海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 今日はエイバル号に建具職人が入った。
これからジアーラ国へと向かうための食料や水の確保と同時に、今回はミシュアも乗船するので、彼の部屋になる場所を病人仕
様に変えるためだ。
 ミシュアは皆と同じでもいいと言ったが、ラシェルがそれは駄目だと強固に反対した。幾ら体調が回復してきたとはいえ、まだ病
人のミシュアと屈強な海の男とを同列には出来ないと主張し、その結果の改装だった。
 「へえ、やっぱり職人がすると違うな」
 「へへ、どうも」
 「代金は弾む。綺麗に素早く頼むな」
 「任せてください」
 ラディスラスはこの機会に古くなっていた箇所もいっせいに修理をさせることする。簡単な修理は自分達でも十分出来るのだが、
やはり専門の職人が入った方が頑強で綺麗だ。
 ついでに、自室の寝台ももっと大きく、頑強にしてもらおうと思っている。その理由を話せば・・・・・きっと珠生は顔を真っ赤にして
怒るだろうが。




 トントン
 ギギッ


 青空の下、木を切る音に、叩く音。
手伝いが多いのでやりやすいと職人が笑っていたことを思い出したラディスラスは思わず笑みを漏らしたが、直ぐに気を取り直して
操舵室へと向かった。
 「ラシェル」
 「ラディ」
 中にいたのはラシェル1人で、その手元には地図が広げられている。
 「航路は決めたか?」
 「ああ、こんな風に・・・・・」
 ジアーラ国の、島が点在する海域を熟知しているラシェルに、今回の航路は任せた。ラシェルは一瞬戸惑ったような顔をしたが、
直ぐに頷いて熟考を重ねていたらしい。
 「今回はイザークも協力をしてくれるということだし、警備船の存在はそれ程気にしなくてもいいかもしれないな」
 「でも、兵士の皆がイザークと同じ考えかどうかは分からない。中には、現王の統治下で甘い汁を吸っている者もいるだろうし、
用心はしておいた方がいいと思う」
 慎重なラシェルらしい言葉に、ラディスラスも苦笑しながら頷いた。確かに、皆が皆不満を抱いているとは限らないし、それは王
に近い存在・・・・・例えば大臣や貴族などは特に、現状に甘んじている場合がある。
(そういう奴らこそ厄介なんだがな)
 「まあ、あんまり考え過ぎるなよ、ラシェル」
 「ラディ」
 「俺達は今までどんなことも失敗したことは無い。今回のこともそうだ」
 ラディスラスも、それが気休めの言葉だと分かっていた。
今回の相手は今まで対してきたことのないほどに大きな存在で、もしかしたら、こちら側が傷を負ってしまいかねない。それでも、そ
れをラシェルに言って彼の危機感をさらに煽ろうとは思わなかったし、ラディスラス自身、勝機が無ければ動くことも無いのだ。
(善人が悪人に勝つという綺麗事が通じないことも分かっているが、こっちにいるのは善人だけじゃないしな)
 「確かにそうかもしれないが・・・・・今回は少し違うと思う」
 「ラシェル」
 「俺は・・・・・ラディ、俺は、ジアーラをこの目で見るのが怖いんだ。いったいどんな風に変わっているのか、俺は噂でしか聞いてい
ない」
あの生真面目なイザークが、現王に対する反意を口にするなど、相当に現状は厳しいと想像出来て、ラシェルは実際にジアーラ
の地に立った時、自分がどう現状を受け入れていいのかずっと悩み続けているのだ。
 「だが、王子は俺よりももっとお辛いと思う。王子のためにも、俺が躊躇っていられないんだ」
 自身を鼓舞するように言うラシェルの背中をラディスラスは軽く叩く。今は言葉で何か言うよりも、ラディスラスはこうして温もりを
分け与えたいと思ってしまった。




 自分の弱い姿をラディスラスに晒してしまい、ラシェルは少し気恥ずかしくなって話題を変えた。
 「そう言えば、よくタマがじっとしている」
 「ああ、うるさかったなあ、あいつ」
話が珠生のことになると、ラディスラスの顔は一段と甘く笑み崩れる。それだけ珠生のことを特別に思っているのだろうということが
分かるが、多分自分も・・・・・同じような表情をしている自信があった。
 珠生には不思議と人の心を和ませる力があるのだろう。だから、こうして彼の顔を思い浮かべるだけでもこんな風に穏やかな感
情が胸の中を渦巻くのだ。
 「待機っていう言い方が悪かったのかもな」
 「いっそのこと、重大任務とでも言えばよかったのに」
 「本当だな。気難しいお姫様で困る」
 出発までまだ間があるということで、ラディスラスは珠生を一度瑛生達のもとに戻すことにした。
共に準備を進めると思っていたらしい珠生は自分だけが帰されることに不満を持っていたらしいが、それがラディスラスの優しさだと
ラシェルには分かっていた。
 今からの旅程で珠生が瑛生に甘えることが出来る日は短く、今のうちにたっぷりと甘えておけというつもりだったのだろうが。

 「お前の手は今は役に立たない。エーキの家でおとなしくしてろ」
 「役に立たないって、どーいうことだよ!」
 「言葉の通りの意味だ」

ラディスラスの言葉で、珠生は不機嫌なまま瑛生達の住む家に戻っていった。あの様子では、こちらから謝りに行かない限りやっ
て来ないのではないだろうか。
 「良かったのか?あの言い方で」
 「どんな言い方をしたって、タマが役に立たないのは変わらない」
 「それはまあ、そうだが」
 「それに、改装で船の中は板きれが散乱しているし。じっとしていないあいつを怪我をしないかずっと見ていることは出来ないだ
ろう?」
 「・・・・・」
(それを、タマにちゃんと説明したら良かったのに)
 珠生のことを可愛がっているくせに、率先してからかうのもラディスラスで、本当に子供じみた性格だなと思ってしまうが、きっとこ
んな性格だからこそ、ラディスラスは何事も恐れずに前に突き進む海賊の頭領をしているのかもしれない。
 「どっちにしろ、後数日で改装も終わる。そうすればミュウ達も連れて来て、ジアーラに出発だ」
 「・・・・・ああ」
(いよいよ、か)
 いつかはミシュアに王位を継いで欲しいと願ってはいたものの、それが現実になるとはとても思えなかった。それが、もう目の前の
現実となって迫ってきている。
 「・・・・・絶対に、成功させる」
(ジアーラを元の緑豊かで、美しい国に再興してみせる)
小さなラシェルの呟きをラディスラスも聞き取ったのか、当たり前だろうと笑って言った。




 【明日、迎えに行く】

 夕方、ラディスラスの伝言を伝えにきてくれた若い乗組員は、預かった土産だといって珠生に蒸かし饅頭を手渡してくれた。
ピザまんの、皮が甘いバージョン。それを頬張りながら、珠生はどうしてラディスラスが直接来てくれないんだと面白くない気分でい
た。
 確かに、彼の言葉に少し怒ったりもしたが、それは自分達の間では何時もあるような掛け合いではないか。
(全く、ラディめっ)
それでも、明日には会える。数日顔を見ないだけで寂しいと思う彼にようやく会えるのだなと、珠生は気を取り直すことにした。

 そして、その夜は久々に父と一緒に眠ることになった。
もちろん、大学生にもなって同じベッドに入るのは恥ずかしいので、少々硬いが床に敷布を引いて、枕を並べて話をした。
 『父さん、怖い?』
 『怖いって、何が?』
 『だってさ』
(父さんと出会ったせいで、王子は王子じゃなくなって・・・・・だから今、ジアーラは大変なことになっちゃってるわけだし)
 良心の呵責・・・・・その言葉が当てはまっているのかは分からないが、珠生は父が苦しい思いのまま船には乗って欲しくないな
と思った。
確かに、現状の要因が父のせいであるとしても、全ての理由にはならないと思う。ミシュアの代わりに王になった者が良い人だった
ら、ジアーラは栄えていただろう。
(全部が父さんのせいじゃないんだよ?)
 珠生の思いが伝わったのか、父が笑う気配がした。
 『珠生、父さんはそんなに自意識過剰じゃないよ』
 『え?』
 『自分がいなかったら全てが違っていたなんて思わない。もちろん、何の責任も無いとも言わないけどね』
深い意味をこめた父の声に、珠生は何と言っていいのか分からなかった。
 『・・・・・』
 『ただ、父さんはミュウにとって一番良い方法を考えてやりたいと思ってる。その中に、王位に就くというが入っていたとしたら、それ
を叶えてやりたい』
 『父さん・・・・・』
(それで、離れちゃってもいいって思ってる?)
 珠生は考える。
これからミシュアがジアーラ国に戻り、今の王を退位させて、自らが王位に就いたとしたら。
父は側にいることは出来るかもしれないが、恋人という関係になれるというのは・・・・・無理だろう。
(王子のために、この世界に来たのに・・・・・)
それなのに、思いが報われなくてもいいのだろうか?
 『珠生』
 『な、なに?』
 『私のことは心配しなくてもいいよ。お前はお前の幸せだけを考えなさい』
 『そんなの、無理に決まってるだろっ。父さんのことだって考えるよ!』
 『ははは』
 ムキになって言う珠生に父は笑うが、父のことを差し置いて自分だけが幸せになることなんて考えたくない。
(俺達、2人共絶対に幸せになるんだっ)
人に言えば楽天的だと思われるかもしれないが、珠生は絶対にそうするんだと改めて強く心に誓った。




 「お〜い!」
 翌日の朝、大きな声で珠生は起こされた。
 「・・・・・れ?」
既に隣で眠っていたはずの父の姿は無く、珠生はぼんやりとした頭のまま起き上がる。
 「今の声・・・・・ラディ?」
 「お〜い!タマ〜!」
 「・・・・・あっ」
 ようやく眠気が引いた珠生は、急いで起き上がるとそのまま家の外に飛び出した。そこには馬車を引いたラディスラスとラシェルの
姿があった。
 「ラディ!」
 「おはよう」
 馬車から降りたラディスラスは珠生に近付いてくると、少し身を屈めて顔を覗き込んできたかと思った次の瞬間、グシャグシャに
髪をかきまわしてきた。
 「ちょっ、何するんだよ!」
 「お前、起きたばっかりだろう?寝癖ついてたぞ」
 「な、直してくれるんならもっと優しくしてよっ」
 「目立たないように、余計に乱してやったんだよ」
ラディスラスの言っていることは滅茶苦茶で、珠生は何を言っているんだと眉を顰める。しかし、そんな思いもラディスラスの顔を見
ていると次第に解けて・・・・・結局笑ってしまうのだ。
 「じじいは朝早いもんな!」
 「・・・・・」
それでも、何か一言言い返したいと思って口にした言葉は、案外ラディスラスの胸に深く突き刺さったのかもしれない。