海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「ラシェル」
「王、だ。ミハイル・レイグラーフ王・・・・・ミハイル様、私です、ラシェル・リムザンです」
「・・・・・ラシェル・・・・・ミシュアの、親衛隊長だった?」
「そうです!」
名前を覚えてもらえていたと、ラシェルは感無量のように言葉を詰まらせている。
そんな主従の様子を見ながら、ラディスラスは寝台から身を起こさないままのミハイルを見つめた。
(・・・・・かなり、弱っている様子だな)
明るい光の下でないせいかは分からないが、それでも顔に覇気が無いのは感じ取れた。頬はこけ、顎の髭はかなり放置されて
いるのか伸び放題で、何よりこちら側を向いている目には僅かな驚きは見えるものの、それ以上の感情の動きは見えなかった。
容貌は、ジルベールに良く似ている。あの男がこの王の血を受け継いでいると言うのは間違いが無いようだが、それでもこんなに
も持っている雰囲気は違うものなのだろうか。
「ラシェル、なぜ、お前がここに?国を出たと聞いたが・・・・・」
「はい、私は4年前、すべてを捨ててこの国を出て・・・・・海賊になりました」
「・・・・・海賊?」
「彼が、私の今の主、海賊船エイバルの船長、ラディスラス・アーディンです」
「・・・・・」
ラシェルの言葉に、ミハイルの視線がようやくラディスラスを捕らえた。
だが、やはりその瞳には力が無い。
「初めてお目にかかる、王。こんな場所で失礼をするが」
「・・・・・海賊が、なぜこの王宮内にいる?」
「この国を、いや、現王を倒すためですよ」
「・・・・・っ」
その言葉に、ミハイルの目に力が込められた。それは、いくら今は退いているとはいえ、この国を守ろうとする強い支配者の視線
だった。
「我が国を、滅ぼすつもりか」
「いや、それは違う。俺達はこの国を救いたいと思っているんだ・・・・・ミハイル王、この国にはジルベールよりも相応しい王がいる
はずだと思うが?」
ラディスラスはわざとそこで言葉を切ってミハイルを見下ろす。そのラディスラスの視線を受け止めたミハイルの顔は、じわじわと驚
愕の表情になった。
「まさか・・・・・あの子が?」
どうやら、不憫な元皇太子の面影を忘れてはいなかったようだ。
(良かったな、ミシュア)
民と同じように、自分の父も待っていたことをミシュアは喜ぶのではないか。
「王、ミシュア王子は今この王宮の中にいる」
見られてはいないと、思う。
ただ、何だか胸がざわざわする感覚がずっと消えなかった。
(ま、待てよ。今、ここにあいつが乗り込んできたら・・・・・どうなるんだ?)
その様子をシミュレーションしてみた。
人数的には圧倒的にこちらが有利だが、男・・・・・レオンが声を上げれば、あっという間に人は集まってくるはずだ。
エイバルの乗組員達はもちろん、今回のことでこちら側につこうとしているこの国の人達も同時に拘束されてしまう恐れもあるわ
けで、そうなってしまったら今王を拘束しに行っているラディスラス達も捕まってしまうかもしれない。
『うわ、最悪じゃん』
おとなしくしていろと言われたのに、ここにいることで皆の危険を呼び込むのならどうにかしなければならない。
「タマ?」
どうしようと迷っている珠生の挙動不審の様子に気付いたらしいアズハルが声を掛けてきてくれたのを切っ掛けに、珠生はその腕
を引っ張って部屋の隅に行くと今の出来事をアズハルに告げた。
さすがに拙いと思ったらしいアズハルの表情が硬くなった様子に、珠生はますます不安が高まってしまった。
「お、俺、ここにいちゃまずいよ」
「・・・・・」
「他の人が見付かったら大変だし」
「ですが・・・・・」
アズハルもそう思うのだろうが、そうだとしても珠生をどこに隠すのか、この王宮内のことを知らないアズハルにはとっさに考えが浮か
ばないのだろう。
「・・・・・俺、出る」
「タマッ?」
「えっと、こ、ことり?」
「ことり?」
「わざと、捕まる」
「・・・・・オトリ、ですか」
どうやらピントのずれたことを言ったらしく、アズハルの雰囲気が僅かだけ柔らかくなった。
ただ、何時までも迷ってばかりはいられない。あのままレオンがここにやってくるとしたら、もう間もなく、早々に行動に移さなければ
ならないはずだ。
「ですが、見られていない可能性もあるんですよね?」
「う、うん。でも、見られたかもしれない。ここ、見付からないほーがいいだろ?」
「それはそうですが・・・・・」
そこまで言ったアズハルは、目を閉じて何かを考え始めた。自分よりはるかに頭がよく、冷静に物事を考えられるアズハルだ、何
かいい案を考えてくれるかもと、珠生は願いを込めてその顔を見つめた。
その時間は、それ程長くなかった。
不意に顔を上げたアズハルは、
「レイモン、いいですか」
と、背後を見てその名を呼んだ。
薄闇の廊下を歩くごとに、レオンの中の疑念は徐々にはっきりとしたものに変化していた。
こういう時に自分が見間違いをするはずが無いと思えたし、神経が過敏になっているからこそ、僅かな異変にも気付いたのだと感
じる。
(絶対に、何者かがいる)
何時でも抜けるように腰の剣に右手を当てたまま歩いていると、
「・・・・・っ」
少し前方に人影が見えた。
「誰だ」
「海兵隊のレイモン・ベイリーです」
「海兵隊の?」
(どうしてこんなところに・・・・・?)
疑問に思いながらも近付いていくと、窓から差し込む月明かりでレイモンが1人では無いと分かった。かなり小柄な人物を拘束
するように連れているが・・・・・。
「・・・・・っ、その者はっ」
「その先の廊下でうろついていた所を拘束しました。どうやら見張りが手薄な裏門から入り込んだのではないかと」
「・・・・・お前がどうして拘束した」
「手が足りないということで、休暇中の海兵隊の者は皆警備に借り出されています」
「・・・・・」
その説明を聞きながら、レオンは拘束された人物・・・・・たしか、タマと呼ばれていた少年をじっと見つめた。小柄な身体に見合
う細い腕に、不安そうに揺れている黒い瞳。いくら人手が足りず、警備も手薄になっているからといって、とてもこの少年が1人で
王宮内に忍び込んだとは思えなかった。
「・・・・・たしか、話せなかったな?」
「・・・・・」
少年は何を思っているのだろうか、綺麗な黒い瞳にレオンはコクンと喉を鳴らした。
「レイモンに拘束されなさい。そして、絶対に話してはいけませんよ?」
アズハルが考えたのは、珠生が勝手に飛び出してどこかに隠れるという危険を冒すのではなく、あえて味方である(向こう側には
知られていない)レイモンに拘束されたということにして堂々と姿を現すことだった。
きっと、レオンは珠生から情報を引き出そうとするはずで、簡単に手に掛けるということは無いはずだ。その間にラディスラスがジル
ベールを拘束すれば、王の命と引き換えに珠生を助けることが出来る。
それは万全な策ではないとアズハルは前置きしたが、珠生は即座に頷いた。自分1人と、ここにいる100人以上の味方の運
命を比べれば、その選択は簡単に出来る。
(それに、こうなったのは自業自得かもしれないし)
気を抜いて窓の外を見てしまった自分が一番悪いのだと、さすがに珠生も自覚していたので、珠生は危険を考え渋るレイモン
を説得して部屋を出た。
『珠生、無茶はするんじゃないよ』
部屋を出る時の父の言葉を胸に、珠生は《思いがけず拘束されてしまった》ふうを装った。ただ、怯えた表情になってしまうのは
本心からだが。
「手が足りないということで、休暇中の海兵隊の者は皆警備に借り出されています」
最初は渋っていたレイモンは、開き直ったのか全く動揺を見せずに芝居をしてくれている。
(お、俺も、しっかりしなくちゃ)
「・・・・・たしか、話せなかったな?」
「・・・・・」
「私の言葉は分かるか?」
「・・・・・」
「おい」
「・・・・・」
とにかく、珠生は口を噤んだ。それが自分の身の安全のためだからだ。
やがて、一言も口を開こうとしない珠生に諦めたのか、レオンはその腕を掴んで自分の方へと引き寄せる。それまで、拘束されて
いたとはいえ、手加減して手を掴まれていただけだったが、レオンは容赦ない力で腕を掴んでくるので痛みが半端ない。
「い・・・・・っ」
(痛いっ、離せ、馬鹿!)
・・・・・それが直接言えたらどんなにいいだろうかと思うが、珠生は何とか言葉を飲み込んだ。
「御苦労だった。これは私が預かる」
「ですがっ」
「それとも、自身の大将に手柄を見せたかったか?あいにく、今はそんな悠長な時間は無い」
「・・・・・っ」
レオンはレイモンに叩きつけるように言葉を放つと、そのまま珠生を引っ張るように今来た道を引き返していく。
(よ、良かった・・・・・)
どうやら、珠生がこうして姿を現したことであの部屋への関心はなくなったようだ。
それだけは本当にホッとして、それと同時に、今から自分はどこに連れて行かれるのかという不安は大きくなって、もつれる足はど
んどん重くなっているような気がした。
ラディスラスとラシェルが交互に説明することに、ミハイルは目を閉じて聞き入っていた。
しかし、ラディスラスはその表情が初めてこの部屋に入ってみた時よりも生気を取り戻してきたように思えた。
(どちらも、自分の息子か)
現王、ジルベールと、元皇太子、ミシュア。
2人共自身の血を引く者でありながら、全く違う運命を辿っている。複雑な心境の中、どんな思いが頭の中を占めているのかと
思ったが、それを第三者である自分が勝手に考えることでもないと、ラディスラスは事実だけを述べた。
「俺は、現王がどんな政治をしているのか実際に見たわけじゃない。だが、この国に足を踏み入れた瞬間から、暗く、希望の無
い人々の顔を見て、少なくとも良い方向ではないと感じた」
「・・・・・」
「そして、俺はミシュアのことは知っているつもりだ。彼はこの国の王族としての誇りを持っているし、何より皆に慕われていて、きっ
とこの国を立て直すのに十分な力を発揮するんじゃないかと思う」
それが、片方から見た一方的な感想であることは十分承知の上で、ラディスラスはミシュアを王にするために、ジルベールを拘束
するために王宮に忍び込んだと告げた。
「王、ここで兵士を呼ぶか?」
試すつもりではなかったが、あえてそう言ったラディスラスに、ミハイルはようやく目を開けて呟いた。
「私は、既に王ではない」
そして、現王はあくまでジルベールだと、呻くような声を押し出した。
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