CHANGE




10







 それから三日間は、何時もと変わらぬ日常が続いた。
いや、少し変わったのは、上杉だけではなく、小田切からも定期的に連絡が入ることになったことだろうか。
 「気にしなくてもいいのになあ、小田切さん」
 学校の門を出て歩きながら、太朗はポケットに入れたままの携帯を軽く叩いた。
どうやら自分のせいで太朗に怖い思いをさせたと思ったらしい(別に子供じゃないので怖くは無かったが)のだが、太朗はこうも心配
されると返ってあの男のことが気になってしまった。
(そんなに犬を取り戻したいのか?)
 動物好きの太朗もその気持ちは分からないでもないが、それでもその動物が新しい飼い主に可愛がられているとしたら・・・・・そ
れでも無理に引き離そうとまでは思わない。
よほど、その飼い犬のことが気に入っているのかと思うと、まだ見ていない小田切の飼い犬を見たいなと思ってしまった。
 「・・・・・あ、音戻しておかないと」
 学校にいる間はバイブ機能にしているので、元に戻しておかなければ自分はなかなか電話に気付かない。
太朗はポケットから携帯を取り出し、ボタンを弄ろうとして・・・・・、
 「危ないぞ」
 「!」
いきなり後ろから掛けられてしまった声に、思わずビクッと肩を揺らしてしまった。
 「悪い、驚かしたか?」
 「なんだあ、ムッちゃ、宗岡さんか」
 何時ものように呼び掛けて慌てて言い直す太朗に、宗岡は気にするなよと言ってくれた。
今日は前に会った時とは違う私服姿で、バイクも白バイではない。どうやら仕事中ではないようだが、その宗岡が高校の近くにい
るというのは単に偶然なのだろうかと太朗は首を傾げた。
 「どっか行くんですか?」
 「ちょっと、太朗君に会いたいなと思って」
 「俺に?」
 それこそ、不思議だ。
もちろん、太朗は宗岡のことが嫌いではない。堂々とした体躯に、バイクを自在に操れるというのも凄いと思うし、何より警察官な
んてカッコイイ。
別に、上杉の仕事が悪いというわけではないが、それでも万人から尊敬される仕事をこなしている宗岡はまた別な感じだった。
 ただ、太朗が宗岡に好感を持っているとはいえ、頻繁に顔を合わしているわけではない。
いや、もしかしたら片手で数えられるほどにしか面識がないかもしれない宗岡が、改めて自分に会いにくるという意味がよく分から
ず、太朗は一体何なのだろうとますます謎が深まってしまった。




 子供の太朗に訊くべきことではないかもしれない。
しかし、多分・・・・・きっと、太朗の方が自分よりも情報量は多いことは確かだろうし、出来れば全て話して欲しいと思った人は何
時まで経っても口を開いてくれないので、宗岡は自分が動かなければならないと思った。
 「少し、いいか?」
 「うん」
 「じゃあ、あそこの公園で」
 そこは、先日太朗が怪しい男達に絡まれた場所だ。
もしかして嫌だろうかと思ったが、太朗は自分からそこに向かって歩き始める。
(度胸がいい子だよな)
 普通の高校生のはずなのに、ヤクザの会長の恋人であるし、あの気難しい自分の恋人が気に入っているのだ。普通の子であっ
てもその内面はかなり強いのかもしれないと、宗岡は自分もバイクを手で押しながらその後に続いた。

 「こんなので悪いけど」
 「ありがとう」
 公園の自販機で炭酸ジュースを買ってきた宗岡に、太朗はにっこりと笑って礼を言ってきた。
自分は缶コーヒーを買って一口飲んだ宗岡に、太朗はペットボトルの蓋を開ける前に訊ねてくる。
 「何か、俺に聞きたいことがあるんですよね?」
 「太朗君」
 「分かることなら何でも答えますから言ってみてください」
 どうやら自分が会いにきたことには意味があると感じたらしい。どういうふうに話を切り出していいのか考えていた宗岡は、太朗の
方から切り出してくれたことに感謝しながらうんと頷いた。
 「・・・・・この間のことなんだけど」
 「この間?・・・・・もしかして、ここで会った時の?」
 「うん。あの時、太朗君電話で話していただろう?犬がどうとか、こうとか」
 「・・・・・ああ、うん、確かに話しました」
 「そのことでちょっと聞きたくて。ゆた、小田切さんの犬がどうって・・・・・その辺、もう少し詳しく話してくれないかな」
 その夜、日付が変わる頃に帰って来た小田切に説明を求めたが、彼はお前には関係ない話だと言って何も言ってくれなかった。
そうでなくても、自分に対して全てを見せてくれない小田切に、さすがに強く問い詰めたのだが・・・・・。
(それ以来、ほとんど顔を合わさなくなったし)
 マンションに戻って来ないというわけではない。帰ってはくるものの、それはかなり遅く、公務員であり、白バイ隊員という激務に就
いている自分は徹夜など無茶なことは出来なくて、ほとんど顔を合わすことが出来なかった。
 飢えているのは身体だけでなく、心もだ。小田切の背負っているものがどんなに重くても、自分には背負う覚悟があるのにと、宗
岡は通じない自分の心の行き場を模索していた。




 どうして宗岡がそれ程、小田切とその飼い犬のことを気にするのか分からなかったが、太朗は自分が覚えている限りのことを宗岡
に話した。
そうせずにはいられないほど、宗岡の顔が真剣だったからだ。
(ジローさんも口止めはしていなかったし)
 「・・・・・そうか」
 「何か引っ掛かりましたか?」
 太朗には何が引っ掛かったのかは分からないが、宗岡の眉間の皺がますます深くなっているのを見れば何らかの発見があったん
だろうとは思う。
 「・・・・・少し、ね」
 「それって、何です?」
 「・・・・・悪い、太朗君。せっかく君に話してもらったのにそれは言えないんだ」
 「・・・・・」
(そんなに深刻なことなんだろうか?)
 気にならないと言ったら嘘になるが、太朗はここは素直に頷いた。無理に聞き出したところで、宗岡の眉間の皺がもっと多くなる
だけのような気がするからだ。
 「分かりました。ただ、今俺が話したってこと、一応ジローさんに言ってもいいですか?」
 「・・・・・ああ、もちろん」
 それがOK貰えるならばいいと太朗も安心した時、
 「あ」
ポケットの中の携帯が震えた。そういえばまだ切り替えしていなかったなと思いながら取り出すと、宗岡に向かって出てもいいですか
と訊ねる。
 「ああ」
 その返事に携帯を開いたが、画面に出ていたのは見たことのない番号だった。
 「誰だろ?」
なぜか、上杉から、

 「携帯を換えろ、番号もだ」

そう言われ、困るよと言っても頼むと重ねて言われ、太朗はつい二日前、携帯を変えたばかりだった。
友人達にも新しい番号は教えたが、それでも全員というわけではない。データーは移してもらったが、自分のように携帯も番号も換
えたという者がいるかもしれないと、太朗はそれ程構えずに電話に出た。
 「はい?」
 『お前は放し飼いか?』
 「え?」
 『飼い主以外の男と会って、後で罰を受けないのか?』
 「はあ?」
(何言ってるんだ?こいつ・・・・・って)
 「あんた、誰?」




 もしかしたら羽生会の会長かもしれないと思ったが、それでもいいと宗岡は思っていた。いや、太朗の口から自分の存在を知ら
れ、その先に小田切に知られて欲しいと思った。
 しかし、
 「はあ?」
(・・・・・ん?)
 「あんた、誰?」
 「・・・・・っ」
 その言葉を聞いた瞬間、電話の相手が自分が想像している者とは違うととっさに判断した宗岡は、太朗に向かって手を差し出
す。代わってくれというそのサインを悟った太朗は、直ぐに携帯を差し出してきて、宗岡はそれを自分の耳にあてた。
 『先日は邪魔が入ったが、そのせいかお前の飼い主と久し振りに話した』
 「・・・・・」
 『相変わらず生意気な奴だった。私の呼び出しにも応じなかったしな』
 「・・・・・っ」
(あいつか!)
 「子供に向かって何を言ってるんだっ」
 思わず宗岡がそう言うと、一瞬の沈黙の後、相手が低い声で訊いてくる。
 『・・・・・誰だ』
 「俺が、今のあの人の飼い犬だよ」
 『何っ?』
 「え?」
電話の向こうとすぐ傍で、同じように驚いた声が上がった。しかし、今は太朗のフォローをするよりも、電話の向こうの人物に話があ
る宗岡は、そのまま硬い口調で続けた。
 「この子にちょっかいを掛けるのは間違いだ。これ限り、電話もしないで貰いたい」
 『・・・・・お前の名前は』
 「宗岡哲生」
 『ムネオカ・・・・・警察の・・・・・そうか、そういうわけか』
 何が楽しいのか、電話の向こうの声が急に声を上げて笑い出した。宗岡はこの電話の主が犬という比喩を十分理解していて、
自ら名乗った自分のことを笑っているのだということは感じた。
それでも、構わなかった。
 「分かってもらえたようだな。次から用があれば俺の携帯に電話をして来い、何時だって話に応じてやる」
 そう言ってプライベートの携帯番号を言うと、向こうは分かったと言ってから電話を切った。
 「あ、あの、宗岡さん?」
太朗が心配そうに声を掛けてくる。驚かせて申し訳なかったなと思い、今の言葉をどう説明しようかと、宗岡はめまぐるしく考えてい
た。




 上杉はコーヒーを持ってきた小田切をチラッと見上げ、ニヤッと笑みを浮かべた。
 「余裕だな、小田切」
 「何のことでしょう?」
 「あれから、何の接触もないのか?」
 「ええ。案外、何も考えていなかったんでしょうね。馬鹿な人間の考えることは全く分かりませんが」
小田切の元に東條院から電話があって数日、どうやら連絡はないらしい。
小田切からわざわざ言うとは思わないが、聞いて嘘をつくこともないので、この返答は確かなのだろう。
 上杉自身用心して数日間太朗に会わなかった。たった三日といわれるかもしれないが、自分にとっては一ヶ月もの時間に等し
い。特に、今回は自分の事情ではなく、他の要因があってのことなので、余計に飢えるのが早い気がした。そろそろ電話だけでな
く、あの笑顔をじかに見たい。
携帯を換えさせた理由もはっきりと説明してやらないといけないと思っていたので、上杉は小田切の反応に軽く頷いた。
 「問題はないんだな」
 「昨日、綾辻さんから情報を貰いましてね。どうやらあちらの家の事情も分かりましたし、私が恐れることなんて少しもないなと」
 「お前が恐れるなんて言うタマか」
 「分かりませんよ」
 こうして話していても、小田切に余裕があることが感じられ、上杉は綾辻の情報がいったいどんなものだったのか、俄然興味が湧
いてしまった。