CHANGE




16







 部屋から飛び出た時、廊下には2人の男がいた。止められるかと思ったが、男達は太朗に一瞥を向けてきただけで動こうとはし
ない。
表の大きな音が聞こえていたはずなのにビクとも動かないのは少しおかしいように思った。
(あいつを守ってるんじゃないのか?)
 ボディーガードという役割を持つ男達がどこまでするのかはもちろん分からないが、上杉に付いている人達は常に彼の気配を探
り、少しでもおかしなことがあれば自ら前に出ていた。太朗と2人の時は、上杉も護衛を連れてくることはほとんど無かったが、マン
ションにいる時はともかく、外を出歩く時は多分何人かは付いてきているのだろう。太朗は全く気付かないが。
 ここにいる男達もそんな役割だと思うのだが、部屋の中にいる東條院を守る為に飛び込んでいく様子は見せないし、かといって
あんな乱暴な手段で乗り込んできた上杉達を止めようとも動かない。
(・・・・・ヘンなの)
気になってしまったが、それよりも早く上杉に会いたい気持ちが勝り、太朗は一度男達を見た後、直ぐに玄関へと向かった。

 「ジローさん!」
 玄関のドアを開けて外に飛び出した時、既に勝敗は付いていた。
上杉の足元には数人の男達が倒れ伏していて、その中の1人を小田切が髪を掴んで上を向かせている状況だ。
(こ、こわ・・・・・)
 普段、物腰の柔らかな小田切を見慣れているだけに、こんな行為をしているのが意外過ぎた。
 「タ〜ロ」
そんな太朗の意識を浮上させた上杉が、大股に近付いてきて抱きしめてくれる。
自分よりも大きな身体に抱きこまれ、太朗は一瞬で全ての懸念は消え、嬉しいという思いだけで自分からも上杉に抱きついた。
 「ジローさんっ」
 「泣かされなかったか?」
 「うんっ」
 「怖いことは?」
 「されてないよ」
 「お前、自分から付いてきたろ」
 怒っているかもしれないと思ったが、上杉の声はどこか楽しそうな響きだった。太朗が腕の中から顔を上げると、案の定笑ってい
た上杉は、チュッと軽く唇にキスを落とす。
 「お前が何を考えていたのか、多分分かっているつもりだが・・・・・今回は相手が馬鹿だっただけに、余計な手間を食った」
 「え?」
 「まあ、俺としてはお前が無事だっただけ良かったけどな」
そう言うと、上杉は更に太朗を強く抱きしめてきた。




 無事だとは分かっていたが、それでもこうして本人を抱きしめて、上杉はようやく安堵の息をついた。こんな所まで連れて来てどう
するつもりだったのだろうか。
(全く、小田切に用があるなら、正々堂々事務所に乗り込んでくりゃいいものを)
 なまじプライドが高いだけにそれが出来なかったのかと、上杉は足元で護衛の一人を締め上げている小田切を振り返った。
 「おい、タロが怖がるぞ」
 「ああ、失礼」
何時もと変わらない口調で言いながら小田切は立ち上がったが、上杉はその瞬間今まで拘束されていた男が呻き声をあげながら
身体を丸めたのに気付く。多分、指の一本や二本、折ったのだろう。
どんな時もスマートな行動をする小田切は、たとえ相手のものであっても血で自らを汚すことを嫌うのだ。
 「太朗君」
 この世界では、用心される小田切の笑み。しかし、太朗に向けてはその笑みは本物だった。
 「申し訳ありません」
 「小田切さん・・・・・」
 「今回は私のことで、君にも色々と迷惑を掛けてしまいました。自分で始末をつけることが出来なかった私の責任です」
頭を下げて、謝罪する。この姿も、滅多に見られない光景だ。
(まあ、ここまでしなくっても、こいつなら許すだろうが)
小田切に好意を持っている太朗は、きっとその言葉を否定するだろう・・・・・そう思った上杉だが、
 「小田切さんは、どうして宗岡さんを犬に例えたんですか?」
 「タロ?」
予想外の太朗の言葉に、思わず視線を向けてしまった。
 「どうして、そう?」
 「東條院さんが言ってました。その言葉を全部本当だって思わないけど・・・・・」

 「あいつの側にいるのに何も知らないという方がおかしいだろう。犬というのはな、その呼び名の通り犬なんだ。飼い主のために自
分の持っている地位も財力も、その身体も全て捧げる存在のことだ」

 「そうだ。その代わり、飼い主はその犬を手放すまで可愛がる。一度犬になったものは、死ぬまで主人に尽くすんだろうが・・・・・そ
こまで異常な主従愛なんか、俺は信じることは出来ないけどな。どんなに言葉を飾ったって、甘い言葉で釣りながら、人一人を顎
でこき使うことに変わりない。役立たずになったんなら、直ぐにお払い箱だ」

 太朗は一言一句、覚えていたようで、小田切の目を真っ直ぐに見つめながら言った。
(こいつに、そんなことを聞かせたのか)
上杉自身、小田切が犬と呼んでいる者達との間でどんな関係を築いているのかはよく分からないが、それでも愛情が全くないと
は思えない。元々の性格のせいで揶揄したような言い方をするが、そこには確かな愛情があるはずだ。
(分かった風なこと言いやがって・・・・・っ)
 東條院の言葉を太朗がどう取ったのか、上杉はその気持ちを量るように太朗の横顔を見つめた。
 「・・・・・あなたは、どう思いました?」
 「お、俺は・・・・・」
 「まあ、多少言い方に棘はありますが、大体はその言葉に集約されていると思いますよ」
 「おい」
自虐的になるなと上杉は止めようとしたが、小田切はそうでしょうとにっこりと笑みを投げ掛けてくる。
 「私は犬達を、私と同等の存在だとは思っていません」
 「・・・・・」
 「言葉の通り、私にとっては忠実で可愛い犬という存在なんです。あの哲生も、ね」
 「小田切さん・・・・・」
 「軽蔑しますか?私を」
 「小田切」
何も自分からそう言わなくてもと、上杉は天を仰ぎたい気分だった。




 可愛くて、素直な太朗。自分にはないものをその身体一杯に持っている少年を、らしくもなく大切に思っていたが、やはり自分
とは生きる世界が違うようだ。
 同じヤクザの世界に身を置いていても、上杉は真っ直ぐな男だ。もう、自分は太朗の前に身を晒すことはないかも知れないと、
小田切の頬には不思議と穏やかな笑みが浮かんだ。
 「今回の件を片付けたら、私はしばらく本部の方に・・・・・」
 「待って!」
 「・・・・・」
 「お、俺、その、人が犬とかよく・・・・・分からないけど・・・・・」
 太朗はそう言いながら上杉の腕の中から出てくると、小田切の側にゆっくりと歩み寄った。
 「・・・・・私に嫌悪感を抱かないんですか?」
 「そんなのっ、全然ないです!俺っ、本当に小田切さんのこと大好きだし!」
 「太朗君・・・・・」
 「な、なんか、今、父ちゃんの言葉思い出しちゃった。人っていうのは、皆それぞれ個性を持ってるんだから、自分を基準にして見
ちゃダメだって。・・・・・宗岡さん、本当に小田切さんのことが心配で、大切で、だからここまで来たんだと思う。そんなにも誰かのこと
を思うなんて、愛情が無かったら出来ないよ」
自分の気持ちを自分の言葉で言う。以前にも思ったが、太朗の父母は本当に素晴らしい子育てをしているようだ。
もちろん、小田切にそんな真似は出来ないし、しようとも思わないが、全く違う価値観をもっている者を頭から否定しないという考
えだけは自分も持った方が良いかもしれない・・・・・そんな殊勝なことを思ってしまった。
 「小田切さん」
 「はい」
 「宗岡さんのこと、好きですよね?」
 「・・・・・可愛いと思わなければ飼いませんよ」
 「もうっ」
 何かを・・・・・誰かを、素直に好きだという言葉など、最後に言ったのはいったい何時だったか。宗岡にも伝えていないのに、太
朗に言うのは気恥ずかしい。
 「俺っ、小田切さんを嫌いにならないから!」
 「・・・・・」
 「だから、ジローさんの側にいて、助けてあげてください!」
 「それが、目的ですか?」
 「それも、目的です!」
小田切は笑い、そのまま手を伸ばして太朗を抱き寄せる。その身体は拒むことなく、小田切の胸の中に収まった。
 「本当に・・・・・あの人があなたを見付けて良かった」
 「え?」
太朗は聞き返したが、小田切はそれに答えることはなかった。




 どうやら、太朗の海よりも広い心は小田切をも受け止めたらしい。
(ホント、男前な奴)
しばらく太朗の身体を小田切に貸してやろうと思った上杉は、そのまま眼差しを家の方へと向けた。
中には東條院と宗岡がいるはずで、そこには当然東條院を守る護衛もいるはずだが、外にいた男達が皆ダウンしても出て来よう
とはしない。
(・・・・・違和感があるな)
 「小田切」
 「何ですか。私に妬きもちをやくのはお門違いですよ」
 「・・・・・」
(もう元に戻ったか)
 たった今まで殊勝な雰囲気だったはずなのに、それはあくまでも太朗限定のものらしい。
まあそれはそれで小田切らしいと思いながら、上杉は顎で家の方を指した。
 「そろそろ行くぞ」
 「そうですね。少し、お灸を据えてやらないと」
 「あっ、あのっ」
 「心配することはないですよ、太朗君。少しだけ、今回のことを反省してもらうだけですから」
 その言葉を言葉通りに受け止めるのは太朗くらいだろう。上杉は小田切が相当に怒っていることが分かっていた。
大事な飼い犬の宗岡に手を出されてこともあるだろうが、太朗にまで自分の本性を知られてしまい、それが結果的に良い方向へ
と落ち着きそうだが、それでも許せないという思いはあるはずだ。
(死なない程度に、な)
 こんなことで手を汚す方が馬鹿馬鹿しい。普段は自分の方が小田切に抑えられる立場だが、今日ばかりは自分の方が小田
切を制御しなければならないと上杉は思った。

 玄関に入ると、そこには護衛らしい男が2人、立っている。
(俺達を見ても無反応、か)
 「おい、東條院広郷は中だな?」
 「・・・・・」
 「入るぞ」
 「・・・・・」
あまりにも反応が無く、上杉は更に声を掛けようとしたが・・・・・止めた。多分、この男達は東條院の護衛ではないのだろう。
(東條院本家が、監視のためにつけたんだろうな)
 東條院が馬鹿なことをしないように、多分この男達がいるはずだ。その男達が少しも動かないということは、東條院広郷は本家
に完全に切られた、ということだ。
 「小田切」
 「はい」
 そのまま玄関を上がろうとした上杉だったが、なぜか太朗に腕を掴まれた。
 「どうした?」
 「靴!」
 「ん?ああ、そうだったな」
つい、何時もの調子で下足で上がるところだった。こんな時でも、当たり前のことを注意してくれる太朗の髪をクシャッと撫で、上杉
は玄関で靴を脱いで家の中へと上がった。