海上の絶対君主
第六章 亡霊の微笑
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※ここでの『』の言葉は日本語です
今回の旅から、再びここに戻ることはない。
既に家の持ち主にも挨拶を済ませた時、一緒にいた珠生は本当に残念だと相手が言ってくれたことが嬉しかった。
短い付き合いの中でも、父やミシュアの人柄を認めたからこそ、そう言ってくれたのだと思う。
家の中は綺麗に掃除され、今日旅立つとそこには自分達の形跡は残されない。寂しいと思うが、前を向いて歩くということは過
去を振り切ることでもあるのだなと思った。
「珠生」
「うん」
ここで、しばらく日本と同じように父にくっ付いて暮らした。それは僅かな時間だったが、珠生には父のいなかった数年間を取り戻
すのに十分な時間だった。
そして、今から旅立つのは、もしかしたら父と離れる旅になるかもしれない。
覚悟を決めないと・・・・・そう思った珠生の頭を、ポンと叩く者がいた。
「何しんみりしてるんだ?」
「ラディ、たたかないでよ」
「これから思う存分暴れなきゃいけないんだぞ」
「分かってる」
どんな方法を取るのかはまだ聞いていないが、珠生ももちろんその中の一員になっている。怖い・・・・・とは、思っていない。
ラディスラスが傍にいるのだから、絶対に大丈夫だ。
「・・・・・よし!行こう!」
「その意気だ」
笑うラディスラスが軽く背中を叩き、珠生は馬車に乗り込む。ラディスラスもそれに続くと、手綱を引いて馬が動き始めた。
馬車はゆっくりと進み、その夜遅くに港町に着いた。
夜の海を小船で渡るのは危険なので宿で一泊をし、次の朝夜が明けると同時に行動を開始する。
「ミュウ、気をつけて」
「はい」
先に船に乗ったラシェルと瑛生の手の中に、ラディスラスが慎重にミシュアの身体を委ねた。傷は塞がっているとはいえ、完全に
塞がっているわけではなく、そこに塩水が掛かったりしたらどんな状態になるのか分からない。
船にはアズハルがいて、ノエルから一通りの治療法は伝授されているので、まずはその船に無事ミシュアを乗せるまでが一苦労
だった。
「ラディ、ミュウ、綱はしご上がれる?」
「いや、腕の力はお前の半分以下だろうな」
「俺のって・・・・・大変」
珠生は自分の両手を見下ろしながら眉を顰めている。自分の握力を正確に認識しているのはいいことだ。
「船の近くまで行ったら、上から綱を下ろす。それでミシュアを吊り上げるようにするんだ」
「綱で?」
「寝転がれるように編んである」
「あむ・・・・・はんもっくみたいな感じ?」
「はも、く?」
「あー、俺は分かってるから」
どうやら、また珠生の国の言葉が出たようだが、それで珠生は納得したようだ。
「俺達も行くぞ」
続けて質問されないうちにと、ラディスラスも用意された小船に乗り、手を差し出して珠生を乗せた。始めの頃はこうして乗り移
るだけでも恐々といった感じだったが、今はかなり慣れたのか表情には出てこない。
それでも、船を漕ぐラディスラスの身体のどこかに必ず触れているのは、泳げない不安からなのか、それとも一時も傍を離れたくな
い愛情からか。
(俺にとっては、後者の方がいいんだがな)
暢気にそんなことを考えていると、珠生があっと声を上げた。ラディスラスが視線を向ければ、丁度ミシュアが上に引き上げられて
いる所だった。
「すっごーい!やっぱりはんもっくみたいだ!」
「・・・・・」
(度胸がいいな、おとなしくしている)
幾ら大丈夫だと言われても、綱だけで引き上げられることに不安は感じるはずだ。
もしも誰かが手を離したら・・・・・いや、綱が切れてしまったら、何も持っていないミシュアはそのまま海へと転落してしまう。
それなのに、暴れることも無く、どうやら身体を硬くしている様子でもなく、ただ信頼して身を任せているミシュアに、ラディスラスは彼
の度胸の良さをまざまざと感じさせられた。
「タマ、お前はどうする?」
「え?」
「おぶってやろうか」
「い、いいよ!俺、出来る!」
意地なのか、それとも振り落とされることを不安に思っているのか、きっぱりとそう言い切って調子を確かめるように何度も手を擦
り合わせる珠生に、ラディスラスはフッと笑みを浮かべた。
「よ〜し!お前らっ、準備はいいなっ?」
出航の前、ラディスラスは何時もこうして乗組員全員の前に立つ。もちろん珠生もエイバル号に乗るようになってからはこうしてい
たし、今回はそこに父とミシュアの姿もあった。
「悪いが、今回の旅は海賊家業のためじゃない!でもなっ、もっとでっかいものを俺達の手で動かそうっていうんだ!お前ら、エ
イバル号の名にかけて、怯むんじゃないぞ!!」
「「「おおーーー!!」」」
珠生は、この瞬間が好きだった。こんなにも大勢の人間が一つにまとまった感じがして、その先頭に立つのがラディスラスで。
何だか、男の世界という感じでワクワクする。
「彼は本当に慕われているんだねえ」
「とーさん」
父は真ん中に立っているラディスラスを見ながら感心したように言った。なんだか自分が褒められているような気がして、珠生はへ
へっと嬉しくなって笑う。
「ラディ、ああみえてもえらい立場だから」
「船長さんだからなあ」
「・・・・・なんか、そう言うとぎょせんみたい」
「はは、そう聞こえた?でも、本当にそう思っているんだよ。これだけの人数の男達を、それも、一筋縄ではいかなさそうな者達を
こうしてまとめているんだからね。凄い男だと認めなくちゃいけないな」
「とーさん・・・・・」
(ラディのこと褒めてくれるなんて・・・・・)
自分とラディスラスの、ちょっと人には言えない関係を知っている父。
関係性を言葉で説明すれば、恋人、というのが一番近いのだろうが、珠生はなかなかそれを他人には言えないし、その反対にラ
ディスラスは皆に隠そうともしない。
それを嫌だとは思わないが、恥ずかしくてたまらないと思っている珠生にとって、それでも、ラディスラスを褒めてもらえるのは嬉し
くて、それが大好きな父の言葉ならなおさら、他の者よりも数倍価値があった。
「おい、エーキ」
珠生達が自分のことを話しているとは全く知らないラディスラスが、ラシェルと共にやってきた。
「ミュウを休ませてやった方がいいだろう」
「ああ」
「私は大丈・・・・・」
「だめ!」
それには、珠生が即座に言葉を遮った。
「海の上の太陽はすっごいんだから!おーじは休んでたほーがいーよ!」
「タマ・・・・・・」
日に焼け難い珠生が言ってもあまり説得力はないかと思ったが、もちろんこの場には強力な援軍がいた。
「タマの言う通りだ。ラシェル、ミュウとエーキを船室に連れて行ってやってくれ。アズハルも準備をして直ぐに行くはずだ」
「アズハルも?」
「これからしばらくは海の上だからな。容態を把握しておく」
「うん、そうだね」
簡単に、どこかの病院に連れて行くことなど出来ない海の旅だ。今のうちにアズハルがミシュアの現状を把握しておくことは大切
だろう。
(昨日休んだけど、疲れているだろうし)
皆にそう言われ、ミシュアも反抗はせずに頷いた。何も出来ない自分にとって、迷惑を掛けないことが唯一自分に出来ることだと
思っているのかもしれない。
3人が歩き始めたのを見たラディスラスは、自然とこちらを見ていた乗組員達に向かって大声で命じた。
「出航!!」
新しい航海が始まった。
波は無く、天気も良くて、航海の始まりとしては良い日だ。
ラディスラスは操舵室から前方を見据えた。
「このまま行けば、十日ほどか」
「少し、回り道をしてしまうが、その方が他国の警備船にも見付かり難いし」
「ヴィルヘルム島の様子も見られるしな」
イザークがヘマをしているとは思わないが、万が一あの宝石の原石のことを現王側に知られてしまっていたとしたら、今回の作戦
は大幅な変更をしなければならない。
そんなことが無いように、ちゃんと自分達の目で確認をしておきたい・・・・・ラシェルの気持ちはラディスラスにはよく分かった。
「・・・・・仲間を疑うようなことを・・・・・」
「仕方ない。俺達は海賊で、向こうは一国の軍を背負っている者だ。確認するのも当たり前だ」
「ラディ」
「お前がこの船に乗っている限り、立場は変わらない」
ラディスラスの言葉を聞いたラシェルは、しばらくして深い息をついた。
本人も、自分とイザークの立場の違いを理解している。それでも、昔の関係を全て無には出来なくて・・・・・その狭間で気持ちが
揺れ動いてしまったのだろう。
「さあ、意識を切り替えるか」
ラディスラスはわざと声に出し、ポンとラシェルの背中を叩いた。
「俺達は絶対に失敗しない。だが、それには完璧な作戦が必要だ」
「・・・・・ああ」
「お前が知っている限りの現王の情報を教えてくれ」
「俺、の?」
「そうだ。イザークではなく、まだミシュアが皇太子だった頃の現王を知っているお前の印象を聞いておきたい」
まだ、ただの妾腹生まれの王子だった、ジルベール・ライネ。彼がどんな風にミシュアのことを、ジアーラ国のことを考えていたのか、
ラシェルはきっと・・・・・知っているはずだ。
「イザークではなく、まだミシュアが皇太子だった頃の現王を知っているお前の印象を聞いておきたい」
「・・・・・」
ラシェルは拳を握り締めた。
ジルベール・・・・・彼のミシュアに対する嫉妬は根が深く、それはミシュアを守る自分達にも向けられていた。
妾腹でも、王子は王子で、そんなジルベールの言動を諌めることなど出来るはずもなく、せめてミシュアの耳には届かないようにし
ていたラシェルに向かい、彼はこう言い放った。
「この国を手にするのは私だ!今から私に従え、ラシェルッ、そうしなければお前は今の立場も失うぞ!」
何を根拠に言うのかと思ったが、結果的にはジルベールの執念どおりになってしまった。
「ラシェル」
「・・・・・俺は、自信がない」
「・・・・・」
「私怨を入れずに話すことは・・・・・出来ない」
ジルベールさえいなければ、ミシュアは国を追われることも無く、こんな風に身体を壊すことも無かった。それが、ラシェルの独善的
な考えだとしても、そう思わずにはいられないのだ。
「いいんだ、ラシェル。俺はそれでもお前の話が聞きたい」
それでもなお、ラディスラスはそう言ってラシェルを追い詰めてくる。
「全部話して楽になれって。そんなことで俺はお前を見損なったりはしないぞ」
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