海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 珍しく照れくさそうな表情をしているラディスラスとラシェル。そして、そんな2人をまるで兄のように温かな眼差しで見つめているア
ズハル。
 目の前の3人を見ながら、珠生は何だか羨ましいなと感じてしまった。
(男の友情ってやつ?)
けして自分が仲間外れにされているとは思わないものの、共に過ごしてきた彼らの絆は強い。少しだけ寂しいなと思いながらじっ
とその光景を見つめていた珠生は、トントンとドアをノックする音に顔を上げた。
 「俺が出る」
 直ぐに動こうとしたアズハルにそう言いおいてドアを開けると、そこには父が立っている。
 「とーさん?」
 「少し、いいかな」
 「話?」
今頃はミシュアと共に今回の宝石の発見に対して喜んでくれていると思っていたのに、父の表情は少し困ったような笑みを湛えて
いる。まさかミシュアと喧嘩をしたとは思わないが、何かがあったのだろうか・・・・・?
 「・・・・・」
 珠生がラディスラスに都合を聞こうと振り返ると、既に彼はこちらに向かって歩いてきていた。
 「エーキ、何かあったのか?」
 「君に頼みがあるんだけれど」
 「「頼み?」」
思わずラディスラスと声を合わせてしまった珠生は、マジマジと父の顔を見つめた。

 「えっ?」
 部屋に入ってきた父の言葉に、珠生は目を丸くしてしまった。
 「そ、それっ、ホンキっ?」
 「ああ」
ゆっくりと頷く父の声にも態度にもまるで動揺はない。反対に、聞いた自分の方がオロオロしてしまっているが、珠生は今の父の
言葉に驚かずにはいられなかった。

 「このまま、エイバル号に乗せてもらえないだろうか」

てっきり、ミシュアの側に、このジアーラに留まると思っていた父の言葉にどう反応していいのか分からなかったが、こんな性質の悪
い冗談を父が言うはずがないというのも分かっていた。これは、父の本当の気持ちなのだ。
 「エーキ」
 「ラシェル」
 先ほどまでラディスラスと向かい合っていた柔らかな表情はいっさい消したラシェルが父に向かい合う。以前のような憎しみや困
惑を含んだ目ではない。これは・・・・・怒りだ。
 「どういうつもりだ?王子を捨てていくというのか?」
 「まさか。私は・・・・・」
 「なぜだ・・・・・っ?ここまで来て、なぜ王子の手を離すっ?」
 ラシェルにとっては、ようやくミシュアと父の関係を認めようとしていた矢先なのかもしれないが、それは珠生も同じことだ。
父は当然ミシュアの傍にいると思っていた。それはとても寂しいことだが、父の自分への愛情がミシュアよりも劣っているとは思わな
い。愛情の種類が違うのだと、認めたくはないが・・・・・ようやく、納得出来てきたのだ。
 「私は、ここにはいない方がいいと思う」
 ラシェルの問い詰める声に、父は淡々と答える。しかし、息子である珠生は、その声の響きの中に、既に決めてしまった強い決
意を感じた。




 「駄目だろうか」
 瑛生に重ねてそう聞かれ、ラディスラスはチラッと珠生の横顔を見る。
信じられないという青褪めた表情をしている珠生にとっては、今の瑛生の言葉は予想もしていなかったことかもしれない。
ただ、ラディスラスは頭の中のどこかで、この言葉が出てくる可能性を考えてもいた。
 「いいぞ」
 「ラディッ!」
 「どーしてっ?」
 ラシェルと珠生が、慌てて振り返って訴える。
 「どーして乗せるんだっ?」
 「タマ、別にエーキを客として乗せるわけじゃない。前回まではお前の父親としてそれなりに接してきたつもりだが、今度からはエ
イバル号の乗組員として皆と平等に扱うつもりだ。・・・・・それでいいんだな?エーキ」
 「・・・・・ありがとう」
瑛生は少しだけ頬を緩めてそう言うと、深く頭を下げてくれた。
 「とーさんっ、ねえっ、どーしてっ?おーじを1人にするのかっ?」
 「珠生」
 「せっかく、せっかくここまで戻ってきたのに!」
 「・・・・・」
(タマ、それは違う)
 ここまで戻ってきたからこそ、瑛生はミシュアの傍から離れる覚悟を決めたのだろう。
ミシュアを追い出した異母弟と、その弟の暴挙を止めることもなかった父。そんな2人の元に戻るミシュアのことを考えてここまで来
た瑛生は、思い掛けなく家族の絆が深まりそうな様子を見た時、自分がここにいる必要性を感じなくなったのかもしれない。
 いや、むしろ、もともとの原因になった自分はミシュアの傍にいない方がいい・・・・・そう思ったはずだ。
 「・・・・・」
珠生に責められても、苦笑を浮かべながら口を噤んでいる瑛生。
その心の内を考えると、ラディスラスは何だか複雑な思いがしていた。




 どう考えたって、父の言葉は納得出来るものではなかった。
ここでミシュアと別れてしまったら、父は何のためにこの世界にやってきたのか分からない。子供である珠生を1人置いて、ミシュア
のためだけに来たはずなのに・・・・・なんだか、そう考えるとたまらなく悲しい。
 翌日、父とラディスラスはさっそくミシュアとジルベールの元に行き、明日、王宮を去ることを告げた。もちろん、父を同行すること
も一緒に。
 「・・・・・そうですか」
 もっと、悲しい顔をすると思った。
いや、もしかしたら泣き出して、どうして城を出るのかと、行ってしまうのだと、父を詰るかもしれないとさえ考えた。
しかし、ミシュアはただ静かに頷き、父に対して深く頭を下げる。
 「エーキ、今まで私を守ってくださってありがとうございました」
 「・・・・・いや、私は何もしていないよ」
 「いいえ、あなたが傍にいてくださったからこそ、私はこうしてもう一度ジアーラに帰ってくることが出来ました。本当に・・・・・感謝
します」
 ジルベールは、ミシュアの隣に立ち、じっと父を見ている。
何か言いかけたように口を開いたのが見えたが、結局は何も言わず、ラディスラスの報告に分かったと頷いただけだ。
 「タマ」
 「・・・・・っ」
 ぼうっと父を見ていた珠生は、急に話しかけられてビクッと肩を震わせた。
 「お、おーじ・・・・・」
 「ありがとう、タマ」
 「お、俺、何もしてない」
それどころか、始めのうちは父を奪っていった相手として随分冷たい態度を取っていたと思う。
だが、ミシュアはそんな珠生の内心の反省を首を振って否定してきた。
 「あなたが傍で強く励ましてくれたから、私は今、生きているんです」
 「おーじ・・・・・」
 「お別れするのは寂しいですが・・・・・二度と会えないわけではないと思ってもいいでしょうか」
 「お、俺は・・・・・」
 どうして、こんなふうに綺麗に笑えるのか分からない。もしかしたら泣くほどに、父を思っていたわけではないのかと思ってしまいそ
うだ。
(そんなこと、ないよ、な?)
2人はちゃんと好き合っていたはずだ。その関係を引き裂く問題が目の前にはないというのに、本当に今、ここで、別れなければ
ならないというのか。
 「タマ」
 ミシュアの両手が、そっと珠生の右手を包んだ。
小さくて、細くて、白い、子供のような手。それでも、とても温かくて・・・・・。
 「・・・・・っ」
珠生は唇を噛み締め、俯くことしか出来なかった。




 珠生とラディスラスは宛がわれた部屋に戻った。
ラシェルとアズハルは他の部屋にいる乗組員達に指示をし、既に明日旅立つ仕度をさせている。
 ここにいるのは全員ではなく、ほとんどの者は港のエイバル号にいるので、その者達へも連絡をとるよう言いつけてあった。

 「明日、この国を出る。長い間世話になったな、ミュウ」
 「ラディ・・・・・」
 「ああ、ついでに、今回はエーキも連れて行くから。これからは弟と父親と力を合わせて、この国を立て直していってくれ」
 「・・・・・はい」

ミシュアは覚悟をしていたようで、瑛生も共に旅立つと言っても大きな動揺はしなかった。
それでも、身体の横にあった手が、小さな唇が、僅かに震えているのが見て取れた。
(タマだったら・・・・・どうだろうな)
 感情のまま、行くなと叫ぶような気がする。そんな、自身の感情に正直な珠生をらしいと、自分は好ましく思うが、今回のように
私情をいっさい押し殺したミシュアのことも、彼らしいと思えた。
 そんなに長く彼を知っているわけではないが、ここに来るまで共に旅をしてきた中で、彼の王子としての高い矜持と人への気遣
う性格は分かっていたつもりだった。
(でも、少しは我が儘を言ってもいいとは思うがな)
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 部屋に戻ってからずっと椅子に座っていた珠生が、ふと顔を上げて自分の方に視線を向けてくる。
 「ラディ」
 「ん?」
 「ホントに、とーさんも乗せるのか?」
あれだけ、父親とミシュアの関係を認めるのに時間がかかったが、今の珠生はその2人が別々の道を歩くということがどうしても納
得出来ないようだ。
 「ああ、そう言っただろう?」
 「でもっ」
 「エーキ自身が望んだことだ」
 ラディスラスから水を差し向けたわけではない。そのことは十分分かっているのだろうが、珠生は眉間に皺を寄せたまま、口を引
き結んで黙りこんでいる。
 「タ〜マ」
瑛生とミシュアのことをこちらが考えても仕方が無い。瑛生が決め、ミシュアも納得したのだ。それが、たとえ表向きだけだったとして
も、自分や珠生には口を出す権利はない。
 「タマ」
 もう一度名前を呼んでも、珠生はなかなか動かない。
ラディスラスは溜め息をついてから立ち上がると、足を引きずりながら座っている珠生の前に立った。
 「・・・・・」
その気配に、珠生は顔を上げる。ようやく目が合って、ラディスラスは笑い掛けた。
 「俺のことは?」
 「え?」
 「今回、かなり頑張ったと思うんだが」
 珠生の眼差しが、怪我をしている腕を見る。怪我をたてにするつもりはないが、そろそろ自分のことを考えて欲しいと思いながら
身を屈め、その顔を覗き込んだ。
 「タマ」
 「・・・・・う、うん、がんばった」
 「そうか」
 「・・・・・ありがと、ラディ」
 「どういたしまして」
 それが何に対しての礼かは分からないが、そっと伸ばされ、自身の服を掴んできた珠生の手に自分の手を重ねる。
さすがに、沈んでいる珠生をこのまま押し倒すことはとても出来ず、ラディスラスはその気持ちを宥めるために重ねた手に強く力を
込めた。