海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 次の朝、珠生達は早速エイバル号に乗って王宮がある首都、エルウィンの港町、レティシアに向かった。
本来はこの後も幾つか島を回る予定を立てていたのだが、さすがにラディスラスのこの身体では無理だとアズハルが言い、始め
は渋っていたラディスラスも早々の帰還を受け入れた。
 いくらアズハルの腕が確かだとはいえ、船内では薬も限られていて、満足な処置も出来ないと思っていた珠生は、早々の帰国
に直ぐに賛成をした。
 そして・・・・・。
 「そう、そこを強く」
 「こ、こう?」
 「ええ、上手ですよ。タマは手先が器用なんですね」
 にっこりと笑ってそう言ってくれるアズハルに、珠生も上機嫌でそうかなと笑う。
 「俺、けっこー、トクイかも」
 「ふふ、そうですね」
楽しげに話している2人を1人ベッドに寝そべったまま見つめていたラディスラスが、少し不貞腐れたように口を挟んできた。
 「な〜に2人で楽しそうに話してるんだろうなあ」
 「ラディは大人しくしてろよ、びょーにんなんだから」
 珠生はへへっと目を細めて笑った。
何時も皆の先頭に立ち、珠生を守ってくれるラディスラスだが、今回の腕と足の怪我のせいでアズハルから絶対安静を言い渡さ
れていた。そんな彼を世話出来るのが何だか嬉しいのだ。
(何時も俺の方が世話されちゃっているし)
今だって、アズハルに教えてもらいながら包帯を巻いているのは結構楽しい。
 「まったく・・・・・このくらいの怪我なんて直ぐに治すからな」
 「出来るわけが無いでしょう」
 アズハルが憮然とした表情のラディスラスを呆れたように見下ろす。
 「自覚の無さは怪我の治りを遅くしてしまいかねないんですから。今の自分の状況をきちんと把握して、タマの言う通り大人しく
して下さい」
 「ほら」
アズハルも同じ意見なのだからとラディスラスを見れば、彼はハアと大きな溜め息をついた。普段が普段なだけに、じっとベッドに
寝ていること自体が苦痛なのだろう。
それでも早く治癒するためには動けない・・・・・本人も分かっているのだろうが、何ともじれったい時間のようだ。
 「ラディ」
 何だか少し可哀想な気がして、珠生はその顔を覗きこむ。
ラディスラスはそんな珠生と視線を合わせて、諦めたように苦笑した。
 「少しは優しくしてくれよ」
 「それはラディしだい」
 「・・・・・まったく」
  最後にはラディスラスの方が折れたようで、それ以降は大人しく口を噤んでくれる。珠生はそんな殊勝なラディスラスの姿に満
足をしていた。




 掛け布の上に広げられた地図。
ラディスラスはそれを真剣に見下ろしながらルドーの報告に頷いていた。
今は首都に戻ることだけを考えればいいのだが、小さな島々を縫って進む航路は安全なだけではない。慎重に打ち合わせをして
レティシアへ向かう指示を終えたラディスラスは、なぜかプッとふき出したルドーに片眉を上げて見せた。
 「どうした?」
 「随分しっかりとした介護ぶりだって聞いたんですが・・・・・」
 「ああ」
 その言葉に、ラディスラスも表情を崩して自身の足元に視線を向ける。そこでは珠生が椅子に座ったまま、気持ち良さそうに上
半身を寝台に預けて眠っていた。
 つい先ほどまではアズハルと一緒にこちらが苦笑を零してしまいそうなほど甲斐甲斐しく世話をしてくれていたが、どうやら島で
の冒険の疲れは完全に取れたわけではないらしく、何時の間にか眠ってしまった。
 「ルドー、悪いがあれを掛けてやってくれ」
 ラディスラスが予備の毛布を指さして言うと、ルドーがそれを珠生の肩から掛けてやる。
本当は自分が珠生の世話をしたいのだが・・・・・本当にままならない自身の身体が恨めしい。
 「部屋に運んだ方が・・・・・」
 「いや、いい」
 「そうですか?」
 「タマの顔を見ている方が落ち着くんだ」
 たとえ痛めている足の上に身体を乗せられていても、それが珠生の重さならば甘んじて受けることが出来る。こうしてくっ付いて
いること自体が安心なのだ。
 「・・・・・じゃあ、俺は行きますね」
 ラディスラスの気持ちを悟ってくれたのか、ルドーは苦笑しながら立ち上がる。
 「何かあったら直ぐに知らせてくれ」
 「分かりました」
 「頼むぞ」
頷いたルドーが出て行くと、部屋の中は自分と珠生の2人きりだ。
せっかくのこの時間、珠生には起きてもらって様々に変化する表情を楽しみながら会話がしたかったが、こんな風に安心しきった
寝顔を見せてもらうのも悪くない。
(せめてどちらか無事なら、このまま襲ってしまいたいが・・・・・)
 「今は自分の体重も支えられないしな」
 自分の忍耐を試すような寝顔を晒している珠生の頭をそっと撫で・・・・・ラディスラスはその目が開いて自分を見つめてくれるま
でじっと珠生を見続けていた。




 三日後、エイバル号は無事にレティシアに到着した。
そこにはイザークとレオンが乗っていたはずの船も港にある。
 「お〜い!!」
 珠生は港に迎えに来てくれていたラシェルの姿を見付けて大きく手を振った。
 「ただいま〜!」
ラシェルは自分のように大きな声を返してはくれなかったが、それでも片手を上げてその声に応えてくれている。表情も若干柔ら
かい気がするのは、ミシュアと共にいて嬉しかったせいだろうか。
 「あー、あいつらももう着いていたのか」
 ルドーに肩を借りたラディスラスが珠生の隣に立ち、同じように既に港に姿を見せていた男達の姿に笑って言った。
 「ラディ、知ってた?」
 「連絡はしたからな」
 「あ、そっか」
宝石の原石を見付けたことは、既に連絡船の兵士に伝えたと聞いてはいた。そのせいで彼らもレティシアに戻ってきたのかと、珠
生は納得して頷く。
 「・・・・・でも、ケガのことは?」
 「言う必要ないだろ」
 その声の調子はとても軽くて、頭から自分の怪我のことは言わないつもりだったのだと分かった。
ラディスラスらしいといえばそれまでだが、珠生としては少し不満にも思ってしまう。こんな怪我をするほどに頑張ったということを、
ラシェルやみんなに知られるのは悪いことではないと思うのだ。
(ま、まあ、怪我の原因が原因だけど)
 「言ってないんだ」
 「情けないし」
 「そんなことないよ!」
ラディスラスの怪我はいわば名誉の負傷だし、堂々と胸を張っていればいいと思う。
 「ほら、下船の準備をするぞ」
 「・・・・・うん、あ、ラディ、どうやって・・・・・」
 「片腕と片足が使えるのなら問題はないだろ」
 あまりにもあっさりとそう言われてそんなものかと思ったが、実際にその様子を見た珠生は自分の方がドキドキとして落ち付かな
かった。

 「だ、だいじょーぶっ?」
 船上から見下ろしながら言う珠生に、綱梯子を降りていたラディスラスが顔を上げて呑気に手を振る。それを見ただけで珠生は
慌てて叫んだ。
 「あ、危ないから!」
 片手で綱を握り、片足で降りて行くなんて、自分にはとても出来ない芸当だ。
船上から小船までの高さを考えるだけでも毎回眩暈がしそうなのに、変な余裕などあると考えないで欲しい。
 「ちゃんと、しっかり掴まって!」
 「分かってるって」
 「もーっ!」
(分かっているなら、そんな風に笑っていられないはずだろっ!)
 とにかく無事に小船に乗り移れるように、珠生はラディスラスの足がそこに着くまでハラハラした気持ちを落ち着かせることはとて
も出来なかった。




 自分のことを心配し過ぎているせいか、珠生は何時ものように躊躇うことなく縄梯子を伝って下りてくる。
その身体を何時でも抱きとめられるようにと下から見上げていたラディスラスは、下りてきた珠生に反対に大丈夫なのかと真剣な
顔で問い詰められてしまった。
 珠生にはこれくらいの怪我は大丈夫だと何度も言ったが、それは単なる気休めではない。今までも何度も怪我をしてきたし、そ
れでもエイバル号を指揮し続けたという自負があるのだ。
 「よお」
 「ラディ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 そのまま陸に辿りついたラディスラスは、珠生と同じような気遣わしそうな眼差しで自分を見るラシェルに笑い掛けた。
 「その身体は・・・・・」
 「ちょっとした掠り傷だ」
怪我のことは知らせていなかったので、驚きの方が大きかったのだろう。冷静なラシェルの滅多に見られない驚いた表情を堪能し
ていると、側にやってきたイザークが厳しい口調で話し掛けてきた。
 「その傷はどうした」
 「だから」
 冗談でごまかそうとしたものの、どうやらそれでは許してくれないらしい。
 「お前がそれほどの傷を負うなんて・・・・・」
 「俺だって怪我をするぞ?不死身じゃないんだからな」
この怪我が珠生のバクダンのせいだとは絶対に知られたくなかった。そうなると、珠生はまた違った意味で重要な人物になるから
だ。弓や剣よりも確実で大きな力をこの小さな手が生み出せると知られてしまったら、きっと珠生を欲しがる者は多くなる。
(いくらジアーラでも、それだけは許せないしな)

 なかなか真実を口にしない自分の態度にますます眉間の皺を深くするイザークだが、ラディスラスもこればかりは譲れなかった。
それよりも、こんな怪我をしてまで掴み取った情報に対してどうするのだということの方が気になる。
 「島はどうする?」
 「・・・・・直ぐに選抜した兵士を向かわせることになっている」
 「そうか」
 あんな場所なので早々他の人間に見付かることはないと思うが、せっかく命がけで見付けた原石だ、ちゃんとジアーラの役には
立って欲しい。
 「ミシュアは?」
 「私もまだお会いしてはいない」
 イザークやレオンもエイバル号と前後して港に着いたらしい。王宮に向かう前に自分達のことを待っていてくれたらしいが、その気
持ちの中には宝石の原石を発見という情報が確かなものかどうか見極めるという意味もあったのだろう。
 せっかく国のために戻ってきたミシュアをがっかりさせないために、不確かな情報は耳に入れられないということか。
 「驚く顔が見れるかもな」
 「ラディスラス」
この怪我のことじゃ無いぞと笑ってみせると、しばらくは黙って自分を見ていたイザークが静かに首を横に振った。
 「報告はお前からしたらいい」
 「俺があ?」
 「ついでにその怪我のことを聞かれても知らんが」
 「ははは、可愛い子が心配してくれるのは嬉しいけどな」
 笑い返してくれていいのに、本当にイザークは真面目だ。口を引き結んだイザークと、その後ろにいたレオンも同じような表情を
していたので、ラディスラスはわざと言葉を茶化した。
 「可愛い子の泣き顔も、結構見ていて楽しいだろう?」
(まあ、タマが一番可愛いけどな)