海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「なっ、何者だっ?」
ゾロゾロと集団で廊下を歩いていると、直ぐに見回りの衛兵に見付かった。即座に剣を抜いて構えてくる衛兵に向かい、ラディ
スラスはニヤッと楽しそうな笑みを向けた。
「丁度いい、王を呼んでくれ」
「王をっ?」
王宮の中にいきなり現れた不審人物達。本来なら直ぐにでもその身を拘束しなければならないのだろうが、こちら側の人数が多
いせいかただ口をパクパクと動かすことしか出来ないようだ。
「そう、ミュウが、ジアーラ国皇太子ミシュア・レイグラーフが、現王ジルベール・ライネに会いにきた」
「皇太子・・・・・ミシュア、様?」
呆然と呟いた兵士の前に、ラディスラスは振り返ってミシュアに手を差し伸べた。
召し使いから濡れタオルを貰って炭で汚した顔を綺麗に拭っていたミシュアの姿に、衛兵は呆然とした視線を向けることしか出来
ないようだ。
「夜分、このように強引に押し入ったことを許してください。ですが、至急ジルベールに、王に、会いたいのです。申し訳ありませ
んが、私が訪ねてきたことを伝えていただけませんか」
「は、はい!」
衛兵は即座に身を翻した。あの慌てようでは、直ぐに話は上に通じるはずだ。
「ミュウ」
「大丈夫です」
振り返って言ったラディスラスの声に、ミシュアは静かに頷いて見せた。言葉だけではなく、態度も十分落ち着いている。
(こっちは大丈夫だな)
覚悟を決めたミシュアを今更心配することは無い。後は、レオンに連れ去られた珠生を一刻も早く救うこと。これが今のラディスラ
スの最重要事項だった。
腕を拘束されたまま、珠生はレオンに促されて薄暗い廊下を歩いていた。
(いったいどこに行くんだろう?)
ミシュアが現れたと聞いた瞬間のジルベールの表情の変化は顕著だった。何か怖いことを聞いたような、いや、もっとも恐ろしいも
のに会うような、とにかく、拘束されている珠生が心配してしまう顔色の悪さだった。
「レオン、広間に通せ。私は仕度をしてから行く」
どうやら着替えるらしい。
別に、それ程見苦しい格好をしているとは思わないが(自分の姿と比べれば遥かに)、高貴な身分の者というのはそういう感じな
のだろうか。
(それにしても、どうして堂々と・・・・・)
ジルベールを拘束するまで身を潜めているはずだったのに、何時の間に作戦は変更されたのだろうか?
(あ・・・・・そういえば、ラディ達は王様を捕まえに行ったんだっけ)
それなのに、当のジルベールは珠生の前に現れた。その辺りから作戦は方向転換しなければならなかったはずだ。
「おい」
「・・・・・っ」
そんなことを考えていると、不意に珠生はレオンに声を掛けられる。いったいなんだろうと不安になって視線を向ければ、レオンは
眉を顰めながらじっと自分のことを見ていた。
「お前はこのことを知っていたのか?」
「・・・・・え?」
「お前はミシュア王子と通じているのか」
「・・・・・」
(な、何て答えたらいいんだろ)
ミシュアのことを知らないと言い張るか、それとも、共にこの王宮にやってきたのだと話すのがいいのか。ここには自分1人しかお
らず、少しでも間違えた選択をしてしまえば、それこそ命を奪われてしまうかもしれない。
なかなか答えない珠生に、レオンはさらに問い掛けてくる。
「言えないのか」
「・・・・・き、聞くけど」
「・・・・・なんだ」
「その答えで、俺、ピンチ?」
「・・・・・ぴん、ち?」
なんだそれはと怪訝そうに返され、珠生は嘘をつくのを諦めてしまった。
多分、このまま自分もジルベールとミシュアが対面する場に連れて行かれるだろうし、そうすると隠しごとが苦手な自分の声や表
情で絶対に知り合いだと分かるはずだ。
「俺・・・・・俺達・・・・・、この国を変えたくって、来た」
「変えたい?」
「あんたはそう思わないのか?」
自分の国を冷静に見て、何とも思わないとは言わせない。
珠生がじっと見つめると、なぜかレオンは顔を逸らしてしまった。
ラディスラス達は広間らしき場所に通された。
「・・・・・」
「・・・・・」
「どうした?」
黙ったまま部屋の中を見渡すラシェルに声を掛けると、ラシェルは少し間を置いてから変わっていないと小さく呟いた。
「お前がここにいた時から変わって無いのか?」
「・・・・・多分」
変わり過ぎた町中を見てきたラシェルにとって、ほんの少しでも昔を感じさせるものが残っていたことが嬉しかったのかもしれない
が、もちろん今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
ここにいるのは自分達エイバル号の人間とミシュアだけではなく、イザーク達もいる。明らかに裏切り者という目を向けられるのを
覚悟でここにいる彼らを守るためには、自分達はしっかりとしておかなくてはいけない。
それと同時に、ラディスラスは一刻でも早く珠生の居所を捜すことにも神経を向けなければならず、大きく深呼吸をしてジルベ
ールが現れるのを待った。
ギギッ
その時、扉が開かれる音がし、ラディスラスは視線を流して目を瞠った。
「!」
(タマ!)
扉の向こうから現れたのは珠生だった。思わず叫びそうになる声をとっさに押さえたが・・・・・その珠生の手が拘束されていること
が分かると、無意識のうちに腰の剣に手をやってしまう。
(タマに何を・・・・・っ)
どう見ても、珠生が抵抗出来るわけが無いと分かっているくせに、こんな風に縛るなどどういうつもりなのか。
「ラディ」
「・・・・・」
ラシェルの声も緊張している。
こちらの緊迫感を感じ取ったのかレオンも硬い表情をして入室してきたが、こちら側に自分達の仲間・・・・・イザーク達の姿を
見付けたのか、口元が歪んだように笑みの形になった。
「まさか、あなたが裏切っていたとは」
レオンが視線を向けているのはイザークだ。事実だけを取れば確かにイザークの行為は裏切りだろうが、この真面目な男がそう
しなければならなかった理由を作ったのは誰なのか、レオンは、この男は頭の中では分かっているはずだ。
(それを認めたくないのかもしれないがな)
ラディスラスはそう思いながら足を踏み出した。
「また会ったな、陸士大将」
「・・・・・一国の王宮に忍び込んでくるなど、どんな大罪か分かっているのか」
「分かっているつもりだが、先ずはそいつを離してもらおうか」
何時までも珠生を拘束させていることを許せるはずも無く、ラディスラスは視線を逸らさないままさらに近付いた。
多分そうだろうとは思ったものの、目の前の男の行動でこのタマもあちら側の人間であるということがはっきりとした。
分かっていたはずなのに、それを複雑な思いで受け止めてしまうのはなぜだろうか。
「・・・・・」
「・・・・・」
見下ろす少年の眼差しは真っ直ぐ目の前の男に向けられていた。今直ぐにでも駆け寄りたい、そんな衝動が目に見えるようだ
が、レオンはさらに強く拘束している縄を持つ手に力を込めた。このままタマを男に渡すつもりはない。
「離せ」
引かれる痛みにタマが小さく呻くと、男が低い声で威嚇するように言った。
「断る。これは不法侵入者だ、それなりの罰を与えなければならない」
「はあ?そんなの、こいつの独断で無いことくらい分かってるだろ。それとも、そんな子供に侵入を許してしまうくらい、ここの警備
が穴だらけということか?」
「・・・・・っ」
煽られていると分かっているものの、今のレオンに聞き流す余裕はなかった。
綱から手を離し、少し強引にタマの背中を押して自分の背後に追いやると、レオンは腰の剣を引き抜こうと手を掛ける。
(逃げる気は・・・・・無いようだな)
恐れも怯えも全く見当たらず、あろうことか挑むように強い眼差しを向けられて、自分自身の気持ちも戦闘態勢に変化してい
くのを自覚した。
「今この場でお前を殺しても、宮殿に忍び込んできた盗賊を討ったのだと王にお褒めの言葉を頂くだろう。のうのうと顔を出した
自身の浅はかさを後悔しろ」
人数では自分が圧倒的に不利だが、立場は比べるまでもなく己の方が上だ。
レオンは剣を抜き、その切っ先を男の喉もとに突きつけた。
「剣を下ろしなさい」
静まり返った広間の中に、涼やかな声が響く。レオンはビクッと肩を揺らし、今の声の主を捜した。
(今の声は・・・・・)
「剣を下ろしてください、レオン。彼はこの国の敵ではありません」
「・・・・・ミシュア様・・・・・っ」
人々の波が自然と左右に開いたかと思うと、そこからゆっくりと歩き出てきた人物の顔を見てレオンは呆然と呟く。
もしかしたらという可能性を考えなかったわけでもなく、つい先ほど衛兵が訪問を告げてきたというのに、実際にこうして顔を見るま
では、レオンはミシュアが生きて戻ってくるとはとても信じられなかった。
最後に見た日よりも少しだけ大人びた容貌になったミシュア。
それでも輝くばかりに美しく、慈悲を帯びた眼差しは変わっていない。
(どうして・・・・・そんな笑みを)
ジルベールと共にミシュアをこの国から追い出す片棒を担いだ己に対し、どうしてそんなに優しい微笑を向けることが出来るのか
分からなかった。
「今までジルベールを支えてくれていたあなたにとって、私は望まない訪問者だと分かっています。それでも、私は今ジルベールに
会わなくてはなりません。ここにいる方々は、私をここまで連れて来てくださっただけです。レオン、その剣を下ろして」
緊迫した空気の中、ゆっくりとレオンの腕が下がっていく。しかし、それが完全に下ろされる前に、扉が大きく開かれた。
「そのままでいろ、レオン」
「・・・・・王!」
「・・・・・!」
(そ、その格好?)
珠生はその場にいる全員の視線を浴びながらも怯むことなくこちらに向かってくる男・・・・・ジルベールの姿を見て目を瞬かせる。
さっき会った時はごくシンプルな服(部屋着だからかもしれない)だったのに、今のジルベールは全く正反対の装いをしていた。
煌びやかな王冠に、豪奢な服。腰に携えている剣には細かな細工と宝石が施されている。一見、いかにも王様といった感じな
のだが、何だかとても・・・・・。
(似合わない)
浮かべている薄い笑みも、先ほど自分に向かって見せてくれたものとはまるで違い、珠生は何だか背中がゾクッと寒くなったよう
な気がした。
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