海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「と、とーさん!」
興奮したミシュアを少し休ませてやろうと全員が1階に下りた時、珠生がいきなり瑛生の名前を呼んだ。
いや、半ば叫んでいるようにも思えるほどに大きな声に、ラディスラスは今から珠生が何をしようとしているのかを想像して思わずほ
くそ笑んでしまった。
(どう謝るんだろうな)
「あ、あのっ」
2人の間に何があったのか見ていないラシェルとイザークは、不思議そうな顔をしている。ただ、邪魔をしてはいけないとは思って
いるのか、口を挟むことはなかった。
「さ、さっき!」
「さっき?何かあったかな」
大人の瑛生は先ほどのことを全てなかったことにするつもりらしい。それも一つの方法だとは思ったが、どうやら珠生には瑛生の
気遣いは効かないようだった。
「ごめん!」
「珠生」
「俺っ、さっき、言いすぎた!あんなこと、ホントは思ってないよっ?とーさんが俺のこと、ちゃんと愛してくれてるの、俺っ、分かっ
てる!分かってるから!」
「・・・・・そうか」
瑛生は目を細めて笑った。今にも泣きそうなほどに顔を歪めていたが、それでも嬉しそうな表情は分かる。
どんな言葉を言い合ったのか分からないが、それでも一度口に出したものは無かったことに出来ない。ただ、その言葉を心の内で
浄化させることは出来るのではないかと思った。
「良かったな、タマ、エーキが許してくれて」
「お、俺たち、ケンカしてないよっ、ねっ?」
「はは、そうだな」
素直に謝罪し合った親子は、再び親馬鹿子馬鹿に戻ってしまう。
珠生の悩む顔を見るのは可哀想だったが、これは今度は自分自身が可哀想なんじゃないかと、ラディスラスは笑い合う2人を前
に複雑な心境だった。
父と仲直りをした(一方的に自分が怒っていただけだが)珠生は、そのままラディスラスとラシェルと共に港に向かうことになった。
エイバル号の乗組員達はほとんどが船の中で寝泊りをしている状態で、彼らに今からのことを相談しに行くと言うのだ。
「みんな、いいって言うかな?」
「どうだろうな」
「ラディがめーれーしたら?」
「タマ。命令して動く奴は、いざという時に自分で判断出来なくなる。もちろん、エイバル号の船長は俺だが、あいつらにもあいつ
らの生き方がある。タマ、前にも・・・・・ベニート共和国の時にも、俺は奴らに聞いていただろう?」
「あ・・・・・うん」
「お前達には前にも説明したが、今ここで申し出ればしばらくの休暇を与えてやる!今回のことは俺が勝手に決めたことだし、
お前達の命は守るつもりだが、ベニートという大国相手の喧嘩だ。もしものことというのも考えてもらっていい」
海上で出会ったベニート共和国の第二王子ユージン・クライス。
ミシュアの手術をしてくれる医師、ノエルを紹介してくれた彼との約束を守る為に、彼の兄ローランを次期王座に就かせるべく奔
走した。
珠生自身がしたことは僅かだったが、皆が協力してあの作戦は成功したと言っていいだろう。
今回も、父やミシュアのために力を貸して欲しいが、みんなは何と言うだろうか。
「そんなの、お前がにこっと笑って、お願いって言えば簡単だって」
「はあ?」
「まあ、やってみろ」
「・・・・・分かんないんだけど」
ラディスラスは時々珠生が想像出来ないことを言うが、今回も意味が分からないことを言って一人でほくそ笑んでいる。
(笑って話が済むなら簡単なんだよ)
それで上手くいかなかったらどう責任を取ってくれるんだと思いながら、珠生は次第に風に潮の匂いが混ざってきたことを感じ始
めた。
港に着いたのは既に日も暮れかかる頃だった。
船に近付くと直ぐに良い匂いが漂ってきて、そろそろ夕食時なのだと分かった。
そういえばエイバル号の料理長、ジェイの手料理を久しく食べていない。父が作る料理はもちろん美味しいが、ジェイの作る海の
男という感じの料理も大好きな珠生は、小舟から船に乗り移る綱梯子を登りながら既に腹が鳴っていた。
交代で夕食を食べた後、ラディスラスは例のごとく乗組員全員を甲板に呼んだ。
前に立つのはラディスラスにラシェル、そして珠生だ。
「みんな、そろそろ身体が鈍ってきた頃じゃないか?」
「航海に出るんですか、お頭っ」
茶化すように叫んだ乗組員の言葉に、ラディスラスがにやっと笑う。
「まあ、似たようなもんかな」
「・・・・・」
(そんなに引っ張ってどうするんだよ)
要は、また私用で動いて欲しいとお願いしなければならないのだ。最初はもっと低姿勢でいいのではないかと思うのだが、これが
ラディスラスらしいと言えばそうなのかもしれない。
「聞いてくれっ!」
ラディスラスが説明を始めると、ざわついていた男達の話し声は止み、真剣に聞いている様が分かる。
珠生は隣に立つラシェルを見上げた。
(・・・・・心配だろうな)
前回、ベニート共和国の王位継承権争いに割り込んだ時は、王室の中にユージンという味方がいた。やがて王妃も手伝ってく
れ、結果、誰の血も流さないまま望みは叶えられたのだ。
しかし、今回向かうジアーラ国には、こちら側の味方は皆無と言っていい。以前よりももっと危険だし、何より何の報酬もないの
だが、それでも彼らは手を貸してくれるだろうかとラシェルも心配で仕方が無いだろう。
「・・・・・」
「・・・・・っ」
珠生は無意識のうちにラシェルの手を握った。その瞬間、ラシェルはハッと珠生の方へ視線を向けてきたが・・・・・握った手を離
そうとはしない。
(信じようよ、ラシェル)
珠生の思いを感じ取ったのか、ラシェルの手にも力が込められたような気がした。
「・・・・・どうだ、今の話を聞いて、お前達はどう思ったっ?」
噂で聞いているよりも酷いジアーラの現状。その中に、いくら大義があるとはいえ海賊である自分達が乗り込めば、外から見た
悪はこちら側なのだ。
「全く、海賊とは思えないほど人が良いんですねえ、お頭は」
先ず、年配の乗組員が苦笑しながら言った。
「こちらの得になる物が何も無いってーのに、自ら危険の中に飛び込むって言うんですからね」
「はは」
「でも、ま、良いんじゃないですか?俺達も王子のことを知らない仲じゃないし」
「そうそう、俺達義賊だし?」
若い乗組員がまぜっかえすように言えば、周りがいっせいに沸いた。
「じゃあ、いいんだな?」
「お頭がややこしい問題を持って帰るのは何時ものことでしょう!」
仲間の遠慮のない言葉にラディスラスは笑った。
普段船の上では、ラディスラスは乗組員達にとって絶対の立場にいる頭だ。しかし、一方では心を許し合う仲間として認めてくれ
ているのだろう。
「ラシェル」
ラディスラスは微動だにしなかったラシェルを振り返る。
(ん?なんだ、それは・・・・・)
なぜか、珠生としっかり手を握り合っているラシェルの姿に思わず眉を顰めたものの、それでもラディスラスは皆の意見はこうらしい
ぞと言葉を続けた。
「ラディ・・・・・ありがとうございます」
「礼は俺にじゃなくこいつらに言え。それと」
ラディスラスは珠生の腕を引っ張った。
「こいつは離せ」
「あ・・・・・すみません」
「・・・・・」
(無意識だったってことか?)
それの方が性質が悪いなと思いながら、ラディスラスは珠生を見下ろして言う。
「お前もフラフラするなよ」
「えーっ、なにそれ?・・・・・ったく、みんなー、よろしくねー!」
ラディスラスの言葉に珠生は反抗するように口を尖らせた後、にっこり笑って乗組員達に叫び・・・・・大きな歓声が湧いた。
(こっちも、分かっていない、か)
それはそれで良かったのかと、ラディスラスは鈍感過ぎる珠生と、生真面目過ぎるラシェルの性格を思って思わず苦笑を零してし
まい、余計なことを考える自分の方が馬鹿なのかもしれないと思ってしまった。
思った以上に話し合いはスムーズにいった。
どうやらエイバル号の人間は今回のことを人のために動くというより、退屈しのぎに暴れまわるという意味合いの方が強いようだ。
それはまさに以前のベニート共和国の時と同じで、もしかしたら自分達が一国を脅かすことが出来たということが楽しくて、それが
癖になったのではないか。
(それはそれで困るけど)
こんなことは何回もあったらたまらないと思うが、やる気になってくれたこと自体はとても嬉しい。
きっと大丈夫だと心の中で言い聞かせている間に、ラディスラスは彼らにさらにこれからの作戦を説明し始めた。
「タマ、食後の果物だ」
「あ、ありがと!」
珠生がラディスラス達から少し離れた甲板に腰を下すと、ジェイが皮のまま食べられる果物を持ってきて手渡してくれる。それを
素直に受けた珠生の隣に腰を下したジェイは、陸地での生活のことを聞いてきた。
「へえ、じゃあ、タマも料理を手伝っているのか?」
「そうだよ」
「次の航海の中では楽しみが増えるかもしれないな」
大きな手で頭をかき撫でられるのは子供扱いをされているみたいで面白くはないものの、それがジェイ相手だったら少し素直に
受けることが出来る。瑞々しい果物を頬張りながら、珠生は張り切って答えた。
「俺、いっぱい手伝うから」
「頼りにしてるぞ」
「へへ」
(頼り、か)
もちろん、自分がそんな風に言われるほど役に立てるなどと思えないが、ジェイの言葉は自分に居場所を作ってくれているようで
嬉しかった。
何時も何をしたらいいのかと船の中を駆け回っているのは虚しくて、それでもラディスラスに言えば、
「お前はそこにいればいいんだよ」
と、笑いながら言われるのがおちだった。
ここで何かしたいのだと訴える珠生の気持ちを敏いあの男が分からないはずはないと思うが・・・・・。
(絶対、意地悪で言ってるんだよ、ラディはっ)
「それで、こっち側に10人が・・・・・」
ラディスラスはラシェルと共にまだ作戦の説明をしている。そこに珠生がいないということはあまり関係ないようだ。
「・・・・・」
(こっち向け)
試しに念を送ってみると・・・・・多分、本当に偶然だろうがラディスラスと目が合う。
「!」
(あ、焦った)
自分の方が見ていたくせに、珠生は急に恥ずかしくなってしまって慌てて視線を逸らしてしまった。
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