海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「今のこのジアーラは、ジルベールが守り、成長させていく国だ。私はもう、何も言うことは出来ない」
 「王!」
 ラシェルの苦渋を含んだ叫びにも、ミハイルは両手を固く握り締めて俯いていた。その姿を見れば、ラディスラスはそれ以上何も
言えない。
 この王が今までどんな気持ちで自分の国が衰退していくのを見つめてきたか。それだけでも王にとっては長子である皇太子、ミ
シュアを見捨て、妾妃の子である現王ジルベールを抑止出来なかった大きな報いになっているのかもしれない。
 「ラシェル」
 「・・・・・っ」
 「もういいだろう」
 ラシェルは青褪めた表情でミハイルを見下ろしていた。その心中には大きな絶望と怒りがこみ上げているのだろうが、仮にも王と
して仕えていた相手に対し、暴言を吐いたり力で訴えるということは出来ないのだろう。その辺りはまだラシェルも騎士としての心
構えがあるのだなと思いながら、ラディスラスは俯くミハイルに言った。
 「では、協力して欲しいとは言わない。だが、俺達の存在は見なかったことにしてくれ」
 「・・・・・」
 「俺達はここで捕まるわけには行かない。ようやくここに戻ってきたミュウを王座に座らせるために、もしもその必要があるのなら、
あんたを人質にしてでも強行突破する」
 これは脅しではないのだというように腰の剣に手をあてれば、ミハイルはラディスラスの顔を見上げて口元を歪めた。
 「私にはそんな価値などない」
 「価値がない?」
 「ジルベールにとって、もはや私は飾りのようなものだ。今ここで命を落としたとしても、そうかと笑って骸を見に訪れることもないで
あろう」
 「・・・・・」
 「ラディスラス、と言ったな。私は自らの手でジルベールを追い落とすことなど出来ない。だが、ミシュアもまた、私の大切な子供
であることに変わりは無い。・・・・・今から私は黙すとしよう。それ以上は何も出来ぬ」
 「感謝する」
 ラディスラスは頷いた。これが今のミハイルの出来うる最高の行動なのだ。
(黙っていてくれるだけで十分ありがたい)
話が終わったのに合わせるように、僅かに開いた扉の向こうから声が掛かる。
 「ここにいるのか」
 「ああ」
 「・・・・・ここには、先王がいらっしゃるのだが・・・・・」
 「よく眠っているようだ」
 ラディスラスはそう答えながらラシェルの肩をポンと叩くと、そのまま扉の方へと歩いていく。
これ以上、病床にいるようなミハイルを責めることは出来なかったし、それならば一刻も早く当初の目的であるジルベールを押さえ
るために動かなければならない。
 「眠っていらしたか?」
 扉に向かえば、イザークが少し声を落として聞いてきた。
 「ああ」
 「・・・・・そうか」
 「そっちは?」
 「何とか誤魔化した。だが、レオンはどうやら警戒を強めているらしい。夜が明ければ容易に動くことは出来なくなると思う」
 「よし、急ぐか」
そう言ったラディスラスは一度部屋の奥へと視線を向けてから廊下へと出た。
人の親、それは考えたら瑛生と同じ立場でもあるが、瑛生とミハイルは全く性質が違う。背負っているものもあるのかもしれない
が、ラディスラスは珠生の父親が瑛生で良かったと思った。
(・・・・・おとなしくしているだろうか)
 それに合わせて、頭の中には珠生の顔が浮かぶ。自分達の作戦が成功するまで絶対におとなしくしていろよと心の中で呟きな
がら、ラディスラスは歩き始めたイザークの後を再び追い掛け始めた。




 不意に立ち上がったミシュアを、アズハルは眼差しで止めた。
 「おとなしくしていてください」
 「私が行きます」
 「ミシュア」
 「どうしてタマが、タマが捕らわれなければならないのです?彼は何もしていない、単に私の我が儘な行動に巻き込まれてしまっ
ただけなのに・・・・・っ」
アズハルは溜め息をついた。先ほど珠生をレイモンと共に部屋の外に送り出す時も相当渋っていたが、あれから少し時間を置い
てさらに気持ちが昂ぶってしまったのかもしれない。
 珠生のことを気遣ってくれるのはもちろん嬉しいが、今回のことではミシュアの存在というのはとても重要で、彼が王側に捕らわ
れることは最悪の状態なのだ。
 「ミシュア」
 「私が真正面からジルベールに話し合いを求めていれば・・・・・」
(そんなことをしてしまったら、あなたは直ぐに拘束され、直後に命を奪われていたかもしれないのに)
 温室育ちで、その心根も素直なミシュアの言い分は分かるが、少し話を聞いただけでもアズハルはジルベールが一筋縄ではい
かない男だというのを感じた。話して分かる者ならば、ここまで国は酷くなっていないだろう。
 「タマは大丈夫です」
 「アズハル・・・・・」
 「あなたは、これからのこの国のことを考えてください」
 アズハルも、もちろん珠生のことが心配でたまらなかった。ラディスラスがいない今、自分の判断が正しかったのかどうかこの瞬間
も自問自答してしまうが、行動してしまったことを今更後悔は出来ない。
(後はタマの運に任せるしかない)
そして、同行しているレイモンが上手くやってくれるように祈りながら、アズハルは刻々と過ぎる時間を過ごしていた。




 レオンの手で易々と両手を拘束された珠生は、以前捕まえられた時に連れて行かれた広場のような場所ではなく、建物の中
の一室に連れ込まれた。
 「・・・・・」
(ここ、何?)
 薄暗い部屋の中がどうなっているのか、まだ目が慣れていないので良くわからない。
その中でレオンは黙ったまま等間隔に備え付けられているランプのようなものに、一番入口につけられていた火をつけていった。
(結構、ちゃんとした設備があるんだ)
 明かりがつくと、部屋の中がよく分かった。
窓は無く、奥の方にテーブルと椅子、そして棚がある。部屋の大きさやその設備から、もしかしたらここは来客をいったん待たせる
ような待合室かなと思えた。
 「お前は出て行け」
 振り向いたレオンがレイモンに言う。しかし、レイモンは首を横に振った。
 「私には見届ける義務があります」
 「なに」
 「これを上に報告しなければなりませんから」
 「・・・・・イザーク殿にか?」
 「そうです」
 「・・・・・」
(すご・・・・・レイモン、全然負けてないじゃん)
レオンの雰囲気は冷たく、その眼差しはますます鋭いものになっていて、珠生などはそのままごめんなさいと意味なく謝ってしまい
そうになるが、さすがにレイモンは違うらしい。
真っ直ぐにレオンを見つめる眼差しの中には、当初珠生を捕らえるという作戦に二の足を踏んだ弱さなど欠片も見当たらなかっ
た。
 「それに、陸士大将ともあられる方がこのような子供を責め立てることなどあるはずがないとも思っておりますが、万が一の時の
見届け人として私という存在がいた方が好都合だと思います」
 「・・・・・」
 珠生はコクッと唾を飲み込んで2人の顔を交互に見つめる。
(ど、どうするんだろ)
それでも部屋から出て行けと言われたら、レイモンがこの場に残る理由はない。
2人きりで残されて、自分は最後まで言葉を発せずにレオンの追及を逃れることが出来るのかと考えると、どうだろうか気弱な思
いが生まれた。
(お、置いて行かないでよ、レイモン・・・・・)
 「・・・・・ではそこで、石像のように立っていろ」
 どうやら、レオンはその存在を認めるらしい。
取りあえずはホッとして珠生が深い息をつくと、
 「・・・・・っ!」
いきなり手を伸ばされ、顎を取られて上向きにされた。
 「子供に手を上げるような真似はしたくないが、ここで素直に従わねば躊躇わずにお前を斬る。タマ、といったな、お前は1人で
この王宮内に忍び込んだのか?何の目的だ」
 「・・・・・」
(は、話せないって、設定だったよな)
 だが、このだんまりが何時まで持つのだろうか。仲間と思われてはいけないのでレイモンに視線を向けることも出来ず、このギリギ
リの判断は珠生自身が決めなければならなかった。




 「あの奥の扉だ」
 「・・・・・」
 イザークの言葉にラディスラスとラシェルは顔を見合わせた。
(いよいよ、か)
時間が無いのでイザークは最短距離でジルベールの寝所に向かい、間もなく3人はその部屋が見える場所まで辿り着いた。
部屋の前には2人の護衛が立っている。
 「イザーク」
 「私が声を掛ける」
 イザークが中にいるはずのジルベールに接触を試みる。部屋の中にも警備の兵士がいるかもしれないが、内密の話があるから
と遠ざけることは可能だろう。
 「頼む」
 「・・・・・」
 頷いたイザークがそのまま部屋に向かって歩く後ろ姿を見ながら、ラディスラスは窓の外に一瞬視線を向けた。
(もう、時間が無い)
これ以上ゆっくりしている時間はない。今ジルベールを押さえなければ、夜が明けてしまうのは確実だ。
 それが叶わない場合、今から自分達は忍び込んだ部屋にまで戻らなければならず、夜が明けると共に動き始めた王宮の中で
誰にも見咎められずに動くのは至難の業だった。
 「・・・・・」
 扉の前にいた護衛に何事か言ったイザークが、扉を叩いて声を掛けている。
すると、しばらくして扉は開かれ・・・・・やがて、中から3人もの武装した兵士が現れた。
 「警戒はしているらしいな」
 自身の命に係わる何かが起こっていると感じている証拠だとラディスラスが呟けば、しばらくして男達は今ラディスラス達がいるの
とは別の方向へと立ち去った。イザークの言葉に従ったようだ。
 イザークがこちらを向く。
ラディスラスはそれを合図として素早く扉の前に駆け寄った。

 「失礼致します」
 イザークが声を掛けて部屋の中に入る。中は薄暗く、始めは様子も分からなかったが、奥に見える吊り布の存在に、そこが寝
台だと見当が付いた。
 入室を許可されたのはイザークだけなので、ラディスラスは自身の気配を消して慎重に足を進める。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
そして、3人で視線を合わせた後、一気に吊り布を開いた。
 「・・・・・いない?」
 そこに横たわっているはずのジルベールはいなかった。いや、綺麗に整えられた布を見れば、そこに誰かが寝ていたという様子は
ない。
ラディスラスはパッとイザークを振り向く。
 「男達はなんと言ったんだ?」
 「訪ねてくる者がいれば、何人でも入室を・・・・・許可するようにと」
通常ならばありえないその言葉を言うイザークの顔色も青く、その言葉を聞いたラディスラスは瞬時に叫んだ。
 「戻るぞっ!」