CHANGE
13
「どうだ?」
「ついて来ています」
「そうか」
隣に座っている東條院は、何がおかしいのか口元を緩めた。
(俺と笑うツボが違うんだよな)
太朗は眉を顰めながら、自分も身をねじって背後を見る。しかし、自分の目ではその姿を確認出来なかった。
(宗岡さん、大丈夫かな)
2人の話し合いに太朗がついて行くと言い、宗岡は反対して、東條院は頷いた。
結局、太朗の粘り勝ちになったが、今度はどうやって移動するかで揉めてしまう。宗岡は自身のバイクを置いて行けずに、太朗と
2人乗りで車の後を追うと言ったが、東條院はそれでは逃げるんじゃないかと疑った。
ここでも、話を決めたのは太朗だった。
「でも、宗岡さんメット1つしかないだろ?警察官が違反したら駄目だと思うけど」
それには宗岡も言い返せず、最終的に太朗は東條院の車に乗り、こうして並んで座っていた。
「お前を連れて来て正解だったな」
「え?」
「人質になってくれているおかげで、あいつは簡単に逃げることも出来ない」
太朗が視線を向けると、東條院は口元を歪めてそんなことを言ってきた。しかし、太朗は自分が人質とは思っていない。あくまで
も自主的に行動を共にしているのだ。
(この人、絶対友達少ないって)
一言一言が、どうしてここまで嫌味っぽくなるのかと思わず感心してしまうほどだが、一応ここはちゃんと否定しておかなければと
太朗は違うよと口を開いた。
「宗岡さんは約束破る人じゃないです」
「お前は、そんなにあいつのことを知っているのか?」
「・・・・・知らない、けど、小田切さんのことは知ってる。小田切さんが選んだ人なら、宗岡さんはきっと良い人です」
「・・・・・馬鹿だな、お前は。あいつの犬でもないのに手懐けられて」
また、と、思った。この男はどうして小田切の話をする時、人を犬に例えるのだろう?いくら犬好きでもそんなに頻繁に会話に挟ま
なくてもいいのに。
(・・・・・あ、でも、小田切さんもよく犬の話をするよな)
その割には、太朗の飼っている犬の話を自らすることはない。何だかアンバランスだなと、太朗は初めて感じた。
隣に座っている少年は、たった数分の間でも様々に表情を変えていた。
本人はきっと意識していないのだろうが、心で思ってしまうことが全て顔に出てしまうタイプなのだろう。
(本当に、あいつは趣味が変わった)
以前の小田切ならば、この少年といい、宗岡といい、眼中にも入れなかったと思う。もちろん、あれから十数年経っていて、人の
嗜好というのは変わっても不思議ではないが、東條院は頭の中で描いていた小田切という男の幻影が少し崩れてきていることに
気がついていた。
「・・・・・」
(容姿は、あまり変わっていないのに・・・・・)
歳の違いはあるものの、美人だという印象は変わらない。近況を調べさせた時に付いてきた写真に写っていたのは、大人になって
更に艶やかになった男だった。
小田切が、もっと歳相応に老けていたら・・・・・。昔会った時とはまるで違う、ただの中年男だったら、きっと東條院はこれほどに小
田切に執着しなかったと思う。
「あ!」
「・・・・・っ」
いきなり隣で上がった声に、東條院はハッと我に返った。
「なんだ」
「連絡してもいいですか?」
普通に見えていてやはり不安を感じているのかと、東條院は目を細める。
「・・・・・小田切か?それとも・・・・・」
「家に」
「・・・・・家?」
「帰りが遅くなるってちゃんと言っておかないと小遣い減らされちゃうし。ジローの散歩も伍朗に、あ、弟なんですけど、頼まなくちゃ
なんないし。いいですか?」
「うん、そー、遅くなる・・・・・え?ジローさんと一緒じゃないってば!」
「・・・・・」
静かな車内に、少年の声がよく響く。いや、それだけでなく、電話の向こうで小言を言っているらしい母親の声も漏れ聞こえてき
た。
何時もは音楽も掛けない静まり返った車内が、何だか別の空間のように感じてしまう。
「母ちゃんに嘘は言わないって!えっ?だから〜、ちょっと知り合いに・・・・・小田切さんのだよ、え?」
なぜか、少年は自分を見た。
「すみません、あの、代わってもらっていいですか?かあ、母が、疑っちゃって。俺が今からジローさんと遊びに行くんじゃないかって
言うんですよ。一言違うって言ってもらうだけでいいですから」
「・・・・・」
どうして自分がこの少年の言い訳に協力しなければならないのだと思うが、今無視をしたらもっとこの煩い会話が続くのか、東條
院は無言のまま手を差し出した。
「電話を代わりました、東條院と申します」
『・・・・・太朗の母です』
一瞬間があった後、あれだけ子供と言い合っていたとは思えない落ち着いた女の声が返ってきた。
「下校途中に申し訳ありません。知り合いについて少し息子さんにお聞きしたいことがありました。遅くならないうちにご自宅まで
送り届けますので」
『小田切さんのお知り合いの方なんですね?』
「はい」
『分かりました。明日も学校がありますので、出来るだけ早く帰していただけますか?』
『落ち着いた、きちんとした方みたいだけど、あなたとは初対面なんでしょう?失礼のないように、早く帰りなさい』
東條院からもう一度電話を受け取って、今度は幾分トーンが落ちた母親の言葉に分かっていると言ってから電話を切り、太朗
はようやく落ち着いたように息を吐いた。
「はあ・・・・・あ、ありがとうございました、電話代わってもらって」
まさかあんなにスムーズに話を合わせてくれるとは思わなかったが、母もよどみのない東條院の言葉に一応は信用してくれたよう
だった。
「お前の家は、何時もあんな感じなのか?」
「えっと、多分。とう、父はあまり話さないんですけど、俺や弟はよく話すし、母も賑やかな人だから」
「・・・・・確かに、お前1人でも賑やかそうだな」
「東條院さん?」
「もう黙っていろ」
なぜか急に態度を硬化してしまった東條院に、太朗は話し掛ける言葉も無くなって口を閉じる。
再び静かになってしまった車内で、太朗はどうして東條院の態度が変わってしまったのかを考えた。
(俺と母ちゃんの会話が煩過ぎたのかな)
自分達家族にとっては普通の会話でも、人によっては煩わしく思うのかもしれないと、太朗はしばらく黙っていようと思った。
目の前を走る車は郊外に向かっている。
絶対に撒かれまいと思いながら、宗岡は小田切のことを考えた。
『私の言うことが聞けないのか』
電話の向こうの小田切の声は抑揚のないもので、彼が相当怒りを覚えているのだろうと予想が出来た。
宗岡も、小田切を怒らせたいわけではない。ただ、自分が聞こうとしても何も答えてくれないので、その代わりに問題の男に直接聞
こうと思っただけだ。
ただ、太朗を巻き込んでしまったことは申し訳なく思うが。
(あいつ、どうして裕さんに・・・・・?)
2人の本当の関係を知りたい。
昔の小田切のことを知りたい。
恋人だったらごく普通の思いのはずだが、自分は小田切の犬だから許されないのだろうか?
「・・・・・そんなことあるかっ」
今回だけは、初めから諦めることは出来ない。小田切に何と思われようとも突き進むと、宗岡は改めて心に誓い、更に速度を速
めて車に少し近付いた。
「千葉か」
上杉は太朗の護衛から入ってきた連絡に呟いた。
「心当たりあるか?」
運転している小田切に声を掛けると、ええと思い掛けなく素直な返事が返ってくる。
「房総半島に東條院家の別邸がありました。あの人が昔、魚釣りがしたいからと、ちょうど側にあった手頃な海沿いの家を買った
んですよ」
「釣りで家を買ったのか」
上杉にはよく分からない感覚だが、
「潮風が通り抜ける良い家でしたよ。そこに向かっているということは、まだ手放していないのか」
「・・・・・」
小田切はごく普通にそれを受け止めている。
(こいつの方がよっぽど謎だな)
大東組で顔を合わせてからの小田切のことは知っているつもりだが、それ以前の・・・・・彼の家のことやその生い立ちなどは一切
知らない。小田切という今の存在を知っていれば何も困ることはないのだが・・・・・何だか、この機会に少しだけ聞いておいていい
かもしれないと思った。
「おい」
「はい」
「お前、家族いないのか?」
「・・・・・いきなり何を言い出すかと思ったら。そんなに私に興味があるんですか?太朗君が怒りますよ」
「バ〜カ、変な意味じゃねえって」
「それならば、今更です。あなたの目の前にいる私は、あなたが知ってからの私全てです。それ以前のことは今はもう思い出にもな
りませんよ」
嘘ばっかり・・・・・上杉はそう口を動かしたが、声に出すことは無かった。
小田切が秘密主義というのは分かっている。こうなったら何を言っても誤魔化されるだろうし、第一口では勝てる気が全くしなかっ
た。
(・・・・・まあ、こいつの過去は必要ねえか)
突然家族のことを聞いてきた上杉に、小田切は困惑するというよりはなんだかなと苦笑を漏らしてしまう。
(影響されやすいというか・・・・・基本的には優しい人なんだが)
いや、それとも少し違うかもしれない。小田切は一度だけ、上杉が冷静にキレたところを見たことがあった。
それはまだ自分が大東組本部の人間だった頃で、それが切っ掛けに羽生会へと出向したのだが、当の本人はきっと忘れてしまっ
ているだろう。
数人の男達を地面に倒し、血の滲んだ拳を舐めて眉を顰めていた男。この狂犬を飼い慣らしてみたい・・・・・そう思ったのだが、
多分自分の方が慣らされている。
(結局、私は勝てないし)
上杉は太朗に向かい、小田切が自分のことを上司だと思っていないと文句を言っているが、そんな上杉に本当に大切な場面で
は従っているということをちゃんと分かってくれているのだろうか?
「・・・・・後一時間くらいです」
「渋滞がなきゃいいが」
「ええ」
「・・・・・タロ、泣いてねえだろうな」
「大丈夫ですよ」
根拠のない小田切の言葉にそれでも頷いた上杉は、それっきり口を噤んだ。
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