CHANGE
12
太朗は東條院の言葉に眉を顰めた。
「その言い方、止めてください」
「ん?」
「宗岡さんは犬じゃない」
「・・・・・例えだろう?そんな言葉遊びはまだ理解出来ない歳か?」
もちろん、太朗だって人を動物に例えることはよくあることだと知っている。自分の喧嘩友達は猫のように気紛れだと感じるし、年
上の優しい友人はウサギのようにホワホワな印象だ。
太朗自身、上杉によく犬に例えられるものの、そこには相手への愛情が感じられる。たかがそんなことで、太朗だって止めろとは
言わない。
しかし、東條院の言葉の中には棘があるのだ。相手に対する愛情というよりも攻撃的な思い、まるで蔑んでいるとでもいいたいそ
の口調に、太朗は嫌悪感を抱いてしまった。
「・・・・・」
東條院がじっと自分の顔を見る。それに負けじと太朗が睨み返していると、東條院はふっと視線を逸らした。
「お前といがみ合っても仕方がない。私が用があるのは向こうだしな」
「えっ、まっ、ちょっと!」
これ以上話すことは無いとでもいうように自分の横をすり抜ける男に、気をそがれてしまった太朗は慌てて声を掛けた。
『私の言うことが聞けないのか』
「・・・・・っ」
抑揚のないその言葉は、小田切の不機嫌さを如実に表している。それでも、宗岡はここで折れてしまえば、何時まで経っても小
田切の口から真実を聞けないと思い込んでいた。
(絶対に今夜帰ってくるという確証があるまで頷かないっ)
太朗を送っていくことはもちろんだが・・・・・そう思っていたが、
「えっ、まっ、ちょっと!」
「・・・・・」
(太朗君?)
慌てたような太朗の声に視線を向けた宗岡は、そこに先日の男・・・・・東條院が立っていることにようやく気がついた。
あの時と同じように、周りには護衛らしい男達がいて、太朗に手を出すとは思わなかったが直ぐに対処しなければと身体が動く。
「裕さんっ、話は後で!」
『おい、哲生っ』
宗岡は電話を切ると、こちらへ向かってくる東條院と対峙した。
「また、会いましたね」
「お前があいつの犬だったとはな」
「・・・・・」
「この子供がと思った時は、随分宗旨替えをしたと思ったが・・・・・相手がお前だとしても、あいつも随分趣味が悪くなった」
「・・・・・っ」
自分のことを悪く言われるのはまだしも、小田切のことまで言う東條院に怒りがこみ上げてくる。どうせ、この男は自分のことを全て
調べているのだろうが、その自分と歴代の小田切の犬の違いはそんなにも大きなものなのだろうか。
それと同時に、そんな違いが分かるほどに、東條院が昔の小田切を知っていることに嫉妬心も芽生えた。自分が知っているのは
ここ数年の彼だけ。
それ以前は、全く分からない。
(俺だけが・・・・・何も知らない・・・・・っ)
会ったことのある彼の犬達は、きっと小田切の過去も知っているのだろう。今一緒に暮らしている自分が何も知らないことが情け
なく、恥ずかしかった。
(地位も、財力も、外見まで負けてるのに・・・・・これ以上差をつけられたくない)
「・・・・・今日は私服か」
「・・・・・」
「白バイ隊員の格好をした人間を簡単には連れ出せないが、それなら誰にも見咎められることはないな」
「・・・・・っ」
(拉致するつもりかっ?)
東條院の目的は全く分からなかったが、敵意のある口調からもあまり良い用件でないことは容易に想像がつく。それならばと、宗
岡はとっさに太朗に視線を向けた。
「俺は付いて行ってもいい。だが、あの子はこのまま帰せ」
今回のことでは丸っきりとばっちりである太朗の身の安全を確保しなければならない。
「・・・・・」
「誘拐罪の罪は重いぞ」
「警察官が脅す気か」
これは脅しではない。せめて、太朗がこの場から安全にいなくなるまで相手の挑発に乗るわけにはいかないと、宗岡はどうするんだ
と訊ねた。
一体、東條院は宗岡をどうしようとしているのか。太朗にはここに小田切が加わる三角関係の話が全く想像出来なかったが、た
だ1つ言えることは、このまま宗岡を置いて行けないということだ。
そちらにせよ2人の様子は険悪で、このままでは喧嘩になってしまいかねない。2人に体格差があり、宗岡が優位に見えても、い
かにも鍛えていますといった感じの男達が東條院を守るように立っているのだ。
「お、俺っ、立会人!」
「太朗君っ?」
「・・・・・どういう意味だ?」
「2人だけにしていたら絶対に揉めそうだから。俺が立会人になって、2人が話しだけで対決出来るようにする!」
自分が全くの場違いだと分かっていたが、それでも抑止力にはなるんじゃないかと思えた。
東條院はあまり雰囲気が良い人間だとは思えないものの一般人のようだし、宗岡は警察官だ。危ないことはないだろうと太朗は
勝手に考える。
「ねっ?」
「ねって、太朗君、君はもう・・・・・」
「絶対に、行きます!」
今でさえ一方的な感じに責められている宗岡を、自分が出来る限り手助けしたかった。
(どうするか・・・・・)
用があるのは小田切の犬だけで、この少年は正直言って邪魔なだけだと思う。それでも、無理に置いて行けば、それはそれで暴
走してしまうかもしれないという懸念も生まれた。
何も、宗岡を殺すつもりなどない。少々話を聞き、あの男を呼び出す餌になってもらえれば・・・・・いや。
「・・・・・」
東條院は改めて少年を見た。
(あいつが可愛がっているんだったな・・・・・)
自分が初めてあの男と会った時よりは年上であるものの、捻くれていた自分とは全く違う子供らしい少年。この真っ直ぐな目を持
つ少年にあの男の本性を教えてやったらどうなるか・・・・・そんな暗い欲望が生まれてしまう。
「・・・・・いいぞ」
「おいっ!」
「勘違いするな。連れて行ったとしても手を出すわけじゃない」
(少々、泣く思いをするかもしれないがな)
「おい、哲生っ」
珍しく焦ったような声を出した小田切を見ながら、上杉は直ぐに太朗に付けている護衛に電話を掛けた。
小田切に掛かってきた太朗からの電話。その電話を代われるほど側に宗岡はいて、その宗岡に何らかの出来事があって小田切
が焦っている。
それならば太朗の護衛が全て見ているのではないだろうかと思ったのだ。
「俺だ、今どこだ」
ワンコールで直ぐに相手は出て、今太朗の高校近くの公園にいると伝えてきた。そこは前にも太朗が絡まれた場所で・・・・・。
「東條院が?」
以前のことがあるので、護衛達も東條院のことは分かっている。今その公園には、太朗と宗岡、そして東條院が揃って話してい
るという状態らしい。
「・・・・・誰がトラブルメーカーだ?」
自分ではごく普通の高校生だと思っている太朗か、それとも警察官ながらヤクザの犬になっている男か。
どちらにしてもあまり良い状況ではないなと思っていると、小田切が携帯を切ってこちらを見ていた。
「少し、出てきていいですか?所用が出来たようで」
「小田切」
口調は何時もと変わらないものの、その眼差しの中にはゾクッとするほどの殺気が漲っている。策略家である小田切も、自分が
仕掛けられると冷静ではいられないのかもしれない。
(もちろん、俺もだが)
「今割り込むな、そのまま追って逐一連絡しろ、俺達も向かう」
「会長」
電話を切った上杉は、かけてあったコートを手に取る。
護衛に監視の継続を命じたのは、相手に殺意が無いということが分かっているからだ。小田切には悪いが、東條院の目的は宗岡
で、少なくとも太朗に手を掛けるほどの馬鹿ではないだろう。
(それなら向こうに乗り込んで力を見せ付けた方が早い)
どんな相手にも屈服しないと、どんな場所でも突きとめることが出来ると、脅しの意味でもこちらは余裕を見せ付けてやった方が
後々いいだろう。
所詮、金持ちの息子が初めての挫折にトチ狂っただけの話だ。
(・・・・・いや、それが切っ掛けで、こいつのことをどうにかしたいと思ったのかもな)
子供の頃に会った小田切という存在は、東條院の記憶の中に強烈な印象を残したのだろう。それが負の感情へと比重を置い
てしまったのは、小田切の不手際というしかないが。
(その頃はこいつもガキだったし、しかたねえか)
その頃からこんな性格だったら・・・・・怖過ぎる。
「恋人の危機に颯爽と現れたら株が上がるだろう?行くぞ」
「・・・・・1分だけ待ってください」
小田切はそう言って部屋を出る。
それを待つ間、上杉は放り出していた煙草を取って口に咥えた。
(タロ・・・・・)
大丈夫だとは思うものの、もちろん心配であることに変わりない。何も落ち度の無い太朗が、傷付けられることなどもっての外だ。
その上、太朗が慕っている小田切の裏の顔を知られてしまったら・・・・・。
「落ち込むだろうな」
まあ、今の状態の小田切を良い人間だと思うこと自体、太朗は余りに世間知らずだとは思うが、そんな太朗の素直な心を大切
にしたい上杉は、とにもかくにも先ず、太朗の顔を早く見たかった。もしも、泣いていたりしたら・・・・・。
「こっちは、涙だけじゃすまさねえが」
過去にどんな私怨があったとしても、ヤクザに手を出すリスクをきっちりと教えてやらねばならないだろう。
「お待たせしました」
そんなことを考えていると、再びドアが開いて小田切が顔を見せた。その表情には焦りは見えないが、笑みも無い。自分と同様、
相当頭にきているのがそれだけでも分かった。
(駄犬でも、飼えば可愛いということか)
「行くか」
「ええ」
小田切の答えに、上杉はそのまま部屋を出た。
「正道さんは誰が一番好きなの?僕以外にもたくさん可愛がっているんでしょう?」
「・・・・・頭が良くて、淫乱で、絶対に私を裏切らない女がいれば良かったんだが・・・・・女は子供が出来ると変わるもんだ。お前
が女だったらなあ」
「僕が女だったら、さっさと正道さんの子を生んで、この東條院家全てを手に入れて見せるよ」
「金が欲しいか?」
「ううん、こんなに大きな家、潰し甲斐があるじゃない?楽しそうだし」
「はははっ、本当に、お前が女だったら、私の子を産ませたんだが・・・・・残念だよ、裕」
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