海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ただ待つことしか出来なかった船上のアズハルの耳に大きな音が聞こえてきた。
 「今・・・・・」
 「ああ、何か聞こえた」
それはアズハルだけではなく、側にいたジェイやルドーにも聞こえた音らしい。3人が目を凝らすように島を見ていると、今はほとん
ど波の中に消えている岩穴の奥まった向こう側に、茶色い煙が微かに立ち上っているのが見えた。
 「・・・・・土煙だな」
 「崖崩れか?」
 「何かが崩落したのかもしれない」
 「ルドーッ、早く島に戻って!」
 アズハルは思わず叫んだ。
嫌なことを想像したくないと思うのに、岩穴の中の横道を上っていったという4人が入った穴がどうなったのか、あの煙と連想させる
と胸騒ぎがしてたまらなかった。
 「タマ・・・・・ッ」
 ラディスラスが付いているのだから絶対に大丈夫だと胸の中で言いきかせていても、見知らぬ島の、それもごく狭い穴の中で何
が起こっているのかは外にいる自分達には何も分からない。
 船が動き出し、岸に向かって進み始めても、アズハルは細く空へと登っていく茶色い煙から一瞬たりとも目を離すことが出来な
かった。




 耳が痛い。
さっきの爆発音で一時的にそうなっているだけだと思いたかった珠生は、ようやく自分が何かに覆いかぶさられていることに気が付
いた。
(い、岩っ?)
 大きな石かと思ったが、全く自分に掛かってこない重さと背中に伝わる温かさで、それが人間であるということは直ぐに分かった。
 「ラ、ラディ?」
こんなふうに自分を守ってくれるのはラディスラスしかいないと名前を呼ぶが、未だにキーンと耳の奥が痛いので返答があったとして
も聞き取れない。
しっかりと抱き込んでくる手には力が込められているので大きな怪我はしていないだろうが、とにかくその無事な顔を見たいと珠生
は何とか身体をずらして自分の背後に視線を向けた。
 まだ土煙がおさまっていないので視界は悪いが、先ほどとは驚くほどに違う面がある。それは、暗闇だった岩穴の中に光が差し
込んでいること・・・・・どうやら、塞がっていたあの岩の向こうはやはり外へ続く岩穴だったようだ。
(よ、良かった・・・・・)
 狭く暗い場所から出られると思っただけでも随分精神的に楽になったが、続いて珠生の目に入ってきた光景に思わず声を上げ
てしまった。
 「ラディッ?」
 ラディスラスの頬には赤い血が滴り落ちていた。
いや、それだけではない、珠生を抱きしめてくれていたはずの左腕も大きく服が裂け、血が流れているのが見える。
 「ラディ!」
 「・・・・・」
 ラディスラスの目はじっと自分に向けられていた。
目が合った途端に彼の口が開いたのが分かったが、何を言っているのか音がまだ聞こえない。それでも、

《タマ》

そう形どった唇を見て、珠生はグシャッと顔を歪めた。
 「お、俺の心配、する、なよっ」
 明らかに珠生よりも酷い怪我をしているのはラディスラスなのに、それでも気遣わしげな目で男が見ているのは自分の顔だった。
もっと痛いと、苦しいと言えばいいのに、こんな時にまでカッコをつけるなと叫びたい。
 「・・・・・マ、大丈夫か?」
 「・・・・・っ」
 ようやく、ラディスラスの声が聞こえた。
 「あ、当たり前!」
心配を掛けたくなくて思わず叫ぶように言うと、ラディスラスは目を細めて良かったと呟いた。




 想像はしていたものの、バクダンの威力は相当なものだった。
それでも、始めの珠生の準備が良かったのか、立ちはだかっていた岩壁の多くは向こう側へと吹き飛んでいったらしいが、中にい
る自分たちの方へも相当な数の石が飛んできた。

 ガッ!

 「う・・・・・っ」
 珠生の身体を庇うように覆いかぶさっていたラディスラスの身体はそれだけ壁側から出っ張ってしまっていて、余計に石が当たる。
その中の幾つかは容赦なく頭や背中、腕にあてって、ラディスラスは呻き声を噛み殺すのに精一杯だった。
 「・・・・・痛っ」
(タマッ?)
 それでも石が降ってきたのは一瞬で、後は凄まじい砂埃に息苦しくなる。
腕の中の珠生は無事だろうかとその顔を覗き込もうと身を屈めたラディスラスは、左腕に走った鋭い痛みに頬が引き攣った。
(やられたか・・・・・っ)
 大きな石が当たったのは分かっていたが、どうやらそれで左手が駄目になったらしい。
それでもラディスラスは痛む腕を持ち上げ、何度も珠生の名前を呼んだ。

 「あ、当たり前!」
 半泣きの顔で自分を見る珠生に何とか笑みを向けると、今度はその向こうに視線をやった。
 「無事かっ?」
 「・・・・・い」
 「おい!」
 「大丈夫です!」
 「お頭はっ?タマは無事ですかっ?」
少し間を置いて乗組員2人の声が返ってきた。その調子からも大きな怪我はしていないらしい。
ラディスラスはホッとして、ようやく息をついた。
 「どうやら、外に出られそうだな、タマ」
 ラディスラスの目にも外の明かりが見えていた。痛みは強烈だが、それでも助かったという思いがずいぶん心を軽くする。
岩穴の中にはゴロゴロとバクダンによって小さくなった石が転がっていてさらに狭くなっていたが、それでも何とか前へ進めるはずだ。
 「行くぞ」
 後ろにいる乗組員と交代することは出来ないし、珠生を先頭にさせるわけにもいかない。
必然的に自分がそのまま進もうとすると、珠生がいきなり腕を掴んできた。
 「・・・・・っ」
 ピリッと走った痛みにさらに頬が引き攣ったが、ラディスラスは出来るだけ平静な声でなんだと聞き返した。
 「俺が行くから!」
 「タマ」
 「大丈夫、ラディは後から来て!」
珠生なりに気遣ってくれているのだろうが、この先に何が待っているのかと思うと絶対に珠生を先に行かせられない。痛みよりも心
労の方が響くのだ。
 「大丈夫だ。その代わり、ゆっくりと進むから」
 断続的に痛む左腕にはほとんど力を加えられないし、右腕だけを使って石を掻き分けながら先に進むのには時間が掛かりそう
だ。
ラディスラスはそう前置きしてから、ようやく足を踏み出した。




 「・・・・・っ」
 時折、ラディスラスが苦しそうな息を吐くのが聞こえてきた。
右手だけを使っている様子が後ろから見ていても分かるので、左手の負傷はかなり酷いのかもしれない。
(痛いのならちゃんと言ってくれたらいいのに・・・・・!)
 「もう、直ぐだっ」
 「ラディッ」
 「・・・・・外だ!」
 直ぐ目の前にあると思っていた光の元に辿り着くにはずいぶんと時間が掛かってしまった。
それでも確実に前へ進み、珠生はやっと明るい光の下へと出ることが出来た。
 「・・・・・ん!」
思わず声を上げて背伸びをした珠生は大きな息をつく。こうして何気なく立ち上がり、呼吸が出来ることがどんなに幸せなのかを
しみじみと感じた。
 そして、直ぐにラディスラスの姿を見る。
岩穴から少し離れた場所に座り込んでいたラディスラスは、陽の下で見ると砂埃と血でボロボロだった。
 「ラディ!」
 「大丈夫だったか、タマ」
 ダランと下に下ろしたままの左手を押さえ、頬に張り付いた血が渇いた姿で、それでもラディスラスは笑いながら珠生に訊ねる。
珠生は小さく馬鹿と言うと、そのまま後から出てきた乗組員に言った。
 「俺の服、引っ張って!」
 「え?」
 「ラディの手当てするから!」
 「服を破るのか?」
 何をするのか分からないようだったが、それでも乗組員は珠生の服の袖を引き破いてくれた。
それをさらに縦に細長く切り裂いてくれと頼み、珠生は地面に落ちている木の枝を探した。出来れば真っ直ぐな板が欲しいが、
ここでそれを望んでも無いものはない。
 「あ!」
 少し曲がってはいるものの、それでも丁度良さそうな枝を見つけた時、出来たぞと声が掛かった。
 「ありがと!」
珠生はラディスラスの側に座って、引き裂いた布を持ってきてくれた乗組員にラディスラスの腕を押さえてくれと言った。
 「おい、タマ」
 「俺だって、よく分かんないけどっ、しないよりはましだと思う!」
 「ましって・・・・・痛っ」
 「お頭っ」
 「押さえて!」
 どんなに痛がっても、最初にちゃんとしておかないと後で困るのはラディスラスだ。
 「たぶん、骨が折れてる。後でアズハルに見てもらおう」
捻挫とか脱臼とかならばまだいいが、このラディスラスがあからさまに痛みを訴えるのだから事態はもっと悪いはずだ。
(俺だって、救急の処置なんてうろ覚えだしっ)
それでも、なんとか木に腕を固定して、布でグルグルに巻いた。

 後はともう一度その顔を見ると、頬を汚している血が気になった。こんなに動けるし、話せるのなら大きな怪我ではないだろうが、
頭のどこかを切ったのは確かなはずだ。
(水、水があれば・・・・・)
 どこかに湧き水が無いだろうかと、珠生はようやく顔を上げて辺りを見回した。
 「・・・・・ここ・・・・・・」
見渡す限りが茶色く、黒い岩ばかりがある。緑がまったくないのは、ここが本当に火山島だという証のように思えた。
 「頂上なのかな」
 周りにはここ以上に高い景色は見えない。
ここにならもしかして原石があるかもしれないと思ったのだが、今通ってきた岩穴の中にはそれらしいものはなかった。
結局、ラディスラスに酷い怪我を負わせただけなのかと溜め息をつきながら目を伏せた珠生は、
 「・・・・・え?」
そこに、光を見つけた。
 「おい、タマ?」
 「ちょ、ちょっと待って!」
 じっと俯いたまま動かなくなった珠生の名を呼ぶラディスラスの声は聞こえたが、珠生はハッと我に返るとそのまま地面に這いつく
ばる。
 「タマッ?」
 「・・・・・」
(ま、間違いない、よな?)
 「おいっ」
地面の岩の中、少しくすんでいるものの、はっきりと分かるこの赤い色は・・・・・。
 「るびーだあ!!」
珠生の歓喜の声が青空に響いた。