海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 とうの昔にくたばっているとばかり思っていた男。
この男のせいでミシュアが完全に自分の手の中から離れてしまったのだと、ジルベールは射殺す勢いで瑛生を睨みつけた。
 「ようものうのうと、その場に立っているな」
 「・・・・・私は」
 「お前が現れたせいで、義兄上の道は歪められてしまった。皆に愛された義兄上が支配すれば、あの美しかったジアーラがここ
まで衰退することはなかっただろうに・・・・・弁明はあるか」
 何を言ったとしても、それは全て言い訳にしかならず、それ以上にジルベールは瑛生を許すつもりなど微塵もなかった。
瑛生が現れ、ミシュアを篭絡したせいで、厄介者だった自分が王になれた。しかし、この男が現れなければ、鬱屈した思いを抱
いたままだとしても、ミシュアは自分の前から姿を消すことはなかったはずだ。
(言い逃れるつもりならば、言葉が話せなくなるようにその喉を突いてやる)
 「ジルベール」
 「・・・・・」
 「・・・・・申し訳なかった」
 「・・・・・」
 「君達兄弟の確執の原因は私だ。弁明することは何も無い・・・・・ただ、謝罪するしか・・・・・」
 その言葉に、ジルベールは眉を顰める。
あの時、あんなにもあっさりと姿を消して逃げたくせに、今回は無謀にも己に対抗するというのか。
 「・・・・・」
 ジルベールは腰の剣を抜いた。鋭い刃が鞘から出てきても、憎い男は顔を歪めることはしなかった。
 「本当はお前が我が国に流れ着いた瞬間に、その命を絶ってしまいたかった」
 「・・・・・」
 「離宮に長くいた私には、王宮の中に気の許せるものは誰もいなかった。ゆえに、義兄上の変化を知らせてくれる者も・・・・・
あの時!あの時にお前を始末していればっ、私の心はこんなにも渇かずに済んだ!!」
剣を振り下ろすことに何の躊躇いもなかった。
 「ジル!」
 兄の叫び声も。
 「とーさん!」
不思議と小気味よく感じた少年の声も。
 「王!」
こんな自分に忠誠を誓ってくれるレオンの声も。
何もかも全てが、一瞬ジルベールの頭の中から消えた。




(馬鹿が!)
 何のためにミシュアがここに戻ってきたのか。非難されると分かっていて、瑛生がこの地に同行したのか。
少しも想像出来ないジルベールは身体の大きさなど全く関係なく、子供のまま成長してしまったとしか思えなかった。
 「!」
 振り上げられた剣の前から瑛生は逃げない。それを身に受けることが謝罪だとでも思っているのかもしれないが、珠生の目の前
でその命を落とすことなど絶対にさせないと、ラディスラスは何とか阻止するためにとっさに足を動かした。
 間に合うかどうか、ギリギリの線。もしかしたら、自分が斬られてしまうかもしれない。
それでも、自分は絶対に死なないという信念を持って、ラディスラスはジルベールに向かった。
 「・・・・・っ」
 「・・・・・」
 「エーキ!」
 「・・・・・くっ」
 手は、間に合わない。
とっさにそう判断したラディスラスはそのまま体勢を変えて身体を倒すと、足を伸ばしてジルベールの片足を蹴りつけた。
 「!」
 瑛生にだけ意識を向けていたジルベールは簡単に体勢を崩してしまい、そのまま後ろに倒れこんだ。
 「ラシェル!」

 ガッ

再び身体を起き上げたラディスラスはラシェルの名を叫びながら、そのまま仰向けに倒れ込んだジルベールの腹を片膝で押さえ、
同時に剣を持った手を床に縫いつける。その間にやってきたラシェルも、ジルベールの両肩を押さえ込んで立てないようにした。
 「・・・・・はっ」
 「お・・・・・前っ!」
 「この体勢じゃお前に分は無い。少しは頭冷やして座れ」
 「退け!そのまま手打ちにしてやる!」
 「あー、はいはい」
(これじゃあ、タマの方が大人だな)
 駄目だと諦めれば、珠生は直ぐに次のことを考える。ラディスラスにとってはなかなか落ち着けないものの、その切り替えをジルベ
ールには真似してもらいたいものだ。
 ラディスラスは真上からジルベールを見下ろした。初対面の時はこちらが拘束をされていて、ジルベールのことも不気味な男だと
感じたが、立場が違ったせいか・・・・・いや、今のミシュアとの会話のせいか、随分と子供っぽく見えてしまう。
子供が、欲しい物が手に入らなくて喚いているといった感じだろうかと想像すれば、直ぐにそれが納得出来た。
 「一国の王だろう、少しはでんと構えていたらどうだ」
 「・・・・・っ」
 「昔、3人の間に何があったのか、話は聞いたが俺はその場にいなかったからな、それぞれが実際にどんな思いを抱いていたのか
は想像も出来ない」
 「分からないのなら口出しをするな!」
 「いや、言わせてもらおう。エーキがどんな思いでこの国に来たのか、俺は今分かった気がするんだ。エーキ、あんたこいつに罰し
てもらうために同行したんだな?」
 「ラディ」
 今まで動揺を見せなかった瑛生の声が、少しだけ喉に引っ掛かった。
(やっぱりな)
どうりで、何の文句も、弱音も吐かず、ここまでやってきた。
 珠生の父親でなければ一発殴っていたところだなと、ラディスラスはいい歳をした男の悲しいほどの生真面目さに溜め息が漏れ
た。




 「エーキ、あんたこいつに罰してもらうために同行したんだな?」
 ラディスラスがそう言うと、父があからさまに戸惑うのが分かった。
(父さん・・・・・どうして?)
 国を救うために戻るミシュアや、付いていく自分を単に心配してくれているのだと思った。いや、もちろんそこにはそれぞれに対す
る種類の違う愛情があるのかもと考えたが、まさか罰を受けるためだとは全く考えなかった。
 『父さん・・・・・どうして?』
 『珠生・・・・・』
 『せっかく、せっかく会えたのに、俺の前から消えても構わないって思ったの?俺も、ミシュアも、置いて行こうと思ったのか!』
 『・・・・・私は、それだけのことをしてしまったんだよ』
 『そんなのっ!誰かを好きになるのは自由だろ!父さんを好きになったミシュアの気持ちだって、父さんの気持ちだって、こいつに
謝らなければならないことなんて一つもないはずじゃんか!馬鹿!本当にっ、馬鹿!』
 珠生は怒鳴りながら、子供のようにしゃくりあげて泣いてしまった。
こんなに大勢の人間がいる中でこんなふうに泣くのはとても恥ずかしいが、それでも流れる涙は止まらない。
 「タマ」
そんな珠生の背中をアズハルが優しく撫でてくれて、珠生はそのままアズハルの胸に顔を押し付けてしまった。

 「・・・・・ひっ・・・・・ふぅ・・・・・」
 どのくらい経ったか。
多分、それ程時間は経っていないだろうが、珠生は後ろから乱暴に髪をかき撫でられた。
 「・・・・・いたい」
 「抱きつく相手が違わないか?」
 「・・・・・ラディ、近くにいなかった」
 「今はいるぞ?」
 「・・・・・アズハルでいい」
 今更、ラディスラスに泣きつくなんて恥ずかし過ぎる。いや、こうして少し落ち着いた時点で、自分が何を泣き喚いたのか思い出
し、珠生は逃げ出したい気分だった。
それを辛うじてしないのは、抱きしめてくれているアズハルの手が優しいことと、背後に感じる男の存在だ。珠生は何度も呼吸を
整えた後、
 「・・・・・ごめん、とーさん」
ようやく、その言葉が言えた。
 父の考えたことはとても頷けないが、それでも感情のまま馬鹿馬鹿と言ってしまったことは反省する。ただ、まだ顔を見れないの
でアズハルにしがみ付いたままで言うと、いやと穏やかな声が返ってきた。
 「確かに、私が考えていたことは、お前やミュ・・・・・ミシュアに対する裏切りだったな」
 「・・・・・」
 「とーさん・・・・・」
 「でも、私には他に、謝罪する方法が見付からなかった」
 ミシュアの身体が健康を取り戻した今、自分が絶対に支えなくてはならないということも無くなり、そうなった父の頭の中にあった
のはこの国への償いきれない謝罪の思いらしい。
 父の性格から、そう思ってしまうのは分かる。だが、恋というものは1人では出来ないものではないか。
父1人が悪いなんて、絶対に思えなかった。




 この国の王であるのに、無様に床に押し倒されている己の姿。
あまりにも滑稽で思わず口から笑いが零れると、腕や足を押さえていたラシェルやイザークがギョッとしたような目を向けてきた。
 「・・・・・イザーク、私はお前の王だ」
 「・・・・・はい」
 「その手を外せ」
 ミシュアの親衛隊だったイザークを海兵大将の位置にまで持ってきてやったのは、この男は自分に忠誠を誓ったからだ。その家臣
が主を拘束するなど考えられない。
 「・・・・・出来ません」
 「イザーク」
 「私は、この国を立派に栄えさせると誓ってくださったあなたに忠誠を誓った。ですが、今のこの国の凋落ぶりは・・・・・今のままで
はこのジアーラは滅びてしまいます」
 「だから、追放された皇太子を呼び戻したのか」
(結局、私のことを無能だと切り捨てただけか・・・・・)
 そう思われても仕方が無いほどの滅茶苦茶な政治を行ってきたが、それもこれもすべて周りが悪いのだ。
幼い頃に構ってくれなかった父が。
義弟よりも、愛する男の手を取った義兄が。
あなたしかおらぬと、口先だけで持ち上げてきた家臣が。
ミシュアが王であったらと、過去に縋ってばかりいる国民が。
 「皆・・・・・私には要らぬものだ」
 「王・・・・・」
 「・・・・・勝手にするが良い。この瀕死の国を救える者など、絶対にいるはずが無い」
 目を閉じて、身体の力を抜いた。もうどうなってもいい、この場で暗殺されても構わないと思ったその時、
 「逃げるのか!」
泣きそうな声が広間に響いた。




 ここまで皆が必死になっているというのに、自分1人で抜けたと言い出すのか。
ジルベールの無責任さに腹が立って仕方がなく、珠生はアズハルの胸の中から身体を離すと、そのままズンズンと足音が鳴る勢
いで男の傍に立った。
 「タマ・・・・・」
 ラシェルが何か言おうとしたが、珠生は勢いのままジルベールの腹の上に遠慮なく腰を下ろすと、そのまま服の襟首を掴む。ジャ
ラジャラとした飾りが煩かったが、この際無視だ。
 「あんたっ、おーさまだろ!このまま国民を置いて逃げる気か!」
 「・・・・・それが悪いか。お前達はミシュアを王に据えるつもりだったのだろう、私が引き下がった方が好都合ではないか」
 「そうだけど!でも!このままじゃダメだろ!」
 今にも崩壊するかもしれないジアーラという国を救うため、ミシュアをここまで連れて来たつもりだった。
だが、このままジルベールを追い落とすのは何だか違う。珠生は答えを求めるようにラディスラスを振り返った。