海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ジルベールに忠誠を誓っているレオンだが、彼が有能な武官だということはレイモンも仲間の兵士達から聞いていた。
そんな男が、見るからにか弱い珠生に手をあげるとはとても思わなかったものの、それでもこの緊迫した状況で手段を選んでいら
れないと思われてしまえば・・・・・それこそ。
(タマを口が割るまで拷問することもありえるかもしれない)
 アズハルはレオンが珠生に手を出さないだろうということを前提に、大勢の味方を助けるために今回珠生をレオンの前に差し出
す方法を取ったが、これはもしかしたらもっとも危険なことだったかもしれないと、レイモンは拳を握り締めた。
 この場にいるのは己と、レオンと、珠生の3人だ。
レオンと剣を交えたとして自分が勝てるかどうか・・・・・いや、冷静に考えれば自分の方が倒されてしまうだろう。しかし、その間に
珠生が逃げ出せる時間くらいは稼げるかもしれない。
(私達の国の問題に、この少年の命を懸けることなど出来ないっ)
 後は、どうレオンの意識を珠生から逸らせばいいかということだ。まかり間違って珠生の身柄を人質として握られてしまえば、そ
れこそ全てが終わってしまうかもしれない。
(それだけは避けなければ)
 「・・・・・」
 呼吸を整え、レオンの一挙一動を見つめる。
隙が無いレオンの隙をずっと探っていたレイモンは、背後に迫る手に気付かなかった。




(このままだんまりを続けてたって仕方ないのかも・・・・・)
 言葉が通じると分かれば様々なことを聞かれるかもしれないが、反対に黙っていればこちらの訴えたいことも何も伝わらないで
はないだろうか。
身を守る作戦を取るか、それとも・・・・・。珠生は目の前のレオンの顔を見つめながら考えた。
 その時だ。
 「う・・・・・っ」
 「!」
いきなり呻く声が聞こえたかと思うと、それとほぼ同時に何かが倒れる音がした。
とっさに視線を向けた珠生は、足元に蹲るレイモン、その背後に建つ男・・・・・この国の現王、ジルベールの姿を見た。
 「・・・・・っ」
(い、いったい何があったんだっ?)
 その場面を見ていない珠生には全く分からなかったが、レイモンが苦しげに呻きながら倒れている姿にじっとしてはおられず、珠
生と同様思い掛けない事態に少し手が緩んだレオンの腕の中から逃れてレイモンへと駆け寄った。
 「レイモンッ、レイモンッ、しっかり!」
 「・・・・・タ、マ・・・・・ッ」
 苦しげな声を漏らす彼の身体にざっと視線を走らせるが、見た限りではどこかに傷を負わされたという様子は見えない。
(後ろから殴られたってことっ?)
珠生は、パッとジルベールを見上げた。
 「眠れずにあてもなく歩いていれば、明かりが漏れている気がした」
 「・・・・・」
(うわ・・・・・最悪!)
 ここに彼がいるのはどうやら偶然らしい。あまりのタイミングの悪さに珠生は運命を呪いたくなってしまったが、今更ここでそんなこ
とを言っても仕方が無いのかもしれない。
 「レオン、どうやらこの少年は話せるようだな」
 「・・・・・はい」
 「あの時はどうしてだんまりを続けたのか確かめてみる必要がある」
 「ちょっと!」
(何をごちゃごちゃと話してるんだよ!)
 元々、思っていることを胸の中に溜めることが苦手な珠生は、レイモンを傷付けられて一気に頭に血が上ってしまった。
もちろん、それが今後自分にどう返ってくるのか考えることは今出来なくて、珠生は立ち上がり、自分より遥かに背の高いジルベ
ールを睨みつけながら言った。
 「後ろからおそうなんてっ、そんなひきょーなマネをおーさまがするわけっ?」
 「・・・・・」
 「レイモンは、あんたの部下だろっ?」
 「・・・・・それを、お前が言うのか?」
 「な、なに?」
 「お前がその者の名前を知っていることからも、レイモンがお前と顔見知りだということは確かだろう。それをレオンはおろか、私に
まで言わないということは何か意味があるということではないか」
 「・・・・・っ」
(そ、そうかも・・・・・)
 話せることはバレてしまっても、レイモンと知り合いだということは隠し通さなければいけなかったはずだ。
さすがに不味いと思った珠生はどうしようかと視線を揺らしてしまったが、もう、ここまできてしまえば自分でこの場を切り開いてい
くしかない。
(・・・・・大丈夫)
 根拠の無いことだが何度も口の中で繰り返した珠生は、ジルベールに視線を合わせた。
王という地位にいる人間だからか、こうして向かい合っているだけでも圧倒的なオーラを感じるし、初対面の時には暗く、何か薄
気味悪い印象を抱いてしまったが、改めて見ればそれ程悪い容姿ではないし、眼差しの中にも力は残っている感じだ。
 「おーさま、だよね?」
 「いかにも。私がジアーラの王だ」
 「それなら、どうしてこの国を良くしようと思わないんだ?港も、町も、ぜんぜん栄えてない。人も、ぜんぜん元気はないよ、どう
して?」
 「・・・・・それは、他所者のお前に関係のあることなのか?」
 「だ、だって!」
 「お前が我が国の民ならば、そのように私に訴えてくるのも分からぬでもない。だが、この地をただ駆け抜けていくだけの者なら
ば、目の端を過ぎる地がどれほど荒廃しようとも関係ないのではないか」
 それは、あまりにも傲慢ないいようかもしれない。だが、確かにジルベールの言うよう、この地に住んでいない自分が文句を言う
のはおかしいのだろうが・・・・・それでも。
 「気になるんだもん!しかたないだろ!」
まるで子供のダダのような言い方しか出来ないが、珠生は関係ないこととしてジルベールが逃げようとするのが許せなかった。




 「おーさま、だよね?」
 「それなら、どうしてこの国を良くしようと思わないんだ?港も、町も、ぜんぜん栄えてない。人も、ぜんぜん元気はないよ、どう
して?」

 少年、タマがジルベールに言い放った言葉に、レオンは自分の胸が突かれるような思いがした。
まだジルベールがただの王子だった時から彼の傍に付いていて、王になってからどんなに周りが先の皇太子ミシュアを慕ってジル
ベールから距離を置こうとしても、己だけは彼を最後まで支えようと誓った。
 しかし、王になってからのジルベールは今までの抑圧された思いを全て解放するように無茶な振る舞いをし続け、結果、今の
ジアーラはこれほどに衰退してしまった。
 全てがジルベールのせいだとは思わない。亡くなった妃や長子のミシュアだけを可愛がった前王や、彼らを慕い続ける民が悪い
のだ。
(それでも・・・・・祖国を大切に思う気持ちは・・・・・っ)
 ジルベールはタマに対し、冷静に言葉を返している。余所者は口を挟むなという言葉は正論かもしれないが、それでも、自国
なのに立て直すことに手を尽くさない王というのは・・・・・どうなのだろう。
 「気になるんだもん!しかたないだろ!」
 「・・・・・」
 顔が青褪め、身体は震えているというのに、子供のように喚いているその姿に、レオンはなぜか頬に笑みが浮かんでしまった。
ジルベールのことをよく知らないとはいえ、彼にこんな口をきく少年がなんだかおかしく思える。
 「あんたを見ると、この国のことが嫌いなんじゃないかって思える!」
 「・・・・・」
 「本当に、この国が好きなのかっ?それともっ、どうなってもいいって思うほどに嫌いなのかっ?」
 「・・・・・」
 何を考えているのか、ジルベールはじっとタマの顔を見つめている。
怒りに震えている様子は見えないが、彼が何時感情を爆発させるかはレオンにも分からない。
 「ジルベール様」
 「・・・・・なんだ」
 「この者にはまだ聞かなければならないことがございます。この場で手打ちにすることはお止め下さい」
 「・・・・・」
 珍しくジルベールの先を制したレオンに、ようやくジルベールの視線が移った。
 「この手に掛けるのを止せというのか」
 「はい」
けして、これは少年を助けるためではない。生かして、目的をきちんと吐かせることがこの先の利になることなのだと訴える。
(ここで、王に殺させるわけにはいかない)




 ラディスラスは今来た道を引き返した。それまでは誰かに見咎められることを恐れて用心を重ねて動いていたが、今はそんな時
間も惜しいと思うほどに胸騒ぎがしていた。
(どこにいる・・・・・っ?)
 こんな時間に、寝所にいないジルベール。こんな時にどこかの女のもとに通っているとは思えず、何らかの目的があって動いてい
るとしか考えられない。だとしたら、男はどこに向かうのだろうか。
 「・・・・・っ」
 「・・・・・っ」
 ラシェルも、イザークも、無言のままラディスラスの後を追っていた。彼らもまた、最悪な状況を考えているのだろうが、それを口に
出すことは出来ない、いや、したくないのだろう。
(無事なのか・・・・・タマ!)




 バンッ

 扉を開けはなった時、中にいた者達はいっせいにこちらを向いた。
兵士達の中には剣を握っている者もいたが、ラディスラスやイザークの顔を見た瞬間にホッとした表情になる。
 「ラディッ」
 その中で、アズハルが駆け寄ってきた。普段は冷静沈着なアズハルの表情が薄闇の中でも強張っている様子が見え、ラディス
ラスの嫌な予感はさらに大きくなってしまった。
 「アズハル、タマは?タマやミュウは無事か?」
 「ラディ、あの」
 「ラディッ」
 アズハルが答える前に、部屋の奥からミシュアが駆け出してきた。ミシュアが無事な姿を見せたことにラシェルやイザークは安堵
したようだったが、ラディスラスは自分の声を聞いても一向に出てこない珠生の姿が無いことが気になって仕方が無い。
 「アズハル」
 「すみません、ラディ」
硬い口調でアズハルが切り出した。

 「ラディ!」
 その時のアズハルの判断は正しかった。それは頭では分かっているものの、ラディスラスはすぐさま珠生の後を追おうとした。
あの時、躊躇わずに自分の命を奪おうとしたレオン。そして、暗い炎をその目の中に宿していたジルベール。寝所にいなかったジ
ルベールは確実にレオンの共に、珠生の傍にいるはずだ。
 「落ち着いてください!」
 「離せっ!」
 「ラディ!」
 アズハルだけでなく、ラシェルやイザークもその身体を必死に押し止めようとした。ラディスラスの勢いは彼らの身体を振り払うほ
どの力だったが、それを止めたのは・・・・・。
 「ラディ、落ち着いてください」
 「・・・・・ミュウ」
ミシュアは真っ直ぐにラディスラスを見つめてきた。
 「あなたが取り乱しては皆が不安になってしまいます」
 「・・・・・」
 「ラディ、私をジルベールに会わせてもらえないでしょうか」
 「ミュウ・・・・・」
 きっぱりと言い切ったミシュアの眼差しの中には少しも迷いが無い。ラディスラスは穴が開くほどに見つめた後、はあーっと深い
溜め息をついた。