海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 出発を明日に控え、早々に休むことになったものの・・・・・珠生はどうしても眠れなかった。
父とミシュアのことが気になって仕方がなく、明日、自分達がこの王宮を出るまでに何とか事態を好転できないかと考えてしまう。
(この国を出たら、また直ぐに戻って来れないかもしれないのに・・・・・)
 二度と、ジアーラにやって来ないという意地悪はさすがにラディスラスもしないと思うものの、かといって好きな時に自由に戻ってく
ることは出来ないはずだ。
それでもいいと、父やミシュアは思っているのだろうか。
 「・・・・・」
 珠生はベッドから起き上がった。同じ部屋で休んでいるラディスラスは眠っている。
(今夜しかないっ)
2人の気持ちを思って動けるのは自分しかいない。そんな使命感にも似た気持ちに突き動かされ、珠生はそっと部屋を抜け出し
た。
(し、静かだな・・・・・)
 深夜の王宮の中は、広いせいかなんだか怖ささえ感じてしまう。それでも勇気を振り絞って足を進めると、見回りをしているらし
い衛兵に出会った。
 「いかがされました?」
 相手は珠生の顔を知っているらしい。そのことに安堵して、珠生はミシュアの部屋がどこなのかを訊ねてみる。
こんな夜更けに何用なのかと衛兵は眉を顰めていたが、どうしても話しておかなければならないことがあると言い募った。
珠生達が宝石の原石を見つけたことはこの王宮内でも知れ渡っていたようで、そのことについて緊急の用があるのかと思ってくれ
たらしい、こちらですと先になって案内してくれた。

 「ありがと」
 部屋の前まで案内してくれた衛兵に礼を言った珠生は、一瞬だけ躊躇ったが、直ぐにドアを叩いた。ここまで来て引き返すとい
う選択は頭の中にない。
 「・・・・・?」
 しばらく待っても、中から何の反応もなかった。珠生はもう一度ドアを叩いたが、それでもミシュアは顔を見せない。
(・・・・・いない?)
ドアの取っ手に手を掛けてみると、それは少し重いながら珠生の意思通りに開いた。どうやら鍵は掛けていなかったらしい。
 「・・・・・」
珠生は一瞬衛兵の顔を見たが、そっとドアを開けて中に入ってみた。
 「おー、じ?」
 部屋の中にはランプの明かりが点いているだけで薄暗い・・・・・はずだった。しかし、思ったよりも部屋の中の様子が見えたのは、
ベランダに続くカーテンが開いていたからだと気づく。
(外にいるのか?)
 それ程寒くはないとはいえ、ミシュアの身体にはまだよくないのではないかと思いながら窓辺に近付いた珠生は、
 「・・・・・」
微かに聞こえてきた声に足を止めてしまった。
 「・・・・・キ・・・・・」
 大きな声で泣き喚いているわけではなかった。父を詰る言葉もなく、自身の行動を後悔する言葉でもない。
ただ、何度も何度も父の名前を呟き、声も泣く涙を流すミシュアの横顔を見てしまった時、珠生は強い衝撃を受けてしまった。
(王子・・・・・)
こんなふうに泣くくらいなら、自分だったら絶対に好きな人の手を離さない。しかし、ミシュアは違うのだ。
 「・・・・・」
 こんなミシュアに声を掛けることなど出来ず、珠生は入る時とはうって変わって静かに部屋の外に出た。
小さな音をたててドアを閉めると、何だか大きな溜め息が漏れた。

 重い足取りで自分に宛がわれた部屋に戻り、冷たくなってしまったベッドに入ろうとすると、
 「ミュウはなんと言っていた?」
 「!」
いきなり声を掛けられてしまい、珠生は心臓が止まりそうになるほどに驚いた。
パッと振り向くと、ラディスラスの身体がこちらに向けられているのが見える。寝ているとばかり思っていたが、どうやら彼は起きてい
たようだ。
 「タマ」
 そして、ラディスラスは珠生がミシュアのもとに行ったことも分かっていたらしい。
すべての行動が読まれていたということに面白くない気持ちが生まれたが、それ以上に先ほどのミシュアの父を呼ぶ声が耳につい
て離れなくて、文句を言う元気も湧かなかった。
 「・・・・・わかんない」
 「分からない?」
 「・・・・・聞いて、ないし」
 「話さなかったのか?」
 「・・・・・」
 多分、ミシュアはあんな風に泣いていたことを誰にも知られたくないはずだ。珠生は本当に偶然その場を見てしまったはずで、そ
のことをラディスラスに言うことも躊躇われた。
 「行かなかった」
 結局はそんなことを言ってごまかし、そのままベッドに横になる。
 「おい、タマ」
 「おやすみ!」
追求されたら、どこまでごまかすことが出来るか自信がない。
珠生は掛け布を頭までかぶると、それ以上の会話を態度で拒絶した。




 珠生の表情はずっと浮かないままだ。
昨夜、こっそりと部屋を向けだした様子を見て、きっとミシュアに会いに行ったのだろうと思ったが、案外早く戻ってきた時、珠生は
ミシュアを訪ねなかったと言った。
 多分、それは嘘だ。何かがあったからこそ、珠生はずっとこんなふうに沈んだ表情なのだろう。それでも、自分から何も言ってくれ
なくては、ラディスラスもどうしようも出来なかった。

 朝食を済ませると、早速王宮を出る仕度をする。と、いっても別に持っている荷物などなく、反対にミシュアの方から食料など
を渡された。
 「気をつけてくださいね、タマ」
 「・・・・・うん」
 見た限り、ミシュアは昨日と変わった様子はなかった。いや、昨日はさすがに寂しそうな表情をしていたが、今目の前にいる彼は
穏やかに微笑んでさえいる。
その微笑みは今までの辛さや苦しさなど一切見せない、とても綺麗な微笑みだった。
 「ラディスラス・アーディン」
 「何でしょう?ミシュア・レイグラーフ王子」
 改まって名前を言ってきたミシュアに、ラディスラスも少し茶化した口調ながら正式な名前を呼んだ。
そのことに少し笑みを浮かべたミシュアは、丁寧に、そして深く頭を下げてくる。
 「本当にありがとうございました」
 「俺は何もしてないが」
 「いいえ」
 「本当にいいって」
 「ラディ」
こんな風に礼を言われるほどのことをした覚えはないし、そもそも珠生がいなければ自分はここまでミシュアのためには動かなかっ
ただろう。珠生の望むように・・・・・いわば、私欲で動いたのと同じだった。
 「元気でな」
 「はい」
 「何かあったら・・・・・まあ、今度は大丈夫だと思うが」
 複雑な愛憎をミシュアに抱いていたジルベールも、今度は自分の感情の方向を間違えることはないだろう。
そしてミシュアも、以前よりもずっと強くなったはずだ。
(ここに、本来ならエーキがいるはずなんだが・・・・・)
 ミシュアを変えた瑛生がいればと思うが、頑固な男はこちら側に、旅立つ側に立っていた。
自分達とミシュアとの別れも、淡々とした表情で見ているだけだ。かなり年上の瑛生に説教するつもりはなかったものの、ラディス
ラスは内心で頑固者と呟いてしまう。
(本当にこのままでいいのか?エーキ)




 ラディスラスと話しているミシュアの横顔を見つめながら、珠生は何度も父を振り返った。
(今なら間に合うってば!)
早く、父の制止の言葉を聞きたかったのに、別れは着実にやって来る。もう、本当にこのまま旅立たなければならないのだと、珠生
はギュウッと手を握り締めた。
 「よし、じゃあ、行くか」
 「ラ、ラディッ」
 「ん?どうした?」
 敏いラディスラスは自分の考えなどとっくに分かっているくせに、どうしてこんな風にとぼけたことを聞き返すのか。
珠生はラディスラスの服を掴んだ。
 「ホ、ホントに、行く?」
 「ああ」
 「で、でも・・・・・」
(どうしてそこで頷くんだよ〜っ)
 「思い残すことは何もないそうだ、なあ、ラシェル」
 「ああ」
 父の名前ではなくラシェルの名を呼び、そのラシェルは少し硬い表情ながらちゃんと頷いている。
あれだけミシュアの幸せを願っていたはずなのに、ミシュアと父が別れてしまうことがミシュアのためになると思っているのだろうか。
 その間にも、王宮に留まっていたエイバル号の乗組員達がゾロゾロと出発をする。
 「ほら、タマ」
そう言って、珠生も馬に乗せられてしまった。
 「ラ、ラディ!」
 ミシュアがと焦って振り向いた珠生は、
 「!」
口元に微笑みを浮かべながら、綺麗な涙を流すミシュアの姿を見てしまった。

 ほら、やっぱり・・・・・頭の中ではそう思うのに、こんな風に綺麗に泣くミシュアに対してどんな言葉を掛けていいのか分からない。
それは周りも同じようで、直ぐ傍にいたジルベールも目を見張ってミシュアを見下ろしているし、今まさにミシュアの前から立ち去ろ
うとしていた父も足を止めていた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 言葉も無く、ただ見つめ合っている2人。
父が、そしてミシュアがどんな選択をしようとしているのか、それだけでは分かるはずがなかった。
本当に、その場の時間が止まってしまった・・・・・そんな気がした。
 「ミュウ」
 どのくらい経ったか、父が口を開く。愛おしそうにその名を口にするくせに、カッコをつけて離れるなんて言わなければいいのだ。
(やっぱりここにいるって、泣かせてごめんって謝れよっ)
別れる寂しさは自分の方が味わえばいいだけだ。
 「・・・・・元気で」
 「・・・・・は、い」
 「この国が落ち着いたら、また君に会いに来てもいいだろうか?」
 そんな言葉じゃないんだと、珠生は首を横に振り、声を出そうとしたが、いきなり後ろから大きな手で口を塞がれてしまう。
 「うむぐっ」
(離せよ!)
どうして口を塞ぐのだとラディスラスの手を両手で引き離そうとするものの、手の力は片手なのに珠生よりも相当強い。
 「大人しくしてろ」
 その口調は何時もよりもずっと真面目だ。
 「うぐぐっ」
(そんな場合じゃないだろ!)
 「これはエーキとミュウの問題だ。お前は関係ない」
 「・・・・・っ」
その言葉に、珠生の手から力が抜けてしまった。
(とーさんと、王子、の・・・・・)
 2人をどうにかしたい気持ちがこんなにも強いのに、考えればラディスラスの言う通り、これはあの2人の問題だ。分かっているは
ずなのに、急激に寂しくなって、泣きそうにもなってしまう。
 「・・・・・」
 珠生は目の前にいる父とミシュアをじっと見つめた。
本当にこれが永遠の別れになってしまうのか、それともこの先の未来を2人で考えていくのか、どんなに気になってしまっても珠生
にはどうしようもない問題だった。