CHANGE












 人の本質を無意識に見抜く太朗の言葉はあながち間違ってはいない。
報告書を見ると、東條院広郷という男は分家筋に当たるようだが、任されている仕事は国内ホテルチェーンのオーナーというもの
で、ただ同じ血筋だというだけでは説明しきれないほどの厚遇だ。
そのことからも、親戚の女にも手を出していたという男の噂は本当だろうと思えた。
 「ジローさん?」
 上杉はじっと自分を見つめる太朗の眼差しを見返した。心配そうに瞳を揺らしている太朗の頭の中には、きっと小田切の姿が
浮かんでいるのだろう。
(飼い犬の愛情争い、か)
 本気で、東條院を小田切の飼い犬の元の飼い主の息子だと思っているらしい太朗は、今回のことで小田切が飼い犬を手放さ
ないかと心配しているはずだ。
まさか、その小田切自身が飼い主だとは夢にも思っていないだろう。
 「大丈夫だ」
 「え?」
 「小田切は手放さねえよ」
 「・・・・・本当?」
 「ああ。あいつはああ見えて情が深いんだ」
 自分の言葉に、太朗は明らかにホッと頬を緩めた。素直に見せる感情がとても好ましく、だから余計に、太朗には心配を掛けた
くないと思ってしまう。
 ただ、向こうは先ず手始めにその太朗に近付いてきた。まだ学生だから御しやすいと思ったのかもしれないが、もしも小田切を釣
る餌として考えていたのならば失礼な話だ。
(だが・・・・・多分、また現れるな)
 警察官が出てきたからといって、一度で引き下がるような甘い性格ではないようだ。
難攻不落の小田切を攻め落とすには、周りから攻めていかなければならない。そうすると、まだ子供である太朗に目を向けること
はごく自然な発想だろう。
ただし、その後ろに自分という存在を見たら、けして馬鹿な真似はしないはずだが。
(とにかく、タロのガードを増やしておくか)
 本人に言ったら猛反対をされそうだが、それも自分の心の平穏のためだと言い訳しながら、上杉は誰を太朗に付けるのかめまぐ
るしく考えていた。




(よかった、小田切さん、犬返さないんだ)
 太朗は上杉の言葉にホッとしていた。
もちろん、前の飼い主の家族がここまで訪ねてくるというのは、よほどその犬を大切に思っているからだろうが、今の小田切との関係
を壊してまで連れ帰ろうというのは間違っていると思う。
(大体、俺のトコに来るのも変だし)
 自分と小田切の関係をどこで知ったのかは分からないが、飼い犬の話は当事者の問題で太朗が口を出せるはずもない。
そもそもの対応が間違ってるんだよなあと思った太朗は、ふと横顔に視線を感じた。
 「何?」
 車は信号待ちで止まっている。
上杉は太朗の問い掛けに苦笑を零した。
 「いや、ショックは受けていないみたいだな」
 「ショックなんて・・・・・俺、そこまで子供じゃないよ?そりゃ、いきなり周りを取り囲まれた時はびっくりしたけど。でも、ジローさんと
この人達よりはカッコイイ顔してたし」
 「はは、おいおい、あいつらが泣くぞ」
 「えー、でも、俺は組員さん達の方が人間っぽくて好きだけど」
 東條院という男に従っていた者達は、皆一様にすっきりと背広を着こなした男達だったが、その表情には感情というものが垣間
見えなかった。言葉は変かもしれないが、まるで機械のように見えたのだ。
 一方で、羽生会の組員達は厳つい顔をした者達が多いが、それでも太朗に向かっては優しい(ちょっと怖いが)笑みを向けてく
れるし、上杉を慕っている様子がよく分かる。
どちらが怖いか、そうでないかなど、考えるまでも無かった。
 「もう来ないかな?」
 「さあなあ」
 「来るかもしれないってこと?」
 「話が分かる奴ならいいんだが」
 「頭良さそうだったよ?」
 「頭が良くっても、馬鹿な奴はいるんだよ」
 「・・・・・」
(頭が良くて・・・・・馬鹿?)
 結局どちらなんだろうと思うものの、上杉はもうそれ以上は説明しなかった。
太朗も、せっかく上杉が学校まで迎えに来てくれて、何時までも他のことを話しているのはつまらないと思い直し、早速会わなかっ
た日々のことを身振り手振りを交えながら話す。
 少し車は窮屈だったが、体感速度はとても速くてなかなか面白く、太朗がまたこれに乗ってみたいと言うと、上杉は直ぐに笑って
頷いてくれた。




 上杉の不在中、小田切は無言で仕事を進めていた。
実は上杉に任せている半分以上の仕事は小田切で処理出来るものなのだが、普段から楽をしようとする、いい意味で子供のよ
うな気持ちの抜けきれない上杉をしっかりと拘束するためにも、必要以上の仕事を任せているのだ。
 もちろん、上杉の決断力や閃きは、小田切にも及ばないことが多々あるし、彼が量では無く、質で仕事をしていることは理解し
ている。
 さらに、今回太朗に会いに行ったのは、昨日の東條院との出会いが心配だという理由があるので、今回は小田切も黙って上杉
を見送り、自ら仕事を片付けていた。

 「・・・・・」
 夕方5時を回った頃、上杉のデスクの内線が鳴った。
 「はい」
 『小田切監査に電話が入っているんですが』
 「誰からです?」
 『それが、名前を言わないんです。そういう相手の電話は取りつがないと言って切ったんですが、もうこれで5回目で、一応お聞き
しようと・・・・・』
 「繋げてください」
 『いいんですか?』
 「出ないと分かりませんからね」
 少しして、電話は外線に切り替わった。
 「小田切ですが」
 『随分といい待遇に出世したようだな。ヤクザに尻まで突き出したのか?』
聞いたことのない、低い男の声。しかし、まだ若い様子が感じられて、小田切の口元には笑みが浮かんだ。
必死に小田切を貶めようとする言葉を言っているが、その真意が分からない者が言ったとしても小田切にとっては何の痛手にもな
らない。
 「あなたも、入れてみたいんですか?犬の尻に」
 『・・・・・っ』
 電話口の向こうで、相手が息をのむ気配がした。
(このくらい、笑って受け流せないのならば言うべきじゃないですよ)
 「何の御用でしょうか?私はあなたと違って忙しい身なんですけどね」
 『お前・・・・・っ、今夜、来い!』
 「知らない人に付いて行っては駄目だと、飼い主から強く言われていますので」
 『私はお前の飼い主だった男の息子だ!』
 「本人ではないでしょう?子供っぽいことをされるのは構いませんが、あなたはいったい何・・・・・」
電話は、唐突に切れた。
30を過ぎた、地位も権力もある男だというのに、あまりにも子供らしい態度だと思うが、もしかしたらこれは自分に限られた対応な
のだろうか。
(そうでなかったら大変だ)
 あの男の部下の不幸を笑ってしまうが、ここまで直接動いてくるということは、目の前に立つ日もそう遠くないだろう。
面倒なことは避けたいと思い、一定期間だけ姿をくらまそうと思っていたが、案外こういった鼻っ柱の強い男は面と向かって引導を
渡してやった方がいいのかもしれない。
 「本当に、面倒だな」
 口に出して言うと、何だかさらに気が重くなるような気がしてくる。
その気持ちを振り払うように、小田切は途中になってしまった仕事を再び片付け始めた。




 本当は夕食を一緒に食べたかったが、太朗が家に連絡をすると丁度父親が出たらしく、絶対に帰ってきなさいと言われてしまっ
たらしい。
 そのまま家まで送り、玄関先で熊のような父親と対面したが、相変わらず太朗に似て真っ直ぐな性格の彼は眉を顰めながらも
太朗を送ってもらったことに礼を言ってきた。昨日公園で変な人間に絡まれたという話を聞いていたらしい。
太朗をまるで娘のように大切に思っている父親の気持ちが見えて、上杉はその仏頂面さえ微笑ましく思えた。

 そして、事務所に戻ってくると・・・・・。
 「電話?」
 「ええ」
 「なんだ、もう焦れてお前に接触してきたのか?」
 「そのようです」
 「モテる男は辛いな、小田切」
からかうつもりで言ったのだが、小田切はええと頷き返してきた。
 「今は新しい犬を飼うつもりはないんですけどね」
 「おいおい」
(なんだか、あの犬が可哀想になってくるぞ)
 何度か会った白バイ隊員の、それこそヤクザの自分達から見たらイヌと呼ばれる立場の男。
立派な体躯をしているというのに、小田切の前では子犬のように大人しくて従順で、さすがに上杉も、何もこんな子供をたらし込
まなくてもいいんじゃないかと思ったくらいだったが、今回の小田切の様子を見ると・・・・・。
 「お前、何の説明もしていないのか?」
 「説明?」
 「・・・・・してやれよ」
 「する必要はないと思います。あれは、私の言葉だけを信じていたらいいんですから」
 その自信はいったいどこから来るのだろうと思うものの、小田切が自分で決めたことを上杉が覆せるわけはない。
それに、恋人に(自分の定義とは違うかもしれないが)心配を掛けたくないという気持ちは分かり、こんな物言いも小田切らしいの
かもしれないと思った。
 「ま、直に連絡をしてきたっていうことは、姿を現すのも時間の問題だな」
 「ええ・・・・・面倒ですが」
 「若い頃のツケだろう?」
(いや・・・・・本当は、お前の飼い主って奴の責任なんだろうが・・・・・)
死んでしまった相手にどんな愚痴を言っても仕方がない。上杉は出来るだけ小田切のサポートをしてやろうと思ったが、それを口に
出して言うことは無かった。




 「同居をしている?」
 「はい」
 「・・・・・」
 差し出された書類に視線を落とした男の眉が顰められた。
 「警察官だと?・・・・・どういった繋がりだ?」
 「それが、その辺りはどうしても調べが付きませんでした。あまり一緒に行動はしていない様子ですし」
 「・・・・・」
 「上層部も、ヤクザの幹部と同居していることは知っているようですが、どうやら黙認されています。何らかの圧力が掛かっていると
思われますが、それもまだ・・・・・」
 「何をしているっ?俺が命じてもう一ヶ月だぞっ?分からない分からないで、報告の意味があるのか!」
 「申し訳ありませんっ」
 頭を下げて詫びる部下の姿を見ても何とも思わない。役に立たない者はさっさと切り捨てることが当然だが、今回のことに初めか
ら係わっているこの男の首をすげ替えると、更に事態は逆行してしまいかねない。
 「・・・・・謝るくらいならばさっさと動け。次の報告で分からないという言葉は聞かない」
 「はい」
冷然と言い放った男に深く頭を下げた部下は、そのまま静かに部屋から出て行った。