海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
休憩を挟んでさらに捜索をしたものの、日が暮れる頃になっても何の成果も無かった。
いくら小さな無人島とはいえ、そこを隅々まで調べるのは数日掛かるだろうが、何の手掛かりも見当たらなかったことに珠生は何
だかどっと疲れたような気がしてしまった。
(俺がこんなことを思うのもいけないかもしれないけど・・・・・)
島に下り立った時の予感は、もしかしたら本当に気のせいだったかもしれない。
ここが火山島だということも、単に気候のせいで暑いだけかもしれないと、それまで考えていた自分の予想を改めて考え直した。
「みんな、お疲れさん」
すっかり陽も落ち、浜辺に炊いた焚き火の前でラディスラスは戻ってきた乗組員達を労う。
「また明日もある、ゆっくり休んでくれ!」
その言葉に返す乗組員の声は威勢が良いものの、どこまでその元気は本物なのだろうか。
そんなことまで疑いだした珠生だったが、
「おーい!」
「・・・・・?」
(今の声?)
「伝令か」
「デンレー・・・・・ああ、お知らせ」
どうやら各隊の情報を持ってきた伝令がやってきたようだ。
波の音とは確かに違う、船を漕ぐ人工的な音がだんだん大きくなったかと思うと、月明かりの下で黒い物体が海の上を移動して
くるのが見えてきた。
やがてそれははっきりとした小船の形になり、船首にいた影がバシャッと胸元までの高さがある海の中に飛び降りる。
そこから浜辺までは少し距離があったが、影はあっという間に泳ぎ着いてしまった。
「御苦労だった」
伝令は主にイザークの部下が行っていた。
この領海内を熟知していることもあるが、ラディスラスとイザーク、そしてレオンの三者の関係性を考えると、イザークが指揮する兵
士が一番無難だったのだろう。
報告は、やはり変わりないというものだった。焦っても仕方が無いとは思うものの、それでも少しの進展も無いとなると心のどこか
で焦ってしまった。
(もしかしたら、宝石はあの島限定のことだったのかも・・・・・)
珠生の思考がマイナスに傾きかけた時だった。
ラディスラスが疲れを労っていた兵士が、島を見渡しながら口を開く。
「それにしても、幻の口がある島に上陸したのは初めてです」
「幻の口?なんだ、それは」」
聞き慣れないそれに、、ラディスラスは意味を問い掛ける。
「夜明け前、丁度この浜辺の反対側の岩肌に大きな穴が見えるんですよ。潮の満ち干きで見えないこともあるので、幻の口と
言われています。漁師の間では良い漁場と噂らしいですが」
「岩穴、か」
何かを考えるように呟いたラディスラスの横顔に、珠生も胸騒ぎを感じた。
(条件が揃わないと見ることが出来ない岩穴・・・・・)
多分、この島の地中に続いているとは思うが、もしもタイミングがずれてしまったら戻れないうちに溺れてしまいかねない。
そこを探索するのは危険な賭けだというのはさすがに珠生も分かったが、それを目の前の男に言っても聞き届けられないことは
もうこの時点で予想がついていた。
「反対ですね」
「反対だな」
アズハルとジェイがきっぱりと言い切る。
その反応にラディスラスは苦笑してしまった。自分でも危険であることは十分分かっていたが、それでもやってみる価値は十二分
にあると思ったのだ。
「タマはどうだ?」
「俺?」
自分達が話している間、珠生は珍しく黙って話を聞いていた。そして、ラディスラスがその名前を呼ぶと、一瞬だが不安げに瞳
を揺らすのが分かった。
もちろん、珠生本人にそんな危ないことをさせるつもりは無かったが、優しい彼は実際に潜っていく者のことを考えて反対するの
だろう。
(タマも反対ということか)
「・・・・・やってみても、いーかもしれない」
「え?」
しかし、次に聞こえてきた珠生の返事は思い掛けないものだった。
「タマッ?」
「おい、分かっているのかっ?」
「うん、分かってる」
アズハルやジェイにせめ寄られても、珠生はしっかりと言い切る。どうやら本気でその岩穴に入った方が良いと思っているらしい。
訊ねたラディスラスも確認するために繰り返し聞いたが、珠生は真っ直ぐに視線を合わせながらコクンと頷いた。
「それが、一番かのーせいがあると思う」
「タマ・・・・・」
「一日、波がいったりきたりする時間ってだいたい決まってるんだ。それを見てから船で入って行って・・・・・それで島の中に入って
いけるかもしれない」
「・・・・・」
悩みながらもそう言った珠生に、ラディスラスは万人の力を得たような気がした。
潮の満ち干きには法則があるはずだ。
2、3日時間を取って、それをきちんと調べてから、逆算して船で中に入って行くことは出来るはずだった。
今のままでは奥がどれほど続いているのか分からないが、途中で時間になったら絶対に引き返すことを約束すれば。
(島の表側には何も無くても、中の方に何かあったら・・・・・)
珠生のその説明に、最初は岩穴を探ることに否定的だったアズハルやジェイも渋々とだが頷いた。
海賊を名乗るほどの彼らだ、恐怖から逃げたというのは面白くない言いわけなのだろう。
「そうすると、だ」
今度は誰が向かうかという話になった。
ラディスラスは決定だ。後は小船の漕ぎ手を考え、最少人数でもあと4人は同行しなければならないだろう。
「お頭っ、俺が!」
「俺が行きます!」
「俺だって!」
乗組員達は口々にそう言って立候補する。ラディスラスの代わりとして残らなければならないルドーなどは、立候補が出来なく
て悔しいというような表情をしていた。
「・・・・・」
「タマは留守番ですよ?」
「アズハル・・・・・」
アズハルに言われなくても、泳げない珠生は波が迫ってくるだけでもパニックになるかもしれない。返ってそれは同行する者達を
危険に晒す行為だと思うので大人しくしようと思うものの、時折こちらを見るラディスラスの視線の意味が分からなかった。
(俺にどうしろっていうんだ?)
大人しく待っていろと言うのか。
それとも付いて来いと言うのか。
「・・・・・」
しかし、珠生は結局自分が決めなければならないことだということが分かっていた。ラディスラスに同行を促されても怖かったら行
けないし、反対に待っていろと言われても我慢出来なければそのまま一緒に行くだろう。
(俺は・・・・・)
珠生が悩んでいる間も、ラディスラスの同行者は次々と決まっていった。皆泳ぎが上手く、力も強い者達ばかりだ。
「後1人だ」
「・・・・・」
(後1人・・・・・)
「じゃあ・・・・・」
「・・・・・」
珠生はギュッと目を閉じ、右手を真っ直ぐ上げて立ち上がった。
「俺行く!」
「!」
ざわついていたその場が静まり返った。
直ぐに同行を許可するだろうと思ったラディスラスもしばらく黙っていて、その後本当にいいのかと確認するように聞いてくる。
「今回は本当に危険だぞ」
そんなことは言われなくても十分分かっていた。半分自棄になっているのかもしれないが、それでもちゃんと自覚して手を上げて
いるのだ。
「タマ」
「俺、言い出したから!」
わざわざラディスラスを危険に誘うようなことを言ったのは自分だ。このまま逃げることは出来ない。
「お前・・・・・」
「あ、危なかったら、みんなに守ってもらうからっ」
思いっきり足手纏いになる覚悟で、珠生は半分睨むようにラディスラスの顔を見つめる。
そんな珠生の視線を真っ直ぐに捉えたラディスラスは、フッと嬉しそうに笑って珠生の上げた右手を掴んだ。
「これで決定だ」
それから3日時間を掛けて、ラディスラスは潮の流れを見ていた。
季節的にも恵まれていたのか波はそれほどに荒くなく、幻の口というものの存在もはっきりと認識出来た。
そして、いよいよ4日目の今日、この岩穴に船を入れる日が来る。エイバル号を島の反対側に停泊させたラディスラスは、下ろ
された小船に乗組員が乗り込むのをじっと見ていた。
「一番小さい船がやっとなくらいだな」
「ラディ」
アズハルは心配でたまらないというような表情のまま、仕度をしている珠生に視線を向けて言う。
「制限時間は忘れていませんね?けして無理はしないように」
「分かっている、タマもいるんだしな」
「あなた達もですよ」
心配しているのは珠生のことだけではないと言われ、ラディスラスは照れくさくなって笑った。
船長である自分が何事も先頭に立つのは当然だ。失敗することなど誰も考えず、絶対的な信頼を向けられることには慣れてい
ても、その身を心配されるのはどうにも慣れなかった。
「分かった、分かった」
つい茶化してしまうラディスラスに、アズハルは強い口調で念を押してくる。
「あなたも含め、皆の無事を約束するのもあなたの役割ですから」
「分かってるって」
「ラディッ」
「本当に、任せてくれ」
ラディスラスはポンとアズハルの肩を叩くと、ようやく準備を終えた珠生の元へ歩み寄った。
「出来たか、タマ」
「う、うん」
さすがに珠生の顔色は青白かったが、それでも嫌だとは言わないようだ。
「・・・・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫だって!」
妙な所で度胸の良い珠生に笑い、ラディスラスは先に自分が小船に下りて次に下りてきた珠生の身体をしっかりと抱きとめた。
「気をつけて下さい!」
身を乗り出すように言ったアズハルに手を振ると、ラディスラスは固定していた綱梯子を小船から離して、そのまますっぽりと口を
開けている岩穴へと船を漕ぎ始める。
「時間が無い、急ぐぞっ!」
今、岩穴は海面から丁度ラディスラスの身長くらいに口を開けていた。そこから中に入ると、入口から想像出来なかったくらいに
横幅は広い。
「すごい・・・・・」
「タマ、火を」
「あ、うん」
松明に種火をつけると、薄暗かった周りの様子が目に入ってきた。
波に削られて滑らかになった岩肌が、幾つもの層となって綺麗な曲線を描いている。火に照らされた海は、緑とも青ともつかない
ような不思議な色合いに見えて・・・・・。
「キレイ・・・・・」
思わず呟いただろう珠生に、ラディスラスもそうだなと返す。きっと自分の声もどこか呆然とした響きを伴っているだろうが、こんな
にも神秘的な海の色を見るのは初めの経験だった。
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