海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 負傷したラディスラスを含めた一行は王宮に向かった。
さすがに歩けないラディスラスのために馬車を用意してもらい、珠生もそれに同乗して周りを囲む他の男達を見た。
 皆、始めはラディスラスの怪我に深刻な表情をしていたものの、本人が全く何時もと変わらない態度を取るので気遣うことは止
めたらしい。
 珠生も、2人きりならばともかく、他の者の目がある中で必要以上にラディスラスを構うことは出来なかった。
 「・・・・・喜んでくれるかな」
そんな中、ポツリとこぼれた言葉にラディスラスが反応した。
 「ん?」
 「ミシュアおーじ」
 「喜ぶに決まってるだろ」
 「・・・・・そーだよな」
(ラディがこんな怪我までして頑張ってくれたんだし)
 もしかしたら命に係わる大変な怪我だったかもしれない。そこまでしてミシュアのために動いたラディスラスのことを、きっと彼は感
謝の目で見つめるだろう。
(・・・・・ちょっと、モヤモヤッとするけど)
 ミシュアが微笑みかけるラディスラス・・・・・その姿を想像すると少し複雑になってしまうが。
 「皆がこの国のために頑張ったんだ。王子として喜ばないってことはないだろう」
 ラディスラスはなんでもないことのようにそう言った。
この手柄は自分だけのものではなく、そのために動いたすべての人間が対象なのだと言うラディスラスに、珠生は自分だけのことし
か考えなかった己に赤面し、俯いてしまう。
 「タマ?」
 「そ、そーだよなっ」
(誰か1人だけってことはないんだ)
珠生は改めてそう思い直すと、遠くに見える大きな王宮にじっと視線を向けた。




 昼前に港町を出発した一行は、ラディスラスの怪我に配慮しながら途中野宿をし、翌日の昼過ぎに王宮へと辿り着いた。
 「タマ!」
先に連絡を差し向けていたので、城門の前にはミシュアとラシェル、そしてジルベールと瑛生が揃って待っていた。
 ミシュアは直ぐに馬車へと駆け寄ってきて、降りようとした珠生の腕にしがみ付いている。今、少しだけ走ったし、珠生が痛いよ
というくらいには手の力も戻ってきているようで、ラディスラスは安心してラシェルに視線を向けた。
 「遅くなってすまないな」
 「ラディ・・・・・」
 ラシェルはラディスラスの腕を見ている。
明らかに怪我をしているといった様子に男の眉間に皺が寄っているが、これくらいの傷は掠り傷だと笑ってやると小さな声でそうだ
なと同調してきた。納得しきれていなくても、今さら仕方が無いと思っているのかもしれない。
 生真面目な男はミシュアのために動けなかった自分のことを不甲斐無く思っているのかもしれないが、祖国に戻ったばかりのミ
シュアには親しいラシェルと、信頼する瑛生が側にいたのは正解だと今でも思っていた。
 「ラディ」
 ひとしきり珠生の無事を喜んだミシュアがこちらを向いた。
ラシェルと同じようにラディスラスの怪我に痛ましげに顔を歪めたが、それも一瞬で消え、頬には笑みを浮かべた。
 「ありがとうございます、ラディ」
 「ミュウ」
 「皆をきちんと国に連れ戻してくれて」
 きちんと頭を下げるミシュアの向こうで、ジルベールも形だけながら頭を下げるのが見えた。すっかり兄に懐いてしまったのだなと、
少しおかしかったが、さすがにそれを口にするつもりはない。
 「礼には及ばん、それが俺の責任だ」
 「ですが・・・・・」
 「それに、礼を言うなら今から話すことを聞いてからにしてもらおうか」
 「え?」
わざと溜めた物言いをしたラディスラスに、ミシュアは首を傾げた。

 「・・・・・それは、本当なのですか?」
 「ここで嘘を言ったら、俺はどれだけの人間に殺されるか分からないぞ」
 わざとチャカしたように言ってみせたが、ミシュアは驚きで声が出ないようだ。代わりにジルベールが、まるで睨むような鋭い視線
を向けてきた。
 広間にはこの城の中の主だった者が顔を揃えているらしい。
長く不在だった元皇太子のミシュアと、力技で王位を奪ったものの、その国を貧困に陥れていった現王の兄弟の和解は、沈殿
していたこの国の雰囲気を一気に好転させた。
 もちろんすべてが直ぐに上手く行くことはないだろうが、それでも皆が未来に目を向けていることをこの目で見れたことは良かった
と思う。
 一応怪我人の自分には椅子が用意され、それに遠慮なく腰掛けたラディスラスは笑いながら2人を見つめていた。
 「本当に宝石の原石なのか」
 「タマ」
 そう言われるのは分かっていたので、ラディスラスは横に立つ珠生を呼んだ。
それに頷いた珠生が腰に括り付けていた紐を解き、その先の小さな袋をミシュアの前に差し出す。
 「これは・・・・・」
 「見て」
 予感がしたのか、袋を受け取るミシュアの手は震えている。その小さな手を支えるようにジルベールが手を伸ばし、ミシュアの代
わりに袋を逆さにしてその手の平に中身を出した。
 「・・・・・赤い」
 「本当に・・・・・」
 まだ加工していないので光は鈍いものの、ただの石とは全く違う輝きを持つ欠片に、ミシュアもジルベールも感嘆の溜め息しか
出てこないようだ。
その反応に満足し、ラディスラスは戻ってきた珠生の手を握り締めた。




 発見した宝石の原石のことを伝えると、皆がとても喜んだのが分かった。
今はまだ2島でしか発見されていないが、こんなふうにしらみつぶしに探していけば他にもこういった島がある可能性は高い。
それだけでもこの国の財源の確かな確保になると、ラシェルが説明してくれた。
 「危ない目に遭わせてすまなかった」
 「ち、違うよ、ラシェル!」
 「・・・・・」
 「ケガしたの、ラディの方!俺、ピンピンしてるし!」
 ラディスラスがなぜこんな怪我を負ってしまったのかは、大広間から部屋に移動してきてラディスラスから説明した。
どうやら珠生が爆弾を作れることはあまり知られない方が良いということらしい。珠生自身も毎回上手くそれが扱えるほどに自信
があるわけではないし、特に今回はラディスラスに怪我をさせてしまったので今後も作るということははっきりいって言えない。
 「・・・・・お前達2人には感謝している。これで何とか、国を立て直す目安はつくはずだ」
 「そうか」
 「良かった・・・・・」
 ミシュアが自分の命を懸けて戻ってきた甲斐があると思い、珠生もホッと安堵した。
その時、ラディスラスが少し笑いながらラシェルに話しかける。
 「で、お前の方は決めたのか?」
 「・・・・・」
 「ラディ?」
(決めたって、何を?)
 全く話が見えない珠生は2人を交互に見つめたが、アズハルはそれを知っているのかラディスラスの言葉に添えるように言う。
 「あなたの気持ちを言えばいいんですよ」
 「アズハル」
いったい、どういうことなのだろうか?
この3人だけが分かっているような物言いに珠生は焦ってしまった。自分は知らなくてもいいことなのか、それとも知らせる必要も無
いと思われているのか分からないが、なんだか1人だけ仲間外れにされたような気分だ。
 「ラディ」
 どういうことだと、問い詰めるように見ると、珍しく困ったような表情をされた。
 「まあ・・・・・お前も関係あるしな」
 「関係・・・・・」
なんだか、嫌な予感がする。




 「いいぞ、船を下りても」

 自分がそう言ったことと、ラシェルがそれを保留していたことを珠生に告げると、大きな目をさらに丸くして驚いていた。
なかなか可愛い表情だなと思ったが、今はその軽口を言っている場合ではないだろう。
 「ラシェルッ!」
 名前を叫び、しかし、その後はどう言葉を続けていいのか分からないような珠生の腕を掴むと、振り向いた顔は案の定泣きそ
うに歪んでいた。
 「・・・・・」
 「タマ」
 「・・・・・俺、だけ・・・・・しらな、かった」
 「そんな顔をすることが分かっていたからな」
 せめてラシェルが自身で気持ちを定めるまで、珠生には何も言えなかった。珠生のこんな顔を見てしまえば、きっとラシェルの決
意が揺らいでしまうだろうと思ったからだ。
 自分と同じように、ラシェルも珠生の泣き顔に弱い。それを知っているからこそのラディスラスの配慮を、珠生には知られてはなら
ない。
 「ラシェルも、ゆっくり考える時間が必要だと思ったからな」
 「・・・・・」
 「そうだろ、ラシェル」
 「・・・・・ああ。残っている間、ゆっくりと考えた」
 数日間という時間は短かったかもしれないと思ったが、ラシェルにとっては十分なものだったらしい。
迷いのない眼差しを向けられ、ラディスラスも頷いた。
(こんな顔をするんだ、もう決めたな)
引きとめることは出来ないと思いながらも、せっかくの片腕を失うのは痛いなと思った。
 「俺は、残る」
 「ああ、分かってる」
 「エイバル号に」
 「・・・・・は?」
 続けられた言葉に頷きかけたラディスラスは、言葉が間違っているのではないかと思って思わずラシェルの顔を見直す。
そんなラディスラスの表情がおかしかったのか、今度はラシェルの方が笑った。
 「なんだ、その顔は」
 「いや、お前・・・・・」
 「ゆっくりと考えて決めた答えだ。・・・・・確かに、俺はミシュア様を敬愛している。何かあれば力になりたいし、あの方の幸せを
願うことに何の変化もない。だが、俺はもうこのジアーラから出た男だ。魅力的な海賊の船長に拾われて、それまで知らなかった
広い世界を見せても貰った」
 「だが、俺達は追われる身だぞ?」
 いくら人殺しはしないとはいえ、人の物を奪う自分達は永遠に追われる身だ。きっとミシュアに必要とされるはずのラシェルがわ
ざわざ身を置く生業ではなかった。
 「ラシェル」
 「俺は、毎日が楽しかった」
 本当に決めてしまったのかと訊ねようとしたラディスラスに、ラシェルは言葉を重ねる。その顔は晴れ晴れとしていて、自分の選
択に間違いはないのだといっているように見えた。
 「お前たちといて、生きているという実感が湧いた」
 「・・・・・」
 「ミシュア様を支えて、この国を立て直すことも考えた。だがそれは、今までこの国を捨てずに仕えてきたイザークやレオンの役割
だと思う」
そう言うと、ラシェルは頭を下げる。
 「これからも、俺をエイバル号に乗せてください」
 柄にもなく泣きそうだ。乗っていて欲しいと言うのは、こちらが言いたいほどだ。
 「・・・・・ラシェル」
 「お願いします」
 「・・・・・バ〜カ。海の男なら乗せろって言えばいいんだよ」
しんみりとした雰囲気は苦手だ。照れくささを誤魔化すためにわざとそう言ってそっぽを向いたラディスラスに、ラシェルも少し笑って
ああと頷き・・・・・俯いた。