海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 逃げないようにと両手を縛られてしまった。後ろ手では無かったが、こんな風にされるといかにも捕まっているぞといった感じで気
持ち的には落ち込んでしまう。
ただ、直ぐにでも傷付けられそうな勢いは無かったので少しホッとして、珠生は目の前で腕を組みながら自分を見下ろしているジ
ルベールに視線を向けた。
(なんか・・・・・変なんだけど)
 この国の寂れ具合や、初対面の印象からか、この王は絶対に悪い男だと思っていた珠生だが、こうして向き合っているとどうも
それだけではないような気がしていた。もちろん、眼差しも冷たくて怖いのだが、もう少し別の意味があるような気がする。
 「あの」
 珠生が声を掛けると、2人が同時に振り向く。
 「えっと、おーさま」
 「なんだ」
面白がっているような雰囲気に、珠生は自分という存在が甘く見られているのだと感じた。しかし、それも仕方が無いのだと何と
か自身を宥めて、あのさと言葉を続ける。
 「さっきの話。この国のこと、嫌い?」
 「・・・・・難しい質問だな」
 「カンタンだろ」
 「お前は知らぬだろうが、私には1つ違いの母が違う兄がいる。兄は正妃の子で、私は王が外の女に作った子だ。だが、王が王
妃や兄を愛していなかったというわけではない。私は身体の弱い兄のために、人柱になるためにつくられた子だ」
 「ひと、ぱしら?」
 「兄は身体の弱い人だった。兄を愛していた王は、兄に万が一のことがあった時、私を人柱にして神に兄の命を助けてもらおう
としていたのだよ」
 「・・・・・」
 「そのことを乳母に聞いた時、私は父を恨み、兄を恨んだ。この国を絶対に自分のものにする、そう誓った」
 ジルベールの話は難しい言葉が多過ぎて、全てを理解出来たかどうかは分からない。それでも、苦痛に歪むジルベールの顔と
拳を握り締めるレオンの厳しい表情に、それがとても辛く、悲しい話だと感じる。
 「兄を追放し、父を追い落として、無軌道に振舞ってやった。だが・・・・・今の私の胸を支配しているのは虚無のみ。王となって
から心から笑ったことなど無い」




 「覚悟は出来ているんだな?ミュウ」
 ラディスラスはミシュアに確認するように問い掛ける。
 「ええ」
それに返って来た言葉には力強さがあった。
 「全てをあなた方に委ね、自分だけがのうのうと後ろで待っているということはとても恥ずかしいことでした。せっかく長らえたこの命
に恥ずかしくない生き方をしなければ」
 「ミュウ」
 「真正面からここに戻って来なければならなかった。そして、ちゃんとジルベールと話さなければならなかった」
 「今からでも遅くない」
 「ええ、だからこそ、行きます」
 ラディスラスは頷いた。ここまで強い決心を持っていれば心配はない。
(タマを救うためにも強行突破するか)
あちら側に珠生を取られているのは大きかったが、それでもこうしてミシュアが覚悟を決めてジルベールと相対してくれるのならばま
だ間に合うだろう。この王宮に忍び込もうと考えたのは自分だし、首謀者として罰せられるべきは自分だけでいい。
 「よし」
 「ラディッ」
 ミシュアから視線を逸らしたラディスラスに、ラシェルが焦ったように声を掛けてきた。珠生の身柄が心配なのはもちろんだろうが、
それと同時にそんなことをしてミシュアの命が保障されるのかどうか不安でたまらないのだろう。
 「今から俺が偵察に行くっ。それでタマを助け出して・・・・・っ」
 「ラシェル」
 「後少し待ってくれ、ラディッ」
 「ラシェルッ」
 自分の腕を強く握り締めて叫ぶラシェルに、ラディスラスもその名を厳しく呼んだ。
こんなふうに焦るラシェルは初めて見るが、敬愛するミシュアのことを思うのならば仕方が無いかもしれない。しかし、ラディスラスも
同じような思いを抱いているのだ。
(タマのことを見捨てることなんて出来るはずないだろっ)
 睨み合っていると、ラシェルがフッと視線を逸らす。
 「・・・・・タマのことばかりでなく、王子のことも考えてくれ」
 「俺だって、ミュウのことを考えている」
 「・・・・・」
 「だからこそ、ミュウの決意を支持するんだ。こんな時に、これほどに大きな決意を出来るなんて、それこそ一国を背負う皇太子
だと惚れ惚れしているよ」
そう言うと、ラシェルがハッと顔を上げた。
 「ラディ・・・・・」
 「ジアーラの皇太子として、ミシュアを堂々とこの王宮に入れてやりたい、そう思わないか?」
 「・・・・・」
 「イザーク」
 ラディスラスは今度はイザークに視線を向ける。
イザークはミシュアの横顔をずっと見つめていたが、やがてラディスラスを振り向くとしっかり頷いた。
 「ラディスラスの意見に賛成だ」
 「イザークッ!」
 「王子には隠れて戻って頂きたくない。ラディスラスの言うように、正面から堂々と乗り込んで欲しいと思う」
 ミシュアの身の安全を考え、出来るだけ隠密に行動しようとした結果が今回のことだが、それは結果的に間違っていたのかもし
れないとラディスラスは思い直した。珠生が捕らわれてしまったこんなギリギリの時にと自分でも思うが、間違っていたと思うのなら
ばその場から建て直して進みたいと思う。
(それまで、待てるよな、タマ)
 傷付けられていないか。
泣かされていないか。
考えたら自分の心臓が締め付けられるほどに苦しくなってしまうが、珠生ならば自分が駆けつけるまできっと気丈に頑張ってくれる
はずだ。
いや、そう信じたい思いで、ラディスラスはミシュアに手を伸ばした。




 ジルベールが自らの境遇を口にすることは初めてのような気がする。
相手はこの国の人間でない、言葉も満足に話せないような子供だ。いや、そんな相手だからこそジルベールは胸の中に溜まって
いた思いを吐き出したのかもしれないと、レオンは見つめ合う目の前の2人を交互に見た。
(・・・・・やはり、よく分かっていないようだ)
 普通、聞いた者ならば悲痛な表情をするだろうジルベールの境遇。だが、タマはよく分かっていないのかどこか戸惑った様子の
ままだ。
ただ、ジルベールはそれに気分を害した様子はなく、むしろ楽しそうに口元を緩めた。
 「面白いな、お前は」
 「え・・・・・?」
 「傍に置いていたら、無駄に笑えそうだ」
 「なに、それ」
 馬鹿にされたと思ったのか、タマはブウッと頬を膨らませているが、ジルベールはますます目を細めて笑い続ける。こんな風な笑み
を見たのは、随分と久し振りのような気がした。
(前は何時だったか・・・・・)
 まだ、ジルベールも自分も幼かった頃。
(・・・・・ミシュア様、と?)
ジルベールがミシュアの背を追い越した時、からかったジルベールにミシュアが笑いながら言い返していて・・・・・あの時は、2人は
まだ仲の良い兄弟に見えた。何時からその関係が歪んでしまったのかレオンには分からないが、ある日を境に変わってしまったこの
兄弟のことを悲しく思ってしまったのも本当だ。
 幼い頃のミシュアと、今目の前にいる少年はまるで持っている雰囲気は違うが、もしかしたらあの頃を懐かしみ、戻りたいとでも
思っているのだろうか。
 「お前」
 「タマ!」
 「・・・・・タマ、私の傍にいるか?」
 「え?」
 「お前が傍にいるのなら、私は少しはましな王になろう」
 「え・・・・・と」
 どうすればいいのかと迷っているのか、タマは助けを求めるように自分の方へと視線を向けてきた。
ジルベールが望んでいるのだ、叶うように動くのが臣下の役目だろう。ただ、それが子を産める女ではなく、少年なので、その扱い
をどうすればいいのか判断がつきかねた。いったい、ジルベールはどんな思いでタマを欲しいというのか。
 「もちろん、否とは言わないな?」
 ジルベールは当然のようにそう言うが、
 「ダメ」
王の言葉をあっさりと拒絶する者をレオンは初めて見た。




 「タマ、私の傍にいるか?」
 「え?」
 いったい、どこからそういう話になってしまったのか、緊張しっぱなしだった珠生には全く気がつかなかった。ただ、ジルベールが纏っ
ている雰囲気が、時間を経るごとに柔らかくなったのを感じる。
 もちろん、まだ怖いのだが、殺されると思うほどの緊迫感は無くなった。そんな中のジルベールのその言葉に、珠生は一瞬意味
を考えたが、素直に聞けばとても頷けるものではなかった。
 「もちろん、否とは言わないな?」
 「ダメ」
即座に拒否した珠生に、ジルベールは激怒することなく、むしろ笑ってどうしてと聞き返してくる。
 「いくら国が貧しくとも、一国の王の傍にいればそれなりの生活が出来るぞ?」
 「それでもやだ」
 「なぜだ?」
 「だって、俺、おーさまのこと知らないし」
 自分のことをどういう目で見ているのかは分からないが、こんな風な出会いで友好的な思いを持てというのもなかなか厳しい。
(王様がミシュアのことを認めてくれたら、少しは見直すかもしれないけど・・・・・って、ミシュアのこと、バレてないのか?)
 何時の間にか話が別の方向に行っていて、珠生がここにいる理由とか、その背景とかに話しが及んでいない気がする。それはそ
れでいいのだが、こうなると自分はどうすればいいのかまた悩まなければならない。
 「・・・・・あの」
 「ん?」
 「こんな話しをしている時に、これ、変くない?」
 珠生は縛られた手を抱え上げて見せた。
 「外して」
 「・・・・・駄目だ」
 「えーっ!」
 「お前が頷けば直ぐにでも解いてやろう」
 「・・・・・それって、ひきょー!」
 「そうか?」
なんだか、ジルベールにからかわれているような気がする。と、いうか、こんなことをしている場合なのかと首を傾げてしまった時だ。

 ダンダンダンッ

慌ただしく扉が叩かれる音に、先ずレオンが動いた。
 「何用だ」
 厳しい口調で外に問い掛けるレオンに、焦ったような声が返ってきた。
 「王子がっ、皇太子が戻られました!」
 「皇太子?」
 「!」
その時、珠生は反射的にレオンの顔を見てしまった。視線を彷徨わせていたレオンはそんな珠生の視線を捕らえ、直ぐに目を見
張って扉を開ける。
 「皇太子とはミシュア王子のことかっ?」
 「は、はいっ」
 「・・・・・王っ!」
 レオンが振り向きざま叫んだのを見て、珠生も反射的にジルベールを見てしまう。先程まで穏やかに話していたと思ったジルベー
ルの瞳は、一瞬のうちに暗い光を湛える眼差しに戻ってしまっていた。