海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ラディスラスは珠生の指差した岩をよく見た。そこには確かに赤い塊がある。
 「これが宝石なのか?」
ラディスラスの目から見ればただの綺麗な石としか見えないが、珠生は絶対にそうだと興奮したように言う。
 「宝石って、ちゃんと加工して初めてキレーなんだよ!」
 「良く知っているなあ」
 「え?」
 「タマは本当に何でも知っている」
 言動はまだまだ幼く思えるのに、こうして宝石についての知識や怪我への対処の仕方、そしてバクダン作りなど、ラディスラス達
がよく知らないことまでどうして知っているのかと感心すると共に不思議に思った。
 珠生はラディスラスの言葉にカッと頬を赤くしたが、やがて少し口を尖らせて説明してくれる。
 「俺、マンガ好きだったし」
 「マンカ?」
 「あー・・・・・っと、俺の国の本。それに、ちょこちょこ出てくることを少し思い出しているだけ!」
ラディスラスは頷いた。確かに本には色々な知識が詰まっている。ただ、珠生が本好きだとは意外な気もしたが、そのおかげで助
かっているのだからありがたいと思えばいいだろう。
 今2人の乗組員のうち1人は山を下って仲間を呼びに行き、もう1人はこの辺りの様子を探索に行っている。
2人共に擦り傷や打ち身はあったものの、先頭にいたラディスラスほどの負傷は無く、ラディスラスは今珠生と2人、固い岩の上に
腰を掛けている状態だった。
 「熱いな」
 「うん」
 地面や空気は熱いが、今破壊した岩穴の石はまだ少し冷たく、辛うじて座っていられた。
 「丸焼きになることはないと思うが」
 「へ、変なこと言うのやめろよっ」
珠生は急に不安になったのか、立ち上がってキョロキョロと辺りを見回している。
もちろん今の言葉は冗談だったが、本当は出来るだけ早くこの場を離れた方がいいとラディスラスは考えていた。ただ、手の負傷
だけでなく、足もどうやら捻っているらしいラディスラスは山道を下るのは困難だ。
 ズクズクと熱を持っている足首に一瞬視線をやった後、立ち上がっている珠生の名前を呼んだ。
 「タマ」
 「な、何だよ」
 「本当に痛むところはないのか?」
一応自分の目で見て確かめたが、意地っ張りな珠生はどこかが痛んでも秘密にしているかもしれない。今のラディスラスにとって
はそれが一番心配だったのだが、珠生は腕を曲げてこの通りと言って来た。
 「俺はピンピン」
 「・・・・・」
 「ラディが守ってくれたから」
 「タマ」
 「・・・・・ありがと」
 珠生は早口にそう言って、慌てて目を逸らしてしまう。
(良かった・・・・・本当に)
自分の我が儘でこんな場所までつれてきたのだ、珠生に怪我がなくて本当に良かった。
ラディスラスは深く息をつくと、少し離れた場所にある赤い原石を含んだ岩に視線を向ける。ここに原石があったのは本当に幸運
だが、前とは違いこんな場所にあるので発掘はかなり大変だろう。
 それでも、ここからはこの国の人間の仕事だ。
 「本当に、あるなんてな」
 「え?」
 「宝石」
ラディスラスにつられるように珠生の視線も動いた。
 「多分、条件が合ってるんだろうな。探せばもっとあるかもしれない」
 「ああ」
 「でも、宝探しはもう十分。・・・・・もう、ラディにケガしてほしくないよ」
 小さな声で呟かれた言葉は、しっかりとラディスラスの耳にも届く。その言葉が聞けただけでも怪我をした甲斐はあったかもしれ
ないと、ラディスラスは痛みをごまかすために暢気なことを考えていた。




 それからしばらくして、辺りを探索していた乗組員が戻ってきた。
 「お〜い!」
 「ヨシフッ」
 「少し向こう、熱いですが水がありましたよっ」
 「えっ?本当っ?」
 「ああ、ほら」
ヨシフは自分の髪を纏めていた布を濡らしてきてくれたらしく、珠生の手にそれを乗せてくれる。
 「・・・・・っ」
 それはかなり熱かった。今の時点でこれだけ熱を持っていたならば、実際の水・・・・・いや、湯はかなりの温度だったはずだ。慌
ててヨシフの手を見ると、彼の手は真っ赤になっている。
(ラディのために・・・・・)
 顔を汚している血をどうにかしようと考えてくれたのだと思うと珠生も胸が詰まったが、今は感動して手を止めている場合ではな
いと、直ぐに布を広げて少し熱を冷ました。
 「タマ、先ずお前が顔を・・・・・」
 「俺は後でいい!」
 自分がどんな顔をしているのか分からないが、汚れなら後でいくらでも拭えばいい。今はラディスラスの額と頬を汚す血をどうに
かしたくて、珠生は出来るだけそっと手を動かした。
 「・・・・・痛っ」
 「だ、大丈夫?」
 「ああ」
 「・・・・・」
(・・・・・頭、やっぱり切れてるのかな)
 髪の毛でよく分からないが、頭のどこかを切っているのは間違いないはずだ。頬にも幾つもの擦り傷があり、痕にならなかったら
いいのにと思う。珠生の大好きな顔に痕が残るのはやはり嫌だ。
(傷があっても・・・・・カッコいいだろうけど・・・・・)
 「・・・・・馬鹿」
 「な、なんだよっ」
 手当てをしているのに馬鹿とは何だと思わず怒鳴ったが、ラディスラスは困ったような顔をしたまま珠生の手に自分の手を重ねて
きた。
 「泣かれたら、どうしていいのか分からないだろう」
 「な・・・・・く?」
 自分は泣いているのだろうか?
確かに視界は歪んでいたが、これはきっと目の中に砂埃が入ったせいだと、珠生は再びラディスラスの顔を布で拭き始めた。




 空が赤くなり始め、急激に寒くなってきた。
ブルッと震えた珠生に気がついたラディスラスは自分の着ているものを脱いで手渡そうとしたが、珠生に無理はするなと怒鳴られた
ので肩を抱き寄せることで我慢した。
 「変なことしないでよ」
 口では文句を言うものの、珠生もラディスラスの胸に擦り寄ってくる。それでも何時もよりは少し遠慮をしている様子に、自分の
怪我を心配してくれているということは分かった。

 グゥゥゥ〜

 「あ」
 「どうするかなあ」
 静まり返っているという状態でもないのに、こんなにはっきり聞こえた珠生の腹の音。そういえば朝食べてから何も口にしていない
状況だった。体力も使ったし、せめて水があればいいのだが、それも熱湯というのは口に出来ない。
 「何か探してきましょうか」
 ヨシフがそう言ってきたが、ラディスラスは即座に駄目だと首を横に振った。
 「今は火も無いんだ、真っ暗な中でもしも足を滑らせて怪我でもしたらどうする」
 「ですが」
 「大丈夫だよ、ヨシフ。一日くらいダイエットするから」
珠生もそう言って、ヨシフを押さえる。
明るい時に見たこの辺りは岩ばかりだったし、珠生のバクダンのせいで地盤がどれだけ影響を受けているのか分からない中で動き
回るのは危険だ。
(明日になれば、ルドーたちが迎えに来てくれるはずだ)
 山を下っていった乗組員が下に着くには、どんなに急いだとしても夜遅くなってからのはずだ。
それから夜明けと共に直ぐに登って来てくれたとしても、早くて夕方・・・・・。
(体力はもつだろうが・・・・・)
 肉体的にはもちろん、精神的に珠生が参らないようにと、ラディスラスは怪我をしていない方の手でもっと強く細い身体を抱きし
めた。








 身体の節々が痛む。
こんなに硬いベッドに寝ているのかと寝返りをうとうとした珠生は、ギュウッと強く拘束をされてパッと目を覚ました。
 「・・・・・え?」
 一番に視界に映ったのは日に焼けた喉元。誰かに抱き寄せられていると分かった珠生がそのまま視線を上に向けると、じっと自
分を見下ろしている紫の瞳と目が合った。
 「早起きだな」
 「・・・・・身体、痛い」
 「こんな所で眠ったんだから仕方が無いな」
 ゆっくりと身を起こすと、珠生は平坦な岩の上にラディスラスと抱き合うようにして眠っていたことが分かった。
早朝の空気はまだ冷たかったが、地熱のせいか岩は温かい。風邪をひかなかったらいいんだけどと背伸びをした珠生は、ラディス
ラスの腕を改めて見た。
(血・・・・・)
 応急処置で巻いた布は当然替えがなかったのでそのままだったが、血が固まってどす黒く変色をしている。早くちゃんとした治療
をした方がいいのは分かっていたが、足も引きずっていたラディスラスが山を下りるのは難しいだろう。
 「・・・・・俺、体力ないし・・・・・」
 「タマ?」
 ラディスラスを背負えるほどの力があればと今更ながら思って溜め息をついた時だった。
 「・・・・・ァ・・・・・」
 「今」
 「何?」
ラディスラスが眉間に皺を寄せて辺りを見回し始めた。
 「ヨシフ!」
そして、側でまだ眠っていたヨシフを起こした。ヨシフは飛び起きて、どうしましたと焦ったようにラディスラスに訊ねている。
 「今何か聞こえたんだ。急いで調べて・・・・・」
 「・・・・・マァ・・・・・」
 「あっ」
 今の声は珠生にも聞こえた。
 「タマ!ラディ!」
次には、もっとはっきりとした言葉が聞こえてきた。間違いなく自分やラディスラスを呼んでいるのだ。
 「ラディッ、誰か来てくれたよ!」
 「こんなに早く・・・・・」
 ラディスラスは驚いているようだったが、珠生は直ぐに岩を飛び降り、声のする方へと走り出す。
 「タマッ、落ち着け!こけるぞ!」
足場の悪い岩肌は走りにくくて仕方がなかったが、それでも珠生は走らずにはいられなかった。どんどん近付いてくる声ははっきり
とその主を分からせてくれるもので、珠生も思わず大きな声で返事を返す。
 「アズハル!ここ!」
 「タマッ?」
 焦ったような声の後、ゴロゴロと転がっている大きな岩の陰から待ちかねた優しい面影が見えた。
駆け寄った珠生は案の定その場でこけそうになったが、素早く抱きとめてくれた優しい腕が強く抱きしめてくれる。
 「無事で良かった・・・・・っ」
搾り出すようなアズハルの声が本当に安堵しているのだと教えてくれて、珠生もその背中にしがみ付くとうんうんと何度も頷いた。