CALM MAN






                                                                  
中 編





 「・・・・・」
 寿司が回っている。
確かに雅人や塚越が言っていたように、皿に乗った鮨が長いレーンを整然と流れていた。
(・・・・・これは、誰のものなんだ?)
雅人を挟んで、宇佐見と塚越がその両隣に座って、2人は次々と皿を取って食べている。
普段、自分には小言を言い続け、口煩い部下という認識の塚越も妙ににこやかに雅人と会話しながら箸を・・・・・それも普通
の割り箸を動かしている。
 「・・・・・」
 「あれ?食べないんですか?」
 色とりどりの、種類は豊富だが明らかに自分の行く鮨屋の鮨とは違うものを見ていた宇佐見は、雅人に声を掛けられてようやく
視線を向けた。
 「・・・・・やっぱり、口に合いませんか?ここ、結構ネタがいいって評判なんですけど・・・・・」
 ついさっきまで美味しそうに鮨を頬張っていたくせに、今はもう肩を落として顔を曇らせている。スーツを着ているし、宇佐見は雅
人が高校教師だと分かっているのに、どうよく見ても大学生のような雰囲気だった。
 「・・・・・」
 そして、未だ黙って箸を動かしている塚越も、チラッと自分に非難するような眼差しを向けてくる。
宇佐見は眉を顰めながら口を開いた。
 「これは、どれを取ったらいいんだ?」
 「え?」
 「番号か何か、皿に書いているのか?」
 「・・・・・」
ごく真面目にそう答えたのに、驚いたように目を見張った雅人は、次の瞬間ぷっと吹き出していた。




 幼い頃・・・・・まだ中学に入る前は、週末には必ず両親と外食をしていた。
しかし、その店は子供の味覚に合わせた場所ではなく、フランス料理や、中華料理、和食と、全て高級という言葉が付くような
場所ばかりだった。
 子供の頃から舌を肥えさせた方がいい・・・・・なぜかそんなことを考えていたらしい母と、その母を溺愛していた父の思惑は、幼
い宇佐見に通用するわけはなく、かといって、嫌だとも言ったことはなかった。
 そんな宇佐見を両親はいい子だと自慢げにしていたが、宇佐見は両親の思惑に従っていたわけではなく、単に食事に興味が
無く、口に入れば何でもいいという気持ちからだった。

 自分を偏愛する母と、立派だがどこか距離を置いていた父。
自分の出生の秘密を知った時、宇佐見は驚くというよりも、今まで不思議だった全てのパーツが繋がったことに納得していた。
 母は、自分の父親である男に未だ執着していて、父はそんな母を諦めて見ているのだろう。
無視をされているわけではない。いや、過干渉だといってもいいが、母は自分の向こうに結局手に入らなかった男を見ていて、そ
の男の正妻を憎み、自分の子と同い年の正妻の子をも憎んでいるのだ。
 結果、ヤクザである相手側に対し、自分達はこんなにも裕福なのだと、格式があるのだと、見せ付けるための教育を自分に施
している。

 そんな両親だったので、宇佐見は普通の家族が行くような店に行ったことは無かった。
大学に行ってからもそれなりの家柄の人間達と表面だけの付き合いをしてきただけだし、職に就いてからも仕事柄料亭などに行
くことが多い。
 それが特に困ったわけではないので今まで何とも思っていなかったが・・・・・今この時、宇佐見は世間知らずな自分を恥ずかしく
思ってしまった。




 「あっ、それ、納豆巻きですよ?納豆、食べれますか?」
 「・・・・・食べたことがないから分からないな」
 「覚悟した方がいいですよ」
 思い切って手を伸ばして取った皿は巻物だった。豆が乗っているようだが、まるで腐ってでもいるかのような糸を引いている。
誰かが食べているのを遠くから見たことはあったが、こんなにも間近で見ることは無く、
(・・・・・食べられないものは出さないはずだが)
そう思いながらそれを一つ箸で摘んで、口元まで持っていった。
 「・・・・・」
(・・・・・臭い)
 「・・・・・」
(やっぱり腐っているな、これは)
 店の人間に注意し、保健所に連絡をさせなければ・・・・・眉を顰めながらそれを皿に戻した宇佐見に、雅人は笑いながら横
から手を出してそれを取った。
 「やっぱり無理でしたか?」
 そう言って自分が食べる雅人の腕をぱっと掴んだ宇佐見は、直ぐに吐き出せと口の中に指を入れようとする。その手を身を乗り
出して止めた塚越が、落ち着いてくださいと言った。
 「これは、こういう食べ物なんですよ」
 「・・・・・腐っている匂いがするぞ」
 「ですから、それがその食べ物の特徴なんです」
 「・・・・・そうなのか?」
 確認するように雅人を見ると、目を白黒させながら雅人は頷く。口の中にまだ入っているので声は出せないようだが、頬を動か
しながら、吐き出すことはしなかった。




 それから一時間半後、車は雅人の家の直ぐ近くに停まった。
 「ありがとうございました」
 「悪かった、返って金を使わせた」
 「いいえ、何時もご馳走していただいているんですし、私も働いているんですからこのくらい当然です。塚越さんもありがとうござい
ました。皆さんにお疲れ様とお伝え下さい。宇佐見さん、お休みなさい、また時間があったら会いましょうね」
車を下りて頭を下げた雅人の言葉に、宇佐見は少しだけ眉を動かした後、行けと命令し、車は再び走り出した。
 「気付かれていたようですね」
 「・・・・・ああ」
車が走り出してからしばらくして言った塚越に、宇佐見は言葉少なに頷いた。

 雅人が回転寿司をと言った直後、塚越が見つけ出した店は、その手の店の中ではかなりグレードの高い店だったらしく、車が
着いた瞬間、一瞬雅人の顔がうっと青褪めたのが分かって宇佐見は笑みを浮かべた。
 店には既に何人かの客がいたが、その中の、目付きの悪い、スーツ姿の男達は護衛で、店の外にも護衛の者がいる。
自分の立場上もあるが、ごく最近に起こった庁内の極秘のゴタゴタのせいで、いつもよりかなり警備が厳しいのは仕方がないし、
出来るだけ自分とは無関係のような態度を取らせていた。

 もちろん、支払いは自分がするつもりだったが、箸を置いた直後に雅人は立ち上がり、自らがレジに向かって財布を取り出した。
 「譲られるのも気遣いです」
 「・・・・・」
そう言った塚越自身、自分は余計者だからと支払いを折半しようと言い出していたが、ここくらいはと強引に雅人が言い張り、塚
越もそれ以上は無理を言わないで、ご馳走様でしたと頭を下げていた。

 護衛のことは気付いていないと思っていたが、最後の言葉を聞けばそうとも言えないようだ。
 「楽しい方ですね」
 「・・・・・教師には見えないくらい騒がしいが」
 「でも、ああいうタイプの方が好かれるんじゃないですか?」
遊ばれるかもしれませんけどと言う塚越の言葉は正しいと、宇佐見も思う。
 落ち着きがないように見えてきちんと周りに視線を向けているし、年上に対する礼節も忘れない。初めて会った時は、生徒を身
体を張って守ってもいた。
(本当に・・・・・今時珍しいタイプかもしれないな)
 「それに、あなたも気に入っていらっしゃるようだし」
 「・・・・・私が?」
 「そうでしょう?あなたが仕事以外で食事に行かれるなど、私は紺野さんしか知りませんよ」
 「・・・・・」
(そうだったか?)
 宇佐見は塚越の言葉に改めて考えて・・・・・その言葉が正しいと思った。
友人というものがいない、必要としていなかった宇佐見にとって、高校教師という全く違う分野の年下の知り合いは確かに物珍
しいものだったが、これほどに頻繁に会うほど興味を持てる相手なのだろうか?
(・・・・・そういえば、少なくなったな)
 そして、気付いた。雅人と会っている時、そして会った後しばらく、宇佐見は自分が叶わぬ想いを抱いている相手・・・・・西原
真琴(にしはら まこと)のことを思い出すことがなくなった。
 もちろん、忘れたわけではないし、自分の感情を初めて動かした相手として、真琴は特別な存在だ。
ふとした時に思い出し、その彼の後ろにいる男のことも同時に見えてしまって、気持ちが揺れてしまうこともある。そんな中に、雅人
が割り込んでくることはないが、ふとした時に思い出す存在になっているのは確かだ。
 「どうされますか?」
 「自宅に」
 「分かりました」
 始めは、街の中ですれ違ったくらいの存在。
名前が似ていたということだけで耳に残っていた響き。街中で再び再会し、次は・・・・・自分から会いに行った。
 「・・・・・」
 自分が雅人に何を求めているのか、宇佐見ははっきりとはまだ分からない。ただ今は、クルクルと表情の変わる、教師らしくない
あの青年に会うことが、自分にとっての気晴らしになっていることだけは事実だった。




 家に着いたのは、午後11時を過ぎた頃だった。
 「お帰りなさいませ」
使用人に出迎えられた宇佐見がそのまま離れへと向かおうとすると、
 「貴継」
もう自室に戻っていると思っていた相手の声に、宇佐見は一瞬眉間に皺を寄せたが、振り向いた時にはもうその皺は消して、し
かし、表情は無表情のまま言った。
 「ただいま戻りました」
 「お仕事?」
 「・・・・・友人と食事に」
 「・・・・・最近、お仕事以外で遅くなることが多いみたいだけど、もしかしたらお付き合いされている方でもいるの?」
 「母さん」
 「もしもそういう方がいるんなら、一度ここに連れて来て・・・・・」
 「そういう相手はいません」
 一方的に話を進めようとする母に、宇佐見は出来るだけ冷淡にならないように否定した。

もう30も超えた、立派な職業に就いている息子が何時までも独身でいるのは恥ずかしい。
あの女の息子よりも早く家柄の良い相手と結婚させ、孫を産ませる。

 母のその思惑が透けて見える宇佐見は、お前のためにという言葉が出る前にそれを止めた。これまでも勝手に見合いを画策さ
れてきたが、その誰もが母が気に入るタイプの相手ばかりだった。
 何時でもお前のため、お前のため・・・・・そう言いながら、この母は何も分かっていない。
母がつけてくれた家庭教師の女が自分を押し倒し、この家でセックスしたことがあるなどと言ったらどんな顔をするだろうか。
 中学生だった宇佐見の腰に跨り、腰を振っていた女子大生が、母の前では大人しい良家の令嬢の顔をしていた。人間など、
誰もが仮面を被っているのだ。
 「休みます」
 「貴継!」
 「お休みなさい」
 まだ何か言っている母を振り向かず、宇佐見は自室へと足を向ける。こんな自分の血を引く子供なんて、欲しいとは思えなかっ
た。




 離れに入り、ようやく一息ついた宇佐見はソファに座ると、深い溜め息をついた。
せっかく穏やかな気分で家に戻ってきたというのに、母の言葉を聞いて気持ちがささくれ立ってしまった。
 「・・・・・潮時かもな」
 そろそろ、家を出ることを真剣に考えた方がいいかもしれない。
今までも何度かマンションを探し、契約までしたが、何時の間にか母が解約をして・・・・・そんなことが続くうちに、宇佐見は家を
出ることを諦めていた。出るとすれば、母が死んだ時だと思った。
しかし、今の口振りからすれば、夜この離れに気に入りの娘を夜這いに来させることもしかねない。
 どんな感情を抱いていても、結局は自分を産んでくれた母を切り捨てることは出来ないと思ってきたが、そんなことを言っている
と自分自身が窒息してしまうかもしれない。いや、下手をすれば・・・・・。
 「・・・・・殺すかも、な」
 人殺しになるのが怖いわけではないが、そんなことになれば自分の身体の中に流れている実の父とあの異母兄との血の繋がり
を感じて面白くない。

 「宇佐見さん、お休みなさい、また時間があったら会いましょうね」

 ふと、今日の別れ際に聞いた雅人の言葉が頭の中に浮かんだ。

 「こんな高い回転寿司、もう来ないかも知れないし」

雅人とまた食事をするためにも、母を殺すことは出来ないなと思いながら、宇佐見は目を閉じると今日の回る鮨の光景と、勿体
無いからとガリを頬張り、酸っぱさに顔を顰めていた雅人の顔を思い出して・・・・・ふっと笑みを漏らした。