海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 何時もはこちらの胸がすくほどにきっぱりと自分の意見を言い、無鉄砲に行動してしまう珠生だが、自分の親のこととなるとその
愛情ゆえか臆病になっているようだ。
(そこまで仲が良いのが羨ましいくらいだ)
 先ほどの親子喧嘩は、珠生達の国の言葉なので全く意味は分からなかったものの、ラディスラスは珠生が真剣に瑛生のことを
考えて言っているのだと感じたし、瑛生も珠生の言葉を真摯に受け止めているように思えた。
 2人の思いのすれ違いは無いはずだ。素直になれと、ラディスラスは珠生の髪を何度も撫で続けた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「お」
しばらくして、珠生が立ち上がった。
その表情はまだ泣きそうに歪んでいたが、どこか頼りなく思えた先ほどとは違い、何か決意したような光を宿している。
 「ラディ」
 「ん?」
 「ラディはミシュア達といっしょに行くんだよな?」
 「ああ、そのつもりだ」
 イザークやラシェルをけしかけた自覚はあるし、元々守りよりも攻撃を得意にしている自分は相手が一国の王であっても関係な
かった。
そして、そこには当然のように珠生も連れて行くつもりだ。危険があることは分かっていたが、離れて心配するよりも側にいて守っ
てやりながらその存在を見ていたい。
 それに、珠生がいるとなぜだか負ける気がしないのだ。どんな手を使っても、それが卑怯だと後ろ指差されるものだとしても、珠
生の存在は必ずこちら側が勝てると思わせてくれた。
 「でも、どうして・・・・・」
 「よし!」
 いきなり家に向かって走り出した珠生を呆気にとられて見てしまったが、ラディスラスも直ぐにその背中を追いかけた。
自分のいないところで爆弾発言をされても困るし・・・・・そんな面白い場面は絶対に見逃せない。




 ギギッ

 建て付けの悪いドアを押し開いて中に入ると、父はまだ先ほどと同じ体勢で立ったままだった。
 『珠生』
きっと、父は自分に謝ろうとしていると珠生は分かった。珠生も直ぐに父に謝りたかったが、その前にどうしてもしなければならない
ことがある。
 『珠生っ?』
父の声を背中に聞きながら、珠生は2階へと駆け上がった。

 古い木の階段は大きな音を立てて、上にいたミシュア、イザーク、ラシェルの3人の視線は既に階段の方、つまり駆け上ってきた
自分に向けられていた。
 「タマ、どうした?」
 さっき下りたばかりの自分が、再びやってきたのだ。
それも、今にも階段を踏み破らんばかりの勢いに、ラシェルは一体何事があったのだというような真剣な顔を向けてくる。
 しかし、珠生は真っ直ぐにミシュアのいるベッドへと近付いた。
 「どうした」
その勢いに、イザークがミシュアを庇うように立ち塞ごうとしたが、珠生はイザークの身体の影から顔を覗かせ、じっと自分を見つめ
てくるミシュアの碧の目を見返すと、唐突ともいえる勢いで頭を下げた。
 「おねがい!」
 「タマ?」
 「にもつ持ち、1人連れて行かせて!」
 「え?」
 いったい何を言い出したのか全く分からない様子のミシュアに、珠生はさらに続けた。
 「ジアーラに、ラディも行くんだ!俺も、ついてく!」
 「ですが、今回の帰国は歓迎されたものではなく、あなたまで危険な目に遭ってしまうかも・・・・・」
 「俺は、ラディが守ってくれるからだいじょーぶ!」
不思議とそれは断言出来た。どんな時でもラディスラスが自分を見捨てることは無いと信じているし、その代わりに珠生もラディス
ラスを守るからお互い様だ。
そう、自分のことはいい。肝心なのはもう1人。
 「これっ、これ、おーじには重いだろっ?持ってもらわなくちゃいけないし、絶対にとらない人にしないと!」
 珠生はミシュアの膝の上にまだ置かれたままの原石を指差した。確かに重いが、持てないほどの重量があるはずが無い原石。
それでも、これを絶対に盗らない、信頼のおける相手に持ってもらった方がいいだろうし、それにはもう1人しか適任者はいなかっ
た。
 「とーさんも、一緒に連れてって!これ、これ持つ人、ぜったいいるから!」
 「タマ・・・・・」
 自分が言っていることが滅茶苦茶だと分かっていたが、こうでも言わないとミシュアは父の同行を諦めてしまうと思った。
自分のせいで衰退した国を立て直すため、現王と戦うために帰国するという時に、その要因となった父を連れて行くことは絶対に
出来ないと思っているはずだ。
 恋人や伴侶としては、今は無理かもしれない。しかし、それならば使用人としてならばどうだろうか?
今後のジアーラの運命を左右するだろう価値のある宝石の原石を守るのに、父ほど誠実で、絶対にミシュアを裏切らない人間
なんていない。
 「タマ・・・・・」
困惑したように見つめ返してくるミシュアの眼差しを逃がさないように、珠生は揺らがない視線を返した。
(父さんと一緒にいてよ・・・・・っ)




 滅茶苦茶な論理に、珠生の後に続いて2階に上がってきたラディスラスはふき出した。
(すっごいこじつけだな)
それでも、なんだか珠生らしいと思った。ミシュアと父親の関係を素直に認められない現状があったとしても、それでも見てみぬ振
りが出来ない珠生が・・・・・可愛い。
 「・・・・・」
 ミシュアは迷っているようだ。己と瑛生が原因で今の状態となったのに、2人の仲をさらに見せ付けるように共にジアーラに帰国す
るのは駄目だと思っているのだろう。
(でもな、人の気持ちっていうのは案外強いもんだぞ、ミュウ)
 国を捨ててまで瑛生への想いを貫いたミシュアと、そんなミシュアのために最愛の息子を置いてこの世界に再びやってきた瑛生。
今更綺麗事など言わなくてもいい。こうなったら堂々と手を繋いでジアーラに乗り込めば面白いくらいだ。
 「いい案だな、タマ」
 「!」
 「ラディ」
 「ミシュアもそう思わないか?」
 「私は・・・・・」
 「こんな時だ、人手は幾つあったっていい。そいつの過去なんて一々調べなくったって、今、そいつがどんな奴か分かっていれば問
題は無い・・・・・そうだろう、ラシェル」
急に声を掛けられたラシェルは一瞬眉根を寄せたが、次の瞬間ハアッと溜め息をつきながら確かにと頷いた。
 「イザークは?」
 「・・・・・王子のお側に信頼出来る者がいるのは心強い」
 「イザーク・・・・・」
 ある意味、瑛生の存在を憎んでいる1人でもあるイザークがそう言ったのを聞き、ミシュアの目が大きく見開かれる。
 「よし。後はミュウと・・・・・本人の答えだが、エーキ、お前はどう思っているんだ?」
 「・・・・・エーキ」
自分の影に隠れていた瑛生の腕を掴んで前に押し出すと、彼は少し躊躇った後、珠生とミシュアのいる寝台へと歩み寄った。




 ずっと傍にいたい。
しかし、そんな思いが許されるわけが無い。
今がどういう時か、自分が何をすべきか分かっているつもりのミシュアは、どんなに辛くとも・・・・・胸を刺すような痛みを感じても、ミ
シュアは全てを受け入れなければならなかった。
 それなのに。

 「とーさんも、一緒に連れてって!これ、これ持つ人、ぜったいいるから!」

どうして、珠生はこんなに優しいのだろう。

 「こんな時だ、人では幾つあったっていい。そいつの過去なんて一々調べなくったって、今、そいつがどんな奴か分かっていれば問
題は無い・・・・・そうだろう、ラシェル」

どうして、ラディスラスの言葉はこんなにも力強いのだろう。
(私は・・・・・望んでもいいのだろうか)
本当に欲しいと思う人を、望む気持ちを捨てなくてもいいのだろうか。
 「ミュウ」
 大好きな人の手が、自分の手に重なった。
その手はそのまま動き、もう一つの小さな手・・・・・珠生の手に重ねられる。3人の手が一つになり、その温かさに胸が熱くなった。
 「協力させて欲しい」
 「エーキ」
 「君の国が、私が初めて訪れた時のような美しい国に戻る為に、どうかミュウ・・・・・、私を同行させてくれ」
嫌だと言えるはずが無い。じっと瑛生を見つめる視界が次第に曇っていくのを自覚しながら、ミシュアは小さな声でお願いしますと
言った。




 父とミシュアの様子を見て、珠生はそっと重ねられた自分の手を引こうとした。
しかし、その手はしっかりとミシュアに握り締められていて、珠生はどこうにも動くことが出来なかった。
 「・・・・・」
(ど、どうしよう・・・・・)
 自分はどうしたらいいのだろうかと珠生が内心動揺してオロオロしていると、ミシュアの濡れた綺麗な碧の眼差しが自分の方へ
と向けられる。
うわっと珠生が動揺している間に、握られている手に力が込められた。
 「ありがとう」
 「お、おーじっ」
(どうして、ここで礼を言っちゃうんだ?)
 自分が提案したことは改めて考えても滅茶苦茶なもので、その提案をスルスルと前へと押し出してくれたのはラディスラスだ。
言っていることは同じでも、言いっぱなしの自分よりもラディスラスの方が凄いのだと思うものの、なぜかミシュアの目に見つめられ
ると言葉に詰まってしまう。
 「お、俺は、別にっ」
 「あなたと出会って・・・・・本当に私は幸せです」
 心からそう言っていると分かる言葉に、とうとう珠生は耐え切れなくなってしまった。
 「うわあぁぁぁ!」
 「タ、タマ?」
こんな風に真っ直ぐに誰かに感謝の言葉を伝えられるのは気恥ずかしく、叫んでしまうとパッと手を空に上げる。
驚いたように自分を見る父とミシュアにブンブンと首を横に振った珠生は、この場を誤魔化すために使ったのはやはりラディスラスと
いう存在だった。
 「ラディッ、みんなに言わないとだめだぞ!」
 「ああ、もちろんだ。でも、きっと反対する奴はいないと思うぞ?海賊は荒くれ者の集まりだが、エイバル号の男達は弱い者の味
方なんだ」
 「へ、へん!」
 人から物を奪う人間が弱い者の味方というのは矛盾しているが、それでもエイバル号の仲間がこんな時に頼りになるというのは
珠生も良く知っている。
何より、その頭領である目の前のこの男が、悔しいが珠生にとっては一番強くて頼れるのだ。
 「じゃ、じゃあっ、早くしなきゃっ」
 ミシュアは全てを知って前へ踏み出すことを決め、それを支えるために周りの者も動くことを誓った。
それならば一刻も早く準備をして、早く旅立つ方がいい。
いや、その前に、さっきの自分の言葉を父に謝らなければいけない。
(う・・・・・どう言えばいいんだろ)