海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
ミシュアの側で待っていて欲しい。
珠生のその言葉に父は最初納得していないような笑みを浮かべていた。
『私が傍にいない方がいいと思うんだけれどね』
『そ、それは、そうかもしれないけどっ』
この一家の仲違いの一因でもある父が傍にいない方がいいだろうとは分かっている。特にジルベールはかなり捻くれたブラコンの
ようだし、誰も傍にいない時に父に辛く当たるかもしれない。
それでも。
『王子は父さんに傍にいて欲しいと思っているはずだよ』
『・・・・・』
『居心地悪いかもしれないけど、王子のために我慢してって、父さん』
珠生の言葉に、父はしばらく考えた後で頷いてくれた。
珠生も父が責められるのは嫌だったが、今のミシュアには父の存在が必要だとも感じている。今は気が張っていて冷静に見えるミ
シュアも、ふとその緊張感が解けた時、傍には一番信頼する者がいた方がいいはずだ。
それは父しかいない・・・・・珠生はそう確信を持って、父を説得したのだ。
そして今、珠生はエイバル号に乗り込んでいる。
その周りには数隻の海軍の船や、漁船も出港の準備をしている。海賊船がこんなふうに軍の船に囲まれているのはあまりいい気
分はしないものだが、今回は自分達も作戦に参加しているという大義名分があるので堂々と出来た。
「あ、そう言えばラシェルは?」
朝から姿を見ていないなと珠生が呟けば、側にいた乗組員が船には乗っていないと教えてくれる。
「え?乗ってないの?」
「お頭が何か言いつけたんじゃないか?」
「ふ~ん」
「あ、お頭っ!」
珠生はその声に振り向いた。
「ラディ!」
珠生が走り寄ってくる。まだ出航していないとはいえ、多少は揺れている甲板の上をそんなに走っているとこけてしまわないだろ
うか。
「うわぁっ!」
案の定、不意に傾いた床に踏ん張りが利かなかった珠生が倒れそうになって、ラディスラスはすぐさま手を伸ばすとその身体をしっ
かりと抱きとめた。
「あ、ありがと」
「よほどの場合が無い限りは走らない方がいいぞ」
多分この注意も直ぐに忘れてしまうだろうが、ラディスラスは一応そう言った。珠生は素直に頷いてくれたが、直ぐに思い出したよ
うに訊ねてくる。
「ラディ、ラシェルは?ルスバンなのか?」
「ラシェルか」
船に乗っていないのを訝しんだ珠生に、ラディスラスはこの状況をどう説明しようかと考えた。
「いいぞ、船を下りても」
ラディスラスの言葉にかなりの衝撃を受けたらしいラシェルだが、その言葉自体は真剣に考えると返事をしてきた。
ミシュアが居なくなったことで親衛隊を辞め、国を出たラシェル。そのミシュアが再び祖国に戻ることになって、自分が国を出ている
意味は無くなったと気付いたのだろう。
元々生真面目で、海賊といってもどこか軍人の気質が抜けなかったあの男には、やはり明るい陽の下を歩く方が似合っている
と思えた。
(それを、タマが分かってくれるかどうかだな)
最初こそ、ラシェルは瑛生に似ていた(親子だったが)珠生に辛く当たったが、今ではアズハルと共にまるで保護者のように珠生
を可愛がっている。
そのラシェルが船を下りるとなると、随分寂しい思いをさせてしまうかもしれなかった。
「ラディ?」
そして、それはラシェルだけではない。瑛生も多分、この地に留まるはずだ。
父親と、仲間。どちらが欠けても泣くだろう珠生を宥めるのも自分の役割かと、とりあえず今はこの問題を珠生には秘密にしてお
こうと考えた。
「あいつはミュウの側でやることがあるしな」
「あー、そうかあ」
「俺がいるから寂しくないだろう?」
わざと音が出るように頬に口付けをすると、珠生は焦ったように肘で胸を突いてくる。
寸前でそれを避けたラディスラスは、恨めしそうに自分を睨んでくる珠生に笑いながら言った。
「ほら、もう直ぐ出航だ。今回は王の許しも得ての堂々とした宝探しだ、頑張れよ、タマ」
「あたりまえ!」
珠生はそう叫ぶと、丁度姿を見せたアズハルの元へと向かう。
「どうやら、気付かれなかったようだな」
珠生の中でラシェル不在への疑念は晴れたようだとラディスラスがホッと息をつけば、乗組員がお頭とその名を呼んだ。
「出港準備が整いました!」
「良し!」
その言葉にラディスラスは意識を切り替える。これから港を出港し、再びここに戻ってくるまで乗組員達の命を預かる責任が船
長の自分にはあった。
船が港を出て行く。
エイバル号が先頭になって行く姿を港から見送ったラシェルは、硬い表情のまま馬に乗った。
(俺は・・・・・どうしたい?)
ここに、1人だけ取り残された自分がとても不思議だった。どうしてあの船に乗り、仲間達と一緒に海へと出なかったのか、今地
上にいる自分の姿が信じられない。
「元々、お前は好き好んで海賊になったわけじゃないだろう?大切な王子が祖国に戻ってきたんだ、国を立て直す手助けをし
たいと思わないのか?」
ラディスラスのその言葉には心を揺り動かされたし、ミシュアを慕う気持ちは強いままだったが、これまで数年行動を共にしてきた
ラディスラス達を仲間だと思っているし、今はそこに珠生もいる。
「・・・・・」
(俺が、決めないといけない)
誰かのためではなく、自分がどうしたいのか。
それを決める時間はそれ程長い時間ではないように思った。
潮風が頬を撫でる。
島が多いせいで風の向きが複雑なジアーラ国の海域は難所で、ラディスラスはずっと操舵室に閉じこもっていた。
今回はラシェルがいないので、甲板長の代役はルドーだ。彼もラディスラスと共に今は操舵室にいるので、甲板は心なしか雑然
とした様子だった。
「ねえ」
忙しそうに立ち働く乗組員を捕まえた珠生は、自分も何か手伝うと訴える。しかし・・・・・。
「いいよ、タマは。じっとしてな」
そう言って頭を一撫でして彼は行ってしまった。
「ちょっと・・・・・」
それはないのではないかと、珠生はまた別の乗組員を捕まえたが、
「まだ島には着かないし、食堂でジェイの手伝いでもしててくれ」
「え・・・・・」
「気をつけてな」
と、彼もまた珠生の肩をポンポンと叩いて足早に立ち去っていった。
「・・・・・」
(何か、俺って・・・・・役立たず?)
珠生は当惑したようにしばらくその場に立っていたが、やがて忙しく働いている皆の邪魔にならないようにとこっそりと船内に入り、
言われた通り食堂のドアを開けた。
「・・・・・」
「お、タマ」
「・・・・・ジェイ」
厨房の中にいたジェイは目敏く珠生の姿を見つけて声を掛けてくれる。何だかそれだけで嬉しくなり、珠生はそのまま厨房が見
える場所まで歩み寄った。
「手伝うこと、ない?」
「今か?」
「うん、俺、することない」
「あ~、今出航したばかりで皆殺気立っているからなあ」
船が潮の流れと風を捉えるまでが航海の中で一番危険が多いらしく、そのせいでラディスラスを始め乗組員達が皆忙しいのは
珠生も分かっているつもりだ。それに加え今回はラシェルが不在なので、皆がいっそうピリピリとしているのかもしれないが、何も役
目を与えられていない珠生にはそれを共有することが出来ない。
「俺だって、何か出来る」
すると、濡れた手を拭きながらジェイが側にやってきた。
「タマはこれからが大変なんじゃないか。もしも原石が見付かったら、またバクダンを使うかもしれないんだろ?」
「・・・・・うん」
「あれを正確に扱えるのはお前しかいない。幾つも見付かったらそれだけお前が動かなければならないんだから、今のうちに堂々
と休んでいればいいんだよ」
「・・・・・そうなのかな」
ジェイの言葉は自然と頭の中に入ってくる。彼が言うのならば・・・・・そんな気がして、珠生は縋るような眼差しを向けた。
「まあ、ラディがそう言ってたんだがな」
すると思い掛けない名前が出て、珠生は思わず声を上げてしまった。
「ラディがっ?」
「あれでも、ちゃんとタマのことを考えてるぞ」
「・・・・・」
(ラディが・・・・・)
出港してしばらくして潮の流れに乗ったエイバル号は、揺れも少なくなり安定した走りになった。
後はイザークやレオンと打ち合わせをした通りの島に手分けして立ち寄り、原石のあったヴィルヘルム島と同じような条件の場所
を探っていくことになっている。
せめて後2、3箇所、そういった場所があれば随分違うはずだ。ヴィルヘルム島もまだどれ程の原石が眠っているかは正確に分
かっていないことだし、期待外れにならないことを祈るだけだった。
「お頭、ここは任せてください」
「そうだな、頼むぞ」
舵取り役の乗組員2人とルドーをその場に残したラディスラスは、船の隅々に足を運んで今の状況を把握していく。
ラシェルはいないが、船には慣れた男達がいるので問題は無く、やがてラディスラスは船内へと下りていった。
「タマは食堂にいると思いますよ」
船の中を歩きながら珠生の姿も捜していたが、一向にその姿が見えないので幾人かの船員にその行方を訊ねたのだ。その中
の1人の言葉に一番可能性があるなと思って向かってみれば、厨房が見える木の机に目指すその姿はあった。
「・・・・・タマ?」
自分を見た瞬間、ほったらかされたと文句を言ってくると思ったのだが、どうやら眠っている珠生はとても静かだ。
「さっきまで起きていたぞ」
ジェイの言葉に、ラディスラスは起こさないようにそっと髪を撫でた。
「機嫌は?」
「悪かったな」
「起きたら大変そうだ」
「だが、お前が忙しいということは分かっているようだ。後で文句を言うと言っていたが・・・・・可愛い我が儘じゃないか」
「・・・・・まあな」
気にはしていたものの、なかなか声を掛けてやれなかった。後でいくらでも我が儘を聞いてやるつもりだったが、こんなふうに健気
に待っていられると何だか気恥ずかしくなって、ラディスラスは緩む頬を隠すことも出来なかった。
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