでいるとは気付いていないだろう。
「ラディ」
今だミシュアに切々と心情を訴えている者達の姿を見ながら、珠生は差し出された布で顔を拭う手を止めずに(建物の中では
黒く汚した顔は反対に目立ってしまう)話しかけた。
「もう、動くんだろ?」
「ん〜」
「違う?」
「そうするつもりだが、この光景を見て少し迷ってる」
この光景とは、ミシュアに縋って泣いているこの人達だろうか?
「どーいうこと?」
「ある程度の仲間は集まるとは思っていたが、ここまでミュウを慕っている者が多いなら・・・・・あんまり乱暴な作戦は取れないな
と思うんだが」
味方の多さを驚いているのかもしれないが、それよりも珠生はラディスラスが言う乱暴な作戦という方が気になってしまう。まさかと
は思うが、今回も持ってきたあの・・・・・。
「まさか、お城の中でバクダンを使う気だったのか?」
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