CHANGE




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 「綾辻は何て言ってきたんだ?」
 多分、聞かれるとは思ったが、思った以上に上杉の言葉はストレートだった。これでは言葉遊びも出来ないと、さすがに小田切
も苦笑を浮かべる。
 「聞いても面白くないですよ」
 「聞きたいんだよ、金持ちで格式の高い家の醜聞」
 「・・・・・悪趣味ですね」
 綾辻の報告は大体小田切が予想していたものだった。
そもそも、今の境遇に満足していれば、昔自分が見た醜い人間になどに再び会いたいなどと思わないだろうが、東條院広郷の足
元は今大きく揺らいでいるようだった。
 「事業拡大で失敗したようです。それまで順調だっただけに、本人のショックも相当だったんでしょうが、本家の方はなかなか手厳
しい態度を取ったようで」
 「確か、ホテルのオーナーだったか?」
 「来月には別の人間がなるようですけど」
 現、東條院本家の当主、正紀は穏やかで柔らかな物腰とは裏腹に、とても計算高く冷徹な人間だった。
特に、東條院という名前に誇りを持っていた彼は、昔小田切が会った時も何の感情もその目の中には浮かべていなかった・・・・・
つまり、自分と同等に話せる相手だとは思っていなかったのだろう。
 それは父親の庶子に対してもそうで、東條院家の名を汚す者や能力の無い者はあっさりと切り捨てていた。
 「今回も、一度の失敗で男を切り捨てたようです」
 「それは・・・・・気の毒といっていいのか?」
 「私も馬鹿な人間は嫌いですが、一度の失敗で全てを剥奪しようとは思いませんけどね。まあ、そのせいで自棄になって、自分
がこうなってしまった原因をネチネチと考えて、遥か昔父親の犬だった私のことを思い出したんでしょう」
 「・・・・・分からねえな」
 「ええ、本当に」
 それほどに忌み嫌うものならば思い出すこともないだろうに、それだけ自分よりも下の存在を炙り出したかったのだろうか?
その前に、今回の失敗を取り返すような成功をすれば良いだけなのにと思わないでもないが、所詮自分とは違う人間のことは分
からない。
 「どちらにしても傍迷惑な話です」
 「会うのか?」
 「どんな馬鹿なのか、実際に顔を見てみたいですよ」




 金持ちの考えることは全く分からないというのが上杉の結論だ。そんなことで自分や、いや、全く関係のない太朗まで振り回され
ているのだからたまったものではない。
 ここは小田切が一度会って引導を渡せば済むのではないかと、上杉は会え会えと無責任にはやした。
 「その方が早いだろ」
 「まあ、早いとは思いますが・・・・・」
 「どっちにしろ、もうタロにはちょっかい出さないようにしてくれたらいいんだが」
上杉にとっては一番大切な問題はそれだが、小田切にとっても同じだったらしい。
 「そうですね、私達はともかく、太朗君には手を出させないようにしないと」
 「私達って、俺を入れるなよ」
 「あなたは私のボスでしょう?少しは可愛い部下を守ってやろうとは思ってくれないんですか?」
 どう見ても、可愛いとは思えない部下だとは、さすがに上杉も面と向かって言うことは出来なかった。
大体、今回のこともお前が一番の原因だろうと言いたかったが、最初は小田切も余計な揉め事を回避するために休みを取ろうと
したのだと思えば・・・・・。
(・・・・・ん?引き止めた俺が悪いのか?)
 「どうしました?」
 「あー、まあ、俺はいいから、タロのことは考えてやれ。あいつも来年は受験だし」
 「そうでしたね・・・・・大学生の太朗君か、あまり想像出来ませんが」
 口元に笑みを浮かべている小田切がどんなものを想像したのかは分からないが、絶対に太朗本人には何も言わないで欲しいと
考えていた時、
 「ん?」
 「あ」
部屋の中に響いた携帯の音に、上杉と小田切は同時に声を上げた。




 「俺が、今のあの人の飼い犬だよ」

(イヌ・・・・・って、犬?)
 太朗は今の宗岡の言葉を何度も繰り返し、繰り返すほどに分からなかった。
これが、
 「俺が、今あの人の飼い犬を世話している男だ」
とか、
 「俺が、今のあの犬の飼い主だ」
とかなら、話は通じるのだが、今の言葉はどう解釈しても、宗岡があの人・・・・・つまり、小田切の犬だということになってしまう。
(それって、何かおかしいよな?)
 「太朗君、あの・・・・・な、裕さんが君に俺のことを何て説明しているのかは分からないけど、俺はあの人の、裕さんの犬なんだ」
 「い、犬って何?宗岡さんは小田切さんと同居してるんですよね?・・・・・あっ」
 「太朗君?」
 綺麗で優しい(太朗視点)小田切と、男らしく誠実な宗岡。
どうして気付かなかったのか、太朗は自分の鈍感さが悔しかった。
 「宗岡さん、小田切さんと恋人同士なんですねっ?」
 「え・・・・・」
 「そうだよっ、俺、何で気付かなかったんだろ!小田切さんは照れ屋だから、飼っている犬に宗岡さんを例えて言ってたんだよ!う
わっ、そうだったのか〜っ!」
 男同士などというのは、今上杉と付き合っている太朗にとっては大きな問題ではない。
ヤクザと警察官というカップルも、ヤクザと高校生が付き合っているのだからありえないことではないかもと、いったん許容してしまえ
ば子供の思考は柔軟だった。
 「じゃあ、とーじょういんって人、きっと、犬じゃなくて小田切さんを好きってことなんだ!」
 「・・・・・裕さんを?」
 「宗岡さんっ、負けちゃ駄目だよっ?恋人なら守らなくちゃ!」
(あっ、ジローさんにも教えてあげないと!きっと2人が付き合っていること知らないだろうし!)
 自分が気付いた大きな真実を、早く上杉にも知らせなければと、太朗は興奮したように手を握り締めていた。




(裕さんを・・・・・好き?)
 あの、人を見下すような物言いをしていた男が、小田切のことを好きだという可能性は、正直宗岡には今の今まで無かった。
小田切が何かを隠している、そしてそれが、彼の犬関係であるとは思っていたが、まさか彼自身を好きだとは・・・・・。
 「そ・・・・・か、そういう可能性だって・・・・・」
(俺、何毒されてたんだろ。普通の恋愛には犬とか関係ないのに・・・・・)
はあと、深い溜め息をついた宗岡はその場にしゃがみ込んでしまった。
 「宗岡さんっ?どうしたのっ?気分悪いっ?」
 「・・・・・」
 「ねえってば!」
 「・・・・・」
 「ねえって!」
 太朗が何度も肩を揺すってくる。しかし、一度気付いたしまった新たな事実にショックを受けた宗岡はなかなか立ち上がることが
出来なかった。




 「え、えっと、どうしよっ」
 自分の言葉の何がいけなかったのかは分からないが、何らかの言葉で宗岡がこんなにも落ち込んでしまったことは事実だ。
太朗はどうしようかと考えたが、とにかく原因の一番の源に連絡を取った方が早いと、急いで携帯を取り出し、ボタンを押した。
 『どうしました?』
 数コールの後、柔らかな声が電話に出た。
 「あ、あの、俺っ」
 『太朗君、そんなに慌ててどうしたんです?何かありましたか?それとも、会長に休みをやってくれというお願いを・・・・・』
 「違いますっ、あのっ、宗岡さんが!」
 『・・・・・もしかして、今一緒なんですか?』
 「はい!」
電話の向こうで、小田切が溜め息をつく気配がする。
 『全く・・・・・何をしに行ったんでしょうね』
 「何かっ、俺が前に会ったとーじょういんって人のことを聞きに来てっ、それで、俺っ、あ!小田切さんっ、宗岡さんの恋人なんです
よねっ?」
 『太朗君?』
 支離滅裂な太朗の言葉に驚いたのは小田切だけではなく、傍にいた宗岡も同様だった。
太朗が電話をしていることには気がついていたようだが、その相手が小田切だということは今の名前を聞いて初めて分かったようだ。
焦った表情で太朗を振り返る。
 「太朗君っ、それ!」
 『太朗君、そこにいる男と代わってくれませんか?』
 「あ、はいっ。宗岡さん、小田切さんからっ」
2人が直接話した方が早いと、太朗は直ぐに宗岡に携帯を差し出した。




 太朗が差し出した携帯。これが今小田切に繋がっている。
(・・・・・絶対、怒ってる・・・・・)
太朗に会いにきたことはもちろん、東條院という男のことで嗅ぎ回っているということも知られてしまった。
絶対に怒られるというか・・・・・呆れられてしまうことには間違いないが、このまま電話に出ないでいられることが出来るはずがなかっ
た。
 「・・・・・」
 宗岡は携帯を取る。
 「・・・・・はい」
 『何をしている。まさか、太朗君に聞き込みに行ったのか?』
 「・・・・・」
 『テツオ、私はこそこそ身辺を探られることが一番嫌いだ。それはお前も分かっているんじゃないか?』
 「裕さんが何も話してくれなくて逃げているからだよっ!俺が気にしないとでも思ってた?」
 『話は帰ってから聞く。今は太朗君を無事に家に送ってこい』
 「そんなのっ」
何を勝手なことばかりと訴える宗岡は、近付いてくる足音に直前まで気がつかなかった。




 「裕さんが何も話してくれなくて逃げているからだよっ!俺が気にしないとでも思ってた?」
 「・・・・・」
(け、喧嘩になっちゃった?)
 携帯に向かって必死に叫んでいる宗岡の姿に、太朗は自分のしたことが失敗だったかもしれないと思い、焦ってしまう。
電話の向こうの小田切は、一体何と言っているのだろうか、まさか耳を近づけて聞くことも出来ないしと、居心地の悪くなった太朗
は宗岡から視線を逸らして、
 「あ」
その視線の先に、数人の人影を見つけた。
ちらっと宗岡を振り返った後、直ぐに視線の先にいる人影へと駆け寄る。
 「何ですか!」
 「ん?用があれば自分の携帯に掛けて来いと言われたからな、わざわざ来てやっただけだ」
 「ちょっ!」
 「・・・・・」
 数人の部下を引き連れた男・・・・・東條院は、太朗から視線を逸らし、そのまま宗岡の方へと視線を向ける。傍で見ている太
朗が思わず怖いと思うほどに、その眼差しは冷たかった。
 「あれが、あいつの犬か」